■第10話「名前をつけるもの(完全版)」
地下から地上へと続く通路は、それまでの道とは明らかに違っていた。曲がりくねりも少なく、壁の素材も均一に近い。土や木ではなく、冷たいコンクリートと金属が続いている。人の手が強く入った領域へと近づいていることが、触れなくてもわかる。
少女はその通路を進んでいた。足取りは重い。だが止まらない。腕の中には何もない。それでも、そこにあったはずの重みを探すように、指先が時折わずかに動く。
「……いる」
小さく呟く。
「上に」
気配がある。
あのときの、人間の気配。
胸の奥がざわつく。
怖い。
それでも、足は止まらない。
「……待ってろ」
かすれた声で言う。
「今、行く」
通路の先に光が見える。地下の淡い光とは違う。はっきりとした明るさ。外の光。
少女はその手前で一度だけ立ち止まる。光の向こうを見ることができない。目が慣れていないだけではない。そこに出れば、もう隠れる場所はないとわかっているからだ。
「……怖ぇな」
ぽつりと落ちる。
「……でも」
息を吸う。
胸が痛む。
それでも吐く。
「……関係ねぇ」
一歩踏み出す。
光の中へ。
空気が変わる。乾いている。広い。音が多い。遠くで何かが崩れる音、風が抜ける音、焦げた匂いと金属の匂いが混ざっている。
少女はゆっくりと顔を上げる。
そこには壊れた街があった。建物の一部は崩れ、道路は裂け、煙が上がっている。人の姿はほとんどない。いたとしても、すぐに消える。
「……なんだよ、これ」
小さく呟く。
自分のいた世界とは違う。
だが、無関係ではないとわかる。
そのとき、上空から音が降りてくる。重い回転音と、風を切る鋭い音。
少女は空を見上げる。
複数の飛行機が、低い位置で旋回している。
その一つから声が響く。
「対象、地上に出現」
無線。
「視認確認。単体」
少女の体が強張る。
見られている。
今度ははっきりと。
「……いたな」
少女は低く言う。
「お前ら」
怒りが混ざる。
怖さは消えていない。
それでも、止まらない。
「返せよ」
空に向かって言う。
「返せって言ってんだろ」
声は震えている。
それでも、はっきりと出る。
上空の機体が動く。配置を変える。少女を中心に囲むように位置を取る。
同時に、地上の奥から人影が現れる。黒い装備に覆われた複数の影。無駄のない動きで、距離を詰めてくる。
「対象確認。捕捉優先」
冷たい声が響く。
少女の呼吸が乱れる。
「……またかよ」
一歩下がる。
怖い。
体が拒否する。
だが――
「……違う」
自分に言い聞かせる。
「今回は違う」
逃げるためじゃない。
取り返すためだ。
少女は一歩前に出る。
その動きに応じて、粒が現れる。地面の裂け目から、空気の中から、水の球がいくつも生まれる。以前よりも密度が高い。
「……来いよ」
低く言う。
「今度は逃げねぇ」
人影の一人が装置を構える。光が収束する。粒を消す光。
「発射準備」
無線が流れる。
少女はそれを見て理解する。
また消される。
「……ふざけんな」
歯を食いしばる。
「もう、取らせねぇ」
粒が一斉に広がる。層を作る。厚く、重なるように。
光が放たれる。
ぶつかる。
粒が削れる。
だが消えきらない。
「……残る」
少女の目が揺れる。
「……いける」
確信ではない。
それでも、通じる。
そのとき、上空から別の声が降りる。
「……確認した」
静かな声。
「これが核だ」
少女はその言葉を聞く。
意味はわからない。
だが、嫌な感覚だけが残る。
「この兵器に名称を与える」
一瞬の静止。
「名称――パピニー」
空気が止まる。
少女の思考が白くなる。
「……は?」
声が漏れる。
「……なんで」
自分の名前。
それが、別のものに使われる。
理解できない。
「対象は“パピニー”として扱う」
無線が続く。
「回収、あるいは排除」
少女の中で何かが繋がる。
自分が狙われている。
ただの人間じゃない。
“何か”として。
「……ふざけんなよ」
声が低くなる。
「勝手に決めんな」
怒りが形になる。
怖さの奥で燃える。
「俺は――」
言葉が詰まる。
自分が何か、わからない。
それでも、これだけはわかる。
「俺は、あいつじゃねぇ」
叫ぶ。
「ベビー返せ!」
その声と同時に、粒が前へと押し出される。
空気が歪む。
地面が揺れる。
人影が一瞬止まる。
少女は止まらない。
前へ出る。
戦いが、始まる。




