王宮からの使者役ー1
「先ほど、ブライアン様とのキスをファーストキスと仰っていましたが、二回目の今回の人生でのファーストキスという事ですか?」
「いいえ、一回目も、二回目も含めてよ」
「なぜ?!」
「なぜって言われても。した事無いから、初めてよ。でも、昨日のはキスじゃないかもしれないわ。事故って言ったほうが正しいかもね」
だって、ブライアン様は、全く覚えていないもの。
「一回目の人生で、ジェイソン様と結婚生活をされていたと思っていたのですが、違ったのでしょうか」
「していたわよ、結婚生活。すぐに体調を崩して、寝たり起きたりの生活になってしまったけど」
「同じベッドで眠っていたのですか?」
「ええ。でも、その後抜け出して、メリーの所に行っていたようね。夢で見たわ」
ベルはしばらく、何かを考えていた。
「お嬢様は、夫婦生活について、どなたから、どう教わったのでしょうか」
「夜は、たまには一緒のベッドで寝る事。その時どうするかは、旦那様になる方にお任せするようにって、母から教わったわよ」
ベルはまた無言で何か考えている。
私は少し不安になった。
「何なの? 何か間違えている? そうなら教えて」
「初夜は、嫌ではなかったですか?」
まあ、なんてことを聞くのでしょう。ちょっと赤面してしまった。
言いにくくてベルを見ると、凄く真顔で私を見ている。
「それは、もちろん緊張したわよ。男の人と一緒に眠るなんて、初めてだもの。不安で緊張して震えてしまったわ。私があんまり緊張しているので、ジェイソン様が気を使って、少し離れて寝てくださったのよ」
「震えただけですか? 体が痛くなったりしませんでしたか?」
「緊張して変な感じに力が入ってしまって、肩が凝ったけど、目覚めたら大丈夫だったわ」
「ああ……そういう感じ、だったのですかー」
ベルがそう言って、その場に座り込んだ。私はおろおろしてしまった。
「ベル、大丈夫? どうかしたの」
ベルはテーブルの端に掴まって、ゆっくりと立ち上がると、また隣室に戻って行った。
少し後に、二人は部屋から出て来たが、二人共変な顔をしていた。
私はそっとベルに近寄り、聞いた。
「なあに?」
ベルは無言だ。
ブライアン様は変な表情のまま、「それでは、私は仕事に戻ります」と言って、部屋から出て行った。
ベルに説明を求めたけど、「その話は後日、改めてしっかりと説明させていただきます」と言って修復に取り掛かり始めた。
チャックの噛み跡は、浅めで軽い物だった。
思いがけない程早く修復作業が終わり、ベルが書簡を持ってやってきた。
「綺麗に直りました。これで大丈夫だと思います」
ベルが差し出した書簡は、元の通りになって、噛み跡も見えなくなっている。
私はほっとした。
「これをブライアン様の所に届けてもらえる?」
「はい。承知しました。何か伝言や、お届けするものがありますか」
「いいえ。ないわ」
そう言ったら、ベルが聞いてきた。
「ブライアン様がキスしてきた時、嫌だと思いました?」
「えっ、何? そんなの一瞬のことでわからなかったわよ」
「たとえ一瞬でも、嫌な相手なら、身体が拒否します。それが無かったのなら、相手を嫌いではないのでしょうね」
ベルがにっこりした。
優しい表情を見て、私は急に聞いてみたくなった。
「もし、ちゃんとしたキスをしたら、どんな気分になるの?」
「さあ、ドキドキして幸せな気分になると聞いた事があります」
「そうなの? だったらやっぱりあれはキスじゃないわね。驚いただけだったもの」
ベルがふふっと笑った。
「実は、私もキスしたことが無いんです。だから、どういう感じなのかは知らないんですよ」
なんとなくほっとした。ベルも知らないのだったら、私が知らなくてもおかしくなさそうだ。
私がほっとしたのを見てベルが慌てたように加えた。
「その話を男性としたら駄目ですからね。いいですね。いまのところ最大限譲って、その事に関して聞いていい人がいるとしたら、ブライアン様だけです。そこだけは心してくださいね」
「わかったわ。約束する」
これはきっと、本当にまずい事なんだと直感した。
ベルは疑い深い表情で私を見てから、書簡を手に、部屋から出て行った。
それから三日間は、少し落ち着かない気分で過ごした。
ベルシアを訪問することを考えると、気分が落ち込んでいくし、家に戻って、父や母にどんな風に説明したらいいのかも悩む。それに、キスの話も頭の隅に引っかかっていた。
四日後のその日、私は正式な使者として、家に向かった。
近衛騎士団から、八名が私の護衛に付き、馬車の前後を固めている。
そして馬車には副団長のブライアン様。
今日は副使者として同行しているため、騎士服ではなく、フロックコート姿だ。
正装すると、気品に満ちあふれた美しさが際立つ。兄が言っていた、令嬢たちの憧れの的、国が誇る貴公子という言葉に納得する。
そして、私は気後れして、黙り込んでしまう。
そのせいで、先程から会話があまり続かない。
なにせ今日は、雰囲気を和ませてくれる、チャックもいないのだ。
「マリア嬢。緊張されていますか? ずっと沈んでおられる様子ですが。私も一緒にいますから、頼っていただけたらと思います」
真摯な表情が、ドキッとするほど美しい。美人の真顔の威力はすごいと思う。
今回の話を、父たちがどう受け止めるか不安なのはある。
でもそれ以上に、久しぶりに見る公務の立場のブライアン様が、眩しい。
気持ちが落ち着かなくて、普通に話せない。
「はい」
下を向いたまま、そう答えるので精一杯だ。
その横に座る兄が、私の様子を見ていて、低く唸った。
「副団長殿。今日は気合を入れてめかし込んでこられましたね。私から見ても、まぶしいくらいです」
「使者だからな。だがマリア嬢の前では、私など霞んでしまうよ」
ブライアン様が私に向かって、はにかんだように微笑みかける。
この見た目で、その表情は⋯⋯止めて欲しい。
「ベル、今日の私の服装はどうだい? 合格点をもらえるかな」
最近、この二人は少し仲良くなったようだ。
なんとなく距離が近くなった気がする。
「服装から小物まで、セレクトのセンスは申し分ないと思います。ただほんの少し残念なのは、整いすぎていることです」
兄が口を挟んだ。
「どういうことだ?」
「隙がなさすぎると、近寄りにくくなります。牽制するにはぴったりですが。つまり目的がどちらなのか、ということです」
ブライアン様の頬がピクッとした。
「どうしたらいい?」
「髪を少し崩して、それからタイピンの位置をもっと下げて、ゆるめに留めてみてください」
髪に指を入れて少し崩し、タイピンの位置を下げて、タイをフワッとさせた。
雰囲気が柔らかく変わる。ほんのちょっとのことなのに、すごく効果的。
さすが、ベルだ。
私が王宮で過ごしやすい理由の一つにベルの存在がある。
そのセンスの良さが、じわじわと周囲に広まり、アドバイスを求めに来る者が増えてきている。
例えば、ドレスに合う髪型とか、ネックレスの形はどれがいいか、など。
チャック付きで、ファッションセンス抜群の侍女を抱えた私は、少し特殊な立場を獲得しているのだ。




