十一 ギムナジア《ロディス》 2/3
「僕が幽霊に取り憑かれたら、絶対君に祟ってやる」
この間と同じ方法で部屋から抜け出して、今夜はアキームと三人で大鐘楼を目指す。
「オカルト本の読みすぎだよ。あり得ないってば」
「君は無神経だからそんなことが言えるんだ」
湿度が高いせいだろうか、何だか空気が生ぬるく感じられて気味が悪い。しつこく恨み言を吐くユリウスだったが、二人よりは三人の方が安心するのか、はたまたようやく諦めがついたのか、足取りはしっかりしている。
相変わらず警備はスカスカで、ロディスは、これなら本当に盗賊団がアジトにしても分からないなと、冗談にならないことを考えたりしながら進んでいた。
「うわ……何て言うか、夜にこんな近くで見ると、不思議な感じがしますね」
やがて眼前に現れる建物を見上げて、アキームが呟く。
大鐘楼はこの間と同じ姿で、敷地の端にひっそりと立っていた。やはり立派で、使われずにいるのは惜しいと改めて感じる。
そのまま近づくと、正面扉の鍵も開いたままで……礼拝堂の床には先日二人が逃げ帰る時につけた足跡すら、そのまま残っているような感じがした。
「アキーム、こっちだよ」
「か、勝手に入って大丈夫なんですか?」
「許可を取ろうにも取れないし」
「そうですが……」
ここまで大人しく着いてきたアキームだったが、雰囲気にのまれたのか、入り口で尻込みし、けれど、ロディスとユリウスがさっさと中に入ってしまうので、慌てて後に続く。
「ああ、思い出すなぁ」
先を行くユリウスが、追いついてきたアキームの腕を掴む。
「え……思い出すって?」
「だから、幽霊さ。この前、ここの上で見た女の……」
彼がこんなところでこんな話題を持ち出すのは、どうせ、口に出してしまった方が怖くないとでも思ったからだろう。ロディスは無視できるが、アキームはそうもいかないようだ。
「あ、あ、あの、王子……」
恐ろしげな話をわざわざ紡ぎ出すユリウスを、アキームが真っ青になって制止しようとしたその時。
「誰だ!」
凛として通る声が、礼拝堂の沈んだ空気を震わせる。
驚いたアキームの言いかけの言葉が、悲鳴に変わって咽に詰まった。
「……何だ、お前達」
だが、その一瞬の緊張はすぐに解ける。
その声は子供の、しかも、ロディス達の知る者の声だったからだ。
「君……」
「ジル!」
ロディスとユリウスは同時に口を開いていた。礼拝堂の奥から三人の前に姿を現したのは、あの、ジルと名乗った庭師の少年だった。
「どうしてこんな所にいる」
訝しげなジルとは対称的に、ロディス達に安堵が広がる。
「ああ、もう……脅かさないで欲しいなあ。寿命が縮まったぞ」
やっぱり怖がっていたらしいユリウスがその場にへたりこむ。
「おっ、驚いたのはこっちだ。ここには誰も入ってこないと……」
ジルは、逆に狼狽えたように口ごもった。それを見て、ロディスは不思議そうに首をひねる。
「君はどうしてこんな所に?」
「え? 僕は別に……ちょっと景色を見に来ただけで……」
「こんな夜中に?」
「まだ夜中というほどの時間でもないぞ」
確かにまだ深夜ではないけれど、寄宿舎の消灯時間が過ぎるくらいには遅い時間だ。庭師には、こんな遅くまで仕事があるのだろうか。疑問に思いつつも、ロディスは自分達にとっての本題を切り出す。
「僕たち、噂を確かめに来たんだよ。幽霊と……あと強盗団。君は知ってる?」
「この大鐘楼には出るんだぞ、女の幽霊が」
「怪しい人影も目撃情報が……」
ユリウスとアキームもロディスに続き、深く頷いて付け加える。
「……馬鹿じゃないのか、お前ら」
しかしジルは、心底呆れ果てたというように目を細めると、
「怪しい奴も幽霊も、ここにはいない」
あっさりと少年達の幻想を打ち砕いた。
「え? ……ほんとに?」
彼が一顧だにしないのに、ロディスは逆に不思議に思う。多少奇想天外であるとはいえ、幽霊も、盗賊団も、真っ当な子供であれば興味くらい示して当然なものではないのか。
「ここにはいつも来てるんだ。間違いない」
「いつも……こんな時間に?」
「そうだ。悪いか?」
非難したつもりはなかったが、嫌な言い方になってしまったのだろうか。ジルはムッとして問い返す。
「ううん、そうじゃないけど、家には帰らないの?」
「もちろん帰る。……でも、帰る前にちょっとここに寄るの、気に入ってるんだ」
ジルは不機嫌を解いて呟いた。
「……礼拝堂にいると落ち着くし、この鐘楼はとても眺めがいいんだ」
少年は天井を仰ぐ。その大きな瞳は、どうやら天井よりずっとずっと高く、敷地を見下ろせる鐘楼のてっぺんを見ているようだ。
「……そうだね」
「ああ。確かに頂上からの景色は、かなりいい」
「お前達、登ったのか?」
「うん。この間ね」
「……そうか。そっちの奴は?」
「アキームは今日が初めてのはずだ。……そうだろう?」
「あ、は、はい」
話に置いていかれたままだったアキームは頷きながら前に出て、それから、初対面のジルに自己紹介がまだだったことに気付くと、アキームですと言い直し、ニコリと手を差し出した。
「あっ……と……」
求められた握手に、少年がちょっと慌てて口を開きかけた瞬間、背後にひょっこりとユリウスが顔を出す。
「ジルだ!」
勝手に名乗り出られて、しおらしく握手に応じようとしていたジルは、手のひらを拳に変えて、声のした場所を思い切り殴る。
「お前が言うな!」
「うわわわっ。全く、小さいくせにおっかないな、君は」
「小さくない!」
「そうかぁ?」
繰り出される攻撃を身軽にかわしつつ、ユリウスがジルのキャスケットに触ろうとしたので、彼は驚いて椅子の上に飛び乗る。
「わ……馬鹿っ! 身長の話じゃない!」
ユリウスはこの中では一番背が高いので、小柄なジルと比べると、背丈にはかなり差があった。けれど、椅子に乗るとさすがにジルの目線の方が高くなる。
「僕は十三歳だ! お前らと変わらん!」
「あれ……じゃあ、同い年?」
日和見を決め込んでいたロディスが、思わず口を開いた。
年下かなと想像していたので、意外だった。
「うわぁ……本当に眺めがいいですね。下の街まで見えますよ」
その後、せっかくだから上まで行こうと、四人して延々と階段を登って頂上まで来た。はしゃいだ様子のアキームの後を追って展望台に出る。そして、そこまで来て気がついた。
「あ……」
夜風に混じる、大きな水の粒。頬に当たる冷たいそれを、雨だ、と、感じた時には既に遅かった。雨粒はすぐに数えきれないほどの数になり、少年たちの髪に、肩に、遠慮なくどんどん落ちてくる。
四人が慌てて屋根のある場所へと非難して一息ついた時には、雨はすっかり調子よくざあざあと辺り一帯を満たし、いよいよ本降りになろうとするところであった。
「あーあ、全く……雨だなんて」
なんてことだ。こっそり部屋を抜け出すのに、雨具の用意なんてしてこない。この様子では寄宿舎に戻るのにずぶ濡れは不可避だ。
「……そういえば、今日天気予報でそんなこと言ってたような気がします」
情けない声で、アキームは役に立たないそういえばを口にした。
「朝まで止まないって?」
ロディスが恐る恐る訊ねると、雨粒のついた眼鏡を拭きながら息を吐く。
「どうでしょう……」
温かった夜風はすっかり冷えて、水のにおいが肺の奥までしみこんでくるようだ。
庭木の葉を絶え間なく打つ柔らかな雨の音が、途方に暮れて黙りこくる少年たちの沈黙を埋めて、彼らの時間はゆっくりと深夜へ針を進めていく。
「ジル、君それ、靴がぶかぶかだぞ。仕立て屋が失敗したんじゃないのか?」
唐突に沈黙を破って、ユリウスが、隣に立つジルの足下を覗き込んで言った。
ジルのいでたちはいかにもみすぼらしくて、上着にもズボンにもつぎはぎの跡がある。ボロボロの革靴は小さな彼の足には合わないようで、よく見ると、かかとがひどく余っていて、詰め物をして履いている。
「……お前と一緒にするなよ。古いのをもらったんだ。たぶん、そのうち、これが丁度になる」
「なるほど、未来を見越してのことなのか。君はやっぱり偉い奴だな」
「お前は嫌みな奴だよ、ユーリ」
「す……すみません。王子っていつもこうで……」
毒づかれても欠片も気にする様子のないユリウスに代わり、アキームが申し訳なさそうに言う。
「どうしてお前が謝るんだ?」
「え? えと……それは……」
きょとんとして訊ねられて、アキームの方も目を丸くする。この校内で、彼がユリウスの世話役であることを疑問に思う者など他にいなかったからだ。
けれどジルは違った。
「っていうか、その王子っての、なんだよ」
もはや誰も質問しないような問いを口にした少年に、咄嗟に適切な返答が出来ず言葉をのむアキーム。そこに、ロディスが苦笑して割り込んだ。
「ジルは知らない? トッカルの『王様一族』のこと」
「はぁ? 王様? 王様なんかいたのか……?」
「それ、違う!」
その件については厳密さを求めるユリウスが口を挟むが、ジルもロディスも耳を貸さない。
「……アヴァロンの、皇帝陛下みたいなものか?」
「え……あ、うん。そうだね。まぁ、似たようなもの」
ジルの口から突然郷里の話が出たので、ロディスは面食らいつつ頷いた。
エウロの帝都ジュネーヴには、皇帝がいる。
ロディスのようなエウロ人にとっては当たり前のことだが──民主主義のガイア連邦共和国に所属しているにもかかわらず「帝制」を敷いているエウロ自治区は、他の地域の人間からみれば随分と奇妙な存在に見えるようだ。
封建制度なんていう古代の体制を引っ張り出して続けていることも、格差を肯定する階級社会も、エウロの外では良く思われないことの方が多いのだと、今のロディスは知っていた。
だからかどうかは知らないが、ユリウスはバート家とエウロ帝室を並べて語られることを嫌う。
「ねぇ、ジル、君って……」
「しかし、止みそうにありませんねぇ」
ふと浮かんだ問いを投げようとしたところに、心配そうなアキームの呟きが被る。
「あ。すみません」
アキームは慌てて詫びるが、ロディスは思い直したように首を振った。
「あ、ううん、いいんだ。そうだね……いつまでもここで雨宿りってわけにもいかないもんね」
「濡れて帰るのかぁ?」
うんざりと空を見上げ、ユリウスが眉をしかめる。
「……仕方ないんじゃない?」
それしか方法は無いだろう。
「でも、濡れた制服、洗濯に出したらハンナさんにばれそうですね」
「あはは、確かに」
「笑い事じゃないよ」
「……お前達、偉そうな制服を着てるわりに馬鹿だな」
三人のやりとりを黙って見ていたジルが、ため息交じりに口を開く。
「一時間くらい我慢すれば上がる。それから戻ればいい」
「な。予言か?」
「ばーか。あっちの空見てみろよ。星が出て明るいだろ。短い雨だよ」
きっぱりそう言って立ち上がり、まっすぐ東の空を指すジルの、靴と同じようにぶかぶかの上着を着た後ろ姿を、少年たちは感心して見つめた。
そして、確かに彼が言う通り、しばらくのうちに空は雲を運び去り、雨の後には澄んだ星空が顔を見せた。
濡れた遊歩道を駆け、彼らが寮にたどり着いたのは、結局、日付が変わってからのことであった。




