狂戦士さんと生存者
唐突に相手が少し後ろに体を押し込むようにして下がる。
豚は怯えると後ろに下がる、と聞いたことがあるが、これは別の理由だろう。
「来るか」
姿勢を少し低くして、いつでも駆け出せるように身構える。
先程からずっと警戒していた、それ。
突進。
唯我の距離は大した距離ではないが、数歩の距離のほうが避けにくい、という見方もある。
殆ど前兆も無く、一気に突き進んでくる。
奴が足を地に着けると共に重い音と地鳴りが響く。
地面が地震でも起きたかのように揺れ動く。
……純粋な速度よりこっちの方が脅威かもしれんな。
近距離なので大きく避けるには時間が足りない。
むしろこちらから距離を詰めていく。
狙いは既に傷を与えている右の後ろ足。方向は逆だが、少しでも斬る距離を減らしたい。
そこ目掛けて一気に走りだす。
僅かに遅れて私の頭の上を豚の頭部が抜けていく。
頭突きをしようとしていたのか、紙一重だったな。
足の隙間に飛び込むように回避する。
……身体能力が上がっていてよかった、平時ならおそらくどちらかで潰されていた可能性が高い。
愛剣に回せる分ありったけの血液を吸わせる。ドクドクと脈動しながら、血で作り上げられた刃によって剣の全長が伸びていく。
ここが、最大のチャンス。
直ぐ様襲い来る後ろ足を狙って跳躍し、規格外の大剣と化した愛剣を狙いを定め、両腕で振りぬく!
「ぜ、りゃぁぁぁあ!」
私の怪力に加えて、向かってくる足の力も加わったのか。
ズパンッ、と。
堅い骨の抵抗を一瞬感じた後は、あっけないほど簡単に後ろ足が千切れかけ、そのまま胴体から離れる。
切断された断面から血が滝のように流れだす。
「ぶごぉぉぉ!」
足を一つ失ってバランスを失った豚が頭から体勢を崩して頭から地面に倒れこむ。
これを待っていた。
四足全てが揃っていては折角登っても振り落とされかねないし、あの高さから落ちれば無傷で済むとは……私だと分からないが、言い切れない。
動きの止まった豚の背中に足をかけ、一気に昇る。
無防備な肛門が見える。
……ここに突っ込めば簡単に大ダメージを与えられそうだが、流石にちょっと嫌だな。
拾い物ならまだしも、愛剣を今後も使い続ける決心が鈍りそうだ。……振り回せるのか不安な程の長さとなった愛剣の脈動も嫌がっているのか心なしか早く感じる。
しかし、ここまで長くしたことは流石になかったな。先まで力が入るか不安だ。
気の迷いを捨てつつ、そのまま背中を駆ける。
当初は背中から肉を切り分けていこうかと思ったが、背骨の硬さが未知数だ。
肉は思ったよりさくさく切れるが、背骨に引っかかると相当時間がかかる。
足の骨も思ったより硬かった。
敵によっては頭から両断できる私でも、通常時だと引っかかって、そのまま引きずり回されていたかもしれない。
かと言って心臓は相当体の奥深くだし、真正面から首や喉を狙おうものなら押し潰されたり喰われる可能性のほうが高い。
ので、攻撃先は最初から決まっている。
さぁ、解体ショーの幕開けと行こうか。
「おおぉぉぉぉぉぉ!」
力の限り愛剣を相手の首筋にくらわせてやる。
「ぶぴっ」
半ばまで断った豚の首筋から多量の血液が吹き出す。
まずは血抜き、必須だな。
傷口を広げるようにして少しでもめり込ませるように剣を持つ手に力を込める。
……っち、やはり骨に引っかかるか。
溢れだす血を全て刀身に込めて少しでも長さを伸ばす。
……これだけ伸ばしても刀身が首の下まではまるで届いていないな。
まぁ、半分まではいっているので良しとしよう。
これには豚も堪らず、体を捻るように跳ね上がらせる。
……あまりの衝撃に弾き飛ばされそうになるが、なんとか剣や足に力を入れて堪える。
やはり足を切っておいてよかった、不完全な体勢でこれでは、いきなり狙おうものなら空に放り出されていただろう。
急ぐ。
横に転がられるとぺしゃんこになりかねない、予兆を感じたら直ぐ逃げるが。
段々と敵の抵抗が弱くなる。
……血液が足りなくなってきたのかもしれないな。これだけ盛大に吹き出ているし。
徐々に、相手の体から力が抜けていく。
やがて、私の刃が首の骨を断ち切り。
豚の頭部が半ば胴体から離れ。
そして、力なく、地面に横たわった。
……ショーどころか首だけで終わってしまったな、いや、当たり前だが。
そもそも豚の解体手順なんぞ知らん。
やったことあったらこっちに来た時にコボルトへの攻撃も戸惑っていないだろうし。
しかし、まさかあれだけ怪物やら何やらを殺しておいて、今更豚の解体をすることになるとは。
順番が逆ではないだろうか、と思わざるをえない。
「ふぅ……流石に疲れたぞ」
剣を覆っていた魔法を解除し、豚の背中の上に倒れこむ。
使用していた大量の血液が豚の体を赤く彩る。
熊と鎬を削っていた時の私も、こんなでかい敵……更に言うなら豚と戦うことになるとは思いもしなかったろう。
どうせならドラゴンとか……あ、いや、死んでしまうから今の無しで。
疲れのあまり、少し意識が飛ぶ……。
って、ここで寝転んでいたらいつ豚が瘴石へと変化するか分からんな。
宙に放り出されるのは勘弁なので、早々に降りよう。
「……っと」
ある程度の高さまでつかまりながら降りると、残りは地面に飛び降り、着地する。
その直後、豚の体が瘴石へと変わる前兆通り、細かく散らばり始めた。
ふぅ、間に合ったか。
……ん?
「なんだ、土塊……?」
豚の姿が膨大な量の土の塊へと変わっていく。
いや、むしろ、土の塊が豚へと変わっていたのか……?
土の塊と化した豚が再び塵のように消え去り、後には少々大きめの瘴石が残るのみだった。
結果としては怪物が瘴石へと変わったに過ぎない。
先ほど一瞬見えた土塊は、見間違いだったのだろうか。
分からない。今起きていることは私の知識では到底解決できない。
動揺しつつも、ここでぼんやりしていても仕方ない。
先ずは瘴石を拾う。
その後、アルジナ達のいる方向へ歩みを進めることにした。
「クルスー! おーい!」
「アルジナ! クラン!」
アルジナ達がこちらに駆け寄ってくる。
クランは子供を背負っているため少々遅れている、素の速さの差もあるだろうが。
「わぷっ!?」
「すっごーい! すごいよ! あんなおっきな怪物を倒すなんて!」
凄い凄いと連呼しながら、初対面の時の様に思いっきり抱きつかれた。
あ、柔らかい、って何が……そういえば今も男性に戻っていない事を思い出す。
そのせいでスキンシップが過剰なのだろうか、最初も性別を勘違いされていたし。
「……ところで、クルスは、えーと……女の子、なんだよね? 何か隠す事情があったとか?」
アルジナが力強く抱きつきながら、首を傾げながら質問してくる。
……このまま勘違いされるのは大変遺憾である。
クランも追いついてきたので一緒に説明しておくか。
「いや、私は男だ! この姿にはちょっと、一言では語り尽くせない深い不快な事情が……」
……とは言え、徐々に体が女性になるだの女神の呪い……加護だの、前世の話だのをこの子達にしても仕方ない。
私は体が一時的に女性になる代わりに戦闘力が増大する装備をつけている、ということだけを二人に話した。
クランの服という性格だけとはいえ別人の様に変化する前例があったからか、案外すんなり受け入れてくれた。
「なるほど、僕の装備みたいに特殊なのをつけてたんだね」
「結構あるんだねぇそういうの。出土品はイタズラみたいな呪いがついてることが多いって聞くけど。そういえば似たような噂をどこかで聞いたような……」
……性格だけで済むクランが羨ましい……とはいえない、か。
もしかするとクランの服ももっと何か別の副作用などがかかっている可能性もあるし、精神を弄くられるのがマシ、だなどと私には口が裂けても言えない。
恒久的女体化が最悪であることは譲らないが。
「……ところで、アルジナはなんでクルスの胸に顔を押し付けてるの?」
「いや、最初は抱きついただけだったんだけど、なんか、心地よくて……もうちょっとだけ、だめ?」
「……なんだか恥ずかしいから、そろそろやめてくれないか?」
「えぇ……今は同性なんだし、ね?」
いや、ね? じゃないんだが。こら、スリスリするな。
こんな至近距離に女性が抱きついているというのは、前世を足しても初めての経験である。
頬が赤くなっているのを自覚せざるをえない。
後、胸部に謎の弾力を自前の二つ、他二つ感じているのもある。
いかん、考えを整理してきたらどんどん頬が赤くなっているのを感じる。
何か話を逸らす話題はないだろうか。
あぁ、重要な話が一つあった。
「そういえばクラン、君の背負っている子だが……」
「うん、さっき、目を覚ましてくれたんだけど……」
む、それは重要じゃないか。
こんなところで物理的に乳繰り合っている場合ではないな。
と、いうことで、アルジナ……あれ、なんでむしろ力が強く……。
「……うん、でも、ひどい目に合いすぎたのか、怯えた声を出した後、あんまり反応してくれなくて……僕じゃあ、精神のケアは魔法をかけて安定させるくらいしかできないけど、それもこの子には……」
……精神安定の魔法と聞くと便利に聞こえるが、元々一時的な狂乱や発狂などを抑える程度の効果しかない、とは聞いたことがある。
完全に壊れてしまった精神のケアは魔法などではなく、長期的に少しずつ治していくしか無い。
あるいは、一生治らないかもしれないが……。
「……ここにいても仕方ない。出ようか」
あれだけ魔物が暴れて、村が廃墟になった以上、とてもではないがまだ生存者がいるとは思えない。
……あるいは、私の戦闘が原因で死んでしまった可能性もある。
オークウォリアーが暴れていてから大分経っていたことを考えると、あまり動ける生存者がいたとは思えないが、崩れた建物の内部にいた可能性はゼロではない。
言い訳をするわけではないが、周りの被害を考えて戦える相手では無かった。でかすぎたので。
結果として、見つけられた生存者はこの子だけ……それも、その心を考えれば決して無事とは言えない、か。
後味の悪い感覚を覚えつつ、私達は村を一応探索し、この場で一夜を過ごした後、アルバへの道を進むことにした。
その段になってようやくアルジナは離れてくれた。助かった。
……ところで、私はいつ男に戻るんだ?
「ふふ、悪くない、悪く無いですねぇ」
「人に試練を押し付けて笑う。相変わらず腐った趣味だな、魔女」
暗い空間に男女が一組。
「あぁ、 。あの程度別に苦難ではありませんよ。勇者の随伴者、英雄の候補たる者、容易く乗り越えてもらわなければ。あなたようなまがい物と違って、ね?」
女は彼に侮蔑した表情を浮かべながら答えた。
「ふん……俺が紛い物であることは認めよう。だが、その"英雄候補"に対して試練を押し付ける貴様は何だ? 神様気取りか?」
多少の嫌味を込めて彼が尋ねる。
「……ふふ、神様だなんて、腐りきった汚物と一緒にされるのは困ります。えぇ、あんな……」
「……」
ぶつぶつと何やら呟き続ける女。
こうなれば会話が通じないことを"彼"は理解していたので、話題を変える。
「……ところで、先ほどの豚が天高く跳躍した、あれはなんだ? ……貴様が俺にけしかけた"アレ"も、似たようなことをしていたな」
「あぁ……あれはですねぇ、スキルって言うんですよ。今の人類には能動的に使用できない力です。まぁ、無自覚に使っていることはあるんですが……」
超常的な何か、おそらく、目の前の魔女も使えるのだろう。それに"生前"は冒険者として鳴らした彼は心当たりがあった。
「……なるほどな、なんとなく、分かるぞ。頂点に行くものは、余人には理解できない何かを持っている、そう感じた事が何度かあった」
「あら、あなたも使っていたんですよ? 無意識に、ではありますが……まぁ、あれを自らの意思で使えるのは瘴気に犯される以前の人類だけ、今の人々には理解できない力ですからね」
で、あれば、あの豚が使えた理由が尚更気になるが、目の前の魔女が何かをした、意外に答えは無いだろう。
「ふふ、在庫処分程度に使ったんですが、豚が豚に……くっ、くふふふふ……」
何やら笑いを堪えている。余程面白い何かがあったのか。
「で、次はどうするんだ?」
「まぁ、彼……彼女? はあくまで前座。本命は今は王都へ向かっている……」
声が遠くなる。
瘴石はだいたいそれなりの強さの怪物でもビー玉くらいの大きさです。
こないだの熊さんでも片手で持てる程度、今回の豚さんでも水晶球程は無いですね。形の方は丸かったりギザギザしてたり様々ですが。
次回、本当は8話目くらいでついてるはずだった都市にようやく着きます。




