Part2 22.ダークエルフ
「ガルシアは?」
ラルフは城主の間にその姿がないのを見て、扉の前の従者に尋ねた。
「外出なされました。“嵐”の前に休息する、と仰せになられまして」
窓外を見遣りながら、ラルフは思った。
(嵐か。さて、どれほどの風が吹くものか……)
――
ガルシアは一人、森の中を散策していた。眼前の豊かな緑や周りの山々はなだらかで穏やかな、住み慣れた屋敷を囲む風景を思い起こさせるものだった。
つい今し方通り雨が降ったらしく、樹々の葉には無数の露が煌めいている。
今は陽光が小さな森を照らしていたが、やはり雨季は間もなくのようだった。早咲きの花の薫りが雨の匂いとともに広がり、鼻孔を優しくくすぐる。
茂みを抜けると、河の流れがせき止められてできた、小さな沼があった。その近くにぽつんと生えた樹の影に、何か動くものが見える。
ガルシアが近づいて見ると、小さな幼女がうずくまっていた。
雨に打たれたらしくずぶ濡れで、肩につくぐらいの白金の髪からは、雫が滴り落ちている。髪から覗く耳は大きく、肌は褐色だった。
原初の特徴を持った、ダークエルフである。
初めて見た存在の物珍しさに、ガルシアはさらに近づく。
幼女はガルシアの影に気づいて、顔を上げた。
可愛らしい顔立ちの瞳は深い瑠璃色で、大粒の涙を浮かべ、怯えた顔でガルシアを見上げている。
よく見れば服は泥だらけ、顔と体のあちこちに擦り傷がある。特に右膝にある裂傷は大きく、血が流れていた。
ガルシアが前にしゃがみ込むと、幼女は体を硬直させて後ずさろうとした。傷の痛みか恐怖ゆえか、立てないらしい。
「治癒!」
ガルシアが幼女の膝に手を翳すと、見る間にその傷は癒えた。幼女は驚いて、目を見開いている。
不意に殺気を感じて、ガルシアは沼を振り返った。
同時に水柱が上がり、沼の中から巨体の犬人間が現れた。腰の辺りにわずかなぼろ布を纏っただけの、半裸の獣人である。
「見ぃぃつけぇたあぁぞおぉーっ!」
牙の生えた大きな口から涎を垂れ流し、グッグッと、獣人特有の詰まった声で鳴く。幼女は恐怖に震えて、声も出せずにいた。
「喰うぅってぇやあぁるうぅーーっ!!」
コボルドは水を滴らせながら、ゆっくりと岸に近づいてくる。ガルシアはコボルドを見据え、幼女の前に立ちはだかった。
「んんー? なんだぁ、お前はあぁーー? そいつをぉ、よぉこぉせぇぇーーーっっ!」
ゲッゲッと奇妙な笑い声を立てるコボルドに、幼女はますます怯え、身動きもできない。ガルシアは眉も動かさず、冷たい視線でコボルドを見返した。
「さあぁっき、ダークエルフの雌をぉ喰ぅったからなあぁー、そこらの黒魔族なあんかにぃぃー、負ぁけねえぇぞおぉー!」
コボルドは両腕を振り上げ、咆哮を上げた。
「光……弾ー!」
無数の光の矢が、ガルシアたちを目掛けて飛んでくる。が、当たる直前で弾かれて、消滅した。
そのうちの一つの光を、ガルシアは左手で“受け止めて”いる。
「な……ぁあ!?」
「――返すぞ」
そう言って、ガルシアは受け止めた光弾をコボルドに“投げ返し”た。光弾はコボルドが放った時よりも遥かに速く、空を切り裂いてコボルドの胸に突き刺さった。
「……があぁっっ!」
光弾の貫通した穴から、光が放射状に溢れ出る。その光は一瞬にして広がり、コボルドの体を包み込んで破裂した。
爆風に水飛沫が舞い散り、コボルドの体は光に呑まれ、塵となって消え去った。
にわか雨のような飛沫がやむと、沼の中には血の色さえ見えず、獣人の存在を示すものは何一つ残さずに、水面は元の静けさを取り戻していた。
ガルシアはゆっくりと、幼女を振り返った。その子は幼い瞳を大きく見開いて、何が起こったのかわからないといった表情で、自分を見上げている。
「名は、なんという?」
ガルシアは優しく、幼女に問いかけた。
「……ヴェ、ヴェナ……」
幼女は震える声で、小さく答えた。
「ヴェナか。よい名だ」
ガルシアが手を差し延べると、幼女の体中の傷が、跡形もなく消えた。
「私と来るか?」
幼女は呆然としていたが、やがて恐る恐る、その小さな手を伸ばした。
ガルシアがその体を抱き上げた瞬間、二人の姿は風とともに消えた。




