十一 ギムナジア《ロディス》1/3
「ロディ!」
昼休みにはユリウスが七年の校舎に乗り込んできた。慌てた様子が予想通り過ぎて、ロディスは思わず吹き出しそうになる。
「あれ? どうしたの、ユーリ」
折角なので、知らないふりで、ちょっと驚いた感じに出迎えてみる。
ユリウスは自分と二人で話をしようと思ってここに来たのだろうが、あいにく、そうはいかない。
「王子だ、丁度よかったぁ! 詳しく聞かせてくださいよ!」
めざといレフが【主役】の登場に気付くと、まもなく、くぐもったどよめきが教室を埋める。七年の教室では、少年たちが大勢輪になって……まさに例の噂について話し合っているところだったのだ。
「えっ……」
ユリウスもすぐそれに気がついたようだったが、時は既に遅く、あっという間に集まった少年たちに捕まって、輪の中心に引っ張り出されてしまう。
七年以外にも四年とか三年とか、年少の者も混じっているようだ。ジャンが言いふらして集めたのだろう。皆、英雄を見るようなまなざしでユリウスの方を見ていた。
「怪しい男がいたって?」
「強盗団がアジトにしてるらしいよ」
「違う違う、女の幽霊だよ」
「そうだっけ? とにかく王子が見たんですよね」
「怖くなかったの?」
「どんな奴だった?」
「王子、かっこいい!」
「え……あの……」
ただでさえ見栄っ張りのユリウスが、後輩達の前で本当のことを言えるはずもない。
自分の席で教科書を眺めていたロディスは、ゆっくりと立ち上がり、友人達の輪に近づくと、成功の二文字を約束されたも同然のこの策略の、最後のピースを埋めるために口を開いた。
「それがね、違うんだよ。ねぇ、ユーリ」
「えっ?」
ユリウスがハッとしてロディスの方を見る。わけがわからないとでも言いたげな表情だ。けれど、「違う」の言葉に反応したのか、すがるように調子を合わせる。
「……あー……ああ、そう、そう! 違う。違うんだ」
――予定通り。
にっこり微笑んでロディスは続けた。
「あの夜、怪しい人影は確かに見たんだけど、それが何だったのか、まだ確認できていないんだ。だから丁度今晩、僕とユーリでもう一度確認しにいく所なんだよ」
「なっ……!」
思いも寄らぬ展開に、ユリウスが哀れな声を上げた瞬間、
「えーっ!!!」
教室は、少年達の歓喜の声に包まれた。
「ねぇ。そうでしょ?」
ロディスは可憐な微笑みを浮かべて言った。
ここまできて、やっとユリウスは自分が完全にはめられたことを理解したようだ。わなわなと震える薄い唇に青ざめた頬。こちらを睨むアイスブルーの瞳には、まるで冷たい炎が揺らめいているようだ。
ああ、さすがに怒っている。
けれど――
震えるユリウスの肩が、ぐらりと揺れる。
「ふ……ふふふふふ! そうともさ! 幽霊だかドロボーだか知らないが、とにかく今夜こそ正体を突き止めてくれる!」
「おおおーっ! 王子、さすが!」
子供達の無邪気な歓声がユリウスを包んだ。
ここで全てをひっくり返してしまうことが出来ないくらいには、彼の見栄っ張りは筋金入りなのだ。つまり、全てはロディスの筋書き通り。これでもう今夜は嫌だなんて言わせない。
「ちょ、ちょ、ちょ……待って下さい、王子!」
逃げ出そうとするアキームを、ドアの前に立ちはだかったユリウスが阻む。
「ダーメだ! お前も行くんだ!」
「だ、大鐘楼なんて……嫌ですって! っていうかもうじきに消灯ですって!」
何も知らないアキームは、夕食後、部屋に呼び出された後に監禁され、校則破りの冒険への同行を言い渡されたのだった。申し訳ないと思いつつ、ロディスは見て見ぬふりで淡々と明日の予習を片づけている。
「悪いのは全部ロディだぞ。文句ならロディに言うがいい!」
「で、でも……」
無視を決め込むロディスの元に、不機嫌全開のユリウスはアキームを引っ張ってきて恨めしそうに睨む。そんな顔で見つめられても今更計画に変更はない。
「……本当に行くんですか? あの鐘楼は、盗賊団のアジトだとかって……」
不安げにアキームが呟くのを聞いて、ロディスはペンを置いて二人に向き直った。ジャンもそんなことを言っていたが、一体その話は何なのだろう。
「アキーム、その話、本当に噂になってるの?」
「……なってるみたいですよ。僕もチラッと聞いただけですけど」
「幽霊はあり得ても、さすがにそれは無いと思うけど。公立学校の敷地内だよ」
そうなのだ。考えるだにおかしな噂なのだ。
確かにあの鐘楼は敷地の外れの、人気の少ない場所の建物ではあるけれど、そうはいっても校内に出入りする際の警備なんかは街よりもずっとしっかりしているはずだし、盗賊団などという連中がわざわざ根城にするのに適した場所だとは思えない。
「ゆ、幽霊はあり得る!?」
「……比較の問題だよ、ユーリ」
悲鳴をあげるユリウスをなだめるように言って、ロディスは続ける。
「とにかく、僕らがヤコフさんから聞いたのは、女の幽霊が出るって話だよ。あの日見たのも……幽霊かどうかはともかく、女だったような気がするし」
「髪が……長かったよな」
ルームメートの冷静な話しぶりに、ユリウスもあの夜見たものを思い出して頷く。
「うん」
「そうですか……そうですよね」
アキームはちょっとホッとしたような顔で力なく微笑む。盗賊団に出くわしたなら命の危険がありそうなものだが、幽霊ならそこまでのことはないだろう。
もっとも、それも、比較の問題だが。
「でも、盗賊だっていうのは明らかに誇張だとしても、人影を見た生徒はいるらしいんですよ」
「鐘楼の頂上で?」
「さぁ……そこまでは」
あの女のことだろうか。
「まぁ、とにかく確かめに行ってみようよ」
何にしろ現場に行って確かめるしかないと、勉強を終えたロディスは立ち上がる。ユリウスは黙り込んだままロディスを睨み付けるが、おあいにくさま。今夜の勝者は自分だ。
「ユーリ、今更怖いなんて言い出しても駄目」
「い、言ってないぞ!」
「とにかく、君がみんなに約束したんだからね」
「う……」
ユリウスは我が侭で傍若無人で、その上怖がりの見栄っ張りだが、嘘はつかない。みんなの前で約束したことを違えることは決してないのだと、ロディスも、またユリウス自身もよくわかっていた。
「はぁ……今に見てろ……絶対いつかギャフンといわせてやるぞ」
恨めしそうなユリウスに、ロディスはニコニコ笑って答える。
「ふふ、それは楽しみ」
「鬼」
「誰がだい?」
「……ああもう、僕は金輪際、君なんか信用しないからな」
ユリウスは、諦めた様子でガックリ肩を落とし、プイと窓の外を見る。
夕暮れ前から曇り始めた空は、今は隅々まで重い雲に覆われているらしく、すっかり鈍い黒に塗りつぶされ、二人の部屋の窓からは、ひとつぶの星も見えなかった。