1593-1 出馬
<1593年 1月上旬>
大政所の葬儀に先んじて豊臣秀次に一つの提案を行う。
「関白殿下の御名において、辻斬りを禁止する法令を敷きましょう」
大政所は日ノ本の母なれば国を挙げて喪中の殺生は慎むべし。
太閤殿下にとって最後の親孝行となります。
民も殿下を慈悲深き関白と称えますぞ。
耳障りの良い理由を並べる。
同じ付家老の白江成定、熊谷直澄、一柳可遊らも俺の提案に乗ってきた。
「それはとても素晴らしい考えですな」
「太閤殿下もきっとお認めになられるはず」
「洛中の治安も良くなりましょう」
付家老が全員一致で推した為、豊臣秀次もその気になる。
「わかった。太閤殿下に相談してみる」
もちろん俺の狙いは別にある。
これで豊臣秀吉の歓心を買えるのもそうだが、豊臣秀次名義を強調することで殺生関白の汚名を回避出来る。
秀次謀叛事件の芽は、予め全て潰す。
大徳寺で大政所の葬儀が執り行われる。
ほぼ全ての大名が名護屋に出払っている為、参列者は公卿が中心だ。
それと京に人質に出されている大名の奥方たちも参列に加わっている。
立花誾千代の姿も見えた。
葬儀の終わり際、前田玄以が緊張した面持ちで現れて豊臣秀吉に耳打ちする。
数珠を投げ出して豊臣秀吉が叫ぶ。
「なんじゃと!それは真かっ!?」
前田玄以が囁く。
「ははっ、大蔵卿局の文によれば、典医の見立てで間違いないとのこと」
「なんと」
豊臣秀吉、絶句。
尋常ではない様子の夫を心配する北政所。
「おまえさま、おまえさまっ、如何なされましたか」
「・・・茶々が、茶々がまたやりおったっ。やりおったぞっ。茶々が身籠りおった!!」
その豊臣秀吉の歓喜の爆発に、葬儀の場は騒然となる。
そっと豊臣秀次を伺う。
呆然としている。
サインを送るが通じない。
再三サインを送ったら、やっとこちらの動きに気付いてくれた。
しかし、その表情は怪訝なままだ。
視線とジェスチャーを交えて強めに指示を送ると、ようやくこちらの意図が伝わる。
はっとして居住まいを正し、一声を発する豊臣秀次。
「た、太閤殿下、おめでとうございまするっ」
手間がかかるわ。
波乱含みの大政所の葬儀が終わったその日の夜。
二階堂屋敷にて石川五右衛門を呼び出す。
「御前に参上仕った」
いつもと違って殊勝な態度だ。
名護屋から帰ってこのかた、人が変わったようである。
「名護屋で淀の方が懐妊されたようだ」
その俺の言葉にピクリと反応する石川五右衛門。
構わずに続ける。
「怖くて敵わぬゆえ何も聞かぬが、吉乃が離縁を申し出ている。しかし許さぬ事にした。そちには吉乃と五郎市を連れて関東に下ってもらう」
「断った場合は?」
「己の孫は斬りたくはないな」
冷徹に言い切る。
数瞬鋭く交差する石川五右衛門との視線。
折れるつもりは毛頭無い。
言葉を重ねる。
「身重となった淀の方はいずれ大坂に戻ろう。先方も大泥棒が身辺近くにいない方が、かえって安心のはず」
石川五右衛門が柴田勝家の命令で浅井三姉妹の警護をしていたのは今から十年前。
その頃からの関係だとすると、まぁ純愛だな。
吉乃が勝てないのも当然だ。
天を仰いで深く息を吐く石川五右衛門。
「ふー、しゃーないか。承知した」
石川五右衛門が深く頭を垂れる。
折れてくれたか。
吉乃の南近江での仕事は守谷俊重に引き継がせる。
石川五右衛門の身柄の預け先は守谷俊重の息子の守谷俊国だ。
小田原落城の折、後北条氏に仕えていた風魔衆は解散して関東各地に散り、野盗となっている。
守谷俊国は風魔衆の残党を集め、二階堂家の旗の下で組織化する仕事を担っている。
石川五右衛門はその組織の頭目役にうってつけだろう。
石川五右衛門の諜報能力を上方で存分に活用したかったが、こうなってしまっては致し方あるまい。
あわよくば豊臣秀頼の誕生を妨害せしめんとして、逆に自分がその胤をわざわざ名護屋に送り込んでしまうとは。
阿呆なこと限りなし。
吉乃の言ったとおりになったな。
後悔先に立たずとは正にこの事よ。
「行け!」
石川五右衛門を追い散らし、一人になって酒を呷る。
いくら飲んでも一向に酔いは廻って来なかった。
<1593年 2月中旬>
愛姫の上洛が迫っている。
東山道の各宿場町の手配は万全のはずだが、やはり最終点検は自らの目でする必要があった。
公務としてこれから奥州に向かう。
その出立の報告の為に聚楽第を訪れたのだが。
「その装いは如何されたことか、関白殿下」
「ああ、左京亮。これから鷹狩りじゃ」
付家老の白江成定に見守られながら、小姓に着付けをさせている豊臣秀次。
頭が痛い。
だが落ち着け。
深呼吸してから、ゆっくりと物申す。
「正親町上皇が崩御されてからまだ日が経っておりません。臣民の首座たる関白が諒闇中に殺生など、ありえない話です」
弘治三年に践祚してから天正十四年に退位するまで、正親町上皇は約三十年に渡って戦国の世に君臨してきた帝だ。
一説には本能寺の変の主謀者ともされ、明智光秀を動かして織田信長を討った後、豊臣秀吉と癒着して朝廷の権威を大きく回復させている。
豊臣政権が成立したのも正親町上皇が後盾になってくれたからであり、豊臣家の人間であれば間違っても粗略に扱ってよい相手ではなかった。
「しかし、心がどうもくさくさしてかなわぬのだ。鷹狩りにでも出ねばやってられぬ!」
「しかしもかかしもありませぬ」
気分次第でいきなり捨て鉢になるのは、叔父の豊臣秀吉と少し似ている。
豊臣秀吉も羽柴秀吉時代、手取川の戦いの前に主将の柴田勝家に啖呵を切って一人撤退し、あとで織田信長に泣きついていたな。
直球を投げてみる。
「淀の方様の腹の中の赤子が男かどうか、それほど気になりますか」
「それはその」
「またれよ左京亮殿!関白殿下の気鬱の原因はこの書状なのです!」
慌てて白江成定が割り込んできた。
一通の手紙を押し付けてくる。
「これは?」
「黒田官兵衛殿よりの書状です」
豊臣秀次と黒田官兵衛の親交は厚い。
黒田官兵衛の妹は、豊臣秀次の家老で小田原戦役の山中城で戦死した一柳直末の妻である。
また昨年に黒田官兵衛が出征中の朝鮮で病いに罹った折、豊臣秀次は己の侍医を派遣しているほどだ。
手紙の中身にさっと目を通すと、医者の派遣へのお礼と共に、親孝行しないと地位を失うぞとの忠告が記されている。
具体的には『名護屋まで出馬し、豊臣秀吉に代わって唐入りの指揮を取れ』という助言であった。
「しごく真っ当な意見ですな」
「されど関白殿下は持病の咳がござる。秀勝様のようにとても渡海には耐えられますまい」
先年に巨済島で亡くなった豊臣秀勝を出しに、豊臣秀次を庇う白江成定。
慌てて白江成定に調子を合わせて豊臣秀次が嘆く。
「そ、その通りだ。出馬したいのはやまやまなれど、それが無理なのが心苦しいのだ」
実弟が病いで亡くなった地に赴くのが怖いのは理解できる。
しかし、必ず渡海せねばならないという制約があるわけでもあるまい。
鷹狩りが大丈夫なら名護屋までは行けるだろ。
ましてや豊臣秀次は小田原征伐や奥州への下向を二回もこなしてるじゃないか。
しかし黒田官兵衛の手紙を見ることが出来て良かった。
軍師官兵衛の見識の深さで気付かされた。
唐入りで豊臣秀次が出馬するのとしないのでは、諸大名の彼を見る目は大きく違ってくる。
諸将が関白豊臣秀次の存在を重く見るようなれば、豊臣秀吉もおいそれと排除に動けなくなる。
キュピーンと閃きが走る。
豊臣秀頼誕生が規定路線になってしまった以上、秀次謀叛事件の発生を分ける重要なフラグポイントは今まさにここなのではないか。
だとしたら、歴史知識チートを総動員してでも豊臣秀次を翻意させねばならない。
「太閤殿下は渡海を避けられた。関白殿下も同じでよろしいのでは?」
別に朝鮮に渡る必要はなく、豊臣秀吉の代わりに名護屋で指揮を取るだけであると強調してみる。
豊臣秀次は納得しない。
「それで朝鮮国を占領できようか。ましてや明まで攻め込まねばならぬのだぞ」
「無理にございましょうな」
「ならば!やはり渡海は必要ではないか」
「いえ、それがしの見立てではそろそろ明の大軍が平壌に襲いかかっている頃。小西行長殿の一番隊だけでは平壌は支えきれませぬ。ゆえに漢城まで明軍を引き釣り込んでの一大決戦になりましょうな。漢城では地の利が有り、待ち受ける日ノ本の軍勢は勇将智将揃い。必ず勝てましょう。されば後は痛手を負って泣きついてくる明国との講和交渉のみ。関白殿下は名護屋でゆるりと明の使節をお待ちになればよろしい」
自信満々に語ってやる。
豊臣秀次と白江成定が困惑の視線を交わしている。
おずおずと白江成定が問うてくる。
「その見立ての根拠はどこにあるのですかな?」
碧蹄館の戦いは立花宗茂の武勇を語る上で欠かせない戦場の一つなので、好んでさまざまな書籍を調べた遠い記憶がある。
ただ、まさか正直にチート知識が根拠とは答えられないので、東国で長年培って来た我が武略が導き出した答えとだけ述べておく。
「お疑いなさるなら、太閤殿下に出馬の許しを願い出るのは大喪儀の礼が終わるまで待たれるがよろしかろう。どうせそれまでは関白である御身は京を動けませぬ。朝鮮半島の情勢はきっとそれがしの見立てどおりに動いているはず」
正親町上皇の大喪儀は今から約一ヶ月半後だ。
生憎自分はまだ東山道だろう。
なので自分が京に居なくても必ず豊臣秀吉に願い出るように脅しを掛けておく。
「太閤殿下に天下を獲らせた軍師官兵衛殿と、この二階堂盛義の考えが一致しているのです。ここで出馬せねば、殿下は必ず後悔することになりましょう」
自分で言っていて何だが、大言壮語もいいとこだ。
ただ俺のハッタリに豊臣秀次が折れる。
「わ、わかった。そこまで言うならば仕方あるまい。しかし、私に太閤殿下の代わりが務められるだろうか」
「なに我ら家老衆も同道するのです。名護屋での諸事は全てお任せ下されば良い。のう白江殿」
「あ、ああ、そうですな。お任せ下され」
白江成定も巻き込むも、まだ豊臣秀次は不安気な様子。
やはり鞭だけでなく飴も必要か。
「そういえば!名護屋のすぐ近くの博多は、美人な女子がとても多い街だとか」
「なに、まことか」
食いつきが違う。
「博多女子は透き通るように色が白く愛嬌もあるそうな」
「ほう、それは知らなかった」
「博多の遊廓は西国一の盛況っぷりと聞き及びますぞ」
「むむむ、興味深いな!」
その博多の遊廓から数多くの遊女が名護屋の陣中に呼ばれているらしい。
豊臣秀次の顔に一気に活力が戻ってくる。
単純なものだ。
豊臣秀次の現金な態度を見て、今度は白江成定の方が不安気な表情になっている。
唐入りのせいで日本に流入したと伝わる梅毒が怖いので、豊臣秀次を監視する白江成定の役目は重い。
<1593年 3月上旬>
東山道を東行して各宿場を確認する。
愛姫の宿所について重点的にチェック。
不備があればダメ出しして改善を命じて回る。
そして奥州まで到達。
勝手知ったる須賀川城で愛姫一行を待ち受ける。
阿南御前に笑われる。
「ふふふ、夫殿。そなた毎年奥州に戻って来ているではないか」
「そうだな。来年は盛宗と杏姫の婚儀の年。何事も無ければ、関白の名代としてまた来年も奥州に脚を運ぶことになろう」
九ヶ月振りの奥州だ。
何か変わりがないか妻と情報交換する。
「母の体調があまり良くない。盛宗と杏姫の祝言を見るまでは死ねぬと仰られているが。心配でかなわぬ」
久保姫、笑窪御前ももうだいぶ高齢だ。
史実でいつ亡くなったかまでは把握していないが、もう覚悟しておくべきであろう。
「ジュリエッタ殿に診てもらえばどうだろうか。って、そうか。身重であったな。無事に産まれたのか?」
「ああ、二人目の姫を産んだようだ」
「それは重畳」
「何が重畳だ。喜多が怒り心頭よ」
ジュリエッタは南蛮人の女医で阿南御前とも面識がある。
今は新造の方として伊達政宗の寵愛厚い。
喜多は片倉景綱の姉で伊達政宗の保母の女傑である。
愛姫付きとして、これまで仙台城の奥を取り締まっていた。
喜多は今回の愛姫の上洛に付き従っており、伊達政宗の女漁りに歯止めが効かなくなるのが懸念される。
俺と喜多の命令で政宗の女遊びを監視していた我が次男の盛行も、磐城の大名としての職務が有り、政宗の側に侍れなくなって久しい。
側室の数はこれからどんどん増えていこう。
その盛行の近況について阿南御前に尋ねる。
「盛行はまだ函館か?」
「うむ、相変わらず如才なく仕事をこなしているぞ。アイヌの民とも仲良くなり、薬となる野草や木の皮を教わって軍中に広めてるそうだ」
「ほう。それは賢いな」
「昨年蝦夷地で病いに倒れた原田宗時も、その薬で回復したようでな。甲斐姫からの便りによると、政宗からいたく感謝されたと聞く」
原田宗時は伊達政宗の信頼厚い武将だ。
彼が黄後藤こと後藤信康との友情を培ったエピソードは特に有名である。
史実では朝鮮の釜山で病死しているが、出征先が変わった事でどうやら命脈を存えたらしい。
「あとアイヌの民から、心を落ち着かせる効果のある薬湯も教わったとか。我が兄に処方してみるそうだ」
阿南御前の兄、岩城親隆は形としては盛行の義父となる。
心を病み、長く療養の身にあった。
我が息子ながら、盛行はなんと心配りに長けた男となったものよ。
「夫殿。盛隆の方はどうなのだ。朝鮮には渡らずに済みそうなのか?」
「さて。京に戻ったら次は関白に付き合って名護屋よ。そこで上手く取り計らうつもりだ」
「夫殿は東へ西へと大変だな」
阿南御前に呆れられる。
「ああ五十の体には堪えるわ。早くこの須賀川に戻って、日がな一日のんびり過ごしたいものだ」
「ふふふ、無理であろう。そなたのことだ。すぐに何かに夢中になって、須賀川を飛び出していくさ」
また阿南御前に笑われた。
愛姫の一行が到着するまで、今しばらく時がかかる。
名護屋行きの為の鋭気を、久しぶりの須賀川で存分に養わせてもらうとしよう。
<1593年 4月中旬>
愛姫上洛の一行が洛中に入る。
隊列は伊達政宗の指示で派手かつ豪華な衣装に統一しており、伊達者を一目見ようと京の多くの民が沿道に詰めかけていた。
そんな中、護衛隊長の支倉常長が馬で乗り出す。
「左京亮様、これが京ですか!一度この目で見てみたかった!人々の装いも何やら垢抜けておりますなっ」
「これ常長。あまりはしゃぐでない」
役目を忘れて興奮している支倉常長を嗜める。
支倉常長。
確か史実では常長は後年付けられた諱で、本名は違ったはず。
しかしこの世界では常長だった。
支倉常長は数え二十三歳の若さで今回の愛姫上洛の一行の護衛を任せられていた。
伊達政宗の大抜擢である。
いずれガレオン船を自前で建造可能となったら海外へ遣わそうと、今のうちから支倉常長に様々な経験を積ませておこうというのだろう。
輝宗殿の側近だった彼の父の山口常成とは、かれこれ二十数年来の付き合いだ。
彼の事も幼い時分より良く知っている。
普段はスペイン船が寄港する塩釜の市中の警備の役についており、異国の文化の吸収に積極的である。
また塩釜に居住する政宗側室のジュリエッタに教えを請うて、ある程度スペイン語も習得済みだそうだ。
高山右近が仙台市中に建築したセミナリオにも、毎週欠かさず通っているとのこと。
支倉常長が海外に興味を持つように、幼い頃からかねがね誘導してきた甲斐があったというものだ。
「よいな。まずは伊達屋敷に入り、支度を整えてお呼びが掛かるのを待て。この左京亮は先に聚楽第に赴き、関白殿下に愛姫到着を報告して参る」
「ははっ。お願いいたしまする。しかし聚楽第、楽しみです!」
ここまでポジティブでないと、さすがに新大陸を越えてのローマ教皇謁見の偉業は達せられないか。
聚楽第で豊臣秀次の側に控え、愛姫の関白拝謁の場に立ち会う。
愛姫は片倉喜多と支倉常長を引き連れて豊臣秀次の前に参上。
玲瓏な声で到着の挨拶を言上する。
「よろしくお引き回しのほど、お願い申し上げます」
豊臣秀次が朗らかに応対する。
「よう参られた。長旅お疲れになられたであろう。しばらくゆるりと休まれるが良い」
豊臣秀次は二度の奥州下向時に愛姫とは顔を合わせており、気さくな雰囲気である。
女性の扱いはスマートなんだよな、この関白。
「太閤殿下は大坂城におられる。北政所の寧々様も大坂だ。愛姫殿にはいずれ大坂に下ってご両者に挨拶頂く必要があるが、あいにく私も左京亮もしばらく京を不在にせねばならぬ。奉行の前田玄以に諸事取り計らわせよう」
現在名護屋に滞在している身重の淀の方だが、悪阻が治まり次第大坂への移送が計画されていた。
大坂城にいる豊臣秀吉は、淀の方の御座船の到着を今か今かとソワソワしながら待っているはず。
一日千秋の思いだろう。
豊臣秀次はその淀の方と入れ替わる形で名護屋城に着陣する予定である。
正親町上皇の大喪儀の礼の後、兼ねてよりの取り決め通り、豊臣秀次は豊臣秀吉に対して名護屋出馬の許しを願い出た。
最初は取り合わなかった豊臣秀吉は、しつこく訴える豊臣秀次に激怒。
それでも取り縋る豊臣秀次に対して「そこまで言うのならばやってみよ」と渋々許しを与える。
全て豊臣秀吉の面子を立てる為のパフォーマンスだ。
関白殿下の熱意に絆されて太閤殿下は仕方なく役目を譲った、と周りから見えるように話は進められた。
これで豊臣秀吉は大坂で淀の方の腹の中の子の成長を日々見守れるようになったわけで、内心大喜びであったことは想像に難くない。
豊臣秀次の立場で今出来る、豊臣秀吉への最高の親孝行であろう。
<1593年 4月下旬>
後陽成天皇に出陣を報告する為、豊臣秀次が参内する。
出陣に付き従う家老は俺と白江成定と一柳可遊の三名。
京の留守居役は熊谷直澄が務める。
既に渡海済みの木村重茲、服部一忠、徳永寿昌も含めると、関白付きの家老七名のうち六名が唐入りに参戦となる。
内裏に上がれるのは三位以上の殿上人の豊臣秀次だけだ。
豊臣秀吉の意向に沿わないような発言は極力控えるように、あらかじめ俺の口から言い含めておく。
「内裏ではあまり無駄口を叩かれますな」
「わ、わかっておる」
後陽成天皇は豊臣秀吉の唐入りには批判的な立場だった。
当然だ。
明を征服した暁には自分を北京に遷して明の皇帝に据えると豊臣秀吉が公言していたのだから、たまったものではなかろう。
後陽成天皇は豊臣秀吉が始めたこの戦さを上手く収めてくれる事を豊臣秀次に期待してくるはず。
その為の言葉を掛けてくるのは予想出来た。
しかし内裏にも豊臣秀吉のスパイは潜んでいよう。
下手に言質を取られると、それが豊臣秀次にとって致命傷に成りかねない。
思いっきり豊臣秀次を脅しておく。
豊臣秀次の所領である尾張伊勢の軍兵を率いて京を出発。
途中大坂城に立ち寄って豊臣秀吉に出陣の挨拶に伺う。
あー、これ。
今このまま大坂城に攻め込めば、豊臣秀吉の首を獲れるんではなかろうか。
余計な野望が鎌首をもたげて来る。
我慢だ。
ここで豊臣秀吉を討っても、まず大義名分が何も無い。
名護屋から徳川家康が大急ぎで戻って来て、容赦なく討ち滅ぼされるだけの話。
明智光秀の二の舞は御免である。
大坂城に入り、大広間で豊臣秀吉に謁見する。
上段の間に座る豊臣秀吉。
中段の脇には奉行の浅野長政が控えている。
まず豊臣秀次が中段の真ん中まで進み出て着座し、俺を含む三家老が下段に控えた。
出陣の挨拶を交わす豊臣秀吉と豊臣秀次の義親子。
「行って参ります」
「うむ。孫七郎、お主に渡すものが二つある。名護屋まで持っていけ。長政」
「はっ」
浅野長政が二つの文箱を豊臣秀次の前に置く。
豊臣秀吉が説明する。
「右の文箱には大友義統、島津忠辰、波多親の改易処分を記した下知がそれぞれ入っておる。名護屋に着いたら、おぬしから奴等に申し渡せ」
豊後豊前の大友義統は明軍に攻められた小西行長を見捨てて撤退した罪。
肥後高田の島津忠辰は病いと偽って朝鮮半島への上陸を拒否した罪。
肥前鬼子岳の波多親は度重なる軍令違反および太閤殿下への礼を失した罪。
三者三様の改易理由であった。
特に鎌倉以来の名門である大友義統の改易は影響が大きいものとなるはずだ。
出征中の各大名たちは首が寒くなり、直接処分を下した豊臣秀次の軍令に背く気を失くすであろう。
豊臣秀吉の親心と言える。
ただし単なる親心なわけもなく。
豊後まるまる一国が豊臣家の蔵入り地になるとすれば、ざっと四十万石の計算だ。
後々子飼いの武将たちに分け与えて、九州への己の影響力を強める策と見た。
「左の文箱は明との和睦の条件を記した書状よ。小西行長が言うには、明の帝の勅使が名護屋に向かっているそうだ。突きつけよ」
朝鮮国への援軍を散々に叩かれて明が泣きついてきおったわい、と豊臣秀吉が笑う。
二月末に漢城の北で行われた碧蹄館の戦いは、史実どおり立花統虎らの活躍で日本軍の大勝利であった。
明の将軍の李如松は臨津江を渡って平壌まで後退し、以後積極的な軍事行動に出ていない。
おずおずと豊臣秀次が口を開く。
「義父上、どのような条件を提示なされるのか、伺ってもよろしいでしょうか」
太閤は唐入りをどのように落着させるのかおつもりなのか。
内裏で散々公家連中から突き上げを喰らったこともあり、関白として是非にも知っておかねばならぬと責務に突き動かされたようだ。
豊臣秀吉が鷹揚に応ずる。
「うむ。よかろう。長政、教えてやれ」
「はっ。では」
明皇女の日本輿入れ。
勘合貿易復活。
日明の大臣間での誓紙交換。
朝鮮国南四道の割譲。
人質としての朝鮮国王子の渡日。
日本軍が捕虜としている朝鮮王族の返還。
朝鮮国の日本従属。
浅野長政の説明によれば、以上の七条件となる。
明の顔を立てての和睦と言えば聞こえは良いが、事実上の明討ち入りの断念だ。
あれほど唐入りに掛ける意気込みを顕にしていた豊臣秀吉の変心っぷりに、豊臣秀次も動揺を隠せない。
豊臣秀吉がその豊臣秀次を突く。
「なんじゃ孫七郎。この七箇条に何か文句はあるか」
「は、いえっ、滅相もございませぬ」
プレッシャーで何も言えない豊臣秀次。
次いで豊臣秀吉は下段に控える我らにも声を掛けてきた。
「家老どもも異見有れば忌憚なく申してみよ」
白江成定と一柳可遊と俺の三人で、順番に平伏して答申。
「ございませぬ」
「ありませぬ」
「しからば、一点だけ言上仕りたい」
他の二人がギョッとして平伏したままこちらを見てくる。
豊臣秀吉の表情が消える。
「左京亮か。なんじゃ」
「第八条として琉球と樺太を日ノ本の領土であると明に認めさせては如何でしょうか。国境を決めておかねば後々問題になりましょう」
どうせ上手く運ばない和議だとはわかっているが、ここで領有権を主張しておくのは後世の益になる。
提案だけでもしてみるべきと軽く考え、普通に発言してしまった。
俺の提案は余程意表を突いたようで、豊臣秀吉は一人思考の淵に沈む。
「樺太じゃと?確か政宗が今年中に樺太の絵地図を献上すると手紙で申していたな。樺太は大きな島で、明に従う女真の地へも渡れるとか」
何かぶつぶつ呟いた後、パシリと扇子を手のひらに打ち付ける。
「うむ、左京亮。それは良い考えじゃ。長政、急ぎもう一条追記せよ」
「え、今からでございますか」
「早くせい」
「はっ」
豊臣秀次の前に置かれた文箱を回収し、書状の作り直しのために退出していく浅野長政。
なお浅野長政は北政所と義兄妹の関係にあり、豊臣秀吉とは非常に気やすい関係な武将である。
豊臣秀吉が豊臣秀次に謝る。
「すまんの孫七郎。後で急ぎ届けさせるわ」
「いえ、義父上、お気になさらず。我が家老が失礼を申し上げて、真にあいすみませぬ」
「なに儂が付けてやった家老ではないか。気にするな」
失礼?
失礼に当たるのだろうか?
なぜか和気藹々な雰囲気になって、義親子の二人の会話が続く。
「よいな孫七郎。明が儂の要求を吟味している間に朝鮮南岸の各要地に城を築いておくのだ。そのためにも晋州城は何としても奪い取れ」
晋州城は慶尚道から全羅道に抜ける要地にあって朝鮮国で一二を争う堅城だ。
釜山から漢城に至るルートから外れているため、これまで攻略は後回しにされていた。
「晋州城攻めの陣立ては徳川家康とよくよく相談せい。あと病いが癒えたと云うで、黒田官兵衛をまた朝鮮に渡らせておいた。奴をこき使ってやれ」
どんな犠牲を払ってでも晋州城を奪い取るべしと、豊臣秀吉が発破を掛ける。
豊臣秀次も義父である豊臣秀吉の親身な振る舞いに安堵したようだ。
義父の信頼に応えようと、顔を紅潮させてやる気を漲らせている。
良い傾向だ。
史実では起こり得なかった豊臣秀次の唐入り出馬。
我が身のためにも、必ず成功させねばなるまい。
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