神は死んだ《リアリティ》
ミナが見た影は人だった。
黒いTシャツにボロボロのカーゴパンツ、右手には見えづらいが鉄パイプ、そして何より目を引く赤い覆面とゴーグル。
それが右脚を落下の勢いのまま下卑た視線をミナに向ける男の後頭部に振り下ろす。
「いっ…!」
ミナを拘束していた手が緩み、男はその場に崩れ落ちる。
暗闇の中、誰かに服を引っ張られ、壁に力づくで押し込められる。
ミナを壁に押し付ける形で誰か――先程の赤い覆面だ―――がミナの耳元で囁いた。
「危ねえから、じっとしてな」
声変わりをしてないぶっきらぼうな少年の声、よく見ると赤い覆面は小柄でミナと大して変わらない。
「ひゃ、ひゃい…」
ミナは変な声で返事をした、それと同時に赤い覆面の少年の背後に迫る、ロリコンと呼ばれた男がナイフを抜いて迫ってきている。
「あ、あぶな…」
「っせーな」
赤い覆面の少年は見事な足さばきで男の方へ下がり、そのナイフを掻い潜り左肘を男のみぞおちに叩き込む。
「トーシローが、よ!」
振り向きざまに右の膝で男の股間に一撃、男が悲鳴を上げるが少年はそれに反応すら見せず男の髪を左手で掴むと勢いよく地面にその頭を叩きつける。
「これでふたつ」
視線が最後の一人に向かっている。
電話をかけていた男――拳銃を抜いている。
「遅えんだよ」
次の瞬間ミナの目の前に居た少年の姿が消える。
男が大きく目を開きその事象に驚愕していた。
少年はいつの間にか男の背後で飛び出す姿勢を取っている。
「魔法使いか!」
男がその事象に対し答えを言った。
【魔法】、その事象を少年は操っている。
答えもせずに少年は跳んだ、時計回りに回転しながらその左脚を男の背中に叩きつけるように。
ローリングソバット
少年の左手が腰の何かを弄るのがミナには見えていた。
命中と同時にバチリという音がして、男は痙攣しながら前方に身体を突っ伏すように倒れる。
「みっつ、ヨユーだったな」
赤い覆面の少年が息を吐いてそう呟く。
ミナが恐怖で動けなかった大人の男達をこの少年はいとも容易く仕留めた。
「あ、あの…」
ミナは奇妙な胸の高鳴りと高揚感から少年に声をかけた、ある日の夜、初めてライブに参加したかのような非現実への憧れ。
すぐ目の前にあった筈の恐怖はミナの頭の中から消えていた。
その時、少年の腰にある機械から電子音が鳴る。
「あー悪い、静かにしてくれ、こちらレッドキャップ、目標は…うるせ!キレんなよ!仕方ねえじゃん!」
少年はそんなミナの事などどうでもいいとばかりにあしらうとミナに背を向け誰かと――機械はトランシーバーだった――話し始めた。
「いや、マジでチャンスだったんだからさ、あ?全員?3人のしたぞ、おい、ちょっと電波が…は?4?」
その声を聞きながら、ミナは浮かれていた。
浮かれていたので気づかなかった。
背後から誰かがミナの口を塞ぎ、連れ去ろうとするまで。
路地の終わりにバンが止まっているのが見え、流れるようにミナの身体はその後部座席にミナを引きずる男と共に放りこまれた。
ミナは必死に視線を少年の方に向ける。
「テメー待てやコラ!」
少年の叫び声が聞こえる。
ミナはその声を遮るように、ドアが閉まった。
街中を走るバンの中でミナは震えながら男達の話を聞いていた。
「レッドキャップは最近出ねえって話だったじゃねえか!クソが!」
「あークソ、3人置いてきちまった、ヤサ変えんぞ」
「急ぎ過ぎなんだよ!もっと慎重にやれって言ったじゃねえか!」
「新規取引には数が要るんだよ!出し抜かれたらどーすんだテメー!」
男達が口々に話す内容からは、レッドキャップという存在に対する恐怖が滲み出ていた。
「そういや、レッドキャップ見たんだよな?どんなんだった?」
運転席の男が疑問を口にし、ミナを連れ去った男が答えた。
「あー、ツラは分かんねえがガキだな、ガキ、コイツと同じくらいのチビの野郎だ」
そう、子供、ミナと変わらない子供を大人達が恐れている。
「んなら、なんとかハメて俺達で仕留めれりゃ…」
運転席の男がそう口にした時、ガンとバンの天井から何かがぶつかった激しい音がした。
「んな!まさか!【魔法】か!?」
ミナを連れ去った男が叫ぶと同時に車体の底からパンと破裂音がして車が蛇行し始める。
「パンクだ!レッドキャップだ!何かしやがった」!
必死にハンドルを操る運転席の男、誰もが混乱していた。
そして畳み掛けるように天井の上から振り下ろすように後部座席の窓に何か――先程みた鉄パイプ――が叩きつけられガラスに蜘蛛の巣のような罅が入る。
「クソが!」
後部座席の男が拳銃を天井に向けたその瞬間、ひび割れた後部座席の窓を砕き何かが車内へ突っ込んできた。
赤い覆面の少年だった。
車のルーフを両手で掴み、両足を揃え、その靴底で窓を砕いたのだ。
揺れる車の上からとなるととんでもない運動神経だ、それにそもそもどうやって車に取り付いたのかミナには分からない。
おそらく【魔法】なのだろうという予測はついているが。
少年は車内に突入するとミナを右腕で素早く抱え込んだ。
「テメエ!」
後部座席の男が拳銃を少年に向けるが、少年は意に返さない。
「目つぶってな」
ミナにしか聞こえないような囁きと共に少年の左手が動くと、その左脚から赤いガスが噴出した。
ミナは昔ふざけて使ったことがある、痴漢撃退スプレーのような催涙ガスだと察しがついた。
男達が苦しみ悶える、運転席の男などもはやハンドルを操作することすら覚束ないだろう。
ミナは必死に目を瞑っていた。
「テメーらは事故って死ね」
ミナの背後でドアが開く音がして、グンッと身体が引っ張られる感覚があった。
すぐに地面にペタリと降ろされ、その数秒後に金属質な何かが激しい音を立ててぶつかり潰れるような音が遠くで聞こえる。
ミナは目を開けた。
「わっ」
そこはビルの屋上だった。
眼下には廃墟と化したビルに突っ込み、グチャグチャになったバンとドアから放りだされた一人の男。
「あー、やりすぎたか?まあいいか」
ミナが声に目を向けると少し離れた場所で少年はうんうん唸りながらトランシーバーを手に取っていた。
「レッドキャップからスプライトへ、ターゲット確保…人数すら確認しなかったのは悪かったって…はい、はい、了解」
少年は鉄パイプを肩に担ぎ、ミナを見た。
赤い覆面に隠され表情は分からない、ただゴーグルごしの目が愉快そうに緩められているのがミナには解った。
「もうそろそろ警察が来るからよ、保護されたいならじっとしときな、嫌なら非常階段から下りてさっさと逃げちまえ」
「あ、あの…」
「ああ、あとな、今後は遠回りでもデケえ道を通りな、危ねえんだからよ、次助かるかは分かんねえぞ?」
「は、はい…」
ミナは赤面してうつむいた、そもそも今回の件はミナの不用意な行動が原因だと流石に今は理解していたからだ。
少年は、愉快そうに少し笑いミナに言い捨てた。
「んじゃな」
ミナはその声に手を伸ばしたが、次の瞬間には少年の姿は目の前から消えていた。
遠くのビルの屋上にその小さな背中が見えた。
何度も何度も少年は消えては現れやがて見えなくなっていく。
その姿はまるで夜空を瞬く星のようで、ミナの胸の高鳴りと高揚感は収まらない。
初めてライブに参加した時よりももっと強い、刺激。
その非現実な光景は現実で、ミナはどうしようもなく楽しくなってしまった。
歌が脳裏に響く。
『神は死んだ、神はもう死んでんだ、屍を焼く炎が俺らを照らしてんだ、なあ葬式はいつ終わるんだ?』
神は死んだ、人が海を割ったんだ、人が奇跡を起こすんだ。
そうミナは思った。
どうしようもないうだるような暑さも、ライブの疲れも、先ほどまで居た少年の起こした奇跡の前には吹っ飛んでいた。
それは近寄ってはいけない危険な好奇心、再び近づけばきっと今度はただでは済まない、でも。
でも、と何度もミナは心の中で呟いた。




