ダンスレッスンー2
私がおずおずと伸ばした手が、彼の掌に載ると、滑るように身体が動き始めた。
特に押されたり、引かれたりしているわけではない。
手の平の上で転がされるというのは、こういう感じかしら。とても不思議。
彼のほうを向くと、ニコッと微笑んだので、私も吊られて微笑んだ。
そして彼の瞳を見つめていたら、いつの間にか距離が縮まっていた。
これは魔法か夢なのかしら、と再び頭の隅で思う。
音楽と彼の瞳だけが世界の全てになり、私はその中を漂っている。
パチパチと拍手の音がして、音楽が止まった。
それと同時に、世界が普通に戻る。
「お嬢様、とても素敵でした。見惚れました」
ベルがハンカチを持ってやってくる。
汗をハンカチで押さえていると、兄がそばに来た。
「今のは副団長殿のおかげで、お前の実力じゃないからな。普通は、ああは行かない。普通レベルや、下手くそな奴とも練習した方がいいな」
私はうっとりとしたまま、ぼんやり兄を見上げた。
「お兄様レベルってこと?」
「俺は上手だ。副団長殿は別格。それしか知らないのでは、普通のヤツと踊れない」
次は兄と踊った。
やはりだいぶ違う。そしてステップを間違えて三回足を踏んだ。
兄は無言だった。
そっと上目遣いで伺うと、「慣れている」とボソッと言った。
踏まれることがあると聞いて、実は安心した。
皆、とても綺麗に踊っているから、そんなことは起こらないのだろうと思っていた。それもダンスが苦手な理由の一つだった。
「どのくらい、あるの?」
「一曲に一、二回かな。お前くらいなら許容範囲だ」
「一番ひどいときって?」
「わざとかと思うくらい、踏み続けられたことがある。後で他の男に聞いてみたら、やっぱり同じだった」
吹き出してしまった。
「じゃあ、私は可愛らしいものね」
「ああ、普通だ」
嬉しかった。こんなふうに、おしゃべりしながら踊れるなんて思ってもいなかった。
向こうから、ブライアン様のうなり声が聞こえて振り向くと、ニコッとしたので気のせいだったようだ。
ブライアン様との練習は、練習にならないとして却下され、この後二曲続けて兄と踊り、今日の練習は終わりになった。
「だいぶ勘が掴めたようだし、後は実践することだな。思っていたよりずっとまともに踊れるじゃないか」
楽師とモルト夫人に、飲み物を勧めていたベルが戻ってきた。
「それはそうです。お嬢様はリズム感が悪いわけじゃありません。ただ、男性と向かい合うのが苦手だっただけです。つまり、兄君やブライアン様以外の男性と踊る練習が必要ですね」
私は渋々とそれを認め、宮廷の舞踏会前に、小さい舞踏会に出ることを承諾した。
「お昼は裏手にある森に、ピクニックに行きませんか?」
私が提案すると、皆がそれに賛成した。
料理長のビルに簡単なお弁当を用意してもらい、ゆっくりと歩いて森に向かう。ベルと兄の従者のダリルがそれらを持って従っている。
そして、夢で見た場所にやってきた。
敷物を敷き、低いテーブルを置いてワインや食べ物を並べる。
急いで作ってもらったのに、キッシュはサクッとして美味しいし、鶏のハーブ焼きもいい味だ。ドライトマトやマッシュルームと一緒にパンに挟み込み、かぶりつく。
ちょっとお行儀が悪いこの食事が、凄く開放感を感じさせてくれる。
「とても居心地が良くて、気持ちのいい場所ですね。それに、食事がとびきり美味しいし、ワインのセレクトもいい。これは料理長と、ロイドのタッグですか」
私の横に座るブライアン様が、ワインを飲んで目を細めている。
兄がこっちに身を乗りだしてきた。
「そうです。あの二人は、良く料理と酒の合わせ方を議論しているんです。俺はいつも、二人にお任せです」
私はチーズの盛り合わせの中から一つを選んだ。チーズ用には重めの赤ワインがペアリングしてある。それを開けてもらい、ゆっくりと飲む。
今まで意識してこなかったけど、とても良い物を与えられて、生活してきたのだと実感した。十八年間生きてきて、ようやく気付いたとは。
「マリア嬢、とても満足そうな表情をされていますね。そのワインとチーズ、私も試してみようかな」
ブライアン様が言うので、お勧めのチーズを指さした。彼はそれを一口で食べて、ワインを飲んだ。
「これもいい組み合わせだ。クルス家は幸せですね」
微笑むブライアン様を見ていたら、夢の二人を思い出し、少し苦しくなり、顔をゆがめてしまった。
「どうか、されましたか? 何か気に障ったでしょうか」
「いいえ、今朝夢を見たのです。多分、祖母とバイエル国王の夢だと思います。若い二人がここに座って笑い合っていました。とても幸せそうに」
兄がこちらに向き直り、ベルはワインを注ぐ手を止めて、近寄って来た。ダリルは、戸惑ったような表情で、その場に立ちつくしている。
「何だそれ。もう石の力は関係ないだろ?」
「おかしいですよね。私にもどういうことかわかりません。でも、若い頃の祖母らしい女性と、若い男性がここに居たのです。男性は赤茶色のきれいな髪をしていました」
ブライアン様が、「マーカス国王の髪は赤茶色だったようだ。息子の国王と同じだそうだ」と言う。
兄はワイングラスを、指先でいじっている。
「何でそんなことが起きる? 石の力が残っているのか?」
兄の言葉にブライアン様が疑問をかぶせた。
「まだ石の加護が、王太子に移っていない可能性はあるのかな」
私は首を振った。
「私には全くわかりません。いつ加護が私に移ったのかもわからない。ずっと石を持っていたおばあさまには、加護が無かったはずです。お母様が見た時に光らなかったようですし、願い事も叶わなかったそうだから。一体どんな方法で、それが移動するのかしら」
じっと考え込んでいたブライアン様が、ワインをぐっと一息に飲んだ。
「確かマリア嬢は死ぬ前に、やり直したいと願ったのでしたね?」
兄とベルがぎょっとしてブライアン様を見つめ、それから三人の視線が私の方に動いた。
あの夢を思い出していた私は、その目に押されるように、あの日の事を話していた。
「……あの、こんな自分は嫌だ、戻りたいと口に出しました。あの石の入った扇子で、自分の手を……叩いて、そして死んだんです。結婚式の数日後に、夢で見ました」
ベルが顔を覆ったまま、その場に座り込んだ。
兄は片頬が引き吊っている。
周囲は明るく、陽がさんさんと降り注いでいるのに、何となくうすら寒い気がした。
次の瞬間、私はいきなりブライアン様に抱きしめられていた。
「辛い事を話させてしまってすまない。泣かないでくれ」
泣いているつもりはなかったので、びっくりした。
だけど、なぜか涙が頬を伝わっていくのを感じた。それが手の甲にぽつり、ぽつりといく粒も落ちていく。
それを見たら、何かが切れて溢れ出した。
私はあの日、ジェイソン様とメリーから聞いた殺害計画の事、メリーに最後まで役立たずだと言われた事を、泣きながら話していた。
そして、前回に死んだ時期がベルシア訪問と重なること、メリーも、多分ジェイソン様も同じ時期に死んだだろうこと、自分が一度目の死の時を超えて生き残れるか、不安で仕方が無い事も、話してしまった。
全部吐き出したら、体の中が空っぽになったような、変にすっきりとした気分になった。
そして大きく息を吐き出して、ぐったりとブライアン様の胸にもたれかかった。




