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二階堂合戦記  作者: 犬河兼任
第七章 before 1581
46/83

1581-1 築城

<1581年 3月>


 日光街道の今市宿の倉ヶ崎に築城する。

 この倉ヶ崎城の落成をもって、二階堂家の日光支配は完成した。

 壬生家が五十年かけて果たせなかった悲願を、我が二階堂家は成し遂げたのだ。


 ここに至るまでには紆余曲折があった。

 我が二階堂家はこれまで日光山門徒衆と友好的な関係を築いてきた。

 しかし、流石にそのお膝下での築城ともなると別だ。

 日光の独立性が棄損されるのを恐れて、門徒衆は強く難色を示してくる。


 そこで知識チートの裏技を使う。


 『川俣の出湯から南に降り、男体山の麓に突き当たりし西沢に、まばゆい黄金の気が立ち昇るのを見た』


 この瑞夢と交換との条件を日光山に持ち掛ける。

 最初は眉唾モノの日光山門徒衆。

 だが二階堂領の高玉金山や、新たに発見された伊達領の院内銀山の噂は聞いていたのだろう。

 二階堂家と合同の調査隊を西沢に送り出す話となる。

 そして俺の言葉どおりに路頭する金鉱が発見されて大騒ぎだ。

 西沢金山である。


 ただし日光山の門徒衆には金脈を掘るノウハウが無い。

 二階堂家の金堀衆を貸し出すことでフォローする。

 その代わりとして、日光山の座主に倉ヶ崎城の築城を認めさせた。

 また、二階堂家が整備を進めている鬼怒川温泉も、日光山参拝客向けに解放する。


 日光の経済と警察権と観光スポット。

 この三つを我が二階堂家が握ることで、日光山門徒衆の首根っこを完全に押さえ込んだ格好となる。


 二階堂家の野州支配を完璧にする為のラストピースがハマった。

 最期の大仕事の舞台がこれでようやく整った。


 先ずは一度仙台に向かう。

 仙台からファイナルステージを始めよう。





<1581年 4月>


 天正九年二月二十八日。

 嫡男の盛隆を連れ立って仙台城に登城する。

 今頃遠く京の地では織田信長が正親町天皇の御前で軍事パレードの真っ最中であろう。


 居並ぶ伊達家一族重臣たちの前で、盛隆に二階堂家の家督を譲る旨を奏上する。

 既に輝宗殿には内々には伝えていたが、噂は本当であったかと大広間に響めきが走る。


「今後はここに控える盛隆が二階堂家を率い、鎮守府に忠勤仕る。盛隆」


「はっ。この二階堂下野守盛隆、我が父左京亮と代わらぬ忠誠を尽くすことを、ここに誓いまする」


 うむ、と頷く上段の輝宗殿。


 しかし、政宗は不平顔だ。

 皆の疑問を代弁する問いを発してくる。


「政宗は納得出来かねる。傷を負ったと聞いていたが、ピンピンしているではないか。なぜ家督を譲る必要がある?」


 政宗ももう数え年で十五歳。

 育ち盛りで体も大きくなり、声変わりも終わって一端の口を聞くようになっていた。


 輝宗殿が苦笑しながら政宗を嗜める。


「これ政宗。落ち着け。これは儂と義兄上の二人でよくよく話し合って決めたことよ。義兄上、皆々に説明を頼む」


 さすれば、と大広間に響くよう声を張り上げ、長年心に秘めていた大計を開陳する。


「盛隆に家督を譲るのは、野州に赴いて宇都宮城の改修に専念したいが為。この左京亮、来るべき上方との対話に備えて宇都宮城を総構えに仕立て直しまする」


 宇都宮城ごと奥羽の巨大な出城とする計画だ。

 ピンと来ていない皆に対し、皆が思っている以上に織田家の関東進出は早まる旨を補足。


「昨年より織田の尖兵である徳川家が遠州高天神城を兵糧攻め中ですが、北条家と対陣中の武田家にこれを後詰めする余力は無い模様。このまま高天神城を見捨てれば、当主の武田勝頼の威徳は地に落ちまする。まず木曽義昌あたりが織田方に寝返り、早晩武田家は崩壊を始めましょう。武田家が潰れれば織田家は一気に上州まで踏み入って参りましょうぞ」


 織田信長に従うにせよ、そうでないにせよ早急な備えが必要と説く。

 ギラリと左眼を光らせ、政宗が身を乗り出してくる。


「織田家が攻め来れば、宇都宮で防戦するというのかっ」


「さにあらず。宇都宮城はあくまで前線の基地。戦場は東国全域に候。奥羽の古来の戦さを紐解けば、攻め込まれれば必敗。北畠顕家公の如く、こちらから攻める為の仕掛けを用意するのです」


 陸奥の厨川の柵で源頼義を迎撃した安倍貞任。

 出羽の金沢の柵で源義家を迎撃した清原家衡。

 阿津賀志山防塁で源頼朝を迎撃した藤原泰衡。

 皆、防衛に失敗して滅んでいる。


 翻って鎮守府大将軍の北畠顕家は、一度目の西征時に五万の兵で多賀城を出撃して鎌倉を占領。

 その後に京都まで攻め上がり、足利尊氏を西国に追い落とした。

 多賀城から近江までの約800kmを、戦さを挟みながらわずか二十日で走破した強行軍である。

 二度目の西征時も、最終的には敗死してはいるが、再び鎌倉を攻め落として京まであと一歩のところまで迫った。


 北畠顕家の二度目の西征時の敗因は、北陸の新田義貞との連携失敗の他に兵糧不足が挙げられる。

 南朝は国府を多賀城から霊山城に移していたが、北朝方の攻勢を排除してからの急な出撃となり、兵糧は現地調達であった。

 美濃で北朝方を打ち破るも兵は疲弊し、父の北畠親房が治める伊勢に到達した頃には連戦連勝の勢いは完全に失われていた。


 先人たちと同じ轍は踏まぬ。

 その為の宇都宮城の拡張工事だ。


 鎮守府が外征に使える兵数を収容出来るだけの広さと、その大兵力を支える兵糧の供給基地としての機能。

 この二つを宇都宮城で両立させる道筋を作るのが、この俺、二階堂盛義の最期の務めと決めていた。






 仙台城から下城し、二階堂家屋敷に戻る。

 続いて日をおかずに次男勢至丸の元服式を執り行う。


 烏帽子親は伊達家の長老である実元殿にお願いしてある。


「ご足労、かたじけない」


「何の何の。勢至丸殿は倅の許嫁の兄君じゃ。絆を重ねておいて損はあるまい」


 会津から仙台まで足を運んでもらった実元殿に礼を述べると、ニコニコと応じてくれる。


 我が母方の祖父である直山公(伊達稙宗)のせいで、実元殿と我が二階堂一族との血の繋がりは大分複雑だ。

 実元殿から見ると、勢至丸と娘のお元は姪の子らでもあり、妻の姉の子らでもある。

 さらに実元殿の嫡子の成実とお元との婚約で、二歳年下の勢至丸は伊達成実の義兄となる予定であった。


 伊達実元殿は、会津と只見の約二十五万石の領地の差配が任されている。

 その系譜に連なっておけば、もし盛隆の本家が政宗に睨まれても、勢至丸の分家は生き残る可能性が高まるはずだ。


 俺に二階堂家の家督を譲られた盛隆が、勢至丸の元服式を取り仕切る。

 当主となって初めての行事である。

 兄弟仲良く二階堂家を盛り立てていって欲しいという俺の思惑が込められている。


 つつがなく式は進む。


 勢至丸には二階堂盛行を名を与える。

 俺の捨てた行の字を拾ってもらった。


 盛行に言葉をかける。


「盛行。そなたは政宗殿に仕えよ。仙台にあって須賀川の兄の力となるように。母の面倒も頼むぞ」


「はい。父上」


 可憐に笑ってくる。

 美貌の兄に似て盛行も見目は整っており、舞を好むだけあって所作が華やかだ。

 政宗にも好かれているらしいので、二階堂家の中では一番伊達家寄りな立場を取ってもらうことになるだろう。


 盛行の所領についても伊達領に近い伊達郡の川俣と、行方郡の山中、標葉郡全域、楢葉郡の北部の合計二万七千石を割り当てておいた。

 また傅役には二本松城主の左近こと保土原行藤を充て、実際の領地経営も左近に任せる。

 主城とするには川俣の城ノ倉城は手狭過ぎるので、新たな川俣城の築城を左近に命じておいた。


 史実の二階堂盛行(行親とも)は、十四歳の若さで病死している。

 だが盛行には八歳で資福寺に修行に出すまで毎朝牛の乳を絞らせており、きっと疱瘡への耐性は付いているはず。

 手洗いうがいを励行しており、破傷風対策に度数の高いアルコールまで用意し、日々を過ごす環境も須賀川から仙台へ変えた。


 もはや俺に出来ることは無い。

 あとはその天命が続くことを祈るのみだ。






 盛行の元服式を終え、ついに旅立ちの刻が来る。


 八歳となる娘のお元とも存分にスキンシップを取った。

 いつまでもその成長を見守っていたいが、これ以上は未練になる。


 ん?

 南御前がなかなか見送りに出て来ないな。

 どこに行ったのか。


「盛隆、御前を呼んで参れ」


「父上、母上はあちらに。既に準備万端で待っておられます」


 盛隆が手のひらで門の方向を指す。

 薙刀を持った完全武装の南御前が、門の前に立ち塞がっていた。


「遅い。待っておったぞ。出立前に私の望みを叶えてもらおうか」


 え、ええー!?


 いいえをいくら選択しても無限ループだ。

 ガンとして譲らなかったので、仕方なく立ち会いに応じる。


 もちろん模擬刀での試合であったが、やたら強い。

 三人の子を産んで現役を退いたと思ったら、密かに鍛え直していたようだ。


「仙台に来てから喜多に相手をしてもらっておる。お陰で昔の勘が少しだけ取り戻せた」


 少しどころではないわっ!


 南御前の腕前は尋常ではなく、これまでの敵と比べても一番手強かった。

 そもそも刀と薙刀ではハンデが大きすぎる。


 心ゆくまで妻の我儘に付き合ってあげたいところではある。

 しかし俺にはもうその時間が無い。

 最期の最期まで全力を尽くす為に宇都宮へ行くと決めたのだ。


 戦闘モードオン。


 一合で決める!






 俺に模擬刀を突きつけられて苦笑する南御前。


「満足した。感謝する」


 足元に転がる薙刀を拾い、サバサバした表情で引き上げていく。

 拍子抜けである。


 今生の別れにと抱き寄せようとしても「もう用は済んだ。さっさと行くが良い」と連れない反応を見せる。

 さっきまでの熱烈に俺を求める態度は何だったのか。


 ただ、すれ違いざまポツリと呟かれる。


「次は負けぬ」


 我が妻、南御前なりの『生きろ』のエールであった。






<1581年 5月>


 吉次の待つ宇都宮城に入城する。

 吉次は織田信長の京都馬揃えを見届けた後、東山道を下って奥州への帰路に就き、先に宇都宮入りしていた。

 宇都宮で待ち合わせるにあたって、近江から穴太衆を連れて来るようお願いしてある。


 宇都宮城の総曲輪化に伴い、東国初となる石垣の導入を計画している。

 織田信長政権下の上方では築城ラッシュが続いており、穴太衆は引くて数多であったがそこは金の力で解決する。

 宇都宮と言えば大谷石が有名であるが、残念ながら大谷石の採掘場は多気山城の真向かいにあり、宇都宮家の勢力圏だ。

 その為、鬼怒川の支流で宇都宮城のすぐ脇を通る田川を使い、日光から適当な石を運んで石垣に使う目処を立てている。


 なのだが。

 吉次、そのうらびれた僧形の男たちは誰なんだ。


「えーと、こちらの方々は佐久間信盛殿とその御嫡男の信栄殿です。信盛殿は退き佐久間で有名なので殿もご存知でしょう。信栄殿は茶の湯に精通されていて、織田信長公に追放されちゃう程の数寄者なんですよ」


 テヘヘ、と紹介してくる吉次さん。

 吉次は奥州に戻るにあたって高野山を詣でており、そこで高野山を追い出された二人と出会ってしまった。

 信栄殿は我が商店の上得意だったので見捨てされませんでした、とのこと。

 これまで茶器をしこたま買い込んでくれていたようだ。


 ついこの前まで織田軍団のトップだった男が、突然我が掌中に転がり込んで来た。

 佐久間信盛が頭を下げてくる。


「高野山からも追われ、寄る方も無く。吉次殿に頼みいった次第。最期の一花をこの東国で咲かせたく」


 リストラで首を切られた大企業の役員が、地方の中小企業の中途採用に応募してきたようなものだ。

 下手をすれば、元に所属していた大企業に睨まれてしまう可能性も高い。


 どうするよ。






 佐久間信盛と信栄の父子と言えば、織田信長の十九箇条の折檻状が有名だろう。

 石山合戦で織田軍の主力を率いていたにも関わらず、十年に渡って目ぼしい武功を挙げられなかった為に織田信長の怒りを買った。

 この世界線でも同様に、畿内での織田軍団の統帥権を剥奪され、明智光秀がその後任となっている。


 正直に言えばもう賞味期限が切れている武将である。

 確か史実では高野山に追われて一年ばかりで亡くなっているはず。

 ただそれは熊野での過酷な日々が原因なのかもしれない。


 窮鳥懐に入れば猟師も殺さず、とも言う。

 これからは二階堂家も上方との交渉ごとが増えていこう。

 その時に佐久間信盛と信栄の人脈が生きてくるかもしれない。


 うーん、抱えておくか。


 佐久間信盛は腐っても織田家臣団の頂点に三十年君臨した男だ。

 退き佐久間のあだ名の通り、守勢に強い武将であった。

 援軍で参加した三方ヶ原の戦いでは、大敗して同僚の平手汎秀が討死する中、麾下の将兵を損ずること無く見事に退いてみせた。

 石山の戦いでは幾つも付け城を築いて本願寺方の攻勢を食い止め、上杉謙信の北陸侵攻や荒木村重の謀反の折に織田家の戦線の崩壊を防いでいる。

 宇都宮城の拡張工事の指南をお願いすれば、案外良い仕事をするかもしれない。


 信栄の方は、二階堂家のお抱え茶人にしておこう。

 盛隆も盛行も今から信栄に茶の湯を習っておけば、織田政権の御茶湯御政道に面した時に恥をかかなくて済む。


 手早く計算し、二人の住まいを宇都宮城下に用意するよう、指示を出しておく。


 ほっと胸を撫で下ろす吉次の姿が見えた。


 安心するのはまだ早い。

 勝手をしたオトシマエはきっちりつけてもらおうか。






 久方ぶりの吉次との夜の逢瀬は、自分でも制御が効かないくらい激しいものであった。


 もうすぐ天命が尽きる前触れなのだろうか。

 命の危機を察して子孫を残そうと、いつも以上に身体が漲っていた。

 そして吉次も気がつけば三十歳を越えており、女盛りだ。

 年増の色気が溢れるその生白い柔肌に溺れまくる。


「はぁはぁ、信長公の軍団は強力です。この宇都宮城をいくら改修しても、とても勝てるとは思えません。あんっ」


 息も絶え絶えに織田信長と敵対する不利を説いてくる吉次。

 武田勝頼に見捨てられて高天神城は落城し、岡部元信は討死を遂げた。

 越中の上杉方の河田長親が急死し、織田家の軍勢が越後に迫っている。

 しかし、だ。


 吉次の耳元で囁く。


「畿内の織田家の軍勢を率いるのは明智光秀。かつては足利義昭の家臣だった男ぞ。少し信を置き過ぎではないかな」


 本能寺の変。


 その時にどう動くべきか。

 輝宗殿や盛隆に書き置いておくとしよう。






<1581年 7月>


 佐久間信盛の助言を受け入れながら、宇都宮城下の改修を進める。


 史実では大阪の陣の後、徳川家康の遺命によって本多正純が十五万五千石で宇都宮に封される。

 本多正純は宇都宮城下の街割を見直し、徳川家の日光詣で十万人の行列を逗留可能な規模にまで宇都宮城の拡張工事を行った。

 記憶を頼りに、その本多正純の事蹟を流用する。


 東は田川まで縄張りを広げて水を引き入れ、水濠を張り巡らす。

 西は西高東低の大地に対応するため、日光街道まで縄張りを広げて堀を深くする。

 北は宇都宮二荒玉神社まで縄張りを広げて、八幡山と連結して背後の守りを鉄壁とする。

 南は城壁を高くして大手門を配置し、関東に向かって出撃する為の城であると強調。

 史実の二倍以上の規模の総構えだ。


 もはや改修ではなく、全くの新しい城の築城であった。


 奥州と野州の所領と配下の国人衆の兵を動員し、周辺の住民や日雇いの者たちを含めて約三万の人夫で工事を進める。

 吉次が連れてきてくれた穴太衆が活躍してくれている。


 その吉次だが、二度あることは三度ある。

 第三子を妊娠が発覚しており、悪阻に苦しんでいた。

 

「覚悟はしてましたし、吉乃と久丸は白河から呼び寄せましたっ。もう、これで最後ですからね!」


「うむ。すまぬ」


 悪びれず吉次の抱き心地の良い身体を抱き寄せ、スキンシップでご機嫌を取る。


 そして宇都宮にやって来た我が長女の吉乃は、算盤片手に大活躍だ。

 吉次に任せようと思っていた日々の人夫の食料の手配や賃金の計算ミスのチェックを、片っ端からこなしていく。


「ここちがうー。ここもー」


 十一歳の女児に、二階堂家の役人たちがてんてこ舞いに追い込まれている。


 久丸の方は、六歳にして既に囲碁のルールを覚えてしまっていた。

 工事の休憩時間に囲碁を打っている武将たちのところに張り付き、囲碁を指南してもらっては目を輝かせて喜んでいる。


 あれ?

 久丸の相手を今しているのって佐野家の侍大将の山上道及じゃないのか?


「む、むーん。ここに打ってくるとは、なかなかでござるな」


 山上道及が久丸の一手に唸っている。

 久丸、かなり筋が良いようだ。






 宇都宮城下に出向き、堀の開鑿工事の指揮を取っていると、大関親憲が駆けてくる。


「やはり謀反が起こりましたぞ。五十公野治長、いや今は新発田重家だったか。その重家が謀反にござる!」


 上杉景勝が治める越後にて、揚北衆の新発田重家が叛旗を翻し、下越の重要拠点である新潟港を奪取した。

 新発田重家は御館の乱にて大宝寺義氏の攻勢を退け、揚北衆佐々木党の加地秀綱を降し、乱後の三条攻めでも武功を挙げている。

 上杉景勝の勝利に多大な貢献をした男だ。


 その後、兄の新発田長敦が病死し、新発田家の家督を継いだ。


「親憲、そなたその新発田重家とは面識はあるのか」


「幾度か戦陣を共にしておりますが、曲がったことが大嫌いな強情な男にござる。戦さもかなり強い。周辺の揚北衆も同調していると文にあり申す。景勝様もこれは苦労いたしましょうぞ」


 新発田重家の決起の原因はやはり恩賞であった。

 御館の乱での揚北衆の手柄に対する恩賞はゼロ回答。

 流石にそれは新発田重家も怒るだろう。


 上杉謙信亡き後、越後国主として一気に中央集権化を図り「我を崇めよ!」と国人衆を締め上げる上杉景勝。

 それに対して「はぁ!?恩もないのに奉公するわけねーだろ。なら独立します」と三行半を突き付けた新発田重家。

 和解の道は無く、両者の戦いはどちらかが倒れるまで続くことになろう。


 新発田重家は現在新潟城を築城中のようだ。

 独自の経済圏の確立を画策し、伊達家に後援を求めて来るはず。

 伊達家が越後に勢力を伸ばす絶好期が到来した。


 宇都宮城内に戻って筆を取り、仙台の輝宗殿宛に献策の手紙を綴る。

 表向き中立を装いつつ、密かに赤谷に築城して新発田方への補給を行うべし。

 然るのち上杉景勝が新発田城攻めに赴いて来たら、新発田重家と連携して一気呵成にこれを討ち取るべし。


 苦労して文を書き上げ、筆を置く。

 この手紙もそうだが、あと二月の内に書き残しておくべき書状は、右筆には任せられない内容のものばかりだ。

 それを築城の普請と並行して書き上げないといけない。

 相当な苦行である。




 ふと、今は亡き我が烏帽子親の須田永秀を思い出す。

 須田の爺には習字の訓練を欠かさぬよう、いつも口酸っぱく注意されていた。


 苦笑。


 爺よ。

 そなたの言う通りであったわ。


 おっと、いかんっ。

 昔を懐かしんでいる暇など無かった。


 急ぎ築城作業に戻るとしよう。




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― 新着の感想 ―
[一言] え、まじで死んじゃうの? 感情移入しているだけに辛いものがあるんじゃが…
[一言] 良い意味で期待を裏切って欲しい、西日本の大名達とのやり取りを見たいので。
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