1592-2 衛門
<1592年 6月下旬>
仙台城の大広間。
関白の使者として、伊達政宗の前に立つ。
伊達政宗に従って控える家臣たちは、文官が中心の面子であった。
蝦夷樺太の探検測量のために、武官の多くは仙台を出払っていると聞く。
俺は今仙台にいる。
去年に続いての奥羽への下向だ。
京から仙台まで約三週間。
護衛役に石川五右衛門を連れての道中であった。
関白の豊臣秀次の付家老の七人衆のうち、木村重茲、服部一忠、徳永寿昌は朝鮮出兵中。
白江成定、熊谷直澄、一柳可遊の三名は、今頃内裏で行われている豊臣秀次の従一位叙任の式典に近侍しているはずだ。
残るこの俺、二階堂盛義は関白の書状を携えて一人奥州である。
平伏する伊達政宗に対して、上段より関白の書状を読み上げる。
「鎮守府将軍においては、遅くとも来春までには正室の愛姫殿を上洛させるべし」
「・・・ははー。承知仕った」
頭を下げる伊達政宗。
すでに片倉景綱を通じて大筋の条件交渉は終えてある。
ここで今行われるているのは、オフィシャルな形式を整えるだけのやり取りだ。
それでも伊達政宗の内心は忸怩たるものがあろう。
愛姫を人質に出す事についてではない。
体良く追放したはずの二階堂盛義に見下ろされている。
このシチュエーション自体に憤懣やる方ない様子。
まさか自分が取り入ろうとしていた豊臣秀次の家老に俺が配されるなど、伊達政宗も予想だにしていなかったであろう。
まあ俺自身もだが。
「また関白殿下は豊臣と伊達の両家の結びつきを深める為、御息女のお美屋様を伊達秀雄殿に輿入れさせたいと考えておられる。この儀、返答や如何に」
「謹んでお受け致す」
伊達秀雄は伊達政宗の一番下の弟である。
側室腹とはいえ政宗が男子の兵五郎を得た今、実弟が関白の娘を娶ったとなると家中のパワーバランスがおかしくなりかねない。
側から見れば、豊臣家が伊達家を割る策を仕掛けてきたとも受け取れる。
それを主導したのもこの俺、二階堂盛義と目されていた。
事実である。
あくまで己の身の安全を確保したい一心から出た策で、他意はなかったのだけれども。
使者の役目を終えた後、別室にて片倉景綱と膝を突き合わせて談合を進める。
「では愛姫様の上洛については、東山道を使うということでよろしいな」
「はっ。そのように」
鎮守府将軍の御台所の上洛となれば、豊臣政権と奥羽鎮守府の双方の威信に掛けて、万が一にも失敗は許されないイベントだ。
仙台と京都間の道中の日程や、各宿場の整備や、京の伊達屋敷の普請の手配。
決めねばならない事は多い。
「次はお美屋様の輿入れ後の住居になるが・・・」
三年後に予定された関白の娘のお美屋の伊達家輿入れも同様である。
お美屋の仙台での生活を案じた関白の豊臣秀次から、お美屋の御在所について万全の準備をするようキツく申し付けられていた。
伊達家と協力し、諸々の課題を一つ一つ片付けていく必要がある。
手紙のやり取りだけでは細かいニュアンスは伝わり辛い。
やはりこの時代においては、顔を合わせて議論した方がスムーズに話は進む。
打ち合わせが一通り終わったところで、世間話という情報収集フェイズに移行する。
盛隆や盛行から逐次情報は入って来てはいるが、伊達家の奥向きの話となるとまた別だ。
「兵五郎殿と猫御前殿は息災でおられるか」
「はっ。母子ともに健やかであらせられまする」
「そうか。法要の場にて兵五郎殿の顔を拝見させて頂く機会もあろう」
今回の奥羽下向。
関白の名代として性山公、伊達輝宗殿の三回忌に参列する為でもあった。
「塩釜の新造の方と莉沙姫の顔も拝見したかったが、そちらは仕方あるまいの」
新造の方ことジュリエッタは南蛮人の女医だ。
当然ながらその娘の莉沙には南蛮人の血が流れており、二人の存在は極力秘されていた。
滅多なことでないと、人前に出てくる事は無い。
我が妻の南御前の妹で、婿の伊達成実の実母である鏡清院が昨秋に体調を崩し、無理を言って彼女に治療をお願いしている。
鏡清院は無事に本復しており、そのお礼を言いたかったのだが。
ん?
片倉景綱の反応がおかしい。
「如何致した?」
「それがですな・・・」
歯切れが悪い。
最近よく接する同僚の白江成定の振る舞いに似ている。
主人の女癖の悪さに振り回されている時の顔だ。
「もしや、またか」
「はっ。新造の方、お二人目のお子を孕られたとのよし」
第一子が男子で安心したのか、伊達政宗はまた異国の畑への種蒔きをせっせと再開していた。
もし男子が産まれ、かつ兵五郎の身に何かが起これば、とは考えないのだろうか。
「はああぁ、あいわかった。これから愛姫様の下へご機嫌伺いに参るとしよう」
クソデカため息を漏らして席を立つ。
側室の猫御前が長子を産み、今また側室の新造の方が子を孕んだ。
なのに己は一人、遠く京に人質に出されてしまう正妻の愛姫の心内は如何ばかりか。
輝宗殿の三回忌を終え、二階堂屋敷での一時。
盛隆と行久は名護屋に在陣中。
盛行は函館で蝦夷地探索の指揮を取っている。
盛宗は宇都宮で留守居役だ。
男衆が皆出払っている代わりに女衆が集まっていた。
嫁の甄姫と孫の星子と彩子。
須賀川から我が妻の阿南御前。
川向かいの成実屋敷から娘の元姫。
そして岩城屋敷から甲斐姫である。
皆の顔を見るのも一年ぶりとなれば心にぎやかだ。
特に甲斐姫は、2歳になる娘の忍子と共に、この年の初めに産んだばかりの長男暁丸も連れて挨拶に来てくれていた。
ありがたいことである。
甲斐姫が暁丸を差し出してくる。
「義父上、是非抱いてあげてください」
「おー、よしよし。赤子の暁丸と可愛い盛りの忍子。二人を残して遠征とは盛行もさぞ辛かろうなぁ」
俺にとって二人目の男孫となる暁丸をあやしながら、盛行の苦労を思う。
すると忍子の相手をする元姫の様子を眺めていた阿南御前が口を挟んで来た。
「会えぬだけならまだ良い。見知らぬ土地では病に罹りやすい。戸沢殿の弟御の話は聞いたか?」
「うむ。まだ十七歳だとか。痛ましい事だ」
戸沢盛安の弟の戸沢光盛は、樺太の探索に向かう途中で病魔に襲われ、あえなく落命していた。
戸沢盛安は光盛を己の後継者に据えるつもりだったらしく、随分気落ちしていると伝え聞く。
光盛だけでは無い。
他の家々でも、蝦夷地の風土病に倒れる者も多いようだ。
盛行にはマラリアの媒介となる蚊への対策を怠るなとは伝えているが、どこまでその助言が役に立っているのか不安である。
阿南御前が続ける。
「盛行もそうだが、盛隆や成実殿も心配よ。朝鮮国とは結局戦さになったと言うではないか。在陣衆とはいえ、戦線が広がれば渡海を命じられように」
「そうよな。いずれ出撃せねばならぬ時が来る」
史実でも上杉景勝、伊達政宗、南部信直らの越後奥州の軍勢が朝鮮に渡っている。
「出撃を引き伸ばす策はある。その策を成す為にも、此度は手早く上方に戻らねばならぬ」
今回はわずか一週間足らずの仙台滞在となってしまった事を妻に詫びる。
京に戻る途上、須賀川で奥州街道を一旦外れる。
お供の石川五右衛門に、二階堂家所領の石川郡を見せる為である。
石川五右衛門がその出自を厳しく詮議されるような事態になった場合に備えての寄り道だ。
用意してあるカバーストーリーに説得感を持たせておく目論みであった。
「この石川郡は我が義弟の石川昭光の治める土地であった。石川氏は大和源氏の一門、源頼遠を祖とする家よ。源頼遠は今から五百年ばかり昔、前九年の役にて安倍氏相手に武功を上げてこの地を与えられ、石川を名乗るようになる」
「へぇ、五百年も昔とは、何とも気が遠くなる話だな」
せっかく説明してやってるのに、当の石川五右衛門の興味無さよ。
構わず続ける。
「十六年前に性山公の下で大崎葛西を滅ぼした際、石川家は角田に加増転封。この石川郡は我が二階堂家の所領となっている。だが、石川の一門や家来衆の一部には、五百年来の土地を離れたがらず、角田に移るのを拒絶した者らもいてな。そのまま二階堂家に仕えるようになった者も多い。そなたの父もその一人よ」
「それは知らなかった。この五右衛門様は武家の出だったとはね」
軽口を叩く割に、石川五右衛門の視線は鋭く四方を観察している。
「んで、大殿様よ。ここは我ら二階堂家の所領って話だが、ずっと俺らを付け回してるあいつらは何者だい」
「ああ、安倍重定配下の黒脛巾衆であろう。気にするな。手は出して来ぬさ」
こちらの動きを探る為の諜報、にしては露骨過ぎる。
そして豊臣秀次の付家老となった俺を斬ったとなれば話が大きくなる。
今の時点では、そこまでの覚悟は無かろう。
伊達政宗の嫌がらせであろうな。
「いずれ其方には宇都宮に居を移してもらい、あ奴らに匹敵する忍び衆を組織して貰いたいのだがな」
「京を離れろってか。そりゃぞっとしないぜ」
華やかな上方を離れたく無い気持ちもわかる。
あくまで希望だ。
いずれにしても秀次謀叛事件を乗り切ってからの話だった。
それまでは京の都で、石川五右衛門の諜報能力を存分に活用したいものである。
<1592年 7月下旬>
京に戻ると洛中の民たちが浮き足立っていた。
朝鮮国の首都の漢城を攻め落とした!と大騒ぎだ。
朝鮮の兵は弱すぎて陸では戦さにならぬな!と嘲笑する者らが酒を煽っている。
朝鮮国王の宣祖は裸足で逃げ出したそうな!と揶揄する声がそこここで聞こえる。
今頃は開城や平壌も攻め落としているはず!と皆が浮かれ騒いでいた。
しかし、この乱痴気騒ぎ。
石川五右衛門は面白くないようだ。
「いい気なもんだ。押込み強盗に入って家主を取り逃すなんて、三下のやる仕事だろ」
例えは酷いが言い得て妙ではある。
冷静な者は楽観視してよい戦況ではないと理解している。
陸路では連戦連勝だが巨済島と泗川の海戦で敗退しており、朝鮮半島西岸の制海権は諦めざるを得ない戦況だ。
そして短期間で戦さを終わらせる為には、宣祖を絶対に逃してはならなかった。
さらに宣祖が逃げた先の平壌まで軍を進めれば、必ず明国の大軍が援軍として出張ってくる。
遠征の苦難はこれから始まる。
聚楽第に登城する前に、旅塵を落とすため一旦二階堂屋敷に入る。
出迎えに来た名古屋山三郎に、自分が不在だった二ヶ月の間の京の動静を確認する。
「唐入りの話以外は特に何も。ああ、立花屋敷の誾千代様が無事に三人目の男子をお産みになったとか」
「ほう。それはめでたい。祝いの品を送るよう手配せよ」
「承知しました。それと阿桐殿から先程文がありました。後ほどお会いしたいとのことにございます」
「あいわかった」
ひと風呂浴びて垢を落とし、身綺麗に着替えて聚楽第に向かう。
奥州下向の成果を豊臣秀次に報告。
「伊達秀雄殿とお美屋様のご婚約、謹んで承るとの鎮守府将軍の返答にございました」
渋々受け入れる豊臣秀次。
「仕方あるまい。伊達秀雄に従五位下秋田城介の官位を与え、お美屋との婚約を公表する」
付家老の白江成定が賛同する。
「ははっ。唐入りの華々しい戦果に続いての慶事。また市中が華やぎましょう」
早速手続きが取られる。
次いで愛姫殿の上洛の件だ。
「鎮守府将軍御台所の上洛、来春に決まりまして候」
「そうか。東山道の各宿場の整備も左京亮に任せる。そちならば手抜かりはなかろう」
おざなりに仕事を振られる。
豊臣秀次の顔色が冴えない。
「お美屋の件、一ノ台に如何に伝えようか」
美貌の妻の嘆き悲しむ顔が見たくないのだそうだ。
「成定、頼まれてくれぬか」
「ええっ関白殿下!?私が説明するのですかっ」
困り顔の白江成定。
助け舟を出す。
「此度の婚約を取りまとめたのはこの盛義。それがしがご説明に上ろう」
聚楽第のプライベートスペースに入って一ノ台に拝謁。
娘のお美屋の婚約が決まった旨を説明する。
「武家の家に嫁いだ時に覚悟は出来ていました。でも奥州は遠過ぎです」
ヨヨヨと泣き崩れる一ノ台。
侍女たちも一人を除いて涙ぐんでいる。
「関白殿下のお渡りも最近めっきり減ってしまいました。いっそ妾も奥州に下りたい」
肉体年齢四十代後半で、更に精神年齢古希オーバーの俺からすれば、アラサーの一ノ台は十分に若々しい。
しかし、豊臣秀次が子を成した相手を見ると、皆が十代から二十歳前後で胤が着いている。
今から豊臣秀次の寵愛を歳若の妻妾共から奪い返すのは、美貌の娘をだしにでもせぬ限りは難しかろう。
慰めの言葉を吐く。
「奥州は良き温泉が数多く湧き出ております。お美屋様が嫁がれた後、湯治と称してお下りになられれば良い。この左京亮が手配いたしましょう」
「まぁそれは良い考え。きっとですよ」
縋ってくる一ノ台を上手く躱しつつ、侍女の一人に目配せして退出する。
「お見送りします」
丸顔でスラリと背の高い侍女が立ち上がり、先導してくれる。
阿桐という名の侍女であった。
阿桐は真田家中の高梨内記の息女だ。
愛嬌があって良く笑う、感じの良い女である。
宮中で采女を務めていたところを豊臣秀次の内意を受けた白江成定が動いて、聚楽第付きの侍女に転籍させられていた。
ただし、侍女として働いている阿桐に手を付けて側女にクラスアップ、という豊臣秀次の思惑は現在のところ叶っていない。
密かに俺が阿桐に接触し、側女はやめておくように伝えていたからである。
実のところ「私には思い人がいるんですよ。すっごく鈍感な人なんですけど」と笑われ、端から無駄な忠告ではあったのだが。
その折に知己になったのを利用し、一つの頼み事を彼女にお願いしていた。
豊臣秀吉の母親である大政所の日々の体調チェックとその報告である。
「大政所様、夏場になって少し食が細くなっています。ただの夏バテなら良いのですけど、何分ご高齢なので」
「あいわかった。引き続き報告を頼む。異変が有ればどんな些細な事でも良い。急ぎ知らせて欲しい」
史実では夏の盛りに床に臥すはずだが、まだその気配はない。
やはり朝日姫の存在が大きいか。
しかし阿桐の言う通り、大政所はもうすぐ喜寿だ。
目が離せない。
俺が阿桐を使って独自に大政所の様子を探っているのは、彼女の主人である真田昌幸には筒抜けだろう。
豊臣政権の次代のトップである豊臣秀次の動向を探るよう、真田昌幸から言い含められているはず。
ただ豊臣秀次の付家老として、大政所の体調に日々気を配るのは不自然な振る舞いではない。
ゆえに彼女(とその背後にいる真田昌幸)は俺に協力して泳がせてくれていた。
問題はその情報を如何に使うかだ。
<1592年 9月>
元号が天正から文禄に変わる。
切っ掛けは豊臣秀次の関白就任。
つまり武家関白の継承を記念しての改元だ。
史実に比して四ヶ月早い。
これは太閤秀吉の母親である大政所が、未だ病に臥していない為になる。
結果、もともとの予定通りに改元式典が進められた。
豊臣秀吉の唐入りは停滞中である。
平壌まで攻め取ったは良いが、明国の援軍が現れてそれ以上の北進は望めない状況だ。
そして閑山島海戦で敗退するなど、相変わらず日本からの補給が不安定な状況が続く。
現在一番隊から八番隊に分かれて、朝鮮国の八道をそれぞれ占領する作戦に出ている。
国内もキナ臭い。
島津家臣の梅北国兼が一揆を起こして肥後の佐敷城を攻め取り、大隅の地侍が一揆方に多数味方した。
島津四兄弟の一人で闘病中であった島津歳久が謀叛の責を一手に負い、兄の島津義久の追手の前で、石を刀に見立てて切腹して果てている。
この騒動で島津家の名護屋参陣は大きく遅れており、豊臣秀吉より疑惑の目が向けられていた。
入明の断念と、不完全な制海権と、九州南部の不穏。
この三点により、豊臣秀吉の渡海は見送られている。
つまり盛隆や成実らもまだ名護屋在陣中だ。
まだ仕掛けるタイミングではない。
聚楽第から東山道の各宿場の整備について指示を出しつつ、その機をじっと狙い続ける。
<1592年 12月上旬>
今朝方から大政所が体調を崩している。
阿桐からの知らせだ。
孫の豊臣秀勝の巨済島での戦病死の知らせが、よほどショックだったのだろう。
見立て通りである。
他の家老たちにも登城を呼び掛け、聚楽第に急ぎ向かう。
豊臣秀次に緊急で拝謁。
開口一番問いただす。
「大政所様、体調不良とのこと。ご容体はいかに」
「な、なぜそれを知っている」
驚く豊臣秀次を勢いで押す。
「大政所様不予ともなれば一大事。急ぎ太閤殿下にご報告すべきでしょう」
「待て待て、先走り過ぎだっ。成定、説明してやれっ」
「はっ。大政所様におかれましては、少々の咳と咽喉の痛みを訴えられました程度。大事にする必要はございますまい」
白江成定の報告によれば、典医の見立ては軽い風邪とのことであった。
他の家老たちの意見が割れる。
熊谷直澄は積極派で、一柳可遊は慎重派だ。
「しかし大政所様はご高齢。何かあってからでは遅うござる。まずは一報を入れる事が肝要かと」
「それで何もなければ如何にする。太閤殿下を無駄に心配させるだけではないか」
付家老の票が割れたため、最終的な判断は豊臣秀次に任せられた。
「私は太閤殿下が唐入りに専念出来るよう、国政の全てを任せられているのだ。お祖母様の病が悪化した時に備え、祈祷の準備も怠りない。ここは一旦様子を見ようではないか。この件、決して太閤殿下に知らせてはならぬ。良いな?」
やはりこうなったか。
ここで争っても仕方ないので、大人しく引き下がる。
大事なのは『上申は一度キチンとしてるよ』という事実だ。
実際のところ聚楽第に登城する前に、名護屋の盛隆と伊達成実宛の使者は手配済みだ。
天下の大泥棒の石川五右衛門であれば、どんな悪路も風のように駆け抜けよう。
大政所の病臥は史実に遅れること三ヶ月。
不謹慎だが何とか間に合ったと胸を撫で下ろす。
開戦から七ヶ月経過した唐入りは、小西行長の交渉によって明軍と五十日の休戦協定を結んでいる状況であった。
その間、豊臣秀吉は慶尚道の晋州城の攻略を指示。
釜山から漢城までの補給路の安定と、全羅道への侵攻ルートの確保を求めた。
しかし、晋州城主の金時敏の奮闘により、第一次晋州城攻防戦は日本軍の敗退に終わっている。
また中川秀政が占領地で鷹狩りに興じ、地元の民に討ち取られる失態を犯していた。
日本軍に軍規の乱れが生じており、引き締めのための増援が論じられていると聞く。
仕掛け時はまさに今。
石川五右衛門に託した盛隆宛の書状には、俺からの一報として大政所危篤を豊臣秀吉に注進するようしたためてある。
また伊達成実宛には、大政所病臥の噂を京の伊達屋敷からの報告として豊臣秀吉に伝え、盛隆の注進に真実味を持たせるよう記してあった。
その上で周辺の大名を巻き込む形で豊臣秀吉に帰洛を進め、その間の名護屋城の留守居を申し出るのだ。
話は変わるが、正親町上皇もここ最近病が篤く、回復の見込みは低いと聞く。
典医の曲直瀬玄朔の見立てだと年を越せるか越せないか。
上皇の崩御ともなれば、戦さどころではなくなる。
つまり、この時期に豊臣秀吉を京都に一旦戻してしまえば、半年は名護屋に戻れない。
在陣衆の渡海も見送られるだろう。
また名護屋にいる茶々と引き離すことで、あわよくば豊臣秀頼の誕生も防げるかもしれない。
これが俺の用意した策であった。
<1592年 12月下旬>
ただの風邪が肺炎に悪化したのか、病いに伏した大政所の容態は日に日に悪くなっていくばかりだ。
慌てて各種祈祷を寺社に依頼する豊臣秀次であったが、効果は一向に現れない。
事ここに至っては豊臣秀次も覚悟を決めざるを得ず、付家老の白江成定に早馬の用意を指示する。
「仕方ない。名護屋の太閤殿下に病状をお伝えしろ!」
「も、申し上げ辛いですが、今から使者を出しても到底」
「いいから早く!」
一連のやり取りを冷めた目で見守る。
するともう一人の付家老の一柳可遊が転がり込んでくる。
「先程大坂より早馬が到着。太閤殿下の御座船、大坂に御来着。これより急ぎ聚楽第に向かわれるとのこと!」
「な、何ぃ!?」
驚く豊臣秀次に向けて告げる。
「関白殿下のご命令に従い、大政所様のご容体は逐一太閤殿下に報告済みです」
「さ、左京亮。そなた」
ゆっくりとした口調で、噛んで含めるように言い聞かせる。
「良いですかな?それがしはあくまで関白殿下のご命令に従ったまで。罰は後ほど如何様にも受けましょう。まずは急ぎお出迎えの準備を」
やれやれ。
骨が折れるわ。
豊臣秀次の側に控えて豊臣秀吉を待つ。
騎乗した豊臣秀吉が聚楽第に駆け込んで来た。
「孫七郎、おっかぁはまだ生きとるかっ!?」
「は、はい!何とか命脈を保っておられます」
「よし!左京亮、よう伝えてくれたで。孫七郎、行くぞ!」
「ははっ」
ドタドタと豊臣秀次を引き連れて、大政所の居室へと急ぐ豊臣秀吉。
まだそのバイタリティに翳りは見えない。
史実では豊臣秀次が最期の最期まで報告を躊躇したため、豊臣秀吉は母親である大政所の臨終に間に合わなかった。
名護屋を急ぎ出立して必死にたどり着いた大坂で、大政所が十日も前に亡くなっていた事を伝えられ、卒倒したそうだ。
この一件は感情のシコリとなって豊臣秀吉の中に残り続け、後の秀次排斥の理由の一つになったのは想像に難く無い。
主に俺自身の保身の観点から、そのシコリが生まれなかったのは実に喜ばしい。
豊臣秀吉の入洛から三日後、大政所が亡くなった。
大政所に取り縋って「おっかぁぁ、おっかぁああ」と泣き喚く豊臣秀吉の声が耳に残る。
豊臣秀次付きの家老衆で集まり、大政所の葬儀について談合する。
天下人である太閤豊臣秀吉の母親の葬儀である。
規模も格式も最上級のものとなり、準備期間はそれなりに必要だ。
法要は半月後に大徳寺で。
その翌日に蓮台野で荼毘に付し、遺骨の納め先は天瑞寺の寿塔に定まる。
豊臣秀次にその旨を報告し、やっと解放される。
ここ数日、大政所の介抱に付き合わされ、まともに睡眠を取っていない。
ふらふらになりながら、己の邸宅である二階堂屋敷に戻る。
そこに、近江に居るはずの我が娘の吉乃が待ち構えていた。
顔を合わせるなり、胸ぐらを掴まれる。
「父さま!五右衛門を名護屋に行かせたって本当なの!?」
凄い剣幕だ。
「あ、ああ。五右衛門であればもうすぐ戻ってくると思うが。一体何の騒ぎだ?」
「何なのよもう!あの女が居ないっていうから、京に戻るのを許したのに!」
ひたすら怒っている。
会話が噛み合ってない。
「どうなっても知らないから!父さまは絶対に後悔する!」
キツく睨まれて、断言されてしまう。
な、何なのだ。
吉乃は夫の五右衛門が名護屋にいるのが気に食わないようだ。
どうやら『京にいないあの女』が関係していそうであった。
<年表>
1592年 二階堂盛義 48歳
01月
★京の豊臣秀次(24歳)、権大納言叙任。
★京の豊臣秀次(24歳)、内大臣叙任。
★三条家の女官見習いの桐(20歳)、采女に選抜される。
02月
★京の豊臣秀吉(55歳)、豊臣秀次(24歳)に五ヶ条を訓示。
★京の豊臣秀吉(55歳)、伊達政宗の正室愛姫(24歳)の上洛を進めるよう指示。
◎二階堂盛義、豊臣秀次(24歳)より奥羽取次役を拝命。愛姫上洛について伊達家と交渉開始。
★京の豊臣秀次(24歳)、関白就任。宮中で采女の桐(20歳)を見初める。
★京の豊臣秀吉(55歳)、唐入りの陣立てを発表。出征軍二十万、予備軍七万、本営三万の構成。
▽江戸で茶阿局が出産。徳川家康の六男辰千代誕生。後の松平忠輝。
★京で江姫(23歳)出産。豊臣秀勝の長女完姫誕生。
◎仙台で甲斐姫(20歳)が出産。岩城盛行の嫡男暁丸誕生。
03月
■仙台の伊達政宗(25歳)、鎮守府幕下の諸将を蝦夷地に派遣。樺太千島探索を開始。
★肥後の小西行長(37歳)、朝鮮国の服属を再確認するよう豊臣秀吉(55歳)に命じられる。
◎二階堂盛義、豊臣秀次(24歳)の大名への貸し付けを太閤名義とするよう指導。
★上田の真田昌幸(45歳)、桐(20歳)を宮中から呼び戻して聚楽第に出仕させる。
★京の豊臣秀次(24歳)、弟の豊臣秀保(13歳)を従三位権中納言に任官。
★京の豊臣秀吉(55歳)、琉球の尚寧王(28歳)に朝鮮出兵を命令。
★京の豊臣秀吉(55歳)、海路諸法度を発布。
★京の豊臣秀次(24歳)、左大臣叙任。
★京の豊臣秀次(24歳)、後陽成天皇(21歳)を聚楽第に招く。
04月
★徳川家康(49歳)、二階堂盛隆(31歳)、伊達成実(24歳)らが軍勢を率いて上洛。
★京の豊臣秀吉(55歳)、眼病で出陣を延期。
◎二階堂盛義、豊臣秀吉(55歳)より徳川家康(49歳)の饗応役を命じられる。
★京の豊臣秀次(24歳)、人掃令を発布。
▽日本軍の先発隊が対馬に着陣。
◎二階堂盛義、立花統虎邸を訪ねて誾千代(23歳)から朝取れの生卵を入手。
◎二階堂盛義、関白主催の饗応にて徳川家康(49歳)らに天麩羅とエビフライを喰らわす。
★京の石田三成(32歳)、聚楽第の料理人頭の大角与左衛門を追放。
★京の豊臣秀吉(55歳)、日本軍の先駆衆の再編成を行う。
▼角館の戸沢光盛(16歳)、蝦夷地で病死。
★京の徳川家康(49歳)、二階堂盛隆(31歳)、伊達成実(24歳)らが名護屋に出陣。
05月
▽肥前で名護屋城が完成。
★京の豊臣秀吉(55歳)、名護屋に出陣。
◎京の前田利益(41歳)、名護屋に出陣。
◎二階堂盛義、豊臣秀次(24歳)の名代で奥州に下向。
▽徳川家康(49歳)、二階堂盛隆(31歳)、伊達成実(24歳)らが肥前名護屋城到着。
▷広島で毛利秀元(13歳)元服。豊臣秀吉(55歳)、秀元を毛利輝元(39歳)の継嗣と認定。
□朝鮮国王宣祖(40歳)、日本に道を貸すのを拒否。
□文禄の役、開戦。
□釜山鎮の戦いで日本軍勝利。
□多大鎮の戦いで日本軍勝利。
□東萊城の戦いで日本軍勝利。
□鵲院関の戦いで日本軍勝利。
06月
■塩竈で伊達政宗の愛妾ジュリエッタ(27歳)が懐妊。
▽豊臣秀吉(55歳)、肥前名護屋城到着。
□小西行長(37歳)と加藤清正(30歳)、漢城に入城。
□巨済島海戦で日本軍敗退。
★京の豊臣秀次(24歳)、従一位叙任。
■仙台の伊達政宗(25歳)、正室愛姫(24歳)の上洛を受諾。伊達輝宗の三回忌を営む。
◎二階堂盛義、伊達輝宗の三回忌に参列。石川五右衛門(27歳)を連れて陸奥石川郡を周廻。
07月
★京で立花統虎正室の誾千代(23歳)が三男の千辰丸出産。
□臨津江の戦いで日本軍勝利。開城攻略。
□龍仁の戦いで日本軍勝利。八道国割発動。
▽名護屋の豊臣秀吉(55歳)、大茶会を開催。
□泗川海戦で日本軍敗退。
◎二階堂盛義、帰洛。
★京の豊臣秀次(24歳)、伊達秀雄(12歳)を従五位下秋田城介に任官。養女お美屋(10歳)との婚約を発表。
□小西行長(37歳)が平壌を攻略。
▽肥後で梅北一揆発生。
▽梅北一揆鎮圧。梅北国兼(57歳)討死。
08月
□明軍参戦。
□平壌の小西行長(37歳)、第一次平壌城の戦いで明軍撃破。
□閑山島海戦で日本軍敗退。
▽薩摩で島津歳久(57歳)が切腹。
□海汀倉の戦いで日本軍勝利。加藤清正(30歳)、朝鮮国の二王子を捕虜にする。
□平壌の小西行長(37歳)、第二次平壌城の戦いで明軍撃破。
09月
★史実より四ヶ月早く文禄に改元。
□延安の戦い。黒田長政(24歳)、延安城攻略に失敗。
□加藤清正(30歳)、オランカイに侵攻。女真族を攻めるも補給が滞って撤収。
□出征中の前田利益(41歳)、平壌で孤児の月華(7歳)を保護する。
10月
□平壌の小西行長(37歳)、明軍と五十日の休戦協定を結ぶ。
▽長崎のルイス・フロイス(60歳)、巡察師ヴァリニャーノ(53歳)と共に日本を離れる。マカオに向かう。
□出征中の豊臣秀勝(23歳)、巨済島で戦病死。
■仙台の伊達政宗(25歳)、愛妾ジュリエッタ(27歳)の伝手でガレオン船の製造技術入手。塩釜で専用ドッグの建造開始。
11月
□出征中の黒田孝高(47歳)、病を得て一時帰国。
□第一次晋州城攻防戦。日本軍撤退。
□出征中の中川秀政(25歳)、水原で鷹狩り中に討ち取られる。
★京の豊臣秀次(24歳)、豊臣秀秋(10歳)を従三位権中納言兼左衛門督に任ずる。
★京の豊臣秀次(24歳)、徳川秀忠(13歳)を従三位権中納言に任ずる。
12月
◎二階堂盛義、豊臣秀次(24歳)に無断で石川五右衛門(27歳)を名護屋に派遣。
★京の豊臣秀次(24歳)、病臥した大政所(76歳)の快癒を祈願し、京の寺社に護摩行を指示。
◎名護屋到着の石川五右衛門(27歳)、大政所不与の報を二階堂盛隆(31歳)と伊達成実(24歳)に伝達。
▽名護屋の豊臣秀吉(55歳)、大政所危篤の注進を受け、急ぎ京に向けて出立。
★豊臣秀吉(55歳)、わずか十日の行程で聚楽第に到着。大政所(76歳)を見舞う。
★京で大政所(76歳)が死去。豊臣秀吉(55歳)号泣。
◇近江の吉乃(21歳)、石川五右衛門(27歳)の名護屋行きを知って激怒。京に乗り込む。
▽名護屋で淀殿(23歳)の懐妊発覚。
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▲天変地異
◎二階堂
◇吉次
■伊達
▼奥羽以北
◆関東甲信越
☆北陸中部東海
★近畿
▷山陰山陽
▶︎︎四国
▽九州
□朝鮮
須賀川二階堂家 勢力範囲 合計 102万6千石
・奥州 岩瀬郡 安積郡 安達郡 石川郡 白川郡 会津郡 31万2千石
・奥州 田村郡 標葉郡 楢葉郡 菊多郡 磐前郡 磐城郡 24万石
・野州 河内郡 芳賀郡 都賀郡 那須郡 塩谷郡 安蘇郡 足利郡 梁田郡 46万4千石
・近江 蒲生郡 1万石
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