波音《サイレント・ヴォイス》
波音の響く薄暗闇の倉庫。
天井では中途半端についた蛍光灯がチカチカとミナ達を照らし、その底を幽鬼のように男達が彷徨っている。
ミナはリーベの手を引きながら静かにコンテナの影を歩いていく。
視線を避けながら、ひたすらに暗闇に光る淡い緑色のパネルを探していく。
背を向けたのを確認して、波の音に合わせるようにその間を小走りに抜ける。
ざざん、ざざん、その時だけ先に進む、牛のような歩み。
ようやく辿りついた場所も、コンテナの隙間に荷物が乱雑に詰め込まれ道を阻まれる。
「ダメだ、リーベちゃん一回引き返そう」
ミナは囁くようにリーベに伝え、リーベも手を握ってそれに答える。
一方的に手を引いて逃げ出している筈なのに、不思議とミナはその無言の言葉に励まされていた。
(リーベちゃん、全然違うのにフミちゃんと話しているみたい)
リーベは言葉数が極端に少なく、ミナとの間に会話と言われるものは殆ど成立していない。
それでもミナにはリーベがちゃんと自分の言葉を聞いている事が解っていた。
言葉にしなくても、本気のミナの行動を茶化しも否定もしていない、リーベはミナの言葉を理解しようとしてくれている。
その点で、リーベはミナにとってのフミとよく似ていた。
(聞き上手、なのかな、相槌も全然無いのに)
道を引き返す、コンテナから顔を出す直前に声が聞こえる。
「だーりぃ、ガキ共が泣くわ喚くわ、ホントクソだな」
チャラチャラした声が聞こえる。
「金になんだから我慢しろ我慢、コイツが終わりゃ俺たちゃ無限の金蔓が手に入るんだからよ」
聞き覚えのある声、ミナ達を拐った男だ。
ミナはリーベと共にしゃがみ、コンテナ脇の荷物の影に隠れる。
男達は二人が進む予定だった向かいのコンテナとの間に近づいてきていた。
ミナは呼吸を止め、ただ祈るしかない。
(こっちに来る、いや、通り過ぎる、通り過ぎて…!)
男達がミナの隠れる荷物の前で足を止めた。
「言ってもよ、めんどい事には変わんねえだろ?」
荷物にチャラい声の男がもたれかかる。
ドンと衝撃がミナにも伝わり、心臓が高く跳ねた。
「まーな、でもこれからこれでシノギになんだから慣れねえとしんどいぜ?」
答える男の声、その視線は間違いなくこの荷物に向いているだろう。
(お願いお願い、早く、どっかに行って!)
荷物を挟んで1mも距離はない。
もっと遠くへ行った方が良かったかとも考えたが後の祭りだ。
「あー、考えるだけで頭痛くなってきたわ、マジダル過ぎる」
男の背に押され、荷物がミナの側に傾く、上に詰まれたダンボール――多分空だ――がミナの頭へ落下する。
(あ、あっ)
ミナはとっさにそれを受け止めた。受け止めてしまった。
「んあ?」
男は落としたはずのダンボールが、何も音をしなかった事に違和感を覚えていた。
「んだよ、変な声だして」
「いやよ、俺今なんか落としたよなって思って、何落としたんだろ?」
男の背が荷物から離れる。
(マズい、マズい、マズい、マズい)
凡ミス、音を鳴らしちゃいけないというただそれだけの先入観でとっさに掴んでしまったダンボールを下ろすこともできずただ握りしめる。
ミナは必死に頭を働かせる。
走って逃げる、非常口も分からない、出れても直ぐ追いつかれる。
このまま隠れている、今丁度見られそうになっている。
戦う、おそらくリーベは無理だろう、実質1対2、不可能。
(こんな、こんなので終わりなんて)
今回は自分がサイコロを振ったわけじゃない、ただ、目の前の男が振ったサイコロが不運をミナに齎した。
ミナは再び自らの不運を呪った。
今まで平和だったのは、偶然の幸運だった、ただの確率の問題。
不運はいざ起こるとなれば、それまでのツケを払えとこうも容易く揺り戻しを始める。
少しだけ涙が出そうになった時、右手が握られるのを感じた。
ミナは息を止めたまま、自分の右に座る少女を見た。
いつもの緊張感の無い無表情、青い瞳が荷物の方を見ている。
リーベは喪われた右腕を持ち上げていた。
ミナはその光景を見たことがある、リーベの【魔法】だ、それが今使われようとしている。
(でも、何を)
ミナがそう思った時、こちらを見ようとしてた男の動きが止まった。
「いや、ダリィ…わざわざ見るまでもねえだろ…」
チャラい声がそう呟く。
「んだよ、テメー、ほんとにものぐさだな」
もうひとりの男がそう冷笑する。
「どーでもいいだろ、どうせここの荷物なんて殆ど空なんだしよ」
そう言って、チャラい声の男は荷物から離れ、入り口に歩いていく。
「そろそろ次来るんだっけ?ここの倉庫マジで薄気味悪ィし、あっちで働いてた方がマシだわ」
「ま、同感、ちゃっちゃと終わらせておさらばしようぜ」
もうひとりの男も、それに同調し並んで歩いていく。
ダリィ、だの、めんどくせえ、だの、帰りてえだの、そんな声がどんどん遠くに向かっていく。
ミナは息を吐いた。
「も、もしかして今のリーベちゃんが…?」
小声でミナはリーベに聞いたが、リーベは首を傾げた。
(本人もよく解ってないのかな)
ミナにとって救いだったあの【魔法】は多分、相手の気持ちに作用するものなのだろう。
だから、多分、リーベはあの男にあっちに行け、だとかそんな感じに【魔法】を使ったのだとミナは推測した。
何にしても心強い事この上ない。
「よし、次の波で反対に行くよリーベちゃん」
ミナはギュッとリーベの手を握り、ざざんという音と同時に小走りで向かいのコンテナに向かった。
ミナとリーベは着々とその歩みを進めていく、時折近くを男達が通過することはあったが先程の危機に比べれば全然マシであったし、何より、いざとなればリーベの【魔法】があるという安心感がミナにはあった。
(頼りすぎても、どれくらいできるか分からないし、良くないけど…でも)
ミナはリーベにできない事ができて、リーベはミナにできない事ができる。
それに一人でなく二人。
少なくとも今はあの夜とは違う、もうひとり同じ夜を共有する仲間が居る。
それは僅かな差であったが、ミナに勇気を与えてくれていた。
「あった」
ミナは緑色のパネルの下の扉を見つけた。
非常口は正面入り口からもそれなりに遠く、遠回りしてきた甲斐もあり逃げる場所としてはベストな位置だった。
問題は、そのドアノブと壁面のパイプを結びつけるように針金が巻きつけてある事。
「大丈夫、こういう時の為に勉強してきたから」
ミナはリーベから手を離し、自らのヘアピンを外し、針金の先端にかませる。
素手では厳しい針金でもこうやって別の金具を工具代わりにしてテコの原理で回せば、徐々にだが外す事ができる。
(焦ったらヘアピンが壊れちゃう、だから慎重にでも時間をかけすぎないように)
ミナは必死になって針金をほぐして行く、これが外れれば脱出は可能、最後の関門。
針金は取ってつけたような拘束で、外部からの侵入を防ぐ為のものだと思われた。
数分の後、ミナは後一歩というところでチラリとリーベを見た。
リーベは相変わらず無表情だったが、その目はミナをじっと見つめていた。
「大丈夫、もうすぐだか…」
安心させるようにミナはリーベに声をかけた、だが、その言葉は突然の光に遮られた。
「何やってんだテメエ!」
光の元から放たれる怒声、ライトだ、そしてそんなものを持っているのはあの男達の仲間以外に存在しない。
「や、ヤバ…」
ミナは慎重さをかなぐり捨て、ヘアピンを強引に回す。
ヘアピンが折れると同時に、針金がカラリと音をして外れる、内鍵を回せばドアはこれで開く。
その間にも男はこちらに迫ってくる。
ミナは選択を迫られた。
選択肢は3つ
1つ、2人で非常口から急いで逃げる。
おそらく暫くはなんとかなるが、成人男性に女子中学生のミナやましてやリーベではすぐに追いつかれる。
仲間がくれば二人共助けを呼ぶ前に直ぐに捕まる。
2つ、リーベを置いてミナだけ逃げる。
リーベが捕まっている間に、ミナが頑張って助けを呼ぶ。
これも成功率は低い、リーベでは抵抗もできずにすぐに捕まるだろうし、なにより、ミナは選びたくなかった。
3つ
ミナは非常口を開け放つとリーベの手を強引に引いて、そこに押し込んだ。
「リーベちゃん」
ミナは張り裂けそうな心臓の音と身を焼くような恐怖を抑え込んで言葉を紡ぐ。
「ここは私が食い止めるから、逃げて早く助けを呼んで、お願い」
リーベは押し出された非常ドアの向こうでミナをじっと見ていたが、すぐに踵を返し、ペタペタと夜の闇へ向け駆け出した。
(本当に素直なんだなぁ…)
こんな状況なのにミナは関心半分、呆れ半分にリーベの迷いない逃走に笑ってしまった。
リーベはミナを見捨てたのだろうか、それに対してミナは否と心の中で言い切る。
きっとリーベは、言葉にしなかったミナの決意を汲んでくれた。
本当に短い付き合いだが、ミナはそういったリーベのどこまでも真っ直ぐに人の心を分かろうとする努力を感じていた。
(選択肢3は、私が囮になって、リーベちゃんに助けを呼んでもらうこと)
ミナには付け焼き刃とは言え格闘技の心得がある。
勝つことはできなくても、時間稼ぎくらい――それが数分、数秒でも――ならリーベよりずっとできる。
非常口を挟んで走って逃げた行く先さえ見られなければリーベは逃げ切れる筈。
一番勝算の高い選択肢をミナは選んだ。
例えそれが自分が死地に陥るような選択肢でも、今の最適解、必要なブロックを積んでいく。
男が迫ってくる。
ヒーローになりたいわけじゃない、そんな事怖くてできない。
でもこれが、ミナにとって今一番後悔の無い選択だった。
ざざん、ざざんと波の音が大げさに耳に響く。
ミナは構える。
右手を折り曲げ、脇を締め、中段に。
左手も同様に折り曲げ、こちらは低めに。
拳を軽く握り肩の力を抜く、足は肩幅程。
「ハァー…」
静かに、力強く息を吐く、息吹。
緊張から暴れ馬のように跳ねる心臓を抑えるように呼吸を整え、何度も何度も練習した構えを取る。
「やってやる」
あの夜とは違う。
ミナはそう自分に言い聞かせる。
ミナの心にはまだ、リーベの残した【魔法】が残っているのだから。




