3-9 束の間の安息
「ガァー……」
大きないびきで俺は目を覚ました。
気がつくと、なぜか床に転がっている。どうしてこうなったのか、記憶はほとんど残っていない。ぼんやりと体を起こすと、厨房の方からだけ淡い光が漏れていた。
隣を見ると、モノが豪快ないびきを立てて眠っている。その腹の上では、モノを枕代わりにクロールが丸まって寝ていた。
俺は静かに立ち上がり、店内を見渡す。
ロロ、ムウ、ガウの三人は肩を寄せ合い、身を寄せるように眠っている。誰かがかけてやったのだろう、毛布が三人を優しく包んでいた。
さらに厨房の方へ足を運ぶ。
壁際では、ノアとサラが背中を預け合うようにもたれ、静かに眠っていた。
――ノアにとって、サラはもう背中を預けられるほど信用できる存在になったんだな。
そんなことを考えながら二人を見つめていると、背後から小さな声がした。
「起きちまったか」
振り返ると、カマイが立っていた。おっとりとした目は半分閉じかけていて、今にも寝落ちしそうだ。
「ごめん、カマイ……迷惑かけたかも」
「何を気にしてんだよ。そんなの、いつものことだろ」
カマイはそう言って、穏やかに笑う。
その目はまっすぐで、取り繕った様子もない。疑う理由なんて、どこにもなかった。
「レイル。どうせ起きたなら、寝酒に付き合ってくれないか」
俺は無言で頷き、カウンター席へ向かう。
いつも厨房側にいるカマイが、珍しくカウンターの椅子に腰を下ろした。近くに置いてあった酒樽を手に取り、二つのジョッキに酒を注ぐ。
軽く口をつけたあと、カマイがぽつりと聞いてきた。
「レイル、お前っていくつなんだ」
「急にどうしたんだよ」
そう言いながら、自分の年齢を思い返す。
「この村に来た時は、たぶん十七だった。今は……どれくらい経ったか分かんないな」
カマイは腕を組み、少し考える。
「季節は何回か巡ったな。たぶん二年くらいか」
「……まだ十九か二十か。若いな」
そう言って、カマイは酒を一口含む。
「若いのか?全然そんな気しないけどな。色々ありすぎて……」
カマイは俺の言葉を遮らず、静かに聞いていた。
「ああ、若いさ」
ゆっくり、噛みしめるように言う。
「お前はまだ、何かを背負い込む年齢じゃねぇ。目の前にあるもんを大切にして生きる時期だ」
「それって、どういう意味だよ」
カマイはジョッキの酒を一気に飲み干す。
「悩むにはまだ早いってことだ。少しは気楽にいろ。何かあっても……俺たちがいる」
「サラを受け入れろってことか?それならもう――」
言い切る前に、カマイが無理やりジョッキを俺の口元に押し付ける。
苦い酒の味が一気に広がった。
「まあ飲め。今日はゆっくりしとけ」
そう言って、カマイは笑う。
その笑顔の意味が、今ならなんとなくだけどわかる。
仲間の死を抱え込み、前に進めずにいる俺に――
カマイは、不器用なやり方で背中を押してくれていたんだ。
――
「兄ちゃーん」
背中にずしりとした重みを感じて、俺は目を覚ました。
寝ぼけたまま顔を上げると、背中に乗っている何かが少しずつずれ落ちていく感覚がある。
「ああ〜、僕の身体がー!」
背中の方からムウの声。
「だから言っただろ。今の俺たちじゃ無理だって」
「ガウ、そんな酷いこと言わないでよ。ムウのこと一緒に応援しよう?」
少し離れた場所から、ロロとガウの声が飛んでくる。
「ムウ、悪いけどちょっと重い。降りてくれ」
「えー、仕方ないなぁ」
ムウは不満そうに言いながらも、ちゃんと俺の背中から降りた。
「……ところで、なんで三人ともここにいるんだ?」
三人は顔を見合わせ、同時に首を傾げる。
「昨日の夜にレイルさんとノアさんが、いつもと違う感じで面白いから来いってモノさんに呼ばれたんです」
「兄ちゃんすごかったねー!普段から姉ちゃんとはあんな感じなの?」
――いや、なんかすごい誤解をされている気がする。
ただ髪をどけただけだったはずなのだが……。
少し顔を赤くしたガウが、下を向きながら小さく言う。
「……こういうのは人前で話すことじゃないから。あんまり聞かない方がいいと思う」
普段こんなことを言わないガウの様子に違和感を覚えたが、真相を知るのも怖かったので深掘りはやめた。
「あれは昨日だけの秘密だからな。絶対に誰にも言うなよ」
三人は声を揃えて、
「うん!」
と、やけに元気よく返事をした。
……本当に大丈夫か、これ。
店内を見渡すが、俺たち以外に誰の姿もない。
「みんなはどこ行ったんだ?」
「モノさんとクロールさんは、いつも通り家に帰って寝てます」
「ノアさんとサラさんは、村の探検に二人で出かけました!」
ロロが教えてくれる。
「兄ちゃん!今日暇なら久しぶりに修行つけてよ!僕たちも頑張って兄ちゃんみたいに強くなりたい!」
「俺も強くなりたい。レイル、頼む」
突然のお願いに、少し言葉に詰まる。
するとロロが一歩前に出て、姿勢を正す。
「僕も、レイルさんみたいに強くなりたいです。お願いします」
深々と頭を下げるロロ。
一度顔を上げて俺の様子を確認すると、ムウとガウにも合図を出し、三人揃って頭を下げた。
その姿を見て、思わず小さく笑ってしまう。
「いいぞ。ただし、俺の修行は甘くないぞ。一日みっちりやるからな」
そう言って俺は立ち上がり、勢いよく店のドアを開けた。
「ついてこい。いつもの川辺で修行だ!」
「おー!!」
三人の声がぴったり重なる。
朝の光の中で、その声を背中に受けながら外に出る。
――悪くない。
いや、かなりいい一日の始まりだ。
川辺についた俺たちは、そのまま全員で川の中へ入った。
高く昇った太陽が肌を照らす中、冷たい水に足を沈めると、じわりと体の熱が溶けていく。
――気持ちいい。
「気持ちいいなー」
俺はそう言いながら、そのまま川の中で大の字になる。
水は鼻先を避けるように、頬や胸、腕をなぞって流れていく。緩やかな流れが、身体の奥までほどいていくようだった。
「レイル!修行するんじゃなかったのか!」
ガウが少し怒ったように声を上げる。
俺は口だけを水面の外に出して答えた。
「こうやって川の流れを肌で感じてるとさ、いつもと違う感覚が生まれる気がするんだ」
水に揺られながら、続ける。
「修行ってのは、必ずしも体を鍛えることだけじゃない。落ち着いて今の状況を考えるのも、立派な修行だ」
そう言って、また静かに水の中へ顔を沈め、目を閉じた。
「……レイルさんって、こんなこと言う人でしたっけ?」
「なんか兄ちゃん、大人になったねー」
ロロとムウがそう言いながら、俺の隣に来て同じように川に寝転ぶ。
「今日だけだからな」
少し遅れて、ガウもぶっきらぼうに言いながら横に倒れた。
俺は目を閉じたまま、ぼんやりと考える。
この水は、どこから来て、どこへ向かっているんだろう。
どうして俺は、こんなにも満たされた気持ちになっているんだろう。
どうしてみんなは、こんなにも自然に俺に優しくしてくれるんだろう。
脈気は「自然との調和」――理屈では分かっている。
でも、使い方はまだよく分からない。
……結局、俺はまだ何も知らない。




