母の本名
宿屋の外には立派な馬車が一台停車していた。
国民が領地を行き来する時に使用する簡易な馬車と違い、矢を放たれてもびくともしなさそうな屈強な外装。
これは王宮騎士団専用の馬車だ。
まさかそれに自分が乗るとは。
罪人の娘として聴取を受けるために乗るのではなかったら、心が浮きだっていたに違いない。
でも今は、もう吐きそうだ。
馬車は内装も素敵だった。
頑丈な外装とは違い、室内は驚くほど洗練されている。
深い色合いの革張りのシートは柔らかく、座り心地は抜群。
装飾を抑えたシックな色調に、品よく光る銀の金具。
高貴な安らぎと軍の機能性が見事に調和していた。
しかし、それを楽しむ余裕は少しもない。
私に続いて乗り込んだ三人の騎士は、ずっと私の一挙一動に目を光らせている様子があり、くしゃみでもしたら切り殺されてしまうんじゃないかと不安にさせてくる。
特に隣に座る美形騎士は、首を真横に固めて私を凝視している。
なぜか瞳に妙な輝きがあるので、怖すぎる。
砂利道を通り始めたようで馬車がガタガタと音を立てながら揺れ始めた。
車体が大きく揺れると、その反動で美形騎士の腕に体当たりしてしまった。
「すみませんっ」
「お気になさらず。暫く揺れますがじきに終わります」
「はぁ…」
「そう言えば名乗り上げていませんでしたね。私は王宮騎士団少佐のユリアス・グリースフォールドと申します。彼らは私の直属の部下です」
続いて正面に座る騎士二人を紹介された。
先ほど、すん、と気取った風にしていたブラウンの髪がブルースで、黒髪がウィルというらしい。
けれど私は反応がとれなかった。
隣の人物が王宮騎士団の少佐という、かなり偉い人だと知った途端、言葉を失っていたのだ。
いやだって、なんでそんな人が私みたいな田舎娘の所へ?
…そんな大事なの?
「あのぅ…。母は一体何をしたんですか?」
「それは王宮で詳しくお話します」
「えっ!王宮にまで行くんですか!?」
思わず目を丸くした。
罪人やそれに関係する人物は、それぞれの都市に設置された騎士団防衛治安部隊が担う警団署に送られるのが一般的だ。
それなのに、なぜわざわざ王宮に?
まさか母は、王家への窃盗詐欺を働いたとでも…?
「王都は初めてですか?」
「いえ。つい数日前にも一度行きました」
「花まつりの時に?」
「あ、はい。…なぜそれを?」
再び視線を合わせると、少佐は少し黙った後、「いえ、別に」と正面を向いた。
もう少し粘って訊いてみたいような気はするが、黙っている方が今は無難にも思えて、私は唇を結び直して窓の向こうに広がる闇に包まれた草原を眺めることにした。
王都まで半日近くある道のりは、先日ナターシャとサミュエルと行った時は長いと思わなかった。
定員数を大幅にオーバーした乗合馬車の中は狭くて汗の匂いが充満していて臭かったが、三人で談笑していればあっという間だった。
けれど王宮騎士に囲まれ私語厳禁となると話しは違う。
誰も私語厳禁とは言ってないが、無駄に口を動かしてはならない厳格な雰囲気があり、加えて自分の先行きもわからない不安な状態だ。
じっと黙っていれば母がどんな悪いことをしたのかと様々な想像が頭の中を行き交い、不敬罪で死刑になる自分までも脳裏に浮かんだ。
でもこんな状況でも睡魔は訪れる。
そのうちうとうとと船をこぎ始め、最終的には恐れ多くも少佐の肩を借りて眠っていた。
ーーーーー
「起きてください」
何度も肩を叩かれ揺らされ、そのうち両頬を誰かにびよんびよんと伸ばされ、そして手のひらで包まれたので、やっとうすらうすらと目を開けた。
私の顔を覗くのは、眩いほどの男前。ユリアス少佐だった。
「へえ?...朝御飯?」
「違います。馬車を降りてください」
意識が明瞭にならないうちに歩かされ、転びそうになれば少佐が支えてくる。
その繰り返しをしながら眠気眼を何度も擦っているうちに、やっと頭がさえてきた。
恐らくここは、王宮の中だ。
朝焼けの柔らかな光が大きな窓から差し込まれ、その長い廊下は黄金色に染め上げられている。
横を見れば、歴史の重みを感じさせる白磁の彫刻が等間隔に並び、上を見上げれば、神話の世界を写し取ったような圧巻の天井画。
壁一面を彩る金細工の装飾は、光を反射して眩いほど輝いている。
どこを見ても豪華絢爛。
庶民が気軽に歩いていい場所じゃないのは、起きたての頭でもわかる。
一気に眠気がすっ飛び、背筋がピンと伸びた。
磨き抜かれた白い大理石の床を複数の足が踏む度に、カツカツと爽快な音が響く。
私が履いている靴は疲れにくさを売り文句にしていた靴屋の店主お勧めのもので、底が樹皮製だ。
床を踏みしめる度にムキュ、ムキュ、と情けない音がするので居たたまれない。
服装に至っては、よりによってくたびれた灰色の寝巻きである。
百歩譲って寝巻きに見えなかったとしても、使い込んだ証である毛玉がポツポツと自己主張している。
王宮の美観を損ねている自覚しかない。
気休めに過ぎないが毛玉を毟り取りながら歩いていると、隣から小さな咳が聞こえた。
振り向くと少佐が私を見ていた。
これはきっと、毛玉を大理石に落とし歩いていた私の行動に不快感を示している。
これだから田舎もんの女は…云々思っているのかもしれない。
恥ずかしくなって背中を丸めて進んでいくと、やがて一つの扉の前で騎士達は歩みを止めた。
「こちらの部屋で聴取を行います。ひとつ忠告しますが、全てを話した方が貴女の為ですよ」
「そのつもりでいます。心配には及びません」
すると少佐が私の耳に口を寄せ、囁いた。
「ちなみにですが、貴女、恋人は?」
「え…?あ、いや、いませんけど…?」
「よろしい」
「え?」
それも聴取に関係する質問なのだろうか。
一瞬見えた笑顔にポカンとしているうちに、少佐が扉を開けた。
そこは誰かの執務室のようだった。
壁際の棚には膨大な数の書物が隙間なく並び、窓辺のデスクには書類の束が高々と積み上がっている。
その手前には、二脚の重厚なソファが向かい合わせに配置され、中央には斑模様が浮かぶ大理石のテーブルがあった。
「そこに座ってください。じきに外務大臣と宰相が来られます」
「が、外務大臣と宰相!?」
驚愕のあまり甲高い声を室内に響かせていた。
だけどそれを詫びるどころじゃない。そんな偉い人が来るほど一大事なのか。
お母さん、あなた本当に何してくれたの!?
陸に打ち上げられた魚のように口をパクパク開口していると、少佐は私をソファに座らせた。
彼も隣に座ると、残りの二人の騎士を扉の横に待機させた。
「...母は大犯罪人だったりするんですか?」
「それを今から説明します。喉は乾いていませんか」
「あ...。そういえばカラカラに乾いてます」
訊かれて初めて気づいた。半日近く水分を補給していなかった。
少佐は頷くとブルースという名の騎士に給仕係を呼ぶように伝えた。
どんな尋問をされるんだろうと心配していたけど、お茶は頂けるようだ。意外と良心的らしい。
やがて入室した給仕係は紅茶と茶菓子をテーブルに置いてくれた。
本当は冷たい水をバケツ一杯飲みたい気分だったけど要求するほど図太くもない。
田舎娘がなけなしの知識を総動員して上品なご令嬢風に紅茶を口へ運ぶ。
濃厚ながらも渋みのないまろやかな味が舌いっぱいに広がった。
ちょっと待って美味しすぎる!
気付いたときには上品なんて言葉はどこかへすっ飛び、一気飲み。
一瞬にして腹の中に消えた紅茶を今さらどうすることもできず、唖然とした様子で私を見る眼差しを浴びながら静かにティーカップをテーブルの上に置いた。
誰も発言しないので居たたまれない。
給仕係も部屋を出て、物音ひとつしない中。心許なくて指先を触っていると唐突に扉が開いた。
途端に体がこわばる。
少佐が立ち上がるのでつられるようにして私も立ち上がった。
先に入ってきた黒髪の中年男性は、なかなか厳つい顔をしていた。
彼は私を値踏みするように見つめながら、無言のまま正面に腰を下ろす。見る、というより、睨んでいる、というのが正しいかもしれない。
続いて入室してきたのは細身の中年男性で、柔和な笑顔を浮かべていた。
「やあ、ユリアス君。お勤めご苦労。あ、その方が例の?おぉ、綺麗な人だねぇ」
毛玉まみれの寝巻きを着た寝起き顔の私を褒めてくれるとは。
なかなかの器の持ち主とみた。
母に似て平たい顔をしているので親近感も持てる。
二人が腰を降ろしたのを確認して、やっと少佐が座った。
私もおずおずと座れば、少佐が彼らを紹介した。
正面に座る厳つい男が外務大臣のネイレン・キリモスキー。
隣に座る物腰柔らかそうな男が宰相のロニー・ゲルマン。
両社とも新聞では度々名前を見たことがある。
最後に少佐が私を紹介すると、入室時から眉間に皺を寄せていた外務大臣ネイレンの表情が、いっそう険しく歪んだ。
「単刀直入に訊こう。君の母親の本名はなんだ」
「ベロニカ・ホーパーですが...」
「それは偽名だ。いや、盗んだ名前だ!」
理解ができなかった。
困惑の表情を顔面いっぱいに広げると、宰相が宥めるような声を出した。
「ネイレン君、直球すぎるよ。リゼ君は知らなかったかい?君の母親が他人の身元証を使用していたことを」
この数時間で何度言葉を失っただろう。
これが最後ではないことだけはわかるけど、情報がぶっ飛びすぎていて感情の処理が追い付かない。
詳細を教えて頂けないかと問うと、ロニーは人の良さそうな笑みを携えつつ、穏やかな口調で説明してくれた。
内容は穏やかではなかったが。
それが発覚するきっかけは、図らずも私自身の行動によるものだった。
王都での採用審査で必要な身元証明書の証本をバロン町の役所から出してもらった私は、その後ナターシャ達と王都へ行った。
しかし、役所で私の担当をした女性は、何気なく見た私の身元証明書に違和感を覚えたそうだ。
家族構成欄に記載された母の死亡年齢は七十六歳。
役所の女性は生前の母を何度か見たことがあり、「あれが七十六にはとても見えない」と不審に思い、バロン町の警団署へ調査を依頼した。
その調査で判明したのは、本物のベロニカ・ホーパーは二十年前に他界していたことだ。
彼女は遊び人で多額の借金を重ねたことから家族に勘当され、それ以来誰も彼女の行方を把握していなかったという。
生前のベロニカを知る者はこう証言した。
彼女は病気をして体を動かすことに不自由していたが、黒髪黒目の平たい顔をした若い妊婦が面倒を見ていた、と。
その若い女の容姿は母と酷似していた。
「恐らくはベロニカ・ホーパーの死後、リゼ君の母親は役所に死亡届けを出さず、その後ベロニカ・ホーパーに成り済まして遠い町まで移って生きていたんだね。そして娘もベロニカとして産み育てた。ベロニカの死後、彼女の部屋は忽然ともぬけの空になり、その妊婦の行方は誰も知らないそうだ」
ロニーの説明が鼓膜を揺らす度に、息の仕方を忘れたみたいに苦しくなる。
「役所の管理体制が相当雑だったんですね。関わってた人全員懲戒免職にしてやりましたよ」
「本当に知らなかったのか?身元証の証本を見たら普通おかしいと思うだろ」
咎めるような口調でネイレンに尋ねられたが、すぐには答えられなかった。
身元証の証本を自分自身で出したのはあの日が初めてだったし、私の個人情報より王都で行われる審査の方が気がかりで、証本の内容を確認しようとも思わなかったのだ。
母の死亡届けを出す時も気にしなかった。
そもそも私は母の年齢を身元証の通りだと思っていたからだ。
確かに見た目は三十半ばくらいの若さに見えていたけど、西の島国に住む人種は年齢よりも若く見えることで有名だから母もそうなのだろうと思っていた。
しかし真実を知る今、七十六歳は無理がある…と素直に感じる。
どうして疑いもしなかったんだろう。
「本当に知らなかったんです...」
なんとか声を絞り出すと、静寂が部屋を包んだ。
重苦しい空気に体を潰されそうな危うさを覚えながら、ある疑問がふと浮かぶ。
「そうなると、私はホーパーではないってことですか...?」
「事実上はそうなるねぇ。リゼ君の身元証は新しいのをつくる必要があるけど、ホーパーの人間ではない以上、その名はもう名乗ることはできない。リゼはそのままでいいんだけど。それより母親の本名、本当に知らないのかい?」
「...知らないです」
僅かな頭痛を覚え、心臓はけたたましく鳴る。
内側から何かが溢れそう。
さっき飲んだ紅茶を吐き出して楽になるなら吐いてしまいたい。
今ここで吐き出したら人としての何かを失うかもしれないが、もう名前を失っている私ならできる気がする。
ホーパーでないのなら、私は一体何?
私の母は、一体どこの誰なの?




