狂戦士さんと失態
"フレンジ"。
今までの人生でおよそ経験したこともない、巨大な怪物へと挑む。
震えてしまいそうな心を、灼熱する闘争心で無理矢理押さえつける。
敵へと向かいながら考える。
まず、このまま切りかかれば、多少の手傷は与えられるかもしれないがそのまま轢き潰されて終わる。
相手に居場所を把握されれば踏みつけられるだけでこちらは終わりだ。
となれば、身を隠しながら削っていく必要がある。
巨大さを考えれば、背中を取れればなんとかなるかもしれない。
「どこか使えそうな場所は……」
横目で辺りをちらりと見渡す。
"豚"の傍の建物は軒並み崩れてしまったが、奴から遠い位置の建物は比較的原型を保っている。
……そして、あの辺りは最初に散策していたので、中に人が残っているということもおそらく無い。
ありえないとは言い切れないが、他よりは比較的被害がマシだ。
あの辺りにおびき寄せられれば、視界を遮れるかもしれない。
まずは注意を引く必要があるな。
オークウォリアーから奪った血を愛剣に纏わせ、力の限り振るう。
無論、剣は空を切る。
しかし、斬撃の形となった血が刃となって、敵に向かって飛来していく。
少々地味だが、私なりの魔技といったところか。怪力で振る分が加算されるので普通に魔法でぶつけるよりは威力が高い。
そのまま直進した血刃は、徐々に威力を失いつつも、豚の鼻先を捉えた。
「ぷぎゃぁ!」
豚の悲鳴が響く。
……多少はダメージが入ったが、期待していたほどは入っていない、そんな感じだな。
まぁ所詮豚だからな、外皮がそこまで堅いということは無いだろう。
とりあえずこちらに注意を引くことは成功したようだ。
「こっちだ! デカブツ!」
続けざまに血刃を放つと、建物が残っている方向に向かって駆けて行く。
二発目の血刃もヒット、足の付け根を浅く斬りつける。
これには流石に苛立ったのか、迷わずこちらを追いかけてくる。
よし、それでいい。
奴の動きを制限する為に路地へと走る。
その後、横道に逸れて奴の視界から消える。
「プギィィィぃ!」
狭い路地を通ろうとした為、思うように追いかけられていないようだ。
だが、その巨体。
身動ぎするだけで邪魔な建物を粉砕しつつ、周囲に瓦礫の山が積み上げられる。
……あの辺りの建物に隠れようとしなくてよかったな。
密かに内心でほっとしつつ、奴の後ろを取りに回る。
豚といえば、イノシシの仲間だ。家畜化されたイノシシが豚だ、なんて話を聞いた事がある。
要するに、あまり正面には立ちたくない。
路地を高速で走り回り、崩壊していく家々に巻き込まれないように突き進む。
相手が巨大だとどこにいるかがわかりやすくていい。
ぐるぐる巻きの間抜けな尻尾が見えた。
どうやら巨体に振り回されて足元がお留守のようだな。
「せいっ!」
無防備な右の後ろ足を思い切り斬りつける。
刀身が埋まるほど、その肉厚な足を深く切り裂いた。
切り傷から盛大に血が噴き出す。
が、足全体が太すぎて、そこまで大きなダメージになっていないようだ。
……殆どの怪物ならこれで縦にも両断できるんだがなぁ。
「おっと」
後ろ足の蹴りが飛んでくる。
だが、最初からヒットアンドアウェイを繰り返すつもりだったので、私はそこにはいない。
見えもしないのにそうそう当たるものか。
蹴りを入れられた瓦礫の山がガラガラと崩れる。
崩れていく瓦礫を視界の端に入れながら、次の建物の中へと身を隠し、機を伺う。
……いけるか?
これを何度か行って、片足だけでも取れれば、こちらが圧倒的に有利だ。
相手はでかい分補正を受けているが、動きそのものは然程早くない。
走れなくなれば早々振り落とされることもないだろうし、背中を取ってしまえば後は屠殺できる。
怪物退治の筈が、木こりの様になってきたな。
傷をつければつけるほど血を吐き出す、あの太い樹木を切断すればこちらの勝ち。
それまでに潰されればこちらの負け、といったところか。
一回毎に命をチップに賭けてこれなのだから。
「全く、割にあわないなっ……と!」
二発目。
一気に近づいて、傷口の先を先ほどと合わせるように斬り抉る。
少しずれたか。
動いている相手だからな、丸太のようにはいかない。
さて、再び逃走を……。
そう考えた私の頭上を影が覆い始めた。
「お、おぉぉぉぉぉぉぉ!?」
どうやら、まともに標的を定めるのを諦めたらしい。
唐突に真横に倒れてくる。
「あっ……ぶないっ!」
全力で逃走する。足りない、飛び込む。姿勢を低く。
巨大な豚がすぐ真後ろに倒れこむ。
その後、ぐらりと体勢を変え、私の横を通り過ぎたそれは、周囲をゴロゴロと転がり続け、瓦礫や建物を平らに更地に変えて、少しして、止まった。
……流石に焦ったぞ。何度か横を通られた。
「まずいな」
身体を起こしながら、周囲を見渡す。
身を隠す遮蔽物が殆どなくなってしまった。
アルジナ達のいた方や、まだ散策していない所などはあるが、人がいる可能性があるのでできれば使いたくない。
近場には瓦礫の山が幾つか残るが、これでは少しの間視線から隠れるのが精一杯だ。
少しでも安全を確保する為に、私はまだ寝転んでいる敵の右側の目に向けて、残っている血液を打ち出した。
お得意の血の目隠しである。一度オークウォリアー戦の時に腹を食い破られた痛みから思わずプールしていたオークの血液を全て零してしまったのが勿体無かったな。
命中。即座に凝固。
が、分かりきっていたことだが、そもそも目がでかすぎてイマイチ隠し切れない。
片目でこれなのだから、両目を狙っていればさぞや穴だらけの無意味な目隠しが完成しただろう。
だが、これで右側は多少マシだ。
闇属性魔法で使えるらしいブラインド、みたいな視界を塞ぐ魔法があればいいんだが。
まぁ私とあの魔法では、物理的に塞ぐか魔法で塞ぐか、という大きな違いがあるが。
なお手が使える相手だと簡単に剥がしてくるのでこちらのほうが使い勝手が悪いのは言うまでもない。
だが、片側は問題なく使えるわけだ。
距離感をぼやかす程度には役に立ってくれると助かる。
右側に回り込み、右の後ろ足を切断できればまだ勝機はある。
全力で駆け込めるように身体を前に倒す。
直後。
「プギィィィィィィァァ!」
豚の左目が燃え上がる。
「今のは……」
何かが飛んできて豚の左目を貫いたようだ。
飛んできた方向を確かめると、私の遥か後方でアルジナが弓を構えていた。
どうやら、アルジナの援護射撃のようだ。
あの位置から目を射抜いたのか。
敵が巨大故に出来ないとは言わないが、目の中心を正確に射抜いているように見える。
敵へのダメージの量といい、凄い隠し玉を持っていたようだな。
……まぁ、本当は逃げていて欲しかったのだが、私が不甲斐ないばかりに出てきてしまったようだ。
さて、豚は……どろどろと焼け溶けた眼球で、こちらを睨んでいる。
「ぷぎいぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
大きく前足を振り上げてくる豚。
ふん、流石に慣れたぞ、地響き程度で動きを損なうものか。
最近は自分より大きな相手と戦うことが多かったからな、こいつは流石に規格外だが、似たような戦法はくらい慣れている。
豚が地面を大きく叩きつける。
そして―― 豚が、空を、飛んだ。
「……は?」
思わず呆気に取られてしまった。
いや、よく見ろ。
あれは空を飛んでいるのではなく、とんでもなく高く跳躍しているのだ。
豚といえば対して高く跳べず、柵を乗り越えることもできないと聞いていたが、異世界の豚は随分と高く跳べるのだなぁ……。
そんな風に一瞬思考が現実から逃避しかけるが、そんなことをしている場合ではない。
どうやら奴の着地点は私のいる方向のようだ。
早々に離脱しなければ。
しかし、両目が半ば機能していないというのに、何故こうも正確に……。
って、私は馬鹿か。
相手は豚なのだから、何よりもまず鼻を潰さなくてはならなかっただろうに。
どうにも普段から人型の相手と戦いすぎて考え方が麻痺していたようだ。
これは、中々に手痛い失態となりそうだ。
とはいえ、血で鼻を覆ったところで豚の嗅覚を奪えるかというと甚だ疑問ではあるので、視力を奪えただけマシなのかも知れないが。
走り続け、それなりの距離を取る。
おそらく、大きな振動が襲ってくる。
それに備え、身構える。
何、結局の所奇襲の様なものだ。地響きこそ今までの比ではないが、その後の突進が本命だろう。
やることは何も変わらない。敵の攻撃を受けずに機動力を奪う。それだけだ。
そして。
大空から豚が落下してくる。
豚の蹄が、地面を叩く、否。
叩きつけられた地面が、隆起する。
二十メートル近い距離の地面全てが槍の様にめくり上がり、地上の生き物に牙を向いた。
隆起した地面が私の身体をしたたかに叩く。
天然のミキサーが身体を挟み、捻り、削り取る。
「ごふっ……」
大きく弾き飛ばされ、しばらく地面を跳ね、瓦礫の山に叩きつけられ、止まる。
どうやら内蔵を傷つけたらしく、口元まで血液が昇ってくる。
一体、今のは……。
蹄を叩きつけただけ、というのは無理がある。
魔法? 地属性の魔法で地面を操作したのか。以前にあの熊も似たようなことをしていたな。
いや、一切の前兆無く発動したにしては威力が高く、広範囲すぎる。
何より、私の多少高めな魔法抵抗が何一つ仕事をしてくれていない。
そもそも、その直前の跳躍は何だったのか。
魔法であのようなことができるのか?
ぐるぐると回る思考の中、自らの身体の状態を確かめる。
腕一本動かせないような……いや、そもそも半ば腕が千切れかけていたな。
肩と皮で繋がっているように見える姿は、外から見れば滑稽かも知れない。
痛覚が麻痺しているのが救いだな、平時なら激痛ではすまないだろう。
どちらにせよ。
「このような廃墟で、豚の餌になるのが、私の最期、か……」
虚ろな視界の端で、豚に矢が射掛けられているのが見える。
刺さりはしているが、ダメージらしいダメージは殆ど無い。
豚は特に気にかけた様子もなく、こちらにのしのしと向かってくる。
全く、私が喰われている間に少しでも逃げればいいものを。
クランは……あぁ、彼女もいるのか。
子供を任せたのだから、逃げ出すべきだが……ただ、彼女の体力ではどのみち逃げきれないと判断したのかもしれないな。
冒険者らしからぬ精神性だな、もっとろくでもない、さっさと逃げ出すヤツの方が多いというのに、何故こんな時、こんないい人達と巡りあってしまうのか。
だが、彼女たちは少々こいつの力を甘く見ている。先ほどの跳躍を考えると、突進だけでも相当な速度が出る。
……このままでは、彼女たちもまとめて喰われるのが、目に見えているな。
……私も彼女達も子供も仲良く豚の餌。
歯に噛みちぎられて、胃の中に放り込まれて、どれが誰だか分からなくなって終わるわけだ。
……認められるか?
認められるはずがない。
認められるはずが、ないだろう。
あぁ、だが、身体が動かない。
魔法による回復は行っているし、しぶどい身体は徐々に再生を始めているが、それでもこのままでは私の元に豚が口を近づけてくるほうが早そうだ。
……不本意だが、私にはまだ手がある。この場面でもオート発動しないのは謎だが。
躊躇いは一瞬。
どう使えばいいのかは、身体が以前に覚えていた。
「く、うううぅうぅぅぅ!」
アルジナは目の前の現実に打ちのめされかけていた。
魔技を使うには魔力が足りない。
残弾も残り僅か。
しかし、その矢は何らダメージを与えられていない。
それどころか、気にかけられた様子すら無い。
手がない。
ダガーで接近戦?
馬鹿な。自分より遥かに優れた戦士であるクルスですらやられたというのに、私が近づいたところで踏み潰されて終わりだ。
何よりあの巨体、毒が回るのにどれだけかかるだろうか。
クランに頼むのも無理だろう。
クランは身体能力を上げる手段があっても根本的に後衛であるので、避けることができるか分からない。
更に、根本的に素手のクランではあの巨体にダメージを与えることができない。
せめて先ほどのオークウォリアーが使っていた鉄球でも残っていれば興味を引くくらいのダメージは与えられたかもしれないが。
そもそも後衛である彼女に接近戦を頼むのが間違っているのだ、あれは、緊急避難用なのだから。
あぁ、では、私たちはここで彼が喰われるのはじっと見ているしか無いのか。
今からでも、逃げるしか無いのか?
「……アルジナ、僕は、今直ぐ撤退を進言するよ」
クランは決して冷酷に言っているのではない。
今のアルジナ達では何一つ手が無いから、せめて少しでも余計な、無駄な犠牲を出さないため、進言しているに過ぎない。
見ろ、彼女も奥歯を食いしばり、手を強く握りしめているではないが。
むしろ、限界まで待ってくれたのだ。
正直、今からでは逃げても逃げきれるかどうか疑問なくらいだ。
私の我儘を聞いて、それが背負っている子供の危険にも繋がっているというのに、これ以上命を捨てさせる訳にはいかない……。
のそりのそりと巨大豚がクルスに近寄る。
あと少し。
最早歩むほどの距離は必要なく、顔を近づけるだけ。
絶望。
その瞬間。
クルスの倒れていた辺りが眩く光り輝いた。
「え、え、何!?」
クランの慌てる声がする。
勿論、私も何が起きているかなんて分かるはずがない。
光の塊が彼の周囲を覆う。
中の様子は眩しすぎて見えない。
そして、その数秒後。
光量を徐々に減らしていく光球から、一つの人影が出てきた。
「……クルス?」
大まかな部分は変わらない。
違うのは、細かな体型とか、髪の長さとか、背の高さとか、服の装飾とか。
露出部分が増えた鎧とか、鎧の上から覗く谷間ができてる胸とか。
というか男性じゃなかったのだろうか。いや、確かめてないけど。確かめようがないけど。
ただ、それより何より……全身から吹き荒れる、圧力とも引力とも言えないような力の奔流が私を圧倒した。
彼……彼女? は眼前まで迫っていた豚に視線を注ぐと――。
なにやらポツリと呟き、そして。
不意に。
――豚の鼻面を思いっ切り殴りつけた。
「ぷぎゅぅ!」
鼻が大きく潰れた豚は、驚くべき毎にほんの少しその巨体を宙に浮かせると、大きく後ろにずり下がり、踏みとどまれずに倒れこむ。
その様子を満足気に見届けた彼女は、右腕は軽く上げ……。
こう、言った。
「さぁ、豚のような悲鳴をあげろ」
いや、様なも何も、豚だと思うんだけど……。
ちなみにTSする度に怪我が全快する仕様です。
リズリットさんがなにか言いたげにこちらを見ていますが、まぁ付与魔法には意味があったから……。
最後の言葉は超有名な吸血鬼のあの方からお借りしました。
尚、使い方は間違っている模様。
TS後の姿がいまいち決まらない。




