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さほど繁盛していない店というのはこういう時ありがたい。レジカウンターの、僕は奥側のスツールに、来海サンはゴッホの椅子を引っ張って来て向かいに座る。
コピーした謎の絵、2通目と3通目の2枚を並べた。
「やっぱり届けられた順に見て行くべきだろうな。熊と焚火……うーん、お釈迦様の前生説話で焚火に飛び込んだのは兎だったよな? その他の動物は、猿、山犬、カワウソ? 熊はいなかった……」
僕は頭を掻き毟る。
「でなきゃ、北海道の名産、鮭を銜えた木彫りの熊。でも、熊は鮭を焚火で焼いて喰わない――」
「ねぇ、インドや日本に捕らわれ過ぎない方がいいんじゃないかな」
来海サンはピシッと言った。
「だって、私が〈熊〉と聞いて真っ先に思い出すのは欧州の森でイヤリングを落とした女の子の姿だもの。それを拾って追いかけて返してくれる熊さん……」
「アレか! ♪ある日~森の中~」
「それから、左耳にタグをつけたモフモフの熊さんたち……私の部屋にも三匹いるわ」
「あ、ドイツ産の連中だな」
それにしても三匹って、誰と誰と誰からもらったんだろう? それはともかく――
パチンと僕は指を鳴らした。
「確かに、その視点はおもしろいぞ、来海サン、欧州か!」
欧州と聞いて瞬時に僕の頭に浮かんだのは――熊使いと熊の図。あれは何処だった? 中世の教会の壁画だ。15世紀末、サン・ジャン・ド・モリエンヌ大聖堂?
「よし、その線で行ってみるか!」
もう、こうなったらどんな糸口でもいい、追及してみよう。
熊の絵や逸話、それから熊を紋章にしている国は欧州には多い。彼の地を覆う深く暗い森のせいだろう。
「ドイツにはモロ〈黒い森〉なんて地名もあるもんな。何、お客様?」
来海サンが突然立ち上がった。
「あ、いいわ、私が行く。新さんは〝熊狩り〟を続けてて」
相棒の優しい言葉に感謝して僕は欧州の森に分け入った。思っていた以上に欧州には熊と関わりのある都市や町が散見された……
「新さん、私ちょっと出て来る。また戻って来るから、待っててね」
来海サンが僕の耳元でこう囁いたのは何時頃だったろう?
「ん、気をつけて」
僕はPCから顔を上げずに生返事で送り出した。それほど謎解きに没入していたのだ。そして、その結果――
「ただいま、新さん、熊の追跡はどんな様子? 欧州の森でお目当ての熊は見つかった?」
実際、来海サンが画材屋へ帰還したのは陽が落ちてかなり経ってからだった。
僕は今度こそPCから顔を上げ、胸を張って言った。
「見つかったどころか、仕留めたよ! しかも熊をやっつけたらするすると三通目の絵柄まで……なぁ、これをどう思う?」
僕が差し出した報告書を熱心に読み始める来海サン。やがて返って来た言葉は……
「――いいんじゃない?」
画材屋の壁にかかった時計(初代店主の祖父厳選、ドイツ老舗時計メーカー・ユンハイス製/Max・Bill1954)は午後7時を告げている。僕はすぐに朝野陽さんへ連絡を入れた。
陽さんは感嘆した。
「凄い! もう解けたんですか? 信じられません、謎をお渡ししたのは一昨日なのに。ああ! その回答をすぐにもお聞きしたいんですが」
いったん言葉を切る。その後で陽さんは提案した。
「明日は私、ホテルの勤務日なんです。妹も早朝から仕事があって――こうしませんか? 明日夕方6時頃、桑木さんと来海さん、お二人で私たちの邸へお越しください。お礼もかねて夕食を御馳走したいと思います。その席で、読み解いた謎の絵柄の〈答〉を、ぜひ、お聞かせください。私から、前嶋弁護士さんへもお声を掛けておきます」
しばらく間が空いた。
「それで――場所柄、遅くなることを考慮して、予め桑木さんや前嶋さん男性陣には寝袋の持参をお願いしたいんです。台所兼居間の隣りの部屋を宿泊できるように綺麗にお掃除しておきます。来海ちゃんは私たちの部屋でゆっくりしていただくわ!」
ノープロブレム! 令和の探偵に寝袋は必須アイテムだ。来海サンも僕のスマホを奪い取って、
「お泊り会、大歓迎です!」
僕が締め括った。
「ご招待ありがとうございます、明日お伺いいたします!」
6時きっかり、僕は珊瑚樹邸の門の前に車を停めた。一旦降りて、門柱のインターホンを押すと、ほぼ同時に玄関のドアが開き朝野姉妹と前嶋さんが出迎えてくれた。
「防犯カメラ、付いたんですね?」
玄関扉の上、門までをカバーするそれを見上げて来海サンが微笑む。
「ええ、今日、私と苑は仕事だったけど、代わりに前嶋さんが立ち会って、業者さんにつけてもらったの。防犯会社とも契約したし」
嬉しそうな姉。妹は腰に手を置いて得意げだ。
「これでもうセキュリティは万全ね!」
前嶋さんも力強くうなづいた。
「カメラは、この玄関と、台所横の勝手口、そして裏庭――ここは高い煉瓦塀で囲まれていますが、そこにもひとつ、通用門があるんです。以上、出入り口の三カ所、全てに取り付けました」
改めて僕は車を門から乗り入れ、邸の左側の庭に停車した。既に停めてある前嶋弁護士の車を見て、思わずニヤニヤしてしまった。デリカD5【P】Gパワーパッケージか。ナルホド、これなら、即、鰐狩りに行けそうじゃないか!
「この部屋しか使ってないので……」
前回同様、大きなテーブルがある、あの居心地満点の台所兼居間へ僕たちは導かれた。テーブルには、今日は空色のテーブルクロスがかかって中央に置かれた花瓶にこぼれんばかりに花が飾られている。白いアネモネ、カスミソウ、ラベンダー、ユーカリ……
大人になったアリスもかくや、ブルーのワンピースに純白のエプロン姿の陽さんが深々とお辞儀をした。
「さあ、お茶をどうぞ。それで、桑木さんの絵についての謎解きをお聞きした後で、ゆっくりとお夕食、というのはいかがでしょう?」
双子のアリスⅡ、お揃いのドレスの苑さんがはちきれんばかりの笑顔で言った。
「絵柄の謎を聞いた後でないと、落ち着いてご飯なんか食べられっこないもの!」
前嶋弁護士も片手を上げる。
「同感です」
事務所での弁護士とは対照的に優雅な手つきでそれぞれの席にお茶を供する姉妹。僕もまずは喉を潤してから――素晴らしい! 品名まではわからないが今回も厳選された茶葉の味だった!
僕は立ち上がった。わかりやすいようにコピーして来た絵柄の①熊と焚火②シャレコウベとミイラを皆に配ると話し始める。
「では、僕が解読した、絵柄の意味するところをお話します。最初に『この熊は、日本産ではなくて欧州の熊に思える』と指摘した我が相棒、城下来海サンの言葉が謎を解く〈鍵〉なったことをお伝えします。さて、実は欧州には熊にまつわる因縁や伝承が数多くあり――」
「待って――猫の声がする」
そうつぶやいたのは苑さんだった。
思わず一同(僕も)耳を澄ました。来海サンが相槌を打つ。
「ほんとだ、外で猫が鳴いてる――」
「陽ねぇ、セレストを庭に出したの?」
「まさか、そんなことするもんですか。さっき私の部屋に入れてきたわ。勝手口のドアもちゃんと鍵をかけたし」
「でも、聞こえる。ほら、庭の方から」
続いて、猫ではなく人間の凄まじい叫び声が響き渡った。
「ギャーー……!」
「何だ?」
前嶋さんと僕は椅子を蹴って駆け出した。