帰国時の一幕
キャンキャンキャンキャン......
チャックが吠えている。
マリアを見て興奮しきって、近くに行こうと必死なのに、その前足は宙を掻いている。
首にはジョエル様が送ってくれた首輪。
その首輪からリードが長く伸び、先は柱に縛られている。
「あの、ジョエル様。なぜ室内でチャックにリードを付けているのですか?」
「やあ、久しぶり。マリア嬢。こいつ君を探して脱走するようになってさ。仕方なしに、こうやって長めのリードを付けている」
「まあ」と言って、マリアが一歩チャックの方に踏み出す。
チャックは前足が届かないのを悟ったのか、今度はお尻をマリアの方に向けて、後足を思いっきり伸ばした。その足先がマリアのスカートに触れると、床に伸びたまま、満足そうにキュウと声を漏らす。
皆その姿に呆れてしまった。
「その根性に負けたよ。もう脱走することもないだろうし、リードを外そうか」
ジョエルが、かがんで首輪からリードを外す。
自由になったチャックはその肩を踏み台にして、マリアに向かってジャンプした。
そのチャックを、ブライアンが宙でガシッと掴む。
「足が汚い。マリア嬢のドレスが汚れる。ジョエル抱いていてくれ」
手を前に伸ばしかけていたマリアが、ポカンとブライアンの方を見る。
「え、何言ってるのさ。そんな訳ないよ、室内なのだから」
そう言ってジョエルは周囲を見回す。
だがエマとベルはそれとなく視線を外す。そしてブライアンの行動を咎める風でもない。
狐につままれたような表情のまま、ジョエルは暴れるチャックを受け取った。
チャックが、ブライアンに向かって「ガウッ」と低く唸る。
「えっ! チャックが、ガウッって言った。おいチャック、いつものお前じゃない。ブライアンも、なんだよ」
そう言った次の瞬間、ジョエルがのけぞり、一歩後ろに下がった。
「ブライアン、何だよその殺気」
驚くジョエルをよそに、殺気を引っ込めたブライアンは、にこやかにマリアに腕を伸ばす。
「さあ、マリア嬢。王妃様にご挨拶に行きましょう」
マリアはブライアンを軽く睨み、チャックをジョエルから受け取り、抱きしめた。
チャックは怯えてぶるぶる震えている。
「怖かったわね、チャック。もう大丈夫よ」
チャックの震えが止み、マリアの胸にくたっと凭れかかると、キュウキュウと甘えた声を出す。
ブライアンが怖い顔付きで近寄ってくると、マリアが身を引いて避けた。
「どうしてチャックを怖がらせるのですか? こんな小さな子に殺気を放つなんて、見損ないましたわ」
衝撃を受けて声の出ないブライアンを置いて、マリアはジョエルに声を掛けた。
「もし差し支えなければですが、王妃様への御挨拶にお付き合いいただけないでしょうか。チャックを抱いたままでは失礼ですが、チャックの様子も心配です」
マリアは王妃代理行事の報告と帰国挨拶のため、家族と別れて王宮に直行していた。この日は王宮の自室に泊まる。
「ああ、それはいいけど。何かあった?」
ジョエルはブライアンの方を横目で見て言う。
「特には、何も。ブライアン様らしくないですわ」
ジョエルがもう一度、エマとベルに目を据えた。ジーッと見詰めていると、エマが折れた。
ベルはポーカーフェイスを崩さない。
「帰路で、ほんのちょっとしたことがありまして。お気になさらず」
「ほんのちょっと?」そう言って、ジョエルは固まっているブライアンを眺める。
「大した『ほんのちょっと』だね。事件の報告は受けている。でも、その『ほんのちょっと』は初耳だな」
それからマリアに向かって、ブライアンを慰めてやってくれと頼んだ。
「これじゃあ、やり難くて仕方無いよ。僕のチャックと従兄弟のブライアンが不仲では困る」
マリアはチャックを抱いたまま、ブライアンの前に立った。
「ブライアン様、一体どうなさったのですか? 弱い物いじめなんて、あなたらしくありません」
「......申し訳ありません」
ブライアンは、しょんぼりと肩を落としている。
マリアは、片手をブライアンの髪に伸ばし、前髪を掬い上げた。
「まあ、変なブライアン様。今日は良く休んでください。そうすればすっきりしますわ」
ブライアンはマリアの手をそっと握り、「そうですね」と微笑んだ。
それから、ゆっくりチャックの頭を撫で、手を差し出した。
チャックは恐る恐るその手を嗅ぎ、ペロッと舐めた。それを見たマリアはほっとした様子だ。
「さあ、では王妃様への報告に参りましょう。難しい話は後日で、今日は無事に戻ったご報告だけです。私も今日はゆっくり休みたいわ」
ブライアンが目を輝かせ、口を開きかけた。
「チャック、今日は一緒に寝ましょうか。これっきりよ、勝手にベッドへ潜り込んでは駄目ですからね」
そう言いながらチャックに頬ずりすると、チャックは嬉しそうにマリアの顔を舐めた。
反対にブライアンは肩を落とす。
エマとこそこそ話していたジョエルが、それに気付いた。
すたすたと寄ってきて、慰めるような表情で、その肩に手を置いた。
「飲むなら付き合う」
ブライアンと共に王妃への挨拶を済ませた後、部屋から出たマリアはジョエルの元に急いだ。ジョエルは近くのテラスにいる。
自分が同行すると、「また甘やかす」と母に叱られそうだと言い、エマとベルと三人でチャックと遊んでくれていた。
「では私は部屋に下がります。ジョエル殿下、ありがとうございました。ブライアン様、よくお休みください」
そう告げてチャックを抱き上げ、部屋に戻ろうとしたマリアを、ジョエルが呼び止めた。
「マリア嬢、恋人への挨拶は?」
「あっ」と小さく声を上げ、マリアはブライアンの元に小走りで戻る。
そして頬にチュッと軽いキスをすると、はにかんだ様子で下を向き、踵を返した。
見送るブライアンは、また固まっている。
ジョエルが、「ほー」と変な声を出してマリアの後ろ姿を見送り、視線をブライアンに戻した。
「恋人には昇格したわけだ。良かったな」
~~* 平和な日常が、一応戻ってきました *~~
「この結婚、死んでも嫌です」の大きく前半部分完結です。
しばらく書籍化の作業が入ると思うので(初めてなので見当が付きません)、後半まで数か月開ける予定です。12月くらいになるかと、漠然と考えています。
決まったら、活動報告を出します。
その間、時々番外編を上げると思いますので、読んでいただけると嬉しいです。




