1577-2 仙府
<1577年 7月>
仙台の二階堂屋敷建築の差配は、保土原行藤の手の者に任せてある。
吉次に命じて上方から呼び寄せた大工たちのお陰で、二階堂屋敷だけ建築スピードがやたら早い。
城の中の設備はもとより、他の家臣たちの屋敷よりも先に仕上がっており、来月あたりにはもう移り住めると聞いている。
俺の正室である南の方は、九月早々には須賀川から仙台に移り住むことになる。
秋口からの二階堂屋敷への逗留が決まっている、伊達晴宗夫妻のお世話の準備の為であった。
随分急な話となるが、須賀川城の奥の主人は南の方から息子の嫁の甄姫にバトンタッチだ。
この際なので宇都宮を任せていた盛隆を須賀川に戻し、入れ替わりで自分が宇都宮に向かう。
若い夫婦をあまり離れ離れにしておくのは良くない。
早く孫を仕込んでもらいたい。
奥州でブラブラしていた前田利益を連れて宇都宮に到着すると、奥村永福が報告を上げてきた。
「北条方であった結城晴朝が、どうやら佐竹に鞍替えした様子にございます」
結城晴朝は佐竹家に身を寄せている実兄の小山秀綱の誘いに乗ったようだ。
俺が下野の北条方をあらかた討伐してしまったのを受けて、北条不利を察しての行動である。
「北条の動きはどうなっている」
「小山城に未だ動きはありません」
おかしいな。
小山に隣接する結城晴朝が寝返ったとなると、北条は黙っていられないはずだが。
史実ではここで北条が結城を攻撃して、佐竹は結城救援の為に小山に攻め掛かる。
決着付かずで翌年の小川台合戦に至るはず。
北条家で何か異変が起こったのだろうか。
結論から言うと、我ら二階堂家の登場により、北条家は関東制覇の戦略を見直していた。
北関東の戦線は小山城の死守に徹し、まずは里見義弘を打倒するべく戦力を房総に集中。
敵対する勢力を各個撃破していく方針に転じる。
房総は地理的に我ら奥州勢が直接援護が出来ない場所だ。
また北条方の千葉胤富や小田氏治らが、常陸の佐竹義重の援軍を邪魔するポジションにいる。
里見義弘は和睦の道を模索しているが、史実と違って難しそうである。
北条氏政は攻勢を強めており、里見家を完全に潰して房総半島を自領に組み込むつもりなのが見て取れる。
里見義弘は北関東の諸将に向けてSOSを打電。
宇都宮にも佐竹家経由でその救援要請が届けられる。
使僧の岡本禅哲がやってくる。
「して、佐竹義重殿は我が二階堂家に小山城を攻めろと」
「はっ。我ら佐竹家は土浦の小田家を攻め、北条の注意を引きまするゆえ」
「うーむ。協力するのはやぶさかではないが。ただ小山攻めはちと荷が重い」
小山城は北条氏照が大規模な普請を行なっており、防備は万全である。
強引に攻めても被害が増すばかりだろう。
「紀党の益子勝宗が北条に阿り、我らに従う姿勢を見せぬゆえ、そちらを攻めさせて頂こう」
かつて益子勝宗は上野に進出してきた武田信玄に対し、主君の宇都宮家の許可も得ずに嫡男信勝への偏諱を請うた。
その時から南呂院の不興を買っており、嫡男信勝を追放された恨みもあって、先年の佐野攻めもサボタージュしている。
良い機会なのでこれを討つ。
益子勝宗は佐竹配下の笠間幹綱と領土問題を抱えており、佐竹も承諾しやすい提案のはず。
<1577年 8月>
これまで北条家に押されつつも善戦していた里見義弘。
史実では確か上杉謙信と同年に急死しており、その死後には御館の乱ばりに里見家も割れていた。
それを考えると、ここで房相一和がならない場合、房総は北条に飲み込まれてしまうだろう。
北条家の勢力は伊豆・相模・武蔵・下総(大半)・上野(一部)・下野(一部)に追加して、安房と上総にまで広がり、手が付けられなくなる。
佐竹義重の土浦城攻め開始と時を合わせて、益子領攻撃を開始する。
宇都宮に駐屯中の手勢二千を中核に、奥会津の大久保資近の他、俺に従う下野の諸将の兵を動員。
総勢一万の軍勢で益子攻めを行う。
尚、仙道七郡の兵は春先に相馬攻めを行なっている為、今回は予備兵力とした。
益子勝宗は苛烈な性格をしている武将であったが、戦力差は如何ともし難く手勢の兵一千で益子城に籠城。
北条の援軍を待つ作戦に出る。
小山の北条軍の動きを奥村永福に確認。
相手が小勢過ぎて暇そうにしていた前田利益を小山城の偵察に出してある。
「永福、小山の様子は如何か」
「前田利益からの連絡はありません。いまだ動きは無いものと心得ます」
「しからば、本格的に攻め寄せるとするか」
小田原からの小山城の専守防衛命令徹底されていた。
では遠慮なく潰させてもらおう。
攻城戦七日目に益子勢は力尽き、益子城は落城。
降伏した益子勝宗の命は取らず、息子の益子安宗ともども追放処分とする。
益子勝宗は宇都宮の功臣である芳賀高定の弟である。
また芳賀家現当主の芳賀高継には益子勝宗に養育してもらった恩がある。
その為の助命であった。
益子勝宗父子の命の代わりに、召し上げた益子六百町についての芳賀家への分配は無しとなる。
芳賀高継は不満そうだ。
徳雪斎周長がそれを嘲笑う。
「なになに?益子勝宗の命は要らぬので、益子領が欲しいと言われるのか。それはあまりにも薄情であろう。ほっほっほっ」
徳雪斎周長の言う通りである。
芳賀高継の父と兄が宇都宮家に背いて滅ぼされた折、益子一族の芳賀高定が養子に入って、臨時に芳賀家を継いだ。
芳賀高継は益子勝宗に養育され、成人した後に芳賀高定から芳賀家の家督を譲られている。
ここでその恩を返さないで、いつ返すというのか。
芳賀家と壬生家は宇都宮家中の主導権を巡ってライバル関係にあり、数年前には実際に軍勢を率いて刃を交わしている。
近年では我が二階堂家の後押しもあって壬生家が優勢であった。
その壬生家当主の徳雪斎周長に諸将の満座の場で恥をかかされ、芳賀高継の顔は真っ赤だ。
とにかく益子領の東端は事前の取り決め通りに笠間幹綱に割譲。
残りの大部分は我が二階堂家が差配することに決まった。
<1577年 9月>
益子攻めを終えて兵を退く。
北関東で北条が音無しの構えとなれば、下野の我らに出来ることは無い。
それに上杉謙信は絶賛七尾城攻めの最中である。
佐竹義重には悪いが里見義弘の援護は彼に一任する。
まぁ房総が北条の手に落ちたとしても、下総方面からの常陸への圧力が強まるだけだ。
二階堂家にとっては対岸の火事とも言える。
逆に佐竹義重は南方に係りきりになって、下野での佐竹家の存在感が低下しそう。
そうなれば我が二階堂家の下野侵略は一気に進むのではないか。
悪いことばかりではない。
下野を弟の大久保資近と奥村永福に任せ、一度須賀川に戻る。
南の方の仙台移住を差配せねばならなかった。
出立の前日、南の方の要望で須賀川城を見て回る。
南の方はせつなげな表情を浮かべ惜別の念を零す。
「数えてみれば、この城に居を移して二十年以上か。そこここに思い出が残ってるな」
屋敷の中はもちろん、薙刀の訓練をした庭先に、毎朝乳搾りに精を出した牛舎。
炊事場や湯殿まで見て回った。
最後に城下の長禄寺に参じ、我が父の二階堂輝行と母の薫の墓に焼香する。
そして長禄寺の住職に別れの挨拶を済ます。
「ふふっ。懐かしいぞ。この茶室、覚えていよう」
「ああ。忘れるわけがない」
三年不犯の起請文をここで焼き捨て、その日に初めて俺たちは結ばれた。
あの日のように、しばらく二人だけの時間を過ごす。
息子の盛隆とその嫁の甄姫の見送りを受け、仙台に向けて出立する。
最後に南の方が甄姫にエールを送った。
「そなたと顔を合わす機会も少なくなろう。盛隆が留守の間、この城を守るのはそなたの役目だ。しっかりやれ」
「はい。義母さま」
そして、側に控える須田盛秀とその妻の冴とも言葉を交わす南の方。
「美濃守、冴、これまで苦労をかけた。今後は若い二人を頼む」
「もったいないお言葉にございます」
「ご安心下さい。御方様こそ御自愛を」
俺が不在の間、須田盛秀は須賀川城代を務めることが多く、史実通りに厚い信頼関係が結ばれている。
そして冴は南の方にとって腹心のポジションであった。
二人との別れも寂しむのは当然である。
出立の刻限を告げる笛が鳴る。
南の方に呼び掛ける。
「そろそろ時間よ。参ろうぞ」
「うむ。ではさらばだ。行くぞ、お元」
娘のお元を抱いて南の方が輿に乗る。
籠を守る兵は二千騎。
二階堂家の正室の仙台入りに相応しく、壮大な行列を用意した。
驚くべきことに、須賀川城下の沿道は見送りの人で溢れている。
ほぼ須賀川城下の民草の全員が集まり、南の方を見送りに出ているのように思える。
如何に南の方が慕われていたかが理解できる光景であった。
南の方お付きの侍女たちも含めての隊列となる為、仙台まではゆっくりとした行程を組んでいた。
一日目は須賀川城から19km移動して日和田城に一泊。
二日目は日和田城から19km移動して二本松城に一泊
三日目は二本松城から20km移動して杉目城(福島城)に入り、伊達晴宗と笑窪御前に挨拶して孫のお元の顔を見せる。
四日目は杉目城で天候待ち。
五日目は杉目城から18km移動して石母田城に一泊。
六日目は石母田城から16km移動して白石城に一泊。
七日目は白石城から17km移動して船岡城に一泊。
八日目は船岡城から13km移動して岩沼城に一泊。
九日目は岩沼城で阿武隈川の舟運で送っていた荷の積み替え。
十日目は岩沼城から18km移動して仙台に到着。
都合十日の行程で仙台に入る。
仙台の城下町に入り、まだ木槌の音が鳴り響く中を通って、二階堂家の屋敷に入る。
他の屋敷は最後の追い込み中のなか、この区画だけしっかりと完成している。
輿から降りた南の方が驚嘆の声を漏らす。
「あれが仙台城か。随分と大きいな」
二階堂屋敷は広瀬川の岸壁の上に位置しており、川向こうに仙台城の全景が見えた。
「まだ最低限の備えしか出来ておらぬ。いずれは青葉山全体が要塞となろう」
安土城も出来ていないこの時期。
天守台はもちろん奥羽には石垣の文化も存在しない。
ただ輝宗殿に進言し、青葉山の麓の二の丸と三の丸も含め、とにかく巨大な縄張りを行なっている。
全て完成すれば、天守台や石垣など無くとも、奥羽の覇者に相応しい城構えとなるはずだ。
続いて屋敷を案内する。
と、言っても絵図面で指示を出していたので、実際の屋敷を見るのは俺も初めてだ。
吉次に依頼して大体の家財道具は設えているが、足りないものも出てくるだろう。
須賀川から運んできた物の収納やら何やら、やるべきことは山積みである。
伊達晴宗と笑窪御前の二人の仙台入りは一ヶ月後を予定している。
明日からてんてこ舞いとなるだろうが、この日は中秋の名月であった。
まずは転居を祝って南の方と二人、青葉山にかかるまん丸の月を肴に月見酒を楽しむことにする。
<1577年 10月>
再来月に予定している仙台城の落成式と梵天丸殿の元服式に臨席するべく、杉目城から義父の伊達晴宗と義母の笑窪御前が仙台に到来。
親族や大身たちは来月以降に転居予定となっており、城中も本丸屋敷以外は未だ建築中だ。
唯一準備万端となっている我が二階堂屋敷に、予定どおり二人を迎え入れる。
須賀川式の湯殿も完備しており、大層喜んでくれた。
義父を仙台城に誘う。
建築状況を説明しつつ晴宗を本丸に案内。
「本拠の移転を前倒した為、櫓もろくに建っておりませんが、この高さであればそもそも不要かと」
本丸からは仙台平野が一望出来る。
晴宗が感嘆の声を漏らす。
「眺めが良いな。海も見えるではないか」
「四ツ谷用水が完成して城下に上水と下水が行き渡れば、人も大いに増え、いずれ人の営みはあの海の近くまで広がりましょう」
しかし海は豊かさだけでなく、時として破壊と恐怖をもたらす場合がある。
この地域は特に地震が多く、対策は必須であった。
「このあたりの伝承によれば、今から約七百年前の貞観の御代に大地震が起こり、大きな海嘯があたり一帯を襲ったとか。多賀国府も呑まれたとのことゆえ、どこまで波が来たのかをよく調べて田畑を整え、後世へも必ず訓示が行き届くよう、輝宗殿に進言したいと考えておりまする」
「うむ、それは良い」
晴宗が頷く。
そしてしばらく仙台平野を眺めながら、おもむろに語りかけて来た。
「そなた仙台はいずれ十万、百万の人が住む都となると豪語しておったが、この光景を見れば、それもあながち法螺と思えなくなってきたぞ。億劫と思うたが、ここまで足を伸ばして良かったわ」
そうだろう、そうだろう。
「しかし、今思えば安い買い物であった」
ん、何の話だ?
「たかだか十万貫で、伊達家の千代の栄華が買えた計算になる。さすが俺よ。素晴らしい目利きではないか」
ニヤリと笑う晴宗。
なんだかよくわからんが、相変わらずダンディだった。
<1577年 12月>
伊達家の一門、一家、一族が米沢から仙台に続々と移り住み始め、仙台の町並みに灯る火も増えていた。
そしてついに伊達家当主の輝宗殿が家族と共に仙台に来着。
仙台城の本丸屋敷に入る。
そして来る天正五年十一月十五日。
伊達家先代の晴宗も臨席の中、仙台城の落成式と共に梵天丸殿の元服式が執り行われる。
もちろん俺もその場に参加だ。
烏帽子親は側近の遠藤基信、袖止めの儀は保母の喜多が務めた。
「名を政宗とする!」
輝宗殿の宣言に場がどよめく。
伊達家中での政宗の名は重い。
伊達家九代目にして中興の祖、伊達大膳大夫。
その尊名であった。
偉大な先祖の名を継ぐ苦労は、身に染みて理解できる。
一旦は辞退の格好を見せる梵天丸。
「父上、政宗の名は勿体のうございます」
「なに、怖気付いたか」
「いえ、そんなことはありませぬ!」
「ならば堂々と政宗を名乗るが良い。そして政宗と聞けば誰もがそなたを思い浮かべるよう、その名を己がものとしてみせよっ」
父である輝宗殿のその熱い言葉に、納得する梵天丸改め伊達政宗。
その光景を祖父の晴宗が満足気に見守っている。
元服の儀はつつがなく執り行われた。
続いては政宗への官位の叙任が執り行われる予定であった。
遠藤基信の段取りにより、この日に合わせて朝廷の使者が来仙している。
従四位下陸奥守を授かるよう武家伝奏の飛鳥井雅敦と調整済みと聞いた。
名実ともに奥羽の支配者となった伊達家の嫡男に相応しい官位である。
しかし、現れた朝廷からの使者の名乗りに、皆が度肝を抜かれてしまう。
「近衛前久じゃ。やれやれ、随分待たせるものよ」
突然の先の関白の登場である。
遠藤基信も慌てている。
「これはどうしたことぞっ。お手前は朝廷からの御使い一行の案内役ではありませなんだか」
「嘘は言うておらぬぞ。東国には一度参っておるゆえな。奥州は初めてであったが」
どうやら身分を隠して仙台までやってきた模様。
近衛前久。
日ノ本で一番フットワークの軽い公卿である。
「しかし、二百年ぶりに鎮守の府を開くというから、仙台とはどのような場所かと思うていたが、何も無いではないか」
鎮守府とな。
もしや!?
「まぁよかろう。さっさと内府からの頼まれごとを済ますとしようか。西へ東へと忙しくてかなわぬ。それで、そちが伊達左京大夫か」
「いかにも。それがしが伊達家当主、輝宗で御座います」
さっと近衛前久の前に控える輝宗殿。
「そちを正四位上、鎮守府将軍に任じるとの内裏の決定じゃ。謹んで受けるがよい」
「ははー」
近衛前久より渡された叙任の詔勅を輝宗殿が受け取る。
ざわめく伊達家臣団。
どう受け取るべきか判断が付かず、皆が顔を見合わせている。
先月だが織田の軍勢が七尾城救援に失敗し、上杉謙信に情報封鎖された上に加賀の手取川で奇襲を食らっている。
織田信長は同時期に反乱を起こした大和の松永久秀を平蜘蛛と共に葬り去っているが、上杉謙信と本格的に戦う上で、伊達家との連携は必須と考えたのだろう。
その為、明らかに無理筋であった伊達家からの鎮守府将軍職の要求を、朝廷に圧力を掛けて通してしまったというわけだ。
そして建武の新政以来の鎮守府将軍誕生に相応しい使者を、奥州にまで送り込んできた。
これで我ら伊達二階堂連合は上杉家と戦わなければならなくなった、というわけでもない。
上杉謙信には事前に匂わせているし、そもそも上杉謙信は尊皇の志の厚い男である。
輝宗殿の鎮守府将軍就任には悪感情は抱かないはず。
とにかく、この鎮守府将軍就任により、輝宗殿の公的な支配領域は、陸奥だけでなく出羽にまで広まった。
輝宗殿は奥羽の武門の棟梁の座に着いたことになる。
そして関東公方を擁する北条家や、関東管領の上杉家に並ぶ肩書きを得た。
まずは仙台鎮守の開府と、新しき将軍の誕生を、皆に先んじて寿ぐところから初めようか。
〜 第六章完 〜
<年表>
1577年 二階堂盛義 33歳
01月
◎須賀川の二階堂盛義、伊達輝宗(33歳)に梵天丸への愛姫輿入れを進言。
■米沢の伊達輝宗(33歳)、千代改め仙台への本拠移転前倒しを宣言。田村家と婚姻外交。梵天丸(10歳)・愛姫(9歳)婚約。
02月
◆甲斐の武田勝頼(31歳)、北条氏政の妹の北条夫人(13歳)を後室に迎える。甲相同盟強化。
◎須賀川の二階堂盛義、次男の勢至丸(7歳)を資福寺の虎哉宗乙(47歳)に預ける。
03月
■米沢の伊達輝宗(33歳)、葛西一揆を鎮圧開始。
★九州外遊中の近衛前久(41歳)、京に戻る。
☆能登攻め中の上杉謙信(47歳)、甲相同盟の強化による武田勝頼の蠢動を受けて一旦越後に帰国。畠山軍反撃開始。
04月
▶︎︎阿波の三好長治(24歳)、異父兄の阿波守護の細川真之(39歳)と阿波荒田野で戦って敗死。阿波三好家消滅。
■相馬領で黒木宗俊と堀内宗和の兄弟が謀反。亘理の亘理元宗(47歳)、相馬領の蓑首城と駒ヶ嶺城を攻略。
◎須賀川の二階堂盛義、田村領を経由して小高城に進軍。相馬義胤(29歳)と対峙。
▼陸奥行方の相馬盛胤(47歳)、伊達家に降伏して家督を相馬義胤(29歳)に譲る。
■米沢の伊達輝宗(33歳)、葛西一揆を鎮圧。伊達家による南奥羽一統成る。
05月
▷播磨で英賀合戦。黒田考高(31歳)、五百の手勢で十倍の毛利軍を撃破。
06月
■福島の伊達晴宗(58歳)、梵天丸(10歳)の端午の節句を盛大に祝う。
07月
☆越後の上杉謙信(47歳)、能登攻めを再開。
◆下総の結城晴朝(43歳)、相模の北条氏政(39歳)から離反。常陸の佐竹義重(30歳)と通じる。
▽薩摩の島津義久(46歳)、島津忠長(26歳)を派遣して伊東家の南方守護の要である櫛間城を攻略。
08月
▽肥前の龍造寺隆信(48歳)、南肥前の大村純忠(44歳)を降す。
◆常陸の佐竹義重(30歳)、北条方の小田氏治(43歳)の土浦城を攻め落として里見を援護。
◎須賀川の二階堂盛義、北条方の益子勝宗(48歳)の益子城を攻め落として里見を援護。
☆越後の上杉謙信(47歳)、能登の諸城を再度攻め落として七尾城を包囲。
☆三河岡崎で松平信康(18歳)の妻の徳姫(18歳)が出産。次女の熊姫誕生。
09月
▼三戸で南部鶴千代(7歳)元服。南部晴継を名乗る。
★岐阜の織田信長(43歳)、越前の柴田勝家(55歳)に七尾城救出を命じる。
★大和の松永久秀(69歳)、信貴山城で謀反。越後の上杉謙信を盟主とした第四次信長包囲網形成。
☆七尾城内で疫病発生。畠山春王丸(5歳)病死。
◎須賀川の二階堂盛義、正室の南の方(36歳)を仙台に移す。
10月
☆遠江の徳川家康(34歳)、徳川信康(18歳)の計らいで次男於義伊(3歳)を認知。
☆遠江にて徳川家康(35歳)の側室のお愛の方(26歳)懐妊。
◆相模の北条氏政(39歳)、安房上総の里見義弘(47歳)との和睦交渉を破棄。房相一和ならず。
☆越後の上杉謙信(47歳)、遊佐続光らを寝返らせて七尾城を攻め落とす。
11月
☆加賀で手取川の戦い。越後の上杉謙信(47歳)、越前の柴田勝家(55歳)らに大勝。
★京の近衛前久(41歳)、織田信長(43歳)の要請で奥州に下向。
★大和で信貴山城の戦い。織田信忠(22歳)、松永久秀(69歳)を攻める。松永久秀、平蜘蛛茶釜と共に爆死。
▷丹波出兵の明智光秀(49歳)、赤井直正(48歳)を再び攻めて八上城を包囲。
▷播磨進駐の羽柴秀吉(40歳)、黒田考高(31歳)の姫路城を本拠とする。中国攻め開始。尼子再興軍、秀吉麾下に入る。
12月
▽日向の伊東方の野尻城、内山城、紙屋城が島津方に寝返る。伊東義祐(65歳)、譜代家臣に裏切りの動きがあり派兵出来ず。
★岐阜の織田信長(43歳)、越後の上杉謙信(47歳)への牽制のため、伊達輝宗(33歳)を正四位上鎮守府将軍に任じる。
■米沢の伊達輝宗(33歳)、本拠を仙台へ移す。梵天丸(10歳)元服。伊達政宗を名乗って従四位下陸奥守叙任。
★岐阜の織田信長(43歳)、従二位の右大臣兼右近衛大将を叙任。
-------------
▲天変地異
◎二階堂
◇吉次
■伊達
▼奥羽
◆関東甲信越
☆北陸中部東海
★近畿
▷山陰山陽
▶︎︎四国
▽九州
<同盟情報[1577年末]>
[南奥]
- 伊達輝宗・二階堂盛義・田村清顕・相馬義胤・佐竹義重
[関東]
- 北条氏政・武田勝頼・千葉邦胤・小田氏治
- 佐竹義重・里見義弘・宇都宮伊勢寿丸・結城晴朝・那須資胤・江戸重通
- 上杉謙信
須賀川二階堂家 勢力範囲 合計 49万石
・奥州 岩瀬郡 安積郡 安達郡 石川郡 18万7千石
・奥州 伊達郡 1万5千石
・奥州 信夫郡 1万2千石
・奥州 白河郡 7万4千石
・奥州 田村郡 2千石
・奥州 会津郡 3万石
・奥州 標葉郡 1万5千石(飛び地) (NEW!)
・奥州 楢葉郡 5千石(飛び地) (NEW!)
・野州 塩谷郡 3万2千石
・野州 那須郡 3万5千石
・野州 都賀郡 2万石 + 1万5千石 (NEW!)
・野州 安蘇郡 2万石
・野州 芳賀郡 2万8千石 (NEW!)
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