ちょっとだけ……女の子 ①週末のシンデレラ・ステップ
『週末のシンデレラ・ステップ』
「うーん……完璧じゃん」
鏡の前で、俺、いや、わたしは、そっと自分の唇に指先を当てた。
普段のサラリーマン生活では絶対に縁のない、ほんのり青みががかったピンク色のリップ。
一昔前の美少女アイドルみたい。
ライトブラウンのロングヘア(奮発して買っちゃった最高級のウィッグだ)をさらりと揺らし、お気に入りのワンピースの裾を整える。
週末の夜。
それは、俺が"わたし"になれる魔法の時間。
今日の目標は、このまま夜の街へ一歩踏み出すことだ。
「……ふぅ。よし、行こう♪」
玄関のドアを開けると、夜の冷たい空気が頬をなでた。
心臓がトクン、と大きく跳ねる。
ヒールの高いパンプスが、アスファルトを「カツ、カツ」と小気味よく鳴らした。
この音が、なんだかすごく誇らしくて、同時に怖い、ドキドキする。
向こうから、仕事帰りとおぼしき男性が歩いてくる。
(……パスできる? それともリードされる!?)
"わたし"は不自然にならないよう、少しうつむき加減で、スマホを見るフリをしてすれ違った。
男性は、チラリとこちらを見た――けれど、そのまま通り過ぎていく。
(……やったじゃん。今、完全に『女の子』としてすれ違えた!)
胸がキュンと熱くなる。夜道という初級ステージのクリア。
でも、俺の憧れは、もっと眩しい場所にある。
◇
明けて、土曜日の午後。
カーテンの隙間から差し込む太陽の光が、昨日より何倍も高いハードルを告げていた。
「次は……昼間の電車、そしてお買い物」
メイクは夜よりもナチュラルに、でも丁寧にする。
大きな目をさらに強調するように、紫色のカラーコンタクトを入れる。
鏡の中にいるのは、どこからどう見ても、少し背が高くてスタイルの良い17歳くらいの美少女だ。
ああっ、自分でもサバを読んでいることくらいはわかっているけれど。
ほんとの自分より、幼い感じがカワイイ。
駅の改札を抜けるだけで、背中にびっしょりと汗をかいた。
昼間の駅は人が多い。
自動改札の「ピッ」という音が、まるで警告音のように聞こえてビクリとする。
ホームで電車を待っている間、隣の女子高生二組が、こちらを見てヒソヒソと話し始めた。
「ねえ、あの人……」
(ヒッ……! バレた!? 骨格? メイクが浮いてる!?)
心臓が口から飛び出そうになり、思わずワンピースの裾をぎゅっと握りしめる。
「……めちゃくちゃスタイル良くない? ワンピ可愛い、どこのだろ」
「あ、本当だ。髪キレイー」
(――あ、憧れの、対象として見られてたりして)
リードされたわけじゃなかった。
歓喜で脳がとろけそうになるのを必死で堪え、私は上品にすっと背筋を伸ばし、やってきた電車に乗り込んだ。
目的地のショッピングモールは、可愛い服やコスメであふれていた。
お目当てのブランドのショップに入り、並んでいる綺麗な色のワンピやフリルのついたブラウスを眺める。
見ているだけで、胸の奥が甘いときめきで満たされていく。
「いらっしゃいませー。そちらの新作、お客様にすごくお似合いになりそうです!」
店員さんが、満面の笑みで話しかけてきた。
「あ、えっと……」
(声を出しちゃダメだ、声でリードされる――!)
俺は慌てて、コクコクと首を振って、少しハスキーな声で「ちょっと、見てるだけです……っ」と小さく微笑んだ。声、ちっちゃーと自分でも思うけど。これが限界。
「そうなんですね! 目の色がすごく綺麗だから、こちらのラベンダー色のトップスも映えると思いますよ。ゆっくり見ていってくださいね」
店員さんは、全く疑う様子もなく、優しく微笑んで離れていった。
(……パス、できた。大成功だ……!)
近くの壁の鏡に映る自分を見る。頬が、メイクのチークではない、本物の熱で桃色に染まっていた。
「可愛い」を纏って、街に溶け込むこのスリルと幸福感。
一度味わってしまったら、もう、この秘密の週末からは抜け出せそうにない。
明日は日曜日。"わたし"は、このままエスカレートしていっちゃうかもしれない。




