1580 暗闘
<1580年 1月>
須賀川で甄姫の父の二階堂晴泰殿の弔いを行う。
近年病勝ちであった晴泰殿は、麒麟丸の誕生を見届けた後、正月明け早々に儚くなる。
まだ赤子の麒麟丸ではあるが、その小さな身体は信濃流二階堂宗家と須賀川二階堂家の統合の象徴である。
足利義昭や三淵藤英を見捨てた一件をずっと悔いていた晴泰殿であったが、麒麟丸の誕生を涙を流して喜んでいたのが印象的であった。
葬儀は息子の盛隆の手配で滞りなく進む。
「甄姫よ。気を落とさぬように」
産後の大変な時期に実父を亡くし、心身ともに辛いであろう。
甄姫に労りの言葉をかける。
すると麒麟丸をあやしていた甄姫がふと漏らしてきた。
「この子の顔を父に見せた時、我らは麒麟の到来を願って必死に励んだのだ、こんなところにおったのかと涙ながらに呟いていました。どういう意味だったのでしょう」
その答えは誰にも分からない。
とにかく、麒麟丸が成人する頃には太平の世が到来していて欲しい。
自分の残り時間の全てを、その礎を築く為に使い切ろうと思う。
<1580年 2月>
白河で長女の吉乃と三男の久丸の世話をする。
安土で店を構えた吉次が算盤を送ってきた。
「面白そー。てて様、これどう使うの?」
「これはだな・・・」
昔取った杵柄でパチパチ珠を動かす。
えーすごーいと娘から尊敬の目で見られて、ちょー気持ちいいです。
よーしパパ頑張っちゃうぞ。
吉乃には検算の仕方をしっかり教え込んでおいた。
数えで五歳になる久丸の最近のお気に入りは、碁石のようだ。
同じ色の石で挟んだら色が変わる簡単なゲームを教えてやる。
目をキラキラ輝せながら、碁盤にパチパチ石を置いていく久丸。
数度の対戦で角を取るのが有利とあっさり気付いたようで、あっという間に強くなっていく。
「ちちうえ、ここおいていいの?」
「お、おう」
どんどん色が置き換えられて行く碁石たち。
あれれれ、意外と強いぞ。
あ、これ俺の負けなのでは?
<1580年 3月>
仙台に移動する。
その足で次男の勢至丸が修行中の資福寺を訪ねた。
伊達家の本拠地移転に伴い、米沢にあった資福寺も仙台城下に引っ越している。
その資福寺の住職である虎哉宗乙和尚に面会。
来年の早い内に勢至丸を元服させると明言する。
「おやおや。拙僧が見るに、勢至丸殿は心優しく武将の道はいささか難ありと存ずる。その秀でた歌舞音曲の才を伸ばす道を選ばせては如何かな」
「やがて必ず来る太平の治世には、文化を愛でることの出来る武将も必要となりましょう。大変結構なことですな」
へそ曲がりの虎哉宗乙和尚との腹の探り合いはとても疲れるので、ここは強引に回避だ。
俺の目が黒いうちに何としても勢至丸の元服は見届ける!と気合を入れ、早々に要件だけ伝えて話を切り上げる。
しかし勢至丸、芸事の才があったとは意外であった。
虎哉宗乙和尚の話では、笛は片倉景綱、鼓は道慶仕込みの岡本清九郎に教え請うているらしい。
ただ勢至丸本人が一番好むのは舞だそうな。
共に虎哉宗乙和尚の下で学んだ政宗に発破をかけられ、僅か十一歳にして自己研鑽に精進しているとのこと。
体を鍛えるのは良いことだ。
思うように体を動かす為には、体幹を鍛える必要がある。
それはきっと武芸にも通じよう。
<1580年 4月>
春になる。
南の方のご機嫌取りと思い出作りに注力する。
仙台移転直後、輝宗殿に願い出て仙台の奥座敷の秋保に御殿湯を整備させていた。
その御殿湯の入浴場が完成したとの連絡があった為、娘のお元を連れての湯治に誘う。
「我が夫殿はほんとに温泉好きだな」
南の方は呆れ顔だ。
ただお湯の方は気に入ってくれたようで、今度は母の笑窪御前を誘うとのこと。
さすが皇室御用達の日本三御湯の一湯である。
あと温泉上がりに、おはぎを進呈。
半殺しに潰した米を丸め、二階堂家の財で砂糖を買い付けて作った餡子で包んで出来上がりだ。
やはり秋保と言ったら何をおいても、おはぎだろう。
<1580年 5月>
長い間単身赴任で野州を任せていた実弟の大久保資近と入れ代わりで、宇都宮城に入る。
「これまで長々とすまぬな。鴫山城に戻って娘たちを愛でてやれ。彦姫にも謝っておいてくれ」
「はい。兄上、では後のことはお任せします」
大久保資近から二荒山神社の新社殿の造営の差配を引き継ぐ。
造成はかなり進んでおり、あと三ヶ月もすれば全ての社殿が完成となる。
落成式は盂蘭盆と重なりそうだ。
宇都宮城下は盛大なお祭り騒ぎになるだろう。
今のうちに大道芸人とかを手配しておいた方が良いかもしれない。
また新たに得た壬生・鹿沼の所領の掌握にも努める。
日光山統治の為の築城を企画する。
城の位置は倉ヶ崎あたりが適当ではなかろうか。
築城に適当な場所の調査と城の縄張りを、芳賀郡の新領主が板についてきた大内定綱に任せてみた。
あと鬼怒川温泉の源泉の探索も進めておく。
史実では十七世紀後半の発見だが、上手くいけば百年以上前倒し出来よう。
<1580年 6月>
天正八年が明けてからとにかく忙しく、飛ぶように半年が過ぎ去ろうとしている。
その間に須賀川、仙台、白河、宇都宮を行ったり来たりだ。
言い換えれば、我が二階堂家は内治に勤しむ半年であった。
輝宗殿が率いる伊達家も同じだ。
対外的な活動を控えて庄内と雄勝の領国化を推し進めている。
去年見つかった雄勝の院内銀山も、急ピッチで開山まで漕ぎ着けていた。
これで先年の洪水で甚大な被害を受けた葛西地方の立て直しが早まるはず。
北楯利長に進めさせている北上川の治水整備も一層捗ることだろう。
翻って奥州と野州以外の東国は、戦乱が続いている。
関八州の過半を制する北条家。
御館の乱を経て領国を全て敵に囲まれる格好となり、使僧の板部岡江雪斎が駆けずり回って外交関係を再整備した。
北の我が二階堂家とは小川台で和議を結び、西の武田家に対しては徳川家と盟を結んで東西から対抗。
東の佐竹義重と睨み合いつつ千葉家の内紛に対処し、その間に房総の領国化を進めている。
甲信駿を抑え上州を狙う武田家。
北条家が徳川家と結んだ当初は駿河で両軍に翻弄されるものの、三月には駿河湾で北条家と海戦に及んで引き分け。
その間に武田勝頼は上州への攻勢を強めており、つい先日には麾下の真田昌幸が調略で沼田城を降している。
真田昌幸の勢いは止まらず、白井城の攻略も目前だ。
越後と越中半国に縮んだ上杉家。
未だ御館の乱の後始末に追われており、尚も反抗を続ける一部の国人領主たちを順番に攻め潰している。
景虎方の重鎮であった本庄秀綱は栃尾城を守りきれず、会津に逃れて伊達実元殿の下に駆け込んだ。
続いて上杉景勝は三条城の神余親綱を討とうとしていた。
三河遠江を制し東進する徳川家。
家中で謀反騒ぎが勃発する中、北条家と結んで駿河の武田家を東西から揺さぶる態勢を苦労して構築した。
その上で徳川家康は安土に弁明の使者として酒井忠次を送るも、織田信長の空気読めよの一言に屈する。
正室の築山殿を殺害した上で、長男の松平信康を廃嫡して自刃に追い込み、結果家中はガタガタだ。
常陸一国を手中に収めた佐竹家。
千葉良胤の支援を続けるも、北条家が下総方面だけは頑として譲らなかった為、ジリ貧になりつつあった。
徐々に房総から北条方に駆け付ける援軍の数が増えているようで、我が二階堂家へ協力を求める使者が幾度もやって来る。
何くれと理由を付けて断っていたら、業を煮やして甲斐の武田勝頼と再同盟を結び、武田家と連携する動きを見せ始めていた。
遠く播州の三木城を干殺しにし、本願寺顕如との石山合戦に事実上勝利した織田信長。
その織田信長の動きを注視しながらも、争いを止めない東国諸将。
そんな中、関八州では野州だけがこの半年は無風状態である。
しかし、それは表見えだけであり、その影では激しい暗闘が繰り広げられていた。
日光山を詣でた帰りの道中。
馬に揺られていると、赤く透明な弾道予測のラインが突如照射される。
「チッ、駆けよ!」
体を倒して射線を躱し、供の者にも号令して馬を走らせる。
バーンッ
ヒュン
銃撃の音と近くを掠めていく銃弾の風切り音。
「利益!あとは任せた」
「承知っ」
護衛の隊列の中にいた前田利益が馬首を返し、刺客の捕獲に向かう。
今いる場所は多気山城の宇都宮家の勢力圏に近い。
火縄銃の狙撃だけでなく、二の矢三の矢があるだろう。
まずは宇都宮城に戻ることを優先する。
宇都宮城に近付くと、奥村永福が一軍を率いて出迎えに現れる。
「ご無事で何よりでした」
「うむ。命を狙われるのはこれで四度目ぞ。流石に目に余るな」
兵を動かせないなら、暗殺者を差し向ければいいじゃない。
そんなノリで何者かが刺客を放ったのだろうか。
宇都宮城で政務を取り始めてからというもの、あの手この手で個人攻撃を受けていた。
二荒山神社の工事を監督しに行ったら、建材が倒れてきた。
馬を降りて視察に赴いた隙に、乗ったら振り落とされる仕掛けが鞍に細工されていた。
夕餉を食べようとしたら、味噌汁にとりかぶとの毒が入っていた。
全て戦闘モードでの観察によって事無きを得ている。
しかし心配した奥村永福は、前田利益を俺の護衛に配していた。
護衛としての力量は申し分無いが、宿直と宣って毎晩寝所まで酒盛りに来るので、むさ苦しいことこの上無い。
その前田利益が頭をかきながら戻ってくる。
「いやー、すまぬ。草の者とはいえ一廉の男であったわ」
狙撃手は余程手練れだったようだ。
最後まで依頼主の名前は明かさなかったとのこと。
自慢ではないが、方々からかなり恨みを買っている自覚はある。
伊東に、二本松に、白河に、蘆名に、最上に、大崎に、葛西に、塩谷に、壬生に、皆川に、佐野に、益子に、大宝寺に、小野寺に、芳賀。
どこの生き残った郎党が動いているか、わかったものではない。
そして宇都宮はもちろんのこと、佐竹だって可能なら俺を排除したいと思っていよう。
北条は言わずもがなだ。
一番有りそうな線の調査結果を奥村永福に確認する。
「先代の芳賀家当主の様子はどうであった?」
「芳賀高定に動きは見られませぬ。隠居所に怪しい者が近づいた気配も無く」
むむむ、違ったか。
では、これまでの手際の良さを考えると風魔あたりだろうか。
何にせよ、面倒なことになったものだ。
<1580年 8月>
二荒山神社の新社殿の落成式が数日後に迫る。
野州だけでなく関八州に我が二階堂家の威勢を示す良い機会だ。
式を盛大に執り行うのは勿論だが、盂蘭盆が重なっていることもあって盆踊りのパレードの開催を企画している。
二荒山神社の門前町の大通りを使い、城下の若い女衆に着飾らせて盛大に行う予定である。
採点を行なって優勝したチームには、祭りのクライマックスに二荒山神社の境内で舞う栄誉が与えられる。
最期には花火も上げる。
方々の村々だけでなく行商人にも事前の宣伝している為、当日は宇都宮の市中は見物の人でごった返すだろう。
遠く京の公卿たちも招待しており、その逗留の手配やら警備の配置やら諸々するべきことが多い。
下野守である息子の盛隆には、その美貌を余すとこなく活用し、二階堂家の顔として渉外担当を務めてもらっている。
俺は極力表に出ずに裏方に徹する。
遺漏なく行事が成功するよう、自ら方々に出向いて細かく指示を出しまくった。
落成式を彩る催し物も多い。
事前に手配していた大道芸人たちや風流踊りの一座が、関東各地からこの宇都宮に集まって来ている。
今回の祭りの為にわざわざ城下に建造させた豪華な芝居小屋で、今はリハーサルの真っ最中とのこと。
どれくらいのレベルの芸が見られるのか事前に知っておきたい。
お忍びで城下に向かおう。
「それは面白そうですな」
前田利益も付いてくる。
日光山帰りに狙撃されて以降、幸いなことに暗殺者による襲撃は鳴りを潜めていた。
前田利益は相変わらず護衛役を務めてくれているが、その武勇は既に関東一円に鳴り響いている。
とにかく大柄で目立つ前田利益を付き従えていれば、まず襲われる可能性は有るまい。
芝居小屋に着いたら何やら人が沢山集まっており、騒ぎになっている。
ひょいと覗いてみると、色っぽい衣装を纏ったスタイル抜群な美人さんが、舞台の上で無頼の衆に絡まれていた。
風流踊りの一座の花形だろうか。
それにしては若い。
舞台用の濃いメイクをしているが、二十歳そこそこの娘っ子だ。
中身はともかく衣装のきわどさに慣れていないようで、その無理してます感が逆に妖しい魅力を放っている。
若い娘の色香に当てられ、誘蛾灯のように粗暴な連中が集まっていた。
もっと脱げだのなんだのと揉めている。
男たちは酒に酔っ払っているようで、芝居小屋をストリップ劇場か何かと勘違いしているのではなかろうか。
「これはいかん」
「あっ、おいっ」
止める間も無く、護衛のはずの前田利益が嬉々として乗り込んでいく。
面白そうなら他人の喧嘩も熨斗を付けて買いに行くのが前田利益。
それが美女がらみともなれば、こうなるのは目に見えていた。
「ぎゃっ」「てめぇ、んごぉ」「ぺげぶっ!」
あれよあれよとむさい男たちを片付けていく前田利益の姿を、野次馬たちに隠れて見物する。
やれやれ。
戦闘モードで確認したら、踊り子の娘さんは赤いマーカー。
敵対勢力のくノ一だ。
さてどうしたものか、と頭を捻っていたら突然肩を叩かれた。
俺に気配を感じさせぬとは何奴!
バッっ振り向くと、陣笠を被った旅装の武士が一人。
「お久しゅうござる」
陣笠を取って挨拶してくる。
そこには見覚えのある馬面と黒子の数々が。
上杉家中の大関親憲であった。
助けた踊り子から「是非お礼を」と迫られてデレデレな前田利益は放っておく。
まぁ前田利益なら何とかするだろう。
相手がくノ一であることも先刻承知しているようだし。
別れ際のウィンクってそういう意味だよな?
それよりも大関親憲だ。
宇都宮城に案内する。
「なにぶん祭りが近い。バタバタしているが、容赦してくれ」
「なんのなんの。こちらこそ忙しい最中に押し掛けて申し訳ござらぬ」
早速話を聞く。
「何?当家に仕官したいとな?」
「はっ、是非左京亮様の下で働きとうござる」
どうやら上杉家を出奔して来たらしい。
御館の乱で勝者となった上杉景勝の国を治める姿勢には付いていけないとのこと。
景虎方に与して敗者となった国衆を、戦後も徹底して弾圧していた。
「それにあれだけ必死に戦ったというのに、恩賞がなかなか出ませなんだ」
順次に恩賞は出ているそうなのだが、上杉景勝の支持母体である上田衆が優先され、他は後回しになっていた。
直江信綱へ出した手紙は無駄であったか。
「今、越後では御中城様(景勝)の新しい政治への不満が渦巻き始めており申す。きっとまた大きな乱が起きましょうな」
去年の暮れに新発田城主の新発田長敦が病死している。
弟の五十公野治長が新発田重家を名乗って家督を継いだと聞く。
新発田重家は名うての戦上手で、率いる揚北衆は精強無類だ。
これは史実通りの展開になりそうだ。
「謙信公御存命の折とは家中の雰囲気がガラリと変わり申した。これでは織田信長にはとても勝てますまい」
今の上杉家では早晩織田家に滅ぼされる。
大関親憲は冷徹に判断を下し、それ故に上杉家を離れた。
「そなたのような剛の者が我が家中に加わってくれるのは心強い。しかし俺は来年には家督を倅の盛隆に譲るつもりだ。そなたも盛隆に仕えることになるが、それで良ければ喜んで受け入れよう」
「ははっ。忠勤を誓いましょうぞ」
御館の乱のおかげで、越後の豪傑を一人ゲット。
盛隆や麒麟丸への良い置き土産になろう。
久方ぶりに大関親憲と酒を酌み交わし、寝所へ戻る。
宿直役に前田利益の姿は無い。
大方城下の遊郭にでもしけ込み、昼間のくノ一と閨を共にしているのだろう。
寝る。
どれくらい寝ていたか。
ふと気配を感じた瞬間に、キュピーンッと戦闘モードがオンになった。
寝具の横に置いてあった刀を握って転がる。
ザンッ
先ほどまで俺の頭が乗っていた枕が真っ二つだ。
暗闇の中に影が一つ。
「へぇ、やるもんだ。完全に寝込んでいたと思ったが」
クツクツと影が笑う。
余裕だな。
こちらは夜目が効かないと踏んでいるようだ。
レーダーに宿直の二人の反応は無い。
既に始末済み。
相当な手練れと見える。
「昼間の甲斐から来たくノ一のお仲間かな?」
『・・・使い捨ての下忍の出自なんて知らないねぇ』
どういう術を使ったのか影が薄れ、声が反響する。
位置を撹乱して来た。
残念。
体力ゲージで居場所は丸見えなんだよっ!
「シャアッ!」
小梁川宗朝から引き継いだ無銘の太刀で音速の居合斬り。
『何っ!?」
俺が明かりを求めて逃げず、正確に斬り込んでくるとは予想外だったのだろう。
咄嗟に後ろに飛び退くも、刀を持った右腕を俺に斬り飛ばされ、そのまま襖に背中からぶつかる。
ドカッ、バタバタンッ
衝撃で襖が倒れる。
「く、くははは。こいつはまずい」
トドメの一刀を放つ為にとズズいと間合いを詰めると、忍びは逃げに転じた。
跳ねるように移動し、障子を蹴破って庭に転がり出ようとする。
追撃。
忍びは残った片手で牽制の礫を投げ放ってくる。
刀で弾こうとしたら、軌道が曲がる。
なんだこれ!
キキィー
反射的に顔を防いだ腕に、黒い何かが張り付く。
「ぐっ、痛っ」
噛まれた。
うわ、これコウモリかよ!
ヤバいヤバいヤバいヤバい!
自分のステータスが状態異常に遷移したことがすぐにわかった。
忍びを追うどころではなく、慌てて叩き落とす。
その間に大関親憲が騒ぎに気付いて駆け付けてくる。
「左京亮様、ご無事か!?おのれ、くせもの!」
「ぐわっ」
照らす月光を避けて逃げようとする片腕の忍びを、大関親憲は電光石火で斬り倒した。
その光景を横目に寝所に急いで駆け戻り、常日頃持ち歩いている鞄から竹筒を取り出す。
竹筒の中には、かなりキツい蒸留酒が入っていた。
上方にいる吉次に命じて九州から蒸留器を取り寄せ、須賀川で実験的に作らせていたものだ。
焦りながらも蒸留酒で傷口を洗う。
「む、むーん」
沁みる。
それでも何度も洗う。
戦闘モードで自分のステータスを確認する。
痺れも収まり、ステータスに表示されていた毒のマーカーも消えて行く。
しかし、コウモリは数多の病原菌のキャリアだ。
噛まれた場合にかかってしまう感染症は数多い。
ハンタウィルスに、狂犬病ウィルスに、日本脳炎に、果てはSARSまである。
いつ発症するかわかったものではない。
名も告げずに退治された甲斐の忍び。
とんだ土産を残していきやがる。
俺にとっての死神はお前であったか。
<1580年 9月>
二荒山神社の新社殿の落成式と盆踊りは、大いに盛り上がって成功裡に幕を降ろした。
日ノ本初の花火の大輪がその最後を彩り、政宗の事績をまた一つ先取りする。
傷を負った直後にすぐに処置したのが巧を奏し、直近のイベントへの影響は回避する。
何とか乗り切ることが出来た。
その後、鬼怒川温泉が発見された報告を受け、日光参拝客向けの御殿湯の整備を兼ねて湯治に赴く。
俺の負傷に責任を感じているのか、前田利益が同道を申し出て来る。
断るのも角が立つので好きにさせておいた。
「それで、あのくノ一、確か阿蛍と言ったか。お主の囲い女になったというのに、まだお主の命を狙っているのか」
「ええ、まぁそういう約束なので」
簡易的に岩で囲んで作った露天風呂に入りながら、ことの顛末を確認する。
阿蛍はかつて前田利益が長篠の合戦で討ち取った武田方の武将の縁者だったようで、復讐を果たす為に武田の歩き巫女部隊に参加。
必死に忍びの技を身につけながら敵討ちの機会を待ち、今回の作戦への参加を願い出たそうな。
しかし、遊郭にて色仕掛けで前田利益の隙を突こうとして失敗。
男と女の肉体言語で熱く戦った結果、なんだかんだでそういう結論に至ったらしい。
「いつまでも奥村永福の世話になっているわけにもいくまい。壬生城をくれてやるゆえ、その阿蛍とやらも連れて行くが良い」
「ここはありがたく頂戴しておき申す」
案外素直に受け入れてくる。
前田利益が正式に二階堂家の被官となった瞬間であった。
どんな心境の変化が有ったのだろうか。
まぁ三十にもなれば世帯の一つも持ちたくはなるか。
しかし武田の忍びが一連の襲撃騒ぎの下手人であったとすれば、自ずとその依頼主は明らかになる。
常陸の佐竹義重は甲斐の武田勝頼と先年に同盟を結んでいる。
北条氏政を東西から攻める為のものと勝手に思っていたが、俺の排除も睨んだ甲佐同盟であったようだ。
千葉良胤支援に協力しようともせず、野州支配を強める俺の姿勢に相当怒り心頭なのだろうな。
もちろん表立っての抗議など無駄である。
全ては暗闇の中での闘争。
証拠などどこにも無い。
傷を負ったのは油断したこちらの落ち度によるもの。
しかし反撃は必要だろう。
湯治に出立する前に謀臣の守谷俊重に命じ、常陸と下総に流言を放たせてある。
水戸の江戸重通謀反の噂だ。
これで佐竹義重の千葉良胤支援は立ち行かなくなるだろう。
もはや佐竹家には野州に構っている余裕など無い。
史実の江戸重通は北条氏政に通じて佐竹義重に叛旗を翻している。
あながち嘘でもあるまいよ。
もう傷は塞がりかけているのに、コウモリの噛み跡がジクジクと疼く。
この幻痛は、俺の天命が尽きていくカウントダウンなのかもしれない。
史実の二階堂盛義は天正九年の八月末に亡くなっている。
残りちょうど一年。
<年表>
1580年 二階堂盛義 36歳
01月
◆下越で新発田長敦(42歳)病死。弟の五十公野治長(33歳)が新発田家を継ぎ、新発田重家を名乗る。
◎須賀川にて信濃流二階堂宗家の二階堂晴泰(50歳)が没する。
02月
☆遠江にて徳川家康(37歳)の側室の竹の方懐妊。
▷播磨で羽柴秀吉(43歳)が三木の干ごろし戦法展開。別所長治(23歳)切腹。三木城開城。
▽筑前の秋月種実(32歳)、再び大友宗麟(50歳)に叛く。豊前猪膝にて大友軍を破る。
▷岐阜の織田信忠(25歳)、摂津の播磨御着城を攻め落とす。小寺政職(51歳)、鞆の浦に逃亡。
03月
☆遠江にて徳川家康(37歳)の側室のお愛の方(28歳)懐妊。
◆相模の北条氏政(42歳)、甲斐の武田勝頼(35歳)と駿河湾で海戦。重須の戦い。痛み分け。
04月
▽肥前で龍造寺隆信(51歳)隠居。家督を嫡男政家(26歳)に譲る。龍造寺家、筑前・筑後・肥後・豊前を勢力下に置く。
▽肥後で且過瀬の戦い。甲斐宗運(65歳)、阿蘇領に攻め寄せた龍造寺方の隈部親永(64歳)を奇襲で撃破。
▽肥後の甲斐宗運(65歳)、嫡男親英(42歳)の姑の黒仁田一族を伊東家への内通の咎で皆殺し。
◆安土の織田信長(46歳)、石山の本願寺顕如(37歳)と講和。石山合戦終結。
◆相模の北条氏政(42歳)、安土の織田信長(46歳)に使者を送って友好を確認。
05月
■仙台の伊達輝宗(37歳)、出羽の雄勝で院内銀山開山。東洋一の大銀山に育つ。
■仙台にて伊達輝宗の正室義姫(32歳)が出産。三男の雄勝丸誕生。
◆越後の上杉景勝(24歳)、栃尾城を攻め落とす。栃尾城主の本庄秀綱、会津に逃亡。
▽肥後の甲斐宗運(65歳)、島津と内通していた阿蘇家中の井芹党を己の次男三男ごと皆殺し。四男は日向に逃亡。
▽肥後の甲斐宗運(65歳)、龍造寺と内通していた嫡男親英(42歳)を追討するも家臣の嘆願により助命。
06月
◆甲斐の武田勝頼(35歳)、真田昌幸(33歳)の経略で北条方の沼田城を攻略。
▷中国攻略中の羽柴秀吉(43歳)、但馬出兵。有子山城開城。山名祐豊(69歳)降伏後病没。
◎宇都宮の二階堂盛義、暗殺者を立て続けに撃退。
07月
◆甲斐の武田勝頼(35歳)、真田昌幸(33歳)の経略で北条方の長井坂城を攻略。
★摂津で花隈城の戦い。荒木村重(45歳)落ち延びる。安土の織田信長(46歳)、摂津制圧。
◆越後の上杉景勝(24歳)、三条城を攻略。神余親綱(54歳)を討ち取る。旧上杉景虎派の駆逐完了。
◎南会津にて大久保資近の正室の彦姫(28歳)懐妊。
08月
◆甲斐の武田勝頼(35歳)、真田昌幸(33歳)の経略で北条方の白井城を攻略。
☆遠江にて徳川家康(37歳)の側室竹の方、家康三女の振姫を産む。
◎宇都宮で二荒山神社の新社殿落成。甲斐の歩き巫女一派の風流踊り一座が興業。前田利益(29歳)、くの一の阿蛍(19歳)を抱く。
◎宇都宮の二階堂盛義、越後上杉家を出奔した大関親憲(34歳)を雇用する。
◎宇都宮の二階堂盛義、寝所に忍び込んできた甲斐の忍を討ち果たすも負傷。
09月
◎宇都宮の二階堂盛義、鬼怒川温泉を開削。湯治で傷を癒す。
★石山の本願寺顕如(37歳)、近衛前久(44歳)の調停により石山本願寺から退去。
▼檜山の安東愛季(41歳)、安土の織田信長(46歳)と誼を通じ、従五位上侍従を補任。秋田氏に改性。
◆相模の北条氏政(42歳)、甲斐の武田勝頼(35歳)と武蔵本庄で対陣。家督を嫡男の北条氏直(18歳)に譲る。
10月
★安土の織田信長(46歳)、リストラ実行。林秀貞(67歳)と佐久間信盛(52歳)と安藤守就(77歳)と丹羽氏勝(57歳)を追放。
☆遠江にて徳川家康(37歳)の次妻のお愛の方(28歳)、家康の四男福松丸を産む。
▼陸奥行方で相馬義胤(32歳)の正室の越河御前(31歳)が懐妊。
11月
◆水戸の江戸重通(24歳)、常陸の佐竹義重(33歳)を裏切って北条方に鞍替え。
◆相模の北条氏政(42歳)、千葉家内紛を鎮圧。千葉良胤(23歳)、常陸に逃亡。
12月
☆遠江の徳川家康(37歳)、武田方の高天神城を兵糧攻め。織田信長(46歳)、敵将の岡部元信(62歳)の降伏許さず。
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▲天変地異
◎二階堂
◇吉次
■伊達
▼奥羽
◆関東甲信越
☆北陸中部東海
★近畿
▷山陰山陽
▶︎︎四国
▽九州
<同盟情報[1580年末]>
[南奥]
- 伊達輝宗・二階堂盛義・田村清顕・相馬義胤・佐竹義重・岩城常隆
[関東]
- 北条氏政・千葉邦胤・江戸重通
- 佐竹義重・宇都宮伊勢寿丸・結城晴朝・那須資胤・多賀谷重径
- 武田勝頼・上杉景勝
須賀川二階堂家 勢力範囲 合計 59万5千石
・奥州 岩瀬郡 安積郡 安達郡 石川郡 18万7千石
・奥州 伊達郡 2万石
・奥州 信夫郡 1万2千石
・奥州 白河郡 7万4千石
・奥州 会津郡 3万石
・奥州 標葉郡 1万5千石
・奥州 楢葉郡 5千石
・奥州 行方郡 2千石
・野州 塩谷郡 3万2千石
・野州 那須郡 3万5千石
・野州 都賀郡 8万5千石
・野州 安蘇郡 2万石
・野州 芳賀郡 5万8千石
・野州 河内郡 2万石
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