役立たずの道案内人
俺には、誰にも見えない道が見える。
地図に載っていない道。
何百年も前に失われた道。
崖の向こうや、深い森の奥へと続く、不思議な道。
子供の頃から、それが当たり前だった。
だから俺は、自分の力が特別なものだと思ったことはない。
ただ一つ、はっきりしていることがある。
どれほど道が見えたところで、剣も魔法も使えなければ、冒険者としては役立たずだということだ。
少なくとも、俺の仲間たちはそう考えていた。
そして今日。
俺は三年間所属していたパーティーを追放されることになる。
◇
「ルカ! 何やってんだ! 早く道を探せ!」
怒鳴り声が山肌に響いた。
声の主は、冒険者パーティー《白銀の牙》のリーダー、バルドだ。
大きな盾を構えた彼の正面には、全身を岩のような外皮に覆われた魔物が三匹。
岩狼。
山岳地帯に生息する、厄介な魔物だ。
一匹でも手強い相手なのに、三匹同時となれば話は別だった。
「探してる! もう少し待って!」
「もう少しって、何回言わせる気だ!」
バルドが盾で岩狼の突進を受け止めた。
鈍い衝撃音が響く。
その巨体が、じりじりと後ろへ押し込まれた。
俺たちは、薬草採取の依頼を終えて王都へ戻る途中だった。
本来なら、魔物との遭遇も少ない安全な経路を通るはずだった。
ところが帰路で山崩れが起こり、予定していた街道が塞がれてしまった。
迂回路を探しているうちに岩狼の群れと遭遇し、今では崖際まで追い詰められている。
「エリナ! 魔法は!?」
「もう無理よ! さっきので魔力が尽きたわ!」
魔法使いのエリナが、苦しそうに答える。
弓使いのトッドも、矢筒を確認して顔をしかめた。
「こっちも残り二本だ! これじゃ全然足りねえ!」
状況は最悪だった。
バルドは左腕を負傷している。
エリナは魔力切れ。
トッドの矢も尽きかけている。
そして俺、ルカ・アルベインは――。
「くそっ!」
短剣を握りしめながら、自分の無力さに歯噛みした。
俺の職業は《道案内人》。
戦闘適性は最低のE評価。
攻撃魔法も使えないし、剣の腕もからっきしだ。
目の前の岩狼を一匹倒すことすらできない。
でも。
それなら、俺にできることをするしかない。
俺は周囲を見回した。
切り立った崖。
苔むした岩壁。
霧に覆われた谷。
普通の人には、行き止まりにしか見えない場所だろう。
けれど。
「あった……!」
崖の向こう。
何もないはずの空間に、細い石畳が続いていた。
古びた石畳は、谷を横切るように伸び、白い霧の向こうへと消えている。
俺にしか見えない道。
昔から、ときどき見つける不思議な道だ。
「バルド! こっち!」
俺が叫ぶと、バルドが振り返った。
「こっちって……崖じゃねえか!」
「道がある!」
「どこにだよ!」
「崖の向こう!」
バルドが、一瞬だけ絶句した。
「……お前、正気か?」
「正気だよ!」
「俺たちに飛び降りろって言うのか!?」
「違う! 俺の後をついてきて!」
岩狼の一匹が唸り声を上げた。
バルドが慌てて盾を構え直す。
このままでは、あと数分も持たない。
俺は覚悟を決めた。
「俺が先に歩く。危なかったら、みんなは止まって!」
エリナが青ざめた。
「ルカ、待って! あなたまで死ぬつもり!?」
「死なないよ」
俺は笑ってみせた。
本当は怖かった。
足が震えていたし、心臓も痛いくらい鳴っていた。
けれど。
「俺、道を探すのだけは得意だから」
そう言って、崖へ向かって走った。
「ルカ!」
背後から叫び声が聞こえる。
俺は足を止めなかった。
一歩。
二歩。
そして三歩目。
何もない空間へ、足を踏み出した。
――落ちなかった。
靴底に、確かな石の感触があった。
俺は崖の外に立っていた。
「……ほら」
振り返る。
「道、あるだろ?」
仲間たちは、呆然としていた。
当然だろう。
彼らには、俺が空中に立っているようにしか見えないのだから。
「エリナ、手を!」
俺は腕を伸ばした。
エリナは震えながら、俺の手を握った。
「だ、大丈夫なの……?」
「俺の足元を見て」
彼女が恐る恐る視線を落とした。
その瞬間。
「……え?」
大きな瞳が見開かれた。
「石畳……?」
「見えた?」
「ええ……今、急に……!」
俺のすぐ近くにいる人間には、俺が見ている道が一時的に見えることがある。
ただし、離れすぎると認識できなくなってしまう。
だから、慎重に進む必要があった。
「バルド! トッド! こっち!」
「……ちくしょう!」
バルドが岩狼を盾で押し返した。
「トッド! エリナを頼む!」
「分かってる!」
三人が俺の後を追ってくる。
俺は鞄からロープを取り出し、全員に握らせた。
「絶対に離さないで!」
俺たちは霧の中へ進んだ。
眼下には、底の見えない谷が広がっている。
もし足を踏み外せば、助からないだろう。
それでも、石畳は確かに続いていた。
「……すげえ」
トッドが小さく呟いた。
「本当に道があったのかよ……」
俺は思わず笑った。
「だから言っただろ?」
そのときだった。
「あっ!」
トッドが突然よろめいた。
足元の石畳が薄れたのだ。
俺から少し離れすぎたらしい。
「トッド!」
反射的に手を伸ばす。
ロープが張り、俺の体まで引っ張られた。
まずい。
このままじゃ全員落ちる。
「バルド!」
「おう!」
バルドが岩壁に手をかけ、踏ん張った。
エリナも必死にロープを握る。
数秒後。
ようやくトッドを引き戻すことができた。
「はあ……はあ……」
トッドが地面にへたり込む。
「死ぬかと思った……」
「だから離れるなって言っただろ!」
「悪かったよ!」
俺も胸を押さえた。
本当に危なかった。
道が見えるからといって、必ず安全なわけじゃない。
俺の力には、まだ分からないことが多すぎる。
それでも。
「行こう」
俺はみんなを見回した。
「ここまで来たんだ。絶対に、全員で帰ろう」
バルドが短く笑った。
「……言われなくても、そのつもりだ」
そして俺たちは、霧の向こうへ進んだ。
◇
一時間ほど歩いただろうか。
ようやく霧が晴れた。
目の前には、見慣れた王都へ続く街道が広がっていた。
「……助かった」
バルドがその場に座り込む。
エリナは膝をつき、トッドは空を見上げて笑った。
「はは……生きてる……!」
俺も大きく息を吐いた。
よかった。
本当によかった。
全員、無事に帰ってこられた。
「ルカ」
バルドが俺を呼んだ。
「……ありがとな」
その声は、いつもより小さかった。
「お前がいなかったら、全滅してた」
「ううん。俺一人じゃ何もできなかったよ」
実際そうだった。
バルドが岩狼を防いでくれなければ、道を探す時間すらなかった。
エリナとトッドが支えてくれなければ、途中で誰かが落ちていたかもしれない。
全員で帰ってこられた。
それが嬉しかった。
「でもさ、ルカ」
トッドが苦笑する。
「お前のその力、ほんと意味分かんねえよな」
「俺も分かんないよ」
「変な道ばっか見つけやがって」
「便利だろ?」
「便利っていうか……怖えよ」
みんなが笑った。
俺も笑った。
三年間、一緒に冒険してきた仲間たち。
この人たちとなら、これからも旅を続けられる。
そのときは、そう信じていた。
◇
「ルカ。今日限りで、パーティーを抜けてもらう」
翌日。
冒険者ギルドの酒場で、バルドがそう言った。
「……え?」
思わず聞き返した。
目の前には、昨日一緒に死にかけた仲間たちが座っている。
誰も笑っていなかった。
「昨日は助かった。本当に感謝してる」
バルドは真剣な顔だった。
「だが、俺たちは来月からBランクの討伐依頼を受けることになった」
「……うん」
「今のままじゃ戦力が足りねえ」
胸の奥が、冷たくなった。
「前衛をもう一人増やしたい。けど、パーティーの人数にも限りがある」
バルドが続ける。
「お前の案内が役に立つことは分かってる。でも、毎回あんな道が見つかるわけじゃねえだろ?」
「……そうだね」
「昨日だって、お前が岩狼と戦えれば、あそこまで追い詰められなかったかもしれねえ」
それは、否定できなかった。
俺には戦う力がない。
そして、これからみんなが目指すのは、もっと危険な場所だ。
「悪く思うなよ」
トッドが言った。
「俺たちも、上を目指したいんだ」
エリナは、ずっと黙っていた。
けれど、ぎゅっと握られた手が震えていた。
「……ごめんなさい、ルカ」
小さな声。
「昨日、あんなに助けてもらったのに……」
「いいよ」
俺は笑った。
たぶん、うまく笑えていなかった。
「みんなの言ってること、分かるから」
本当は、分かりたくなかった。
三年間、一緒に旅をした。
何度も助け合った。
昨日だって、全員で生きて帰れたことが嬉しかった。
なのに。
たった一日で、俺はもう必要なくなってしまったらしい。
「今まで、ありがとう」
俺は立ち上がった。
バルドが革袋を差し出してくる。
「昨日の報酬だ。お前の分は多めにしてある」
「……ありがとう」
受け取った革袋は、思ったより重かった。
それが、余計につらかった。
俺の働きを認めてくれている。
それでも、一緒にはいられない。
そういうことなのだろう。
「じゃあ、元気で」
俺は三人に頭を下げた。
バルドは何か言いたそうにしていた。
エリナは顔を伏せたままだった。
トッドだけが、いつものように軽く手を上げる。
「おう。またどこかでな」
「……うん」
俺はギルドを出た。
扉が閉まる直前。
「本当に、これでよかったの?」
エリナの声が聞こえた。
続いて、バルドの低い声。
「……次の依頼に連れていったら、あいつは死ぬかもしれねえだろ」
俺は足を止めた。
「だったら、ちゃんとそう言ってあげればよかったのに……」
それ以上は聞かなかった。
聞いてしまったら、戻りたくなる気がしたから。
◇
王都アレストの空は、どんよりと曇っていた。
俺は人通りの少ない路地を、当てもなく歩いていた。
十七歳。
冒険者歴三年。
所属パーティーなし。
剣も魔法も使えない、最低評価の道案内人。
「……これから、どうしようかな」
思わずため息が漏れた。
ギルドで新しい仲間を探すこともできる。
商隊の護衛に混じって、道案内をする仕事だってある。
でも。
俺は、何のために冒険者になったんだっけ。
ふと、そんな疑問が浮かんだ。
胸元から、小さな方位磁針を取り出す。
古びた真鍮の蓋。
ひびの入ったガラス。
針はずっと、北を指したままだ。
十年間、一度も動いていない。
俺が七歳のとき、母さんが残していったものだった。
『ルカ。道に迷ったら、これを見なさい』
優しい声が、記憶の奥によみがえる。
『道はね、ただ場所と場所をつなぐものじゃないの』
母さんは、俺と同じ道案内人だった。
けれど、俺とは違って、誰も知らない道を見つけるすごい人だった。
『人と人をつなぐものでもあるのよ』
あのときは、意味が分からなかった。
ただ、母さんと一緒に歩く道が好きだった。
十年前。
母さんは旅に出たまま、帰ってこなかった。
最後に向かったのは、地図から消えた道だったという。
だから俺は冒険者になった。
いつか母さんの歩いた道を見つけられるかもしれないと思って。
「……母さん」
俺は方位磁針を握りしめた。
「俺、ちゃんと前に進めてるのかな」
返事はなかった。
そのとき。
「……お兄ちゃん」
小さな声が聞こえた。
顔を上げる。
路地の先。
古い井戸のそばに、一人の少女が立っていた。
十歳くらいだろうか。
長い金髪は乱れ、白いワンピースの裾は泥だらけ。
片方の靴をなくしたらしく、小さな足がむき出しになっている。
少女は、今にも泣き出しそうな顔で俺を見ていた。
「どうしたの?」
俺はしゃがんで目線を合わせた。
「迷子?」
少女は、小さくうなずいた。
「おうちに、帰れないの」
「そっか」
俺はできるだけ優しく笑った。
「お父さんとお母さんは?」
「おうちにいる」
「じゃあ、一緒に探そうか」
少女の瞳が、少しだけ輝いた。
「……ほんと?」
「うん。俺、こう見えて道を探すのは得意なんだ」
そう言うと、少女が小さく笑った。
よかった。
少しは安心してくれたらしい。
「名前は?」
「ニナ」
「俺はルカ。よろしくね、ニナ」
「……ルカお兄ちゃん」
少女は俺の名前を確かめるように呟いた。
そして、恐る恐る手を伸ばしてきた。
俺が手を差し出すと、その小さな指がぎゅっと絡まった。
冷たい手だった。
「ニナのおうちは、この街にあるの?」
「ううん。村にあるの」
「村?」
「エルダ村」
俺は首をかしげた。
聞き覚えのない名前だった。
「王都の近く?」
「うん! 森を抜けたところ!」
ニナは嬉しそうに続ける。
「大きな鐘があってね、リンゴの木がいっぱいあるの! お母さんが焼くパイ、すっごくおいしいんだよ!」
「へえ。いい村なんだね」
「うん!」
俺は鞄から地図を取り出した。
王都周辺なら、ほとんどの村の名前を覚えている。
けれど、エルダ村という名前は見つからなかった。
「……あれ?」
何度も確認する。
北の森。
東の街道。
西の山道。
どこにもない。
地図が古いのかもしれない。
そう思って顔を上げると、近くの露店の老人が、俺たちをじっと見ていた。
「あの、すみません」
俺は声をかけた。
「エルダ村って、ご存じですか?」
その瞬間。
老人の顔色が変わった。
「……なんだって?」
「エルダ村です。この子の故郷らしいんですけど」
老人は答えなかった。
ただ、ニナをじっと見つめている。
その目には、明らかな恐怖が浮かんでいた。
「坊主」
「はい?」
「その名前を、どこで聞いた?」
「この子からです」
老人は、一歩後ずさった。
「……馬鹿な」
かすれた声だった。
「ありえん……」
「どういうことですか?」
老人はしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「エルダ村はな……もう、ないんだよ」
「……ない?」
「ああ」
老人は王都の北に広がる森を指さした。
「あの森の奥には昔、小さな村があったそうだ。果樹園が広がる、豊かな村だったらしい」
ニナが顔を上げた。
「あるよ」
小さな声。
「エルダ村、ちゃんとあるよ」
老人は、少女を見た。
その表情が、さらに険しくなる。
「だが、ある日突然、村へ続く道が消えた」
「道が……?」
「調査に向かった兵士も、冒険者も、誰一人として村を見つけられなかった。どれだけ森を探しても、村のあった場所へたどり着けなかったんだ」
俺は思わず地図を見た。
王都の北。
森の奥。
そこには、不自然なほど広い空白地帯があった。
「……いつの話ですか?」
俺が尋ねると、老人は低い声で答えた。
「百年前だ」
息が止まった。
「百……年?」
「ああ。百年前の《エルダ消失事件》。今じゃ古い記録にしか残っておらん」
俺はニナを見た。
少女は首を横に振っていた。
「ちがう……」
小さな声が震えている。
「ちがうもん……」
「ニナ?」
「エルダ村、あるもん!」
少女が叫んだ。
周囲の人々が振り返る。
けれどニナは、そんなことを気にする余裕もないらしかった。
「お父さんも、お母さんも、いるもん! 大きな鐘も、リンゴの木も、ちゃんとあるもん!」
瞳に涙が浮かぶ。
「昨日だって、お母さんと一緒にパイを焼いたんだよ……!」
昨日。
俺はその言葉に引っかかった。
「ニナ」
なるべく落ち着いた声で尋ねる。
「村を出たのは、いつ?」
「……今日の朝」
「今日?」
「うん」
ニナは涙を拭った。
「ポポを追いかけてたの。そしたら森の中に入っちゃって……気がついたら、知らない道に出てた」
「ポポ?」
「白くて、ふわふわで、ちっちゃい子!」
ニナは両手で小さな丸を作った。
「村の近くにいたんだけど、どこかに行っちゃったの」
俺は考え込んだ。
百年前に消えた村。
今朝、その村から出てきた少女。
普通に考えれば、ありえない話だ。
ニナの勘違いかもしれない。
誰かに嘘を教えられた可能性だってある。
でも。
彼女の涙は、本物だった。
帰りたいと願う気持ちも。
「……分かった」
俺は地図を閉じた。
ニナが不安そうに顔を上げる。
「ルカお兄ちゃん……?」
「探してみよう」
「……え?」
「君の村。まだ、あるかもしれないだろ?」
ニナは目を大きく見開いた。
露店の老人が慌てて口を挟む。
「おい、坊主! 馬鹿なことを考えるな!」
「え?」
「あの森には近づくな! 昔から人が消える場所なんだぞ!」
「……分かってます」
「何も分かっとらん! 百年も誰も見つけられなかった村を、お前なんかが――」
「それでも」
俺は老人を見た。
「もし本当に道があるなら、見つけられるかもしれません」
老人は絶句した。
俺はニナのほうへ向き直る。
「一つだけ、約束して」
「……なあに?」
「危ないと思ったら、すぐ引き返す。無理に進まない。いい?」
ニナは少し迷ってから、うなずいた。
「……うん」
「よし」
俺は立ち上がった。
「じゃあ、まずは森の入り口まで行ってみようか」
そのときだった。
胸元で、小さな音が鳴った。
カチリ。
「……ん?」
方位磁針。
俺は慌てて蓋を開いた。
十年間。
一度も動かなかった針が。
ゆっくりと。
北から、わずかにずれた。
「……え?」
目を疑った。
針が動いている。
それは王都の北に広がる森の、その奥を指していた。
俺は顔を上げた。
そして、息を呑んだ。
――道があった。
城壁の向こう。
森の木々の間。
灰色の霧に包まれた、一本の石畳。
あんな道は、今まで一度も見たことがなかった。
古びた石畳の隙間に、青白い光が流れている。
霧の向こうへ続く道は、まるで夜空の星を地面に並べたように輝いていた。
遠くから、鐘の音が聞こえた気がした。
ごおん。
ごおん。
風に紛れるほど、かすかな音。
けれど確かに、聞こえた。
「……ニナ」
「なあに?」
「ちょっと、あっちを見てくれる?」
俺は森の奥を指さした。
「あそこに、何か見える?」
ニナは目をこすった。
そして。
「……あっ!」
突然、大きな声を上げた。
「あの道!」
小さな手が、俺の服をつかむ。
「あの道だよ!」
「……本当?」
「うん! 私が朝、通ってきた道!」
ニナの瞳が輝いていた。
「あそこを歩けば、おうちに帰れる!」
俺はもう一度、道を見た。
霧の奥へ続く、古い石畳。
その先に何があるのかは分からない。
危険な場所かもしれない。
それでも。
道は、確かにそこにあった。
そして今。
その道を必要としている子が、目の前にいる。
「……そっか」
俺は笑った。
「じゃあ、行こうか」
「……いいの?」
「うん」
「ほんとに、連れていってくれる?」
「もちろん」
ニナの手を、そっと握り直す。
「俺は道案内人だからね」
少女の目から、ぽろぽろと涙がこぼれた。
「……よかった」
その言葉は、とても小さかった。
「やっと……」
ニナは震える声で続けた。
「やっと、迎えに来てくれた」
俺は少しだけ首をかしげた。
迎えに?
俺たちは、さっき出会ったばかりなのに。
けれど、少女はもう泣きながら笑っていた。
だから俺は、その言葉を深く考えなかった。
方位磁針を閉じ、鞄を背負い直す。
そして、ニナと一緒に歩き始めた。
王都の北。
百年前に消えた村へ続く道を目指して。
そのときの俺は、まだ知らなかった。
あの道を歩くことが、世界の秘密に触れる第一歩になるなんて。
そして。
百年前に閉ざされた道を見つけたことが、世界中の人々の運命を変える旅の始まりになるなんて。
ただ、一つだけ確かなことがあった。
昨日まで、俺は自分の居場所を失った冒険者だった。
けれど今日。
俺の手を握る小さな少女が、俺を必要としてくれている。
それが、どうしようもなく嬉しかった。
だから俺は、胸を張って言った。
「大丈夫。必ず、君の帰り道を見つけるよ」
ニナは笑った。
「うん!」
そして、俺たちは霧の森へ向かって歩き出した。
その背後で。
王都の鐘が、正午を告げていた。
けれど、誰も気づかなかった。
森の奥から聞こえてきた鐘の音が。
王都の鐘よりも、ほんの少しだけ早く鳴っていたことに。




