出発
公爵が目指したのは私の両親の元だった。
父と母は、同年配の男女数人と楽しそうに話している。公爵と私たちが近付くのに、いち早く気付いたのは母だった。
すぐに父の腕を引き、注意を促す。他の貴族たちは、こちらの面子を見てさっと離れて行った。
公爵が、非常に威厳のある態度で父に話かけた。
そのまま、二人で少し離れた場所で話をしている。
父は、ひたすら驚いている様子。母は私たちと、父たちの両方を見てから、瞼を伏せて、扇子で顔を扇いでいる。
その母にブライアン様が近寄った。
「急な話で申し訳ありません。マリア嬢と離れている間、安心できる絆を結んでおきたいと、私が無理を言ってお願いしました。マリア嬢も、先ほど承諾してくださいました」
本当に、つい先ほど承諾したのだ。
「お母さま、ご報告が遅れて申し訳ありません」
母は私とブライアン様を見て何事か考え、それから意味ありげにほほ笑んだ。
「いいのよ。とにかく、必要なことがあれば言ってちょうだい。協力するわ」
何か変な事を想像しているのではと心配になったところに、公爵と父が戻った。
「クルス伯爵にも、ご同意いただけた。このまま皆で王にご報告しようか」
結局全員で王の前に進むことになった。
先頭は公爵夫人で、すごく気軽にすたすたと王の前に向かう。
迎える王も、嬉しそうに相好を崩している。
こちらの様子に気付いて、ジョエル様が素早くこちらに向かってくるのが見えた。
王太子殿下は、ダンスの最中。エマは、凄く離れた所で、こちらを見ている。
目が合うと、楽しそうに目を輝かせてニコッと笑う。
公爵夫人が王に向かって挨拶する。非常に優雅だが、とても気安い様子だ。
「王にご挨拶申し上げます。ご報告したいことがございますが、今よろしいでしょうか」
「言われなくてもわかっているよ。お前のちび助が我儘をいっているのだろう」
「その通りですわ。小さいころから変わらない、絶対に曲げる気のない願い事のようです」
「お前のそれに、何度困らされたことか……甥っ子も一緒だな」
公爵が一歩前に進んだ。
「かねてから、我が家の嫡男ブライアン・ローズの婚約者を選んでおりました。その筆頭候補として、マリア・クルス嬢を選びましたことを、ご報告させていただきます。今は仮婚約の状態です。詳細はクルス伯爵家が帰国してから詰めていくことになります」
王は二回うなずいて、まずブライアン様、次に私、それから双方の両親たちに視線を移した。
「誰も反対はしておらんな。特にマリア嬢、本当にそれでいいか?」
改めて聞かれると、先ほどまでの自信が揺れる。本当にいいのかしら、と自問する。
周囲に散らばる貴族たちは興味津々でこちらを見ている。
その中に数人、きつい目で私を睨む令嬢がいた。
どの方も美しく、立派な身なりの令嬢だ。その横に立つ親族らしき人たちも、同様にきつい目つきで私を見ている。
身がすくみそうだった。
もし私が急すぎるとためらって、この話を延期にしたら、その先は?
隣に立って、不安気に私を見守っているこの方を、失うかもしれない。
あんなに綺麗な女性たちが、周囲にいるのだ。そして彼を求めている。
私のいない二ヶ月間に、あの中の誰かが、彼の気持ちを掴んでしまったら?
絶対に嫌!!
私は胸を張って、はっきりと王に告げた。
「私、マリア・クルスは、ブライアン・ローズ様との婚約を望みます」
周囲にほっとしたような空気が広がった。だがその外側の空気感は、驚きと不服の入り混じったもののようだった。
低く抑えた話し声が周囲で広がっていく。
「喜ばしいことだ。この先、つつがなく話し合いが進むことを期待する」
王が少し声を張って言った。
これで王が、私たちの仮婚約を認めたことになる。
すると、周囲のささやき声のトーンが、少し変わった。
私はホッとすると同時に、緊張の糸が切れて、その場に座り込みたくなった。
それほど気を張っていたようだ。
「大丈夫ですか」
ブライアン様が私をさっと支えてくれる。その腕に掴まり、思う。
この方に振り回されて、ここに立つことになった。
でも、私はもう、この方が自分の隣にいないと嫌なのだ。
これが恋なのだろうか。
恋は思っていたより手強い。
私たちの元にジョエル様がやってきた。
「マリア嬢、そんな深刻な顔しないで。ここは、ぱあっと満面の笑顔を見せる場面だよ。さあ、婚約披露のダンスだ。思いっきり見せびらかしておいでよ」
ジョエル様の、太陽のように眩しい笑顔が、私を照らす。
「そうですね。ある種の勝利宣言ですものね。じゃあ、私は笑顔でないといけないのだわ」
そう言って、しゃっきりと体を伸ばした。
ブライアン様が私に向かって恭しく手を出す。
「我が婚約者、マリア嬢。ダンスにお誘いしてもよろしいでしょうか」
「はい、ぜひ。婚約者のブライアン様」
私は満面の笑顔で、手を伸ばした。
◇
夢のような夜会のあと、部屋に戻った私は、ぼんやりとしていた。
この私が、再び婚約!
「お嬢様、おめでとうございます。私はもう、嬉しくて嬉しくて。泣いてしまいそうです」
言葉通り、ベルは涙ぐんでいる。
「マリア嬢は夜会の間中、立派に振る舞っていらっしゃいました。私が口を出す場面などまるでなかったです」
エマも興奮して頬を赤くして喋っている。
「ダンスがすごくお上手で、婚約発表後のダンスなんか、鳥肌ものでした。ブライアン様が王太子殿下に張り合って、アクロバティックな振り付けで踊るから、もう派手なことったら!」
「そうなんですね。お嬢様。ご立派です。私もぜひ見てみたい」
私は二人の暴走を止めた。
「婚約発表じゃないわよ。仮よ」
「誰もそんな風には思いません。あれだけ派手に披露したのですもの。両家揃って王の前に並び、王が貴族たちに向かって婚約を認める宣言。見ものでした」
そう見えたのかと驚く。
当事者の私の視野は狭かった。
近くにいる高位貴族たちの、矢のような視線しか見えていなかった。
改めて遠くから見る図を想像してみた。
その絵面は迫力だった。主に公爵一家が。
あの場で想像しなくてよかったと思う。
「私、ブライアン様に婚約者候補がいると聞かされて、とても怖くなったの。私、きっと恋しているのだわ」
「やっと自覚されましたか。よかった。これで大丈夫かしらね」
ベルがほっとしている。
「ベルは知っていたの?」
「会ってすぐに誘いの言葉をかけたのは、お嬢様の方ですよ。やっと普通の恋愛の始まりです」
エマの反応は素早かった。
シュッと私の目に前に移動し、「そうだったのですか? じゃあ帰り際のブライアン様を牽制したのは、お邪魔でした? 申しわけありません」
私を送ってくださったブライアン様が、「マリア嬢。もう私たちは婚約者なのですから、キスはお許しいただけますか?」と言った時、反射的に引いてしまったのだ。
優秀なエマはすぐにそれを感じとり、にこりと笑いながらブライアン様を退けた。
「いいのよ。まだ気持ちの準備が出来ていなかったのだから。次は、キスを許そうかしら」
ベルがにこやかにだが、結構強い目に言う。
「キスまでですからね。宜しいですか?」
キスまでって……??
「そのほかに何かあるの?」
「ええっ」
エマが叫んだ。
「だから、今日牽制しておいたのは正しかったのよ。慎重にお願いします」とベルが即座に言った。
エマが愕然としてベルを見つめ、「把握しました。任せてください!」と勢いよく言う。
そして、「キスまでですね……うけたまわりました。久しぶりに腕が鳴る」と呟いた。
何をする気なのだろう。
ブライアン様とエマの本気の戦いなど見たくないから、「あんまり気合をいれなくて大丈夫。ブライアン様はきっと、無体なことはなさらないわ」と言っておいた。
エマは、「それはもちろんそうです。そうなんですが、だからと言って……」と言葉を濁した。
出発は夜会から四日後の午後だった。
見送りに来てくれたブライアン様と王宮の庭を散歩して、そして……
初めてのキスは、とても素敵だった。
柔らかな唇の感触は以前と同じ。なのに気分が全く違う。
ずっとずっと、こうしていたいと思ってしまった。
そして、ブライアン様が私の体をもっと強く引き寄せた時、「んんっ」と咳払いが聞こえた。
エマがゆっくりと歩いて来て、「そろそろ出発のお時間です」と告げた。
残念だと思ってしまった。
「素敵でした。私、頑張って帰ってきます。帰ってきたら、またキスしてくださいますか」
思わず言ってしまってから恥ずかしくなり、頬を押さえて俯いたら、顔を掬い上げるように持ち上げられていた。そして、ずっと深いキスが……
さっきのとは違うキスだった。
胸がどきどきと大きく打つ。
息苦しくなって少し横を向いたら、ブライアン様が私を胸に抱き締めた。
「絶対に無事に帰れます。なるべく早く迎えに行きます」
しばらく強く抱き合ってから、そおっと離れた。
今から旅立つのに、もう離れたくなくなっている。
でも、行かなくてはいけない。
それならば笑わなくては。
「行ってきます。そして帰ってきます。お約束します」
その後、手を繋いで歩いた。そして私は黙ったまま馬車に乗り込んだ。
馬車が動き出した後も、ブライアン様はその場に立っていた。
私はその姿が見えなくなるまで、ずっと彼を見つめていた。
第二部の本編終了です。
この後に、ベルシア側の話と、出発前後の話が続き、そこまでで第二部終了です。
引き続きよろしくお願いします。




