表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
パピニー  作者: 藤苺めぇ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/25

■第7話「触れてくるもの(完全版)」

地下のさらに奥へ進むほど、空気の質が変わっていった。湿り気は同じでも、重さの種類が違う。肺に入るたびに、何かが混ざっているような感覚が残る。壁面は不規則に膨らみ、場所によってはゆっくりと脈打っているようにも見える。一定ではない揺れが、この空間全体に広がっていた。


少女はその中を進んでいた。歩く速度は速くない。だが止まらない。腕の中にはベビーパピニーがいる。その小さな体は軽いのに、確かに重さを持っている。その重さが、少女の足を前へ動かしていた。


「……離れるなよ」


小さく言う。


「絶対、離れんな」


ベビーパピニーは少女の服を握る。返事はない。それでも、その動きだけで十分だった。


少女は視線を前に戻す。暗闇の中に、何かが“いる”とわかる。見えているわけではない。それでも、そこにあると理解してしまう。


足が止まる。


「……いる」


声がかすれる。


「また、来た」


これまでの塊とは違う。形がない。輪郭が曖昧で、空間の一部が濃くなったような影。その中心がどこなのかもわからない。それでも、そこから何かが伸びてくる。


触れられている。


皮膚ではない。もっと内側。思考の奥に、直接指を入れられるような不快な感覚。


少女の肩が震える。


「……やめろ」


声が弱くなる。


「触んな」


影は動かない。


だが、確実に近づいてくる。


距離という概念を無視するように、じわじわと侵入してくる。


少女は歯を食いしばる。


「来んなって言ってんだろ!」


声を上げる。


その瞬間、ベビーパピニーが強くしがみつく。小さな手が、少女の腕に食い込む。


その感触で、少女の意識が現実に戻る。


呼吸を思い出す。


「……大丈夫」


自分に言い聞かせる。


「俺がいる」


その言葉を口にした瞬間、胸の奥に熱が生まれる。


守る。


その感覚が、はっきりと形になる。


少女は一歩前に出る。逃げるのではなく、踏み込む。怖さは消えていない。むしろ強くなっている。それでも、後ろに下がる理由がなくなっていた。


「……来るなら来い」


震える声で言う。


影がわずかに揺れる。


その瞬間、少女の周囲に粒が現れる。水の球がいくつも浮かび上がり、一定の距離を保ちながら回り始める。呼吸に合わせて膨らみ、縮む。


影が一歩“踏み込む”。


粒が一斉に前へ飛ぶ。


ぶつかる。


音はない。


衝撃もない。


ただ、粒が消える。


「……え」


少女の目が見開かれる。


粒は触れた瞬間に消えていた。壊されたのではない。吸い込まれたように、跡もなく消えている。


影がさらに近づく。


少女の呼吸が乱れる。


「……なんだよ」


声が震える。


「なんで消えんだよ」


ベビーパピニーが少女を見上げる。その目は何も知らない。それでも、そこにいる。


少女はそれを見る。


理解する。


これは、さっきの“壊せるもの”じゃない。


もっと奥に入ってくるもの。


逃げても、追ってくる。


どこまでも。


少女の足が動かない。


影が、すぐそこまで来る。


「……くそ」


唇を噛む。


怖い。


その感情が膨らむ。


その中に、別のものが混ざる。


奪われる。


ベビーパピニーを、持っていかれる。


その想像が、頭に浮かぶ。


その瞬間、何かが切り替わる。


「……触んな」


低く、はっきりとした声。


「こいつに触んな」


影が伸びる。


少女に向かって。


少女はベビーパピニーを強く抱き寄せる。覆うように、守るように。


「……ダメだ」


言い切る。


「これは、ダメだ」


その言葉と同時に、空気が歪む。


床から、壁から、大量の粒が溢れ出る。今までとは比べ物にならない量。少女の周囲を覆い、層を作る。


影が触れる。


粒が触れる。


ぶつかる。


今度は消えない。


逆に、影の一部が削れる。


「……効いた」


少女の目が揺れる。


「……効くじゃん」


わずかに呼吸が戻る。


影は揺れる。完全には崩れないが、形が乱れる。


少女は一歩踏み出す。


「来んなって言ってんだろ」


声が強くなる。


粒がさらに集まる。壁のように前へ広がる。


影はそこで止まる。


進めない。


数秒の静止。


やがて、影はゆっくりと引いていく。


消えるわけではない。ただ距離を取る。


少女はそれを見つめる。


追わない。


ただ、そこに立っている。


「……いる」


小さく呟く。


「まだ、いる」


完全に消えたわけではないと、理解している。


それでも、今は来ない。


それだけで十分だった。


少女はその場に崩れるように座り込む。


力が抜ける。


ベビーパピニーを抱きしめる。


強く。


離さないように。


「……怖ぇ」


声が漏れる。


「……でも」


呼吸を整える。


「……一人じゃねぇ」


その言葉は、これまでで一番静かで、一番重かった。


ベビーパピニーが少女の胸に顔を寄せる。


少女はその頭に手を置く。


「……いいな」


かすかに笑う。


弱く、壊れそうな笑い。


それでも、確かに笑っていた。


その奥で、別の気配が動いている。


人の気配。


機械の気配。


遠くから、近づいてきている。


少女はまだ、それに気づいていない。


だが確実に、次は“人間”が来る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ