1576-2 酒杯
<1576年 6月>
上杉勢二万と唐沢山城下で合流する。
史実の最後の越山の時に上杉謙信が率いた兵数は、確か一万五千程度だったはずだ。
我ら奥州勢の加勢が効いたのだろう。
思いの外に上州勢が味方として合流していた。
これで唐沢山城を囲む兵の数は、全軍合わせて三万五千余と結構な数になっている。
敵将の佐野宗綱の首を携え、嫡男盛隆を含む主だった諸将を引き連れて上杉勢の本陣に伺候する。
何食わぬ顔で前田利益も付いて来たが、敵城主の佐野宗綱を討ち取ったのは彼だ。
俺が咎めぬ以上、一番槍にして一番手柄の彼を止めれる者は誰もいない。
「これは盛義様。ご活躍のほど耳に入っておりますぞ!ささ、こちらへ」
最早親友と言っても過言ではない大関親憲が案内をしてくれる。
上杉勢の本陣は相変わらず将星綺羅星の如くである。
陣幕の内には、弾正少弼を引き継いで名乗りを変えた上杉景勝や、上杉景虎らの姿も見える。
そして上杉謙信。
四年ぶりの目通りだ。
僧形となった上杉謙信は凄みが増していた。
「関東管領殿。お待たせ致した」
「うむ。左京亮。久しいな」
まずは息子の紹介だ。
「これなるは我が嫡男の盛隆。先頃朝廷より畏くも従五位下、下野守の官位を頂いておりまする」
傍らの盛隆が深く礼をする。
「二階堂下野守盛隆に御座います。拝顔の栄に浴し、祝着至極に存じ奉ります」
室町幕府の役職である管領や守護と朝廷の任官する国守は、有り体に言えば職責が異なる。
軍事・警察権と行政権の差だが、後者は既に形骸化していて、今ではほぼ名誉職的な扱いだ。
厳密には、国守の盛隆が管領の上杉謙信に従う義務は無い。
しかし、関東管領だけは特別である。
天皇の綸旨での任官の事績もあることから、関東管領は従三位相当とされる。
親王任国の常陸、上総、上野以外の関八州の国守にとっては、必然的に特に礼を尽さなければならない相手であった。
「祝いの品を用意した。これへ」
上杉謙信手ずから短刀を授かる盛隆。
返礼として、持参した首桶を献上だ。
「お納めくだされ」
俺の合図に従い、同行の奥村永福が上杉謙信の前まで首桶を運ぶ。
「うむ」
合掌して中身を検める上杉謙信。
顔を見知った者に首実験させて、佐野宗綱の首に相違ないことを確認する。
「何よりの馳走よ。左京亮、大儀であった」
「ありがたきしあわせ」
上杉謙信が唐沢山城の様子を聞いてくる。
遅れてきた上杉謙信に花を持たせるために、取り囲むだけでまだ降伏勧告の使者は送っていない。
「それで城主を亡くした今、唐沢山城は誰が守っているのか」
「我が手の者によると、佐野宗綱の叔父の佐野房綱だとか」
佐野房綱はそもそも、年若い甥の北条方への寝返りの決断自体に批判的であった。
俺の挑発に応じての出撃も、佐野家の侍大将の山上道及と共に強く諫めたと聞く。
逆に実績抜群な佐野房綱と山上道及の両者の諫言が、未熟な佐野宗綱を意固地にさせてしまったのやも知れない。
「ほう、宝衍か。かの者は分別がある男よ。この首を返すゆえに降るよう説けば、きっと城を開こう」
面識があったようだ。
懸念事項が払拭され、上杉謙信は晴れやかだ。
「左京亮。佐野宗綱を討った者をここに呼んでくれぬか。我からも褒美を取らせようぞ」
まじか。
何が起こるかわからんぞ。
チラリと振り返って前田利益を確認すると、喜色満面だ。
早く呼べと目配せしてくる。
やれやれ。
もう成るように成れ。
スンとため息をつき、覚悟を決める。
「前田利益、前へ出よっ」
「ははっ!」
虎のようにしなやかな動きで進み出てくる前田利益。
上杉謙信の前でふわりと座り、ズズいと名乗る。
「前田利益でござる」
「ふむ、そなたが佐野宗綱の首級を上げた強者か。見事じゃ」
「ははー」
「褒美を取らせようぞ。苦しゅうない。何が欲しいか言うてみよ」
これまで九回も攻めさせられ、その都度苦労を強いられた唐沢山城。
それを今回呆気なく落とせる目処がついたのが余程嬉しかったのか。
上杉謙信、言い値での大盤振る舞いを約束してしまう。
「さすれば」
対する前田利益も流石である。
指を一本立てて言う。
「関東管領殿の酌で、酒を一献頂きとうございますな」
物質的にはこれほど安い褒美も無いだろう。
しかし軍神たる上杉謙信が手ずから注ぐのだ。
そこに何物にも替えがたい価値がある。
かぶき者の面目躍如な要求と言えた。
無礼と言えば無礼な物言い。
上杉家臣団のどよめきを、上杉謙信が手を掲げてサッと抑える。
「よかろう」
なんと日頃から愛用している馬上杯を取り出し、前田利益の前にドンと置いてしまった。
「では、頂きましょう」
物怖じせずその馬上杯を手に取る前田利益。
前田利益の差し出した酒杯に、上杉謙信は腰から外した瓢箪を傾けて酒を注ぐ。
「心して飲むがよい」
佐野領三万九千石に匹敵する一杯であった。
前田利益の武勇伝にまた新たな1ページが加わった瞬間である。
上杉家から降伏勧告の使者が送られると、佐野房綱は粛々と唐沢山城を開城する。
主君を討たれた上に、三万五千もの大兵に囲まれれば当然だろう。
佐野領の半分は召し上げられ、我が二階堂家に分配される。
尚、佐野宗綱には生まれたばかりの女児しかおらず、後継がいなかった。
上杉謙信の差配により、佐野房綱が引き続き佐野家を率いることになる。
唐沢山城が片付いたとなると、次は小山城だ。
小山城では三万の北条勢が今も急ピッチでの城普請に励んでいる。
我らは東方で手ぐすねを引いている佐竹義重の軍勢も含めると四万五千余。
兵数だけ見れば勝機は十分だろう。
小田原から北条家の二万の援軍が進発しているという噂もあるが、間に合うまい。
決戦の気運が一気に高まっていたが、俺一人は冷めていた。
そして予想通り、小山城へ進発する直前になって上杉謙信から呼び出しをくらう。
上杉勢本陣に赴き、上杉謙信と差し向かう。
「往かれますか」
「うむ。野州のことは、そなたとそなたの息子の下野守に一任しよう」
上杉家中の儒学者の山崎秀仙の折衝により、上方でつい先日に上杉家と本願寺との講和が成っていた。
越中と加賀の一向門徒衆が味方に転じたことで、上杉家の京に至るまでの道が開いた。
この講和の結果、備後の鞆に逃れた足利義昭が主導する第三次信長包囲への上杉家の合流が確定する。
「上洛は将軍の要請である。参らねばなるまい」
「既に御身の心は西方に向かっておられる様子。止めはいたしませぬ」
「うむ、すまぬな」
小山城の北条軍はほったらかして能登経略を優先か。
唐沢山城を降したことで、上杉家の今回の関東出征の当初の目的は達せられた。
ここで越後に引き上げても、北条家との決戦を避けたとの誹りを受けることは無いとの判断だろう。
今から十五年前の永禄四年。
鶴岡八幡宮での関東管領就任式で諸将の首座に着けなかったことを恨み、小山家先代の小山高朝は上杉謙信に背いた。
小山高朝の謀反がケチの付き始めで、上杉謙信の関八州への影響力は年を追うごとに衰え、今では上州半国を保持するだけで手一杯の有様である。
その小山家の為に戦うことを忌避する気持ちが、上杉謙信の心の何処かにあるのかもしれない。
何にせよ、佐竹義重がまた激怒することは確定であった。
「織田信長は強うございましょう。かの第六天魔王を討つのに後背を気にしている余裕はありますまい。不快に思われましょうが一言だけ助言させて頂くと、一旦西に赴けば東国で何が起ころうとも心を乱さぬことが肝要かと」
「織田家など何程もなかろうが、左京亮の忠言は耳に留めおこうぞ」
これまで上杉家と織田家は同盟関係にあった。
しかし、それもこれで終いである。
遠交近攻のセオリーに従えば、織田家は当然のこと我ら伊達二階堂連合と手を組もうと動いてくるはずだ。
伊達家としては、織田信長の関心を得るくらいしか今のところ上杉家と敵対するメリットは無い。
それよりも大崎葛西と最上村山の新領土をしっかりと版図に組み込んでしまうのが先決だ。
余程の好条件でもない限りは中立を維持し、高みの見物を決め込むことになろう。
織田方には色良い返事をするかもしれないが案ずるに及ばずと、暗に上杉謙信に伝えておく。
最期に再会と互いの勝利を祈り、持参した須賀川の清酒で酒杯を交わす。
「いざ織田討伐に参ろうぞっ!」
カワラケをパンッと叩き割って出立していく上杉謙信。
その後ろ姿を見送りつつ、これまで軍神の前では避けていた戦闘モードを初めて有効にしてみた。
越後に引き上げていく上杉勢の軍影を、占領した唐沢山城の本丸の見張り台から一人眺める。
軍神上杉謙信。
三度まみえることはあるのだろうか。
史実どおりなら、上杉謙信は二年後に脳卒中で倒れ、後継者を決めずに昇天してしまうはずであった。
だが実際に対面しても、その立ち振る舞いからは病の気配は感じられなかった。
戦闘モードで観察しても、その体力ゲージに状態異常は非表示である。
まぁ、いつ襲ってくるかわからないのが、くも膜下出血という病の特性ではあるのだが。
「お、こんなところにおられたか」
誰も通さぬよう命じていたが、何食わぬ顔で前田利益が現れる。
持ち前の人懐っこさで警備をすり抜けてきたのだろう。
後ろには心配顔の奥村永福が付いてきているが、もし仮に前田利益が刺客であったらどうするよ。
これまでが盛大な仕込みで、いきなり豹変して斬りかかってきてもおかしくないのが前田利益という男だろう。
出身の滝川一族は甲賀の出らしいしな。
織田信長から東国を探るよう命じられた間者の線は捨てきれなかった。
「何ようだ」
「いやさ。関東管領殿からは褒美を賜ったが、陸奥守護代殿からはまだ頂けておらぬゆえ」
そう言って両手に持った酒杯と徳利を見せびらかしてくる。
よかろう。
良い機会ゆえ、こちらも前田利益から上方の戦さの実態や織田家中の要人の人となりを聞き出すとしよう。
床几を用意させ、遠くに去っていく上杉勢の姿を肴に前田利益と酒杯を交わす。
「で、上杉抜きで北条との決戦に及ばれますかな」
「今この時点で無理に戦っても、我らに何の益も無いな」
逆に北条が小山に居座ってくれていた方が、下野の各勢力への牽制になっていろいろとやり易くなる。
こちらからも問う。
「上杉は織田に勝てようか?」
「さて。関東管領と右大将の直々の戦さであれば、関東管領に軍配が上がりそうな気がしますがね。されど上杉家と織田家の家同士の戦さともなれば、上杉家はちと苦しいでしょう」
ふむ。
織田信長と上杉謙信の両名の人となりをその目で確認し、かつ両軍の陣中に実際に身を置いた前田利益の言葉だ。
当たり障りの無い話に聞こえるが、実感が篭っている。
戦術で勝る上杉謙信と、戦略で勝る織田信長。
戦術が戦略を超えるなど本来ならば有り得ぬ話ではあるが、そこは軍神。
寿命の問題さえなければ、どうなるかわかったものではない。
上杉家が織田家を撃ち破って上洛を果たせば、中央の混迷は史実よりも長引くのは必定。
奥羽はその分だけ安泰な時間を過ごせるだろう。
領国の整備を進める余裕が生まれる。
遠くに消えゆく上杉謙信の無事を祈り、掲げた酒杯を飲み干す。
此度の戦さはこれで終いだ。
<1576年 7月>
宇都宮城の占拠を継続し、新たに得た皆川と佐野の下野南西部の領地運営に着手する。
上杉勢が越後に帰った後、我らも小山に攻め入ることなく兵を退いていた。
佐竹義重からは怒りのメールが矢のように飛んできたが、だって肝心カナメの関東管領が帰っちゃったんだから仕方ないでしょと返信してある。
佐竹義重が上杉謙信に裏切られたのは、越相同盟と関宿城に続いてこれで三度目。
金輪際上杉など信じぬ!と激オコらしいな。
上杉が退いたことで逆に北条が攻勢に出てくる恐れがあったが、そこは流言で対処した。
北条の攻撃に備えて伊達が出兵準備中、との噂をばら撒く。
現時点において、伊達・二階堂・佐竹の三家とそれに追従する諸家の兵力を合算すると、軽く北条家のそれを上回る。
いくら北条家と言っても生半な覚悟では戦端を開けない相手であった。
小田原からの援軍は取り止めとなり、小山城の普請の完了を持って北条家も一旦は兵を退いていた。
皆川と佐野から奪った四万石相当の領地を治める為に、岩舟に新たな城の縄張りを行って普請を開始。
白河から奥村永福を移して統治させる予定だ。
当然だが前田利益も引っ付いていくだろう。
並行して宇都宮二荒山神社の造成にも手を付けないといけない。
宇都宮城下を賑わす為には吉次の商家の出店も必要だ。
その為に白河から吉次を呼び寄せようとしたのだが。
「悪阻が酷くて動けませんっ」
白河から戻ってきた吉次の手紙はそっけないものであった。
<1576年 12月>
上杉謙信が能登征伐に取り掛かった頃、大崎と葛西で大規模な一揆が発生していた。
一揆はまずは葛西で火が付き、隣の大崎に波及する。
大崎を治める梁川宗清殿は上手く立ち回って一揆勢の撃破に成功したが、一揆発生の震源地であった葛西がヤバかった。
義弟の蘆名盛重は、この春に与えられた新領地の葛西六郡と桃生郡を治めるにあたり、摺上ヶ原で滅ぼされてから浪人していた蘆名の家臣たちを雇い入れていた。
蘆名家が滅んでから七年。
旧蘆名家臣で使える有能な連中はあらかた伊達家中の他の誰かに仕えてしまっており、出涸らししか残ってない。
当然ながらその統治は酷いものとなり、帰農を余儀なくされていた旧葛西家臣たちの怒りが大爆発。
あれよあれよと言う間に城がいくつも陥落し、蘆名盛重は妻の兄の針生盛信と共に佐沼城に押し込められる。
一揆勢が包囲する佐沼城からの救出を急がねば、その命が危うい情勢であった。
養子入りした蘆名家を一度潰している蘆名盛重に、家門の復活のチャンスを与えた輝宗殿であったが、再びの弟の不始末に激怒。
そうは言っても助けないわけにもいかず、家中に葛西の一揆討伐の号令を掛ける。
下野の統治を盛隆と奥村永福に任せ、俺も一部の兵を率いて宇都宮を出立する。
と言うのは建前で、臨月の吉次に会うのが目的だ。
案の定、白河に到達した頃には、鬼庭綱元、白石宗実、後藤信康ら伊達家の次代を担う若手将校の活躍によって佐沼城は解放。
蘆名盛重と針生盛信は無事救出される。
積雪も厳しくなりつつあったので、残りの一揆勢の鎮圧は来春と定められ、そのまま白河で待機。
思惑通りに吉次の出産に立ち会えた。
愛娘の吉乃の相手をしながら産声が上がるのを待つ。
おぎゃーおぎゃー
「てて様!」
「うむ、産まれたようだの」
産婆が珠のような男子であると告げてきた。
史実の二階堂盛義には、盛隆と行親の他に、行久と行栄という男子がいたと伝わる。
産まれた男子には久丸という名を付けた。
この久丸。
資料にその生い立ちや行く末の記載が一切見当たらない、二階堂盛義の幻の三男坊だ。
その行く末は知識チートの俺でさえわからない。
武士の道を選ぶか、商人の道を選ぶか、それともただの趣味人となるか。
久丸には自分の生きる道を己で決めてもらいたい。
俺はただ暖かく見守るのみだ。
いずれにせよ俺の息子である以上、この世界線でも無名のまま、というわけにはいくまいな。
<年表>
1576年 二階堂盛義 32歳
01月
★岐阜の織田信長(42歳)、安土城建設開始。
☆三河の徳川家康(33歳)、織田信長(42歳)の要請で伯父の水野信元(66歳)を騙し討つ。久松俊勝(45歳)隠居。
▼津軽の大浦為信(26歳)、正月元旦に大光寺城を奇襲。滝本重行、南部領に落ちる。
◆相模の北条氏照(34歳)、下野の小山城を攻め落とす。小山秀綱(47歳)、佐竹義重(29歳)を頼って常陸に逃げる。
02月
▷丹波で赤井の呼び込み軍法発動。裏切った波多野秀治(27歳)が明智軍を三方から攻撃。明智光秀(48歳)、丹波から一旦撤退。
◆唐沢山の佐野宗綱(20歳)、上杉方から離反。北条氏政(38歳)と同盟を結ぶ。
◆下野の宇都宮伊勢寿丸(8歳)、多気城に本拠を移す。
03月
■米沢の伊達輝宗(32歳)、傘下の諸将の大規模な国替えを発動。千代城と城下町のリビルド着手。
◎須賀川の二階堂盛義、八本松と石川郡を受領。嫡男の二階堂盛隆(15歳)、下野守叙任。
◆小山駐留の北条氏照(34歳)、小山城を普請強化。
04月
◇白河の吉次(26歳)、京より戻る。前田利益(25歳)が同道。奥村永福宅に居候する。
◇須賀川の二階堂盛義、吉次(26歳)から上方の情勢を寝物語で懇ろに聞いた結果、吉次懐妊。
05月
★摂津で天王寺の戦い。織田信長(42歳)、本願寺門徒から天王寺砦を守りきる。
◎須賀川の二階堂盛義、越後の上杉謙信(46歳)の要請で下野に出兵。鹿沼の壬生周長(70歳)の手引きで宇都宮城を占拠。
◎須賀川の二階堂盛義、宇都宮諸将を束ねて一万五千の兵で壬生義雄(24歳)と皆川広照(28歳)を追放。
06月
◆越後の上杉謙信(46歳)、関東出征16回目。二万の兵で新田・足利・桐生を蹂躙。
◎須賀川の二階堂盛義、佐野宗綱(20歳)を討ち取る。上杉謙信(46歳)と合流して唐沢山城を降す。佐野領制圧。
▷因幡の山中幸盛(31歳)率いる尼子再興軍、若桜鬼ヶ城を退去し京に撤退。第二次尼子再興運動失敗。
▷備後に逃れた足利義昭(39歳)、鞆の浦で幕府を開く。毛利・宇喜多・石山本願寺の同盟による第三次信長包囲網形成。
◆関東遠征中の上杉謙信(46歳)、石山本願寺と講和し第三次信長包囲網に参加。織田家と手切れ。越後に撤収。
◆小山駐留の北条氏照(34歳)、小山城の改修を完了。
07月
★安芸の毛利輝元(23歳)、織田への敵対を明確化。第一次木津川口の戦い。毛利水軍、織田水軍を破る。
08月
▶︎︎土佐の吉良親貞(35歳)病死。長宗我部家の伊予侵攻停滞。
09月
▽薩摩の島津義久(45歳)、三万の軍勢で伊東家の高原城を攻め落とす。伊東崩れ開始。
☆越後の上杉謙信(46歳)、越中攻め。椎名康胤(77歳)を討ち取り、越中を平定。
10月
▼三戸の南部晴政の長女で南部信直の正室病死。南部信直(30歳)、養嗣子の座を辞退。田子館に引き籠もる。
☆三河岡崎で松平信康(17歳)の妻の徳姫(17歳)が出産。長女の登久姫誕生。
11月
☆越後の上杉謙信(46歳)、能登攻め。第一次七尾城の戦い。
■大崎葛西の大規模な一揆発生。蘆名盛重(23)、寺池城を追われて佐沼城に逃げ込む。
▷京滞在の尼子再興軍、織田信長(42歳)に拝謁。明智光秀(48歳)の丹波攻めに参加。山中幸盛(31歳)、武勲を重ねる。
12月
☆南伊勢で三瀬の変。北畠具教(48歳)討死。北畠家一族誅討滅。織田家、南伊勢併呑。
★岐阜の織田信長(42歳)、正三位の内大臣兼右近衛大将を叙任。
■米沢の伊達輝宗(32歳)、葛西に出兵。一揆勢を鎮圧して佐沼城を解放。
◇白河の吉次(26歳)出産。二階堂盛義の三男の久丸誕生(後の二階堂行久)。
◎栃木の皆川広勝(29歳)急死。須賀川の二階堂盛義、皆川家取り潰しを宣言。
-------------
▲天変地異
◎二階堂
◇吉次
■伊達
▼奥羽
◆関東甲信越
☆北陸中部東海
★近畿
▷山陰山陽
▶︎︎四国
▽九州
<同盟情報[1576年末]>
[南奥]
- 伊達輝宗・二階堂盛義・佐竹義重
- 田村清顕・相馬盛胤
[関東]
- 北条氏政・武田勝頼・千葉邦胤・小田氏治
- 佐竹義重・里見義弘・宇都宮伊勢寿丸・結城晴朝・那須資胤・江戸重通
- 上杉謙信
須賀川二階堂家 勢力範囲 合計 42万7千石
・奥州 岩瀬郡 安積郡 安達郡 15万7千石
・奥州 伊達郡 1万5千石
・奥州 信夫郡 1万2千石 (NEW!)
・奥州 石川郡 3万石 (NEW!)
・奥州 白河郡 7万4千石
・奥州 田村郡 2千石
・奥州 会津郡 3万石
・野州 塩谷郡 3万2千石
・野州 那須郡 2万石 + 1万5千石 (NEW!)
・野州 都賀郡 2万石 (NEW!)
・野州 安蘇郡 2万石 (NEW!)
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