12
「ん? 二人してどっか出かけるのか? 珍しい」
玄関で靴を履いていると、母からそんな声を掛けられた。
「うん。あ、昼飯はいらないよ、食べてくるから」
優馬がそう答えた。
当然、今は男バージョンである。
普段のこいつは、若干女顔――というよりは多分童顔だが、髪の毛を短くしていることもあって、女には見えない。
髪の毛を長くして化粧をするとあれだけ化けるというのが信じられん。
「遅くなるなら電話しろよ」
母が言う。
家ではこんな乱暴な口調で、今もパジャマのままという緩みきった姿だが、仕事となるといきなり美貌の才媛に変身する。
何度か母が仕事モードで人の対応をしている場面を見たが、家での姿に慣れている俺からしてみるとかなり気味が悪かった。
「うん、じゃ、行ってきます」
「行ってきます」
「んで、どこ行くんだ? つーかお前、今日はその格好なの?」
家を出て、優馬に付いて歩きながら、そう尋ねた。
別に女装して欲しい訳じゃないぞ。
ただこいつ、着替えとか持ってるようには見えないから。
「ううん、当然、変身はするよ」
「変身してるの!?」
「そうそう。この腕時計を掲げてキーワードを唱えると、今着てる服が光って粒子状になって」
「それただのGショックじゃねーか」
「バレたか」
「バレたかじゃねーよ」
それ、俺が昔使ってた奴のお下がりだぞ。
まだ持ってたのかよ、物持ちいいな。
「あ、着いたよ。あそこ」
そう言って優馬が前方を指さす。
「何があるんだ? アパートしか見えないぞ」
「そのアパートだよ」
なんだろう、友だちの家か?
わざわざ俺を連れてくる意味はなんだろう。
訝しむ俺にお構いなしに、優馬はアパートの敷地に入る。
少なくとも築20年くらいは経っているだろう、鉄筋コンクリート三階建ての、どこにでもあるようなアパート。
特にセキュリティのような物はなく、外階段から直接上階に行くことができて、各部屋の玄関までは誰でも入れる構造。
優馬は二階に上って、扉に『203』と書かれた部屋の前に止まった。
ポケットから鍵を出す。
「鍵? 何でお前が持ってるの?」
それには答えずに優馬は扉を開いて、
「ようこそ兄貴、僕の秘密基地に」
怪しげに笑った。
「……いや、秘密基地ってレベルじゃねーだろ」
中に入った俺は、呆れながら呟いた。
構造はよくある2LDK。
とりあえず、と通された部屋には、巨大なモニターが一つ、普通サイズのモニターが三つ、静かな稼動音を鳴らす大型のPCが十台ほど置かれていた。
「なんだこの部屋……」
「だから、秘密基地」
意味が分からない。
え、何?
これ全部優馬の物なの?
「ここはサーバールームにもなってるんだ。僕の活動拠点」
「活動拠点って……、何の活動?」
「色々やってるよ。最近だと、ARの研究とか」
「AR? なにそれ?」
「拡張現実――VRの一種だよ。簡単に言うと、現実の風景に3Dの映像なんかを合成する技術のこと。よくあるのは、カメラで特定のパターンが書かれたマーカーを写してそこに映像を合成するやつなんだけど、見たことない?」
「あー、それって、もしかして3Dの携帯ゲーム機にも入ってる?」
「そうそうそれそれ。今僕がやってるのは、そのマーカー無しでカメラの画像を処理して現実の三次元空間を把握する方法とか、モーションキャプチャデバイスで人体の動きを処理する方法とか、そういうの。狭い空間ならあらかじめ構築しておいた3D空間情報を利用して――」
「いやごめん、何言ってるんだかわからん」
久々にこいつと話していて置いてきぼり感を味わったな。
専門的なこと語らせたら止まらないもんな……。
「あー、まあ、とにかく、今いくつかの企業と契約して、そういうのの基礎研究やってるんだ。そのためにけっこうパワーの有るコンピュータが必要だったし、月に三十万くらいの収入があるから、部屋借りてサーバー立ち上げた」
「なん……だと……?」
大卒の初任給より多いじゃねーか。
そういえばこいつ、天才だったな……と、改めて弟の壊れ性能を実感した。
「まぁ、部屋借りたのには他にも目的があって――というか、こっちが主な目的なんだけど」
そう言いながら優馬は部屋を出て行く。4畳半のダイニングを横切って反対の部屋に。開け放ったドアから見えたのは、
「本邦初公開、ユウミのクローゼットルーム!」
大量の女物の服、いろんな長さと色のウィッグ、鏡台、化粧品の箱などであった。
「……どんだけ……」
もはや呆れるしかない。
さっきこいつこっちが主な目的って言ってたよな。
女装グッズをどこに隠してるんだとは思ってたけど、まさかここまでやるとは……。
「それじゃ、ちゃちゃっと変身してくるから、ちょっと待ってて」
そう言って優馬は部屋の中に引っ込んだ。




