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南太平洋戦記-間に合った世界  作者: 鴨下英二
第3部 前夜

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第3部 前夜 第5章 第77任務部隊 

ニューカレドニア ヌーメア軍港 米国海軍戦艦サウスダコタ

1943年 11月30日 8:50



 戦艦サウスダコタの司令塔は、同型艦のそれとは明確に異なるシルエットを海上に突き出していた。

旗艦設備を増設した結果として司令塔は一段高くなっている。それは機能以外に単純に視界の確保を得、眼に見えて他の艦より優越する印象を与えている。


 第77任務部隊指揮官、ロバート・ギフェン少将にとって、朝食後の時間は事務作業に費やされるべき「官僚的な義務」の時間であった。予定表を処理し、前日から滞留していた書類に目を通し、署名をするのが彼の日常である。

 だがこの朝、彼はそのルーチンを放棄し、司令塔の信号甲板へと姿を現した。

 グレートロード錨地の深奥に身を置く艦橋からは、ヌーメア市街の高台に位置する第3艦隊司令部を、遮るものなく視界に収めることができた。

 ギフェンは胸高まである装甲遮蔽板に両手を置いた。

掌に伝わる鋼鉄の冷感は、4日前の記憶――あの司令部の建物の中で交わされた、空虚な言い回しの記憶を、嫌応なしに彼に思い起こさせた。

 

「ギッフェン、貴様に今度新設される、新しい任務部隊を率いてもらう」

第3艦隊司令長官ウイリアム・ハルゼー中将は、司令部が置かれた洋館「レッドハウス」のテラス。その肩越しに、親指で背後の海域――グレートロードを示した。

 ギッフェン少将はそちらに目をやったが、輸送船や護衛駆逐艦で埋め尽くされた混迷の中から特定の意図を読み取るのは困難であった。困惑した表情を察したのか、ハルゼーは目線でギッフェン少将の後ろに立っいる参謀長のロバート・カーニー少将に先を促した。

向き直ったギッフェンに対し、カーニーは事務的な響きで告げた。

「新編されるのは第77任務部隊。編成は戦艦『サウスダコタ』『インディアナ』、重巡洋艦『ミネアポリス』『ニューオリンズ』『ウィチタ』。これにグリーブス級駆逐艦5隻が直衛に付く」

「聞いた通り、純然たる水上砲戦部隊だ」

 ハルゼーが言葉を引き取った。だが、その視線はギッフェンの眼を捉えようとはしなかった。

カーニーがハルゼーの傍らまで進み出、決定的な事実を付け加えた。

「貴官は南西太平洋方面軍の指揮下に入る、発令は12月1日付けだ」

 ギッフェン少将が驚いてハルゼーを見た、しかし、この『ブル(猛牛)』と呼ばれた男は、不自然なほどに顔を背けたままであった。

「了解しました、拝命いたします」

ギッフェン少将は短く応じ、挙手の敬礼を捧げた。踵を返し、テラスを去ろうとしたその背に、ハルゼーの声が投げつけられた。

「ギッフェン、これは最後の命令だ」

足を止めた部下に対し、ハルゼーは続けた。

「艦を失うな。無理はするな」

意外な言葉に振り返ったギッフェンの表情を、ハルゼーは遮るように押し止めた。

「分かっている。俺らしくないのは承知の上だ」

そこにいたのは、いつもの自分と真逆の役回りを強制された結果、不快感と苦悶を隠しきれずにいる男の顔であった。



ニューカレドニア ヌーメア軍港 第3艦隊司令部レッドハウス テラス

1943年12月1日 10:00



 晴れ渡った青空の下、ひしめく輸送船をの間を縫って、グリーブス級駆逐艦を露払いに第77任務部隊がゆっくりと出師していくのが見える。

2番手には、ギフェン少将が座乗する旗艦サウスダコタが巨体をゆっくり進めてゆく。

上空には対潜警戒の艦爆が2機ゆっくり飛んで、潜水艦に対するバリアを築いている。

 双眼鏡でそれを眺めていたハルゼー中将は、艦隊が湾を抜け切っていくまで見送ると、フランス窓を開けて彼の執務室に戻ってきた。

 ハルゼー中将は、机上に放り出された先ほどまで見ていた数枚の報告書を、チラリと睨み、新しいキャメルにライターで火をつけ、盛大に煙を吹きだした。

 「……これが、真実か」

「イエス、サー。楽観主義を排除した、正確な数字です」

 参謀の一人が、感情を排した声で応えた。

報告書に躍る数字は、米海軍が直面した未曾有の出血を物語っていた。かつてニューカレドニア近海で喫した空母喪失と、それに続くヌーメア大空襲。さらには、ガダルカナルという名の「肉挽き機」を維持するために投入された、終わりのない航空戦と船団護衛。

そこでもたらされたのは、勝利ではなく、回復不能な「質の摩耗」であった。


〈 現状報告:第3艦隊艦載機部隊の損耗状況 〉

ベテラン・パイロット生存率: 12%(開戦時比)

平均飛行時間: 240時間(一線級部隊の必要水準:600時間以上)

着艦失敗率(直近30日間): 18.5%

※注記:前月比で4.2ポイント増。練習機から実戦機への移行に伴う事故が急増中。


「かつてのエンタープライズの搭乗員は、目をつぶってでも着艦した。今の連中は、目を開けていても甲板を突き破る。そういうことか」

ハルゼーの言葉に、航空参謀が短く頷く。

「補充されたパイロットの多くは、着艦訓練を規定の半分も消化していません。前線がそれを許さなかったからです。彼らは戦う前に、自らの機体と海に殺されています。現在の第3艦隊は、動く航空基地ではあっても、攻勢武器としての器ではありません」

 ハルゼーは、報告書の端を指で弾いた。

「立て直すには、どれだけの時間がかかる」

「攻勢作戦を停止し、後方での再訓練に専念したとして、最低でも6か月。戦力として計算できるレベルに戻すには、それだけの月日が必要です」

180日。

それは、ワシントンが、そしてハルゼー自身が許容できる時間ではなかった。だが、手元にある紙片は、勇猛果敢を是とする猛将に対し、物理法則にも似た絶対的な拒絶を突きつけている。

 熟練という名の資源は、一度使い果たせば、工場のラインで生産することはできないのだ。

「半年間も、俺は観客でいるわけにいかないな」

ハルゼーの声は低かったが、そこに怒りはなかった。あるのは、現実という名の冷酷な統計に対する、反発があるだけだった。

 元々、合衆国海軍は当年半ばを期して航空隊のローテーション制度を導入する予定であり、搭乗員の大量養成も開始されていた。しかし、激化する戦線の要求は、その計画を砂上の楼閣へと変えた。促成教育を終えたパイロットは次々に最前線へと吸い込まれ、予備搭乗員という名の「プール」は、一滴の余裕も残してはいなかった。

 さらに、ハルゼーにとって容認しがたい事実がもう一つあった。

 この南太平洋戦線において、日本側は戦域レベルではあるが、すでにこの搭乗員と機体のローテーション制度を構築し、機能させているということだった。


 





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