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 珊瑚樹邸の秘密 :画材屋探偵開業中!  作者: sanpo


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 ベンチから腰を上げて僕たちが次に取った行動は――

 まずザンクト・ガレン駅へ戻る。駅前に郵便局があって、その裏側に近代的な大型スーパー〈ミグロ〉がある。ここで今回の旅のお土産を買いこんだ。ついでに昼食もスーパー内のフードコートで食べた。地元の人たちに評判がいいとSNSに載っていたが、その通り、コスパが良くて美味しくて大満足! ビッフェスタイルで盛り放題の種々のサラダ、〝グルメパック〟にはミモレットや花びら状に削ったチーズ、ナッツやドライフルーツ入りのクリームチーズが味わえる。各種パンもいける。リンツァートルテという名のスイーツはシナモン入りのチョコ生地に粗く刻んだ胡桃(くるみ)、アーモンド、ヘーゼルナッツが混ぜ込んであって新人パテシェの苑さんも大絶賛していた。折角だから僕はミールワームバーガーにも挑戦した。言うまでもなく未来派健康志向食物。ゴミムシダマシ(ウヘッ、名前は最悪だな!)の幼虫のパテが挟んである……


 空腹を満たした僕たちは再びザンクト・ガレン大聖堂へ引き返した。大聖堂をぐるっと回るとそこがガルス広場でケーブルカー乗り場がある。これで丘の上へ登れる。そこから眺める町の景色は、もう最高だった。帰りは、ケーブルカーは使わず歩いて降りて来た。一歩一歩、歩を進めるたびに姿を変える大聖堂の二つの塔……図書館のある修道院……ゆっくりと沈む夏の太陽……今日見た新しい景色を深く心に焼きつける。

 夕食は修道院から徒歩5分、旧市街の老舗レストラン〈ツムゴールデンロイン〉――その名の通り黄金のライオンが目印だ――に決定。地ビールで乾杯(来海サンは炭酸水)。伝統のレシピのチーズパイ、プレッツエルに白ソーセージ、キッシュも忘れちゃいけない。スイス料理を満喫して夜は更けて行く。

 翌朝早く僕たちは二日間お世話になったアインシュタイン・ホテルに別れを告げ、一路駅へ。

 地図を見るとわかるがここザンクト・ガレン駅はジュネーブ・チューリッヒ方面からの鉄道網の東端に当たり、ここを始発・終着とする鉄路が多く、アクセスが滅茶苦茶良い。東西南北どちらへ行くにも実に便利なのだ。スイス国鉄の他、AB(アッペンツェル鉄道)、SOB(スッドオスト鉄道)などの私鉄も乗り入れている。昨日、修道院の庭で立てた計画通り僕ら一行はまずベルンへ向かう。そう、あの熊繋がりのベルンだ。〈熊と焚火〉の街から〈熊の名を冠する〉首都まで時間にして2時間13分。乗り換えて美術館のあるゾロトゥルンまで37分。およそ三時間の行程だ。

 このゾロトゥルンと言う小さな街がまた物凄かった……!

 

 ジュラ山脈の端っこのヴァイセンシュタインという山の麓に位置し、17世紀に築かれた城壁に囲まれた町、そもそもはローマ時代からの古都――それがゾロトゥルンだ。面白い情報としてはこの町は〈11〉の街と呼ばれている。教会や噴水、塔の数、大聖堂の祭壇や鐘、階段の数が全て11なのだとか。建物の真偽のほどは確認していないが理由は確認したぞ。妖し気な伝承由来ではなく、超シンプル。スイス連邦に州として加盟したのが11番目だったから。

 さぁ、到着。駅を出ると川が見える。アーレ川だ。橋を渡れば旧市街。川の向かって右手にある白亜の教会が18世紀に建てられた聖ウルスの大聖堂、ゾロトゥルン大聖堂とも呼ばれる。イタリア風ロココ調の漆喰スタッコ装飾が優雅で美しい。すぐ近くにはフレスコ画が印象的なイエズス会教会がしっとりと静謐な姿を見せている。

 聖ウルス大聖堂を右に曲がると荒々しく頑丈な石造りのバーセル門が出現する。この門や町を取り巻く城壁は17世紀にフランス人が作った。市内最古の時計塔へ続く道筋には全部の窓がアドベントカレンダーになっている家もあった。

 そんな旧市街を抜けるとゾロトゥルン美術館が見えて来る。瀟洒な左右対称(シンメトリー)の2階建て。正面に縦長の池が翡翠色にきらめいている。

 玄関ホールを入り受付へ。料金は大人15CHF(スイスフラン)/子供7,50 CHF

 早速訊いてみた。

「あの、あなたが受付係のベットラ―さんですか? 受付にいるって、ザンクト・ガレンのルーク・ホフマン君が教えてくれました。僕たち彼の紹介で来たんです。挨拶するようにって」

 刹那、受付係の顔が歪む。笑いを押し殺してカウンターの端を指差した。

「ベットラーは僕じゃない、こいつさ」

「?」

 真鍮の人形というか、オブジェだ。受付係がコインを入れるとギギー、ガタ、ガタンと動いてコインを飲み込んだ。

「これぞ、スイスが誇る機械彫刻家ジョー・タンゲリーの作品。コインが大好物! だからその名も物乞い(ベットラ―)君。子供の入場者には必ずこれをやってみせるのさ。皆、大喜びするんでね」

 ルークめ! あの美少年にまんまとかつがれた。でも、幼馴染みだって言ってたから、小さい時これを見るのが大好きだったんだろうな!

 この玄関ホールにはカフェや図書コーナー、子供用のお絵かきコーナーもあった。ルーク君に似たちびっ子たちが真剣に絵を描いていた。

 2階には――

 正直、僕は自分の不勉強さに打ちのめされた。まさかこんな片田舎の小さな美術館にこれほどの名画が揃っているとは思いもしなかった。

 2階はスイスの画家の絵を中心に展示されている。まず階段を上がった真正面にフエルディナント・ホドラー〈ウィリアム・テル像〉 ボウガンを構えて力強い! ホドラーは大きな壁画で世界的に知られているが、他にも有名な〈サレーブ山〉〈ブナの森〉〈渓流のある森〉……

 彫刻で名高いジャコメッティの渾身の肖像画〈テオドラ〉やバロットンの珍しい風景画や静物画を見ることができるのも、ここゾロトゥルン出身の画家クーノ・アミエと彼らが大親友だったおかげだ。

 そして、なんと、クリムトの〈金魚〉! クリムトの作品はスイスではツーク私立美術館とここにしかないとのこと。この〈金魚〉、縦長の画面に裸体の女性3人、中央左寄りに金魚が顔を覗かせている異色中の異色作……

 セザンヌ、ルノワール、ゴッホ、マティス、ルオー、ピカソ、ブラック……フランスが誇る画家たちも数多あまた並んでいた。これには理由がある。この町ゾロトゥルンの城壁は17世紀にフランス人が築いたと前述したが、宗教改革吹き荒れるその時代に、この町がカトリックを貫いたことと距離的に首都ベルンに近いせいもあってフランス大使館が置かれていたのだ。だからブルボン王朝の華麗な文化が深く浸透した。ドイツ語圏というのを忘れるくらいフランスが色濃く隅々まで香る町なのだ。

 おっと、名画をたくさん見た興奮のせいで僕はまた、肝心なことを書き忘れている。この美術館へ足を延ばした理由――朝野姉妹が魅了され、気にかかり、しっかりと見たがった絵〈墓の中の死せるキリスト〉が何故ここにあるのか?

 目指すその絵は2階左の部屋、美術館で最も有名な絵〈ゾロトゥルンの聖母〉の横に飾られていた。これを描いた画家がハンス・ホルバイン――

 ホルバイン繋がり(・・・・・・・・)だったのだ! 

 〈墓の中の死せるキリスト〉は南ドイツ出身の画家ハンス・ホルバインが描いた。本物はバーゼル美術館にある。ザンクト・ガレン図書館のは勿論レプリカで、その完璧な模写作品がここゾロトゥルン美術館でに展示されているというわけ。描いたのはホルバインと同じドイツ人画家のハンス・ボック。素人の眼にはその違いがわからないくらい完璧な模写だった。僕たちはその絵の前に立ち、息を殺して眺めた。一説にはホルバインはライン川から引き揚げた水死体をモデルにしたとか。見ているこちら側の身が凍る清冽(せいれつ)で凄愴な圧巻の筆致……!

 一転、〈ゾロトゥルンの聖母〉は珠玉である。清らかな青のマントを羽織ったマリアが幼子イエスを抱き、その右に甲冑(かっちゅう)姿のこの町の守護聖人ウルス、左に司教姿の聖マーチンが物乞いに金貨を恵んでいる――

「聖母子像に物乞いが描かれているのは他に例を見ないそうだよ」

 僕が指摘すると、すかさず来海サン、

「あ! ひょっとして、玄関のベットラ―君、その繋がりかも。現代の彫刻作家が前時代の巨匠の聖母子画に敬意を表したんじゃない?」

「なるほど、それは面白い推理だな」

 セザンヌ〈オリエンタルカーペットの上の三つの頭蓋骨〉、ゴッホ〈サンポール病院の看護主任トラビュック〉、マティス〈ローレットの顏とコーヒーカップ〉リバーラ〈改悛のマグダラのマリア〉……

 個人的には僕はフランク・ブクサーの〈タンバリンと裸の奴隷〉が良かったな。この絵、凄くいいんだよ。題材的には現代では各方面からブーブー言われるかもだけど、美の切り取りとして魅了される。黒人の少女の誇り高く美しい裸体、緑のタンバリン、壁に揺蕩(たゆた)う陽の光……

 だが、偶然訪れたこの美術館で僕らは全員(あらが)いがたいもの――隠喩の影を認めないわけにはいかなかった。それをこれから記す。

 ここには死の影の隠喩〈頭蓋骨〉が多すぎる!

 セザンヌのタイトルそのままの三つの骸骨(・・・・・)、マグダラのマリアは骸骨(・・)を膝に抱いているし、さっき意識的に書かなかったけどクリムトのこちらを凝視している〈金魚〉が髑髏に見えるのは考え過ぎだろうか? そして、なによりホルバイン原作の、見る者を戦慄させる〈墓の中の死せるキリスト〉……

 実は、ホルバインの作品を紹介する際、必ず筆頭に挙げられる絵がある。

 ここにはない絵だ。所蔵はロンドン・ナショナルギャラリー、タイトルは〈大使たち〉

 フランス国王フランソワ1世に仕えたジャン・ド・ディンテヴィルとジョルジュ・ド・セルフを描いた肖像画である。二人は意気揚々と先進の科学機材や楽器が置かれたテーブルに寄り添って立っている。問題は、その足元。黒く塗りつぶされた影の部分に目を凝らすと歪んだ円盤のような不思議な模様が浮かんでいる。これこそ、見る位置によって出現する頭蓋骨(・・・)なのだ。人生の成功者、絶頂を誇る二人に画家は囁く。メメント・モリ……死は傍にある、死を忘れるな……



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