これって、
場所は変わり、ビヴォアール国、隔離された修道院にて。本日もまた、いつものように神に祈りを捧げ、自問自答の時間を過ごしていた彼女を止めたのは、王城からの使者だった。
「……それは、本当なのですか?」
いまいち、信じられない思いだった。
驚きよりも、疑念を抱く。
また、裏切られるのではないのだろうかと。
信じて、裏切られて、落とされて。
ここまできてしまった。
この修道院にいれば、停滞はあるものの、安寧を約束される。変わりない日々。
抗えない濁流に流され、精神をすり減らされるだけの日々に戻るのはもう嫌だ。
そう思っていたからこそ、彼女は──ディアーゼは首を振った。否定したのだ。
「お断りしてください。もう……合わせる顔など、ありません」
彼女にとって、もうそれは、あれは、全てが。
過去を思い起こさせる恐怖の象徴である。
ディアーゼ・ミッシェルフォンという娘は使い尽くされて、すり減らされて、ほんのわずかにも残らなかった。残ったのは、日々に脅え暮らす、ディアーゼという名のシスターのみ。
「いまさら……。なんだと言うのです。もう、懲り懲りです」
国のためともがいた日々を思い出す。
このままでは国の平穏は失われ、日々の安寧は脅かされるだろうと不安視していた。
そんな自分の葛藤を、身に過ぎる差し出がましさだと非難したのは、あのひとだ。
「……私は、もう」
でも、だけど、ディアーゼは知っていた。
分かっていた。
自分が例えシスターになったとしても、姓を捨てた身であったとしても。
ディアーゼ・ミッシェルフォンとして生を受けた以上、その魂を持つ以上、いつまでもこうしていられないのだということを。誰よりも彼女が理解っていた。
***
場は整えられた。
私はフェシーに連れられて、パーティ会場へと向かう。
私の復帰祝い、という名目らしい。
(そう言えば、私はずっと体調不良で寝込んでいた、ということになっていたのよね)
そして、それを教えてくれる際、すごく、本当にすごく言いづらそうにフェシーは「……ユティに新しい命が宿っているかもしれない、と少し、煽った」とややカタコトで言われた。
しばらく思考停止した私は、やや遅れて動揺に息を呑んだのだ。
(そういうことはしてない……って私とフェシーしか知らないのだものね?)
未だ頬に熱を残しながら、夜会支度を整え、鏡を見つめる。ミアーネたちの手で整えられた自分は、いつも以上に強そうに見えた。
そう、強そうであること。それが大切だ。
髪は短くなってしまったものの、編み込んで髪飾りをつけて分からないように工夫してもらっている。ありがたい限りよね。
「……よし!」
喝を入れて立ち上がったところで、フェシーが迎えに来てくれたと侍女から声がかかる。
フェシーにエスコートされて、パーティー会場へと向かった。
緊張が伝わってしまったのか、彼から気遣わしげな視線が向けられる。
初対面の時の険悪な雰囲気を思い出すと、ここまで彼の態度が軟化したのは奇跡としか思えない。
「大丈夫?」
「大丈夫です。緊張して見えるようなら、それは武者震いですわ。だって………ようやく、ですもの。ずいぶんいい席をご用意してくださったようですし、多少興奮してしまいます」
「まあ……彼らには迷惑をかけられたからね。本当、自国のことでもないのにこんなに関わって。ビヴォアールは少なくともこれから数十年は、ルデンに強く出られないだろうね。僕の治世になった時にやりやすくなるのはいいことだけど、こんな騒動はもう今回限りがいいな……」
「私も、同感です」
控え室でふたりして笑っていると、入場の声がかかる。
「ルデン国、王太子ご夫妻の入場です」
その声に前を向いて息を吐く。
これで、終わり。全てが解決する、はず。
そう思うと否が応でも体に力が入る。
「行こうか」
フェシーに声をかけられて、彼の腕に手を添えながら、短く頷いた。
「はい」
パーティには慣れているとはいえ、こんな土壇場で失敗とか許されない。いつも以上に気をはらなければ。
「……ねぇ、ユティ。きみが好きだよ」
「はい……えっ!?」
同じように頷こうとして、言葉の意味を考えて硬直した。もう一度尋ね直そうとするが、その時にはもうパーティ会場へと足を踏み出してしまっていて、聞き返すことは叶わない。
(好き……好きって言った!?……いま!?)
う、嘘?
気のせい?私の聞き間違い……。
ちらり、とフェシーを見る。
彼はいつも通り、きらきらしい笑顔を振りまいている。通常運転だ。
やっぱり私の聞き間違いかしら。そうよね、こんな時にそんなこと言うはず……
そう思った時。うっすらと、彼の耳が赤いこと気がつく。
「────」
それを見て、気がついて。
私は自身の聞き間違いでも、勘違いでも、誤解でもなんでもないことを知った。
同じくらい、いやそれ以上に頬が熱を持つ。




