↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二階堂合戦記  作者: 犬河兼任
第六章 下野進出作戦
PR
37/94

1576-1 朱槍

<1576年 3月>


 二ヶ月前の天正三年十二月、小田原の北条家の大軍に攻め立てられていた小山城がついに落ちた。

 城主の小山秀綱は、嫡男の伊勢千代丸と共に常陸に逃れている。

 かつては関東八屋形に名を連ね、下野守護まで務めていた小山家の実質的な滅亡である。


 そして小山城を巡る動勢を見極めていたのだろう。

 明けて天正四年一月、唐沢山城主の佐野宗綱が上杉方から北条方に寝返る。

 先年に上杉謙信の好敵手?であった佐野昌綱が亡くなっており、後継となったばかりの佐野宗綱は意気盛んな若武者だ。

 越後に出向中の叔父の光綱が上杉家の朋輩に誤って討たれた為と喧伝しているが、難癖なのは明らかである。


 我ら二階堂家の南進による塩谷郡失陥、北条家の下野進出、小山家の凋落、佐野家の寝返り、更には当主である広綱の病没と、幼少の伊勢寿丸の当主就任。

 下野国主の宇都宮家は今、累卵の危うきに立たされている。

 追い詰められた宇都宮家は、先主広綱の遺言に従う形を取って、五百年以上も本拠としてきた宇都宮城を捨てる決断を下した。

 かねてより整備を進めていた宇都宮西方の山城、多気山城を新たな本拠と定めたのである。

 宇都宮城は東山道と日光街道の交差点に位置して攻められやすく、また平城の為に防衛力が低いのがその理由であった。


 宇都宮家の首脳陣が考えている以上に、この本拠地移転劇は周囲から深刻で象徴的に受け止められていた。

 宇都宮城の隣には宇都宮家初代の藤原宗円が座主を務めたと伝わる宇都宮二荒山神社がある。

 宇都宮城を去るということは、その下野国一宮をも見捨てたことを意味する。

 つまり、宇都宮家にはもう下野の国主を務めるだけの力も覚悟も無い、と大手を振って宣言しているようなものであった。




 翻って我が二階堂家は順風満帆だ。

 葛西大崎領の併呑により伊達家の威名はいよいよ高まった。

 俺が吉次に命じて吹聴させた結果、輝宗殿の声望は遠く京にまで鳴り響いている。

 追い風に乗った輝宗殿は、新たな伊達家の本拠地とすべく千代の開発に着手した。

 更に配下の親族や重臣たちに命じた大幅な国替えを、この二月に粛々と履行する。


 まずは叔父たちを要地に配している。

 伊達実元殿は会津へ正式に封じられた。

 伊達宗澄殿は竺丸殿元服までの繋ぎとして山形を任されていた。

 梁川宗清殿は新領地の大崎五郡の統治にあたる。

 亘理元宗殿は名取半郡が加増となり、対相馬戦線の指揮を執ることが決まっている。


 輝宗殿の実弟たちも大幅な加増となる。

 留守政景殿は義父の黒川晴氏の身柄と共に黒川郡が与えられる。

 石川昭光殿は伊具郡と伊達半郡への転封が命じられ、石高は旧領から倍増だ。

 蘆名盛重殿は新領地の葛西六郡と桃生郡の統治を任され、蘆名の家門を復活させた。

 杉目直宗殿は信夫郡大半に加え、伊達半郡が加増となっている。


 この国替えによって、輝宗殿は伊達家中の支配力を格段に高めている。


 そして義兄である俺、二階堂盛義には、石川家旧領の石川郡三万石と信夫郡の八丁目一万石余が内示通りに進呈された。


 更に京よりの使者が須賀川まで到来する。


 内裏に金をばら撒いた甲斐があった。

 また、遠藤基信が築いた武家伝奏の飛鳥井雅敦との個人的なコネも効いたと思われる。


 それは我が息子、二階堂盛隆の下野守叙任を告げる朝廷よりの使者であった。






 嫡男盛隆の下野守叙任を祝う須賀川城下の祭りは、三日三晩続いた。


 今年九歳の宇都宮伊勢寿丸が満十五歳になるまで、という制限は付いていたが、晴れて下野守の官位を得ることが出来た。

 一度得てしまえば、“元”下野守になったとしてもその威光は残る。

 そしてこれからの六年の間に、後戻り出来ないほどに下野支配を進めておけば良い。


「して、周辺国の反応はどうか」


 須賀川に参集した家臣たちに下問する。




 最初に守谷俊重が独自の諜報網で収集した下野の諸将の反応を答申。


「鹿沼の徳雪斎周長殿と塩谷の塩谷義通殿は、諸手を挙げて歓迎ですー。宇都宮の南呂院と清党の芳賀高継は、当然ですけど怒り心頭ですねー。茨城の笠間幹綱と那須の那須資胤は、完全に佐竹へ従属です。残りの紀党の益子勝宗と、栃木の皆川広勝、壬生の壬生義雄は、佐野と同様に北条にすり寄ってますね。その北条、我ら奥州勢を警戒したのか、落としたばかりの小山城の大規模な改修工事を始めましたー」


 亡き宇都宮広綱の正室であった呂姫は、隠していた夫の死が明らかになってしまった後に落飾して南呂院を名乗っている。

 宇都宮家当主の伊勢寿丸を始めとする広綱の息子三名の生母であり、常陸の佐竹義重の妹でもある。

 実家の佐竹家の力を借りてこの難局に立ち向かおうとしていたが、それに乗じた佐竹義重もまた順調に宇都宮領を浸食していた。

 盛隆の下野守就任は、二階堂、佐竹、北条の三家による下野の三分割を、より鮮明にさせたと言えよう。




 次いで保土原行藤が伊達家経由で収集した常陸の佐竹家の反応を答申。


「佐竹義重殿、小山奪還の軍議の最中に本件を聞き及び、怒りの余り鞭をへし折ったとか。岩城家を経由して、伊達家に強く抗議に及んでるよし」


 佐竹義重にしてみれば、味方のはずの二階堂家に自分のシマを荒らされた格好になる。

 同盟の元締めの伊達家にクレームを入れるのは当然のこと。

 ただ輝宗殿は宥め役に回ってくれているので、まだ手切れには及ぶまい。

 それに北条氏政に小山城を追われた小山秀綱を保護したことが、佐竹義重の選択肢を狭めていた。




 最後に須田盛秀が長禄寺ネットワークから収集した越後の上杉家の反応を答申。


「若君の下野守就任を聞いた上杉謙信殿は、深く肯かれたと聞き及びまする。近く佐野宗綱を討つ為の関東出征の号令が発せられるとのことゆえ、我ら二階堂家に合力を求めてくるのは必定かと」


 上杉家はまだ佐竹家とギクシャクしたままだ。

 その佐竹家の影響下にあって、且つ頼りにならない宇都宮家に代わり、我が二階堂家が下野の諸将を束ねて味方してくれるなら、上杉家としては願ったり叶ったりだろう。

 こちらとしても、下野制圧の為に上杉謙信の軍事力と関東管領の威光を利用するのにしくはない。





 各々が上げてきた情報を吟味。

 その上で号令をかける。


「相分かった。徳雪斎周長殿からも、近く壬生綱雄を討つ為に力を貸して欲しいと打診を受けている。次の下野出征は大戦となろう。武具、兵糧の準備を怠るな!」


「「「ははっ」」」


 まずは下野内の北条寄りの勢力を討つ。


 然るのちに佐竹の影響力の排除だ。






<1576年 4月>


 吉次の率いる隊商が帰ってくる。

 東山道が通る小山で小山城普請中の北条方の妨害にあったそうだが、頼れる護衛のお陰で無事に切り抜けられたとのこと。

 先触れの飛脚が知らせてくれた。


 イヤな予感がするな。

 白坂まで駿馬を駆って吉次を出迎える。


 梅の花が咲く中、吉次一行が到来。


 やっと見つけた愛しい吉次の隣には、やたら過激な色使いの衣装を着た巨漢の姿があった。


 派手だが決まっている。

 風流とはああいうものか。


 年の頃は吉次と同じくらい。

 体格が大きく顔付きも彫りが深いが、振る舞いは涼やか。

 まずイケメンと言っていいだろう。


 仲睦まじそうに馬を並べる美男美女の姿を見せつけてられ、嫉妬心がムクムクと湧き上がってきた。


 ガガッと馬を操って二人の前に躍り出る。


「あら、お殿様」


 吉次がのほほんと微笑んでくる。


「吉次、そこな男は何奴ぞっ」


 戦闘モードで確認すればよいものを、そんなことも失念して誰何の声を上げてしまっていた。


「ほお、この殿様が吉次殿の好い人かね」


 人懐こい笑みを浮かべるかぶき者。


 みんな大好き、前田利益の登場であった。






 腕の中で吉次がむくれている。


「はぁはぁ、ちょっと強引過ぎませんか。あんっ」


 小峰城内の湯殿で二人きりで湯に浸かりながら、吉次の白く輝く滑らかな肌を愛でる。

 二十代半ばになった吉次の身体は、益々エロさに磨きがかかっていた。


 久方ぶりの逢瀬で、かつ燻る嫉妬が俺の自制心のブレーキを効かなくしていた。

 旅の埃を落とす入浴中の吉次のもとへ押し掛け、そのまま一戦に及んでしまった次第である。

 湯気の中でのぼせながらも喘ぎ声を堪えなくてはならず、吉次はクタリとなっている。


 己の女である証を注ぎ込んでマーキングしたことで、やっと満ち足りる。


 前田利益は奥村永福の屋敷におり、今頃は酒でも酌み交わしているだろう。

 優越感に浸る。


 有り体に言っても最低だ。


 たぷたぷとお湯を揺らしながら質問する。


「で、前田利益はなぜ奥州まで参ったのだ?」


 あの大ふへん者のことだ。

 俺に仕えたい、というわけでもあるまい。


「昨年の長篠の戦さでの傷がまだ痛むので湯治だそうです。というのは嘘で、石山の門徒衆相手の戦さに嫌気が差したみたい」


 前田利家に荒子城を追われた後、実父の滝川益重の軍に陣借りして生計を立てていたようだ。

 武辺者の前田利益にとって、門徒衆の痩せた農民貧民たちを屠るだけの戦いは心躍るものでは無かったらしい。


 そんな折に吉次と京で再会し、親友の奥村永福の奥州での活躍を聞き、ついでに磐梯熱海の五百川の名湯を知る。


 奥村永福には先年奪い取った那須郡北部のうちの一万石を加増しており、二階堂家中においては一番の出世頭である。

 湯治に託けて親友を訪ねる旅を思いつき、ちょうど奥州に向かおうとしていた吉次の商隊の護衛を買って出た、とのこと。


 その武勇は是非とも配下に欲しいところだが、無理強いは出来まい。


 しばらくは奥村邸に居候するとのことらしいので、気が向いたら戦陣に加わってくれることもあるだろう。

 とりあえずは放置だな。






 夜は城下の吉次の実家に共に赴き、娘の吉乃との家族水入らずの時間を過ごす。

 吉乃が寝入った後は、吉次との大人の時間だ。


 昼間の湯殿の続きを再開し、激しい打ち合わせに臨む。

 そしてピロートークで情報収集。


「盛隆殿の下野守叙任。実は織田信長様の後押しもあったんです。お殿様が献上したプリンの調理手順、かなりお気に召したそうですよ」


 プリンが官位に化けよった。

 上方ではまだ卵食は忌避されているはずだが、さすがは牛乳を好んで飲んだという信長。

 食に関しても革新的だ。

 お礼にクレープのレシピでも贈っておくべきか?


 明けて翌朝。

 須賀川から早馬が到来する。


 上杉家の使者が来たらしい。

 まず間違いなく須田盛秀の予測通り関東への出兵依頼だろう。


 やっと吉次の肌を味わえたのに。

 せめて出征の日まで出来るだけ毎晩吉次を閨房に呼び、上方情報を引き出すとしよう。






<1576年 5月>


 米沢の輝宗殿に関東出征の許可を得て、二階堂領の外征に動員可能な兵力の目一杯となる八千の兵が白河に集結していた。

 更にこの日の為に奥羽の各地で急遽募った浪人衆一千も加わる。


 上杉勢とは一ヶ月後に唐沢山城で合流する予定でおり、それまでに壬生領と皆川領を攻め落とさなければならない。

 また小山城を普請中の北条軍を相手取ることになるので、それなりの兵力が必要であった。


 進発に先立って、二階堂軍内で些細で本当にどーでもいい騒動が発生する。

 朱槍騒動である。


 奥村邸に居候を続けていた前田利益だが、軍神と名高い上杉謙信に会えるかもしれないと知って参陣を決めたそうだ。

 関東の雄である北条家との戦さにも、心躍るものがあったのだろう。

 そんな彼の獲物は特別製の朱槍である。


 朱槍を持てるのは、家中で一番武勇に優れていると主君が認めた武者なはず。

 陣を間借りしているだけの一介の浪人が、その朱槍をこれ見よがしに振るうなど言語道断。

 二階堂家中の腕に自信がある者や、無頼の浪人衆の中からも不平の声が上がる。


 前田利益に聞くまでもない。

 吉次に言って予め用意させていた朱槍を、欲しい奴ら全員に配る。

 そしてその全員を前田利益に預けてしまう。


 朱槍を渡された者たちは、自分こそが朱槍に一番相応しいと示さなければならず、前田利益に対抗すべく全員がハッスルするだろう。

 吉次に前田利益の様子を尋ねる。


「どうであった?」


「凄くイヤそうな顔してましたね」


 そうか。

 自然と顔がニンマリしてしまう。


 吉次が呆れた顔でこちらを見ていた。






 伊達家の援軍一千の到着を待って南進を開始する。

 ちなみに伊達勢を率いるのは、黄色い母衣がトレードマークの後藤信康。

 史実では後年、黄後藤として有名を馳せる彼であったが、今はまだ後藤家を継いだばかりの二十歳そこそこの若武者である。

 輝宗殿からは、将来の伊達家の武を担う将に育てたいゆえ経験を積ませて欲しい、との言伝を受けている。

 

 白河を進発した総計一万の軍勢が東山道を進む。


 那須郡を通過中、上那須衆の兵一千が参陣してきた。

 既に我が配下となっている大田原綱清を頼り、兄弟の大関高増と福原資孝が目通りを願ってくる。

 那須資胤を見限って、二階堂家に忠勤を誓うとのこと。

 先年の芦野の戦さで我らに叩きのめされたことより、主君に捨て石扱いされたことの方がよほど恨みが強かったようだ。


 塩谷郡にて塩谷軍の兵一千も合流。

 宇都宮城到達時には、兵の数は一万二千を超えていた。


 宇都宮城。

 多気山城に移った宇都宮家が捨てた城である。

 一応は譜代の家臣の玉生高昌に預けた形を取っているが、守備兵は少なく城の防備は薄い。


 宇都宮家の家宰とも言える立場の徳雪斎周長との交渉により、大手を振って宇都宮城に入城する。

 宇都宮城の借用許可については、徳雪斎周長悲願の壬生城攻めへの協力と、小山城の北条軍への対処を約することで事前に得ていた。


 まずは最初にすべきことは、新たに下野守となった盛隆を連れ立っての下野国一宮、宇都宮二荒山神社への参拝である。


「父上、これはひどいですね。結構な額の寄進を用意せねばなりますまい」


「うむ。そうだな。至急手配しよう」


 藤原秀郷に始まり、かつては源頼義、源義家、源頼朝らが戦勝祈願し、東国鎮護に寄与したその威光は、今は見る影も無い。

 聞けば社殿の建て替えは、ここ八十年ほど実施されていないとのこと。


 戦勝祈願を盛大に行い、勝利のあかつきには社殿の造成を約す。






 宇都宮勢の兵二千と合流して宇都宮城を出立する。


 宇都宮伊勢寿丸の名代として、芳賀高継が清党と宇都宮譜代の軍勢を率いて参陣してきた。

 芳賀高継は五十歳になる老年の武将だ。

 叔父の芳賀高定は、かつて壬生綱房・綱雄の父子に追われた幼年の宇都宮広綱を奉戴し、周辺諸国の協力を得て宇都宮城に復権させた大功労者である。

 挨拶を受けるが、主家ともども我が二階堂家に従うしかない情勢に納得してないのがありありとわかる。

 この二千、戦力としてはあてにならないので、数合わせ程度に考えておく。


 今回の佐野出兵。

 小山城を北条から取り返したい佐竹義重の思惑も働いており、その意向を受けた妹の南呂院が宇都宮家中を振り回している。

 宇都宮城の借用許可もそうだし、佐野攻めへの合力も南呂院の指示であった。

 多功城主の多功綱継を筆頭とする譜代の家臣たちの反発も相当高まっている。

 

 もともと南呂院と険悪な仲であった紀党の益子勝宗に至っては、完全なサボタージュだ。

 北条方につくことを鮮明にし、自領の防備を固めている。

 いずれ討つ必要があるだろう。


 壬生義雄と皆川広勝は言わずもがな。


 当初の予定通り、壬生城と皆川城を攻略して佐野城に向かうこととする。






 鹿沼城で徳雪斎周長と合流し、合計一万五千余の軍勢で南進。

 壬生城に迫る。


 壬生義雄は持てる手勢の千騎全てを壬生城に集結させていた。

 小山城の北条氏照に救援を求めつつの籠城の構えだ。


 降伏勧告は無駄だった。

 これまでの壬生本家と徳雪斎周長の敵対の経緯を考えれば当然だ。


 しかし、既に越後の上杉謙信が越山して上州への進軍を開始している。

 また常陸の佐竹義重も笠間幹綱ら常陸の諸将を率い、一万余の軍勢で東から小山城を伺う動きを見せていた。

 北条軍は小山城を動けず、壬生城は見殺しとなる。


 宇都宮勢と上那須勢と徳雪斎周長の軍勢に、壬生城の三方から攻撃を仕掛けさせる。

 一番戦意が旺盛な徳雪斎軍に防備力ゲージの少ない箇所を任せたみたら、壬生城は二日と保たずに落城。

 壬生義雄は北条領に向けて落ちて行った。


 壬生城に入城する。


 大広間に入ると、先着していた徳雪斎周長の姿が上座にあった。

 万感の思いで壬生城の主の席を味わっている様子。


「おや、ほっほっほっ。これは失礼仕った」


 こちらに気付いて席を譲る徳雪斎周長。

 壬生領は全て徳雪斎周長のものとなることが決まっていた。

 念願成就であろう。


 史実の徳雪斎周長はこの壬生攻めに失敗し、逆に壬生義雄に攻め殺されている。

 今後彼にはどのような運命が待ち受けているのだろうか。






 軍議を簡単に切り上げ、そのまま皆川領に兵を進める。

 今はどちらも亡くなっているが、三年前に皆川俊宗が宇都宮広綱を幽閉した折、皆川領は佐竹義重に攻められて、十数城が落城の憂き目にあっている。

 それから皆川俊宗が討死して代替わりが発生するなど、統治が落ち着かずに領内の防衛力は低下したままだ。


 怒涛の勢いで皆川城に迫ると、城主の皆川広勝は抵抗を諦めて開城して降伏。

 降るのを良しとしなかった弟の皆川広照は壬生義雄と同様に北条を頼ったらしく、その身柄を抑えることは叶わなかった。

 北条家が本腰を入れて北関東に進軍してきた場合に備えての、小国ならではの処世術である。


 とりあえず所領の半分は召し上げて二階堂家の直轄領とし、後日じわじわと力を削いでいこう。






<1576年 6月>


 小山城の北条氏照が動く前に壬生城と皆川城を攻め落とせたので、随分と時間に余裕が出来てしまった。

 佐野の唐沢山城の手前まで兵を進めるも、まだ上杉勢は新田・足利・桐生あたりを蹂躙している最中だ。


 唐沢山城はこれまで軍神上杉謙信に九度攻撃されたが、城自体は落城したことが一度も無い、関東一に堅固な城である。

 山頂の本丸の標高は250m近くになり、今は野っ原だが遠く江戸までも見渡せる視界の良さを誇る。


 守谷俊重の諜報によると、佐野宗綱は二千の兵で唐沢山城に籠もっている。

 この城に限っては攻撃三倍の法則は効かない。

 上杉勢と合流して大兵力で圧迫して開城を迫るのが正道だろう。


 ただ、その前にやれそうなことは全部やっておこうか。


 守谷俊重を呼んで、予め命じていた流言の策の結果を問う。


「首尾はどうか」


「はいー。麓の村々に蔓延させた不安。しっかり唐沢山城内にも伝わり、佐野宗綱の耳にも届いているようですよー」


 佐野宗綱はまだ若く、当主となって日が浅い。

 上杉謙信と互角に渡り合った先代の佐野昌綱に比べ、その手腕を疑問視する者も佐野家中に大勢いるはず。

 偉大な亡父に並ぶべく上杉家に逆らって無謀な戦さに及ぼうとしていると、佐野宗綱を不安に思う声を守谷俊重に煽らせていた。


「ならばよし。では参ろう」


 史実の佐野宗綱は剛勇を無駄に誇り、後年に近隣との小競り合いで単騎で突出して討ち取られている。

 挑発に乗りやすい性格だ

 そしてまだ二十一歳と若い。

 そこに佐野家中の不安を上乗せする。

 本格的な籠城戦になる前に手柄を立て、家臣たちに認められたいという欲が必ず出るはず。


 二階堂家中で鉄砲と乗馬の両方に不足のない者たちを百五十名揃え、騎馬鉄砲隊を密かに組織していた。

 そいつらのみを引き連れ、俺自ら唐沢山城下まで威力偵察に向かい、佐野宗綱を誘き出す作戦を開始する。


 釣れれば儲けものであった。






 唐沢山城の本丸からは関東平野が一望出来る。

 大軍が近くにいるとすぐにバレてしまい、囮と思われて佐野宗綱は唐沢山城から出てこないだろう。

 その為に本隊の進軍はかなり遅らせている。


 『在陥陣営』の旗を掲げ、秘蔵の騎馬鉄砲隊百五十騎と先行。

 火縄銃は遠目からはわからないように、全員が一丁ずつ背中に括りつけてある。

 そして騎馬鉄砲隊の軍馬は、全て奥州の選りすぐりの駿馬だ。

 もし包囲されそうになっても、この軍馬たちなら容易に逃げ切れるだろう。


 城方に見つけられるよう、わざとゆっくりと進軍。

 すると後ろから追い付いてくる者たちがいた。


「何やら面白き戦さを挑まれる様子。我らも同道させてもらおうか」


 前田利益と、彼に預けた朱槍連中だ。


 そうだった。

 今回の戦さには前田利益も参陣しているんだったな。

 このかぶき者であれば、こんな美味しい場面を見逃すはずがないか。


「退けと命じても、どうせついて来るのであろう。勝手にせよ」


 まぁ邪魔さえしなければ問題ない。


 今は佐野宗綱の首にしか興味は無かった。






 唐沢山城の城下まで押し掛け、城門の前で『在陥陣営』の旗を振って挑発。


 しばらくすると城門が開き、佐野の兵が押し出して来る。


 逃げる。

 待つ。


 逃げる。

 待つ。


 逃げる。

 鉄砲を構えて待つ。


 騎乗での鉄砲射撃なんて曲芸は、どだい無理な話だ。

 当然下馬しての射撃になる。


 二階堂家の騎馬鉄砲隊は、三人一組でユニットを組ませていた。

 射手の一人以外の二人は、軍馬の管理と火縄銃の準備を担う。

 射手が都合三丁の火縄銃で連続して三発撃ち終わったら、後は三人全員で高価な火縄銃を抱えて騎馬でトンズラするだけ。


 とにかく連携を重視し、独りよがりな功名を求めないよう徹底的に仕込んである。

 ふふふ、ここだけ近代化な軍政改革のチート集団だ!


 そろそろいいか。

 射撃準備が整ったのを確認。采配を振り上げて。


「皆のもの、う」


「うりゃーーーーーーっ!!!」


 裂帛の怒号と共に前田利益が猛然と突っ込んでいく。


 お、おいっ。


 前田利益に釣られて、他の朱槍連中も戸惑いながらも、成るように成れとばかりに馬を駆って続く。


「う、うぉー」「ふ、ふざけんなっ、一番槍は俺だ!」「ちょ、まてよ!」


 あ、ちょ、う、撃ち方やめ!


 前方で土煙が舞い上がり、ワーワー、ワーワー鬨声が鳴り響く。


「好敵ござんなれ!そこな大将首、この前田利益が頂き申そう!」


 前田利益のやたら通る声が聞こえてきた。


 一瞬静まり返る戦場。


「と、殿ーっ!」「おのれ、前田利益!」「殿の首を返せー」


 暫くして佐野勢の慟哭と怨嗟の叫び声で、騒がしさが戻ってくる。


 そして前田利益がドガガッと馬を駆けて面前に現れ、血で濡れた白布で包まれた首を差し出してきた。


「後はお頼み致す」


 大将首を置いてそのまま後方に去っていく前田利益。


 他の朱槍連中も逃げて来る。


 その後ろから迫って来る復讐に燃える佐野の兵たち。


 牽制が必要だった。


 慌てて采配を振り下ろす。


「は、放てーっ!!」






 作戦は成功し、首尾良く佐野宗綱の首は獲れた。

 獲れたのだが。


 な、納得いかんぞ!


 二階堂家の騎馬鉄砲隊のデビュー戦は、思惑と外れて鳴かず飛ばずだ。

 この戦さを端緒に二階堂家の軍政を、引いては奥州の軍政を大きく改めていこうと思ってたのに。


 これでは前田利益の剛勇っぷりが、東国でも鳴り響いただけではないか!

 先回りして朱槍をいっぱい用意したのは余計だったわ。


 個人の功名が幅を利かす時代は、もうすこし続きそうであった。




ブックマーク登録、いいね、☆☆☆☆☆クリックでの評価を頂けると大変励みになります。

よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 感想欄の話ですが、ぜひぜひ駒姫幸せルートを 現代感覚でも当時感覚からも秀吉のあの仕打ちは無いと思う
[一言] 着々と南下して佐竹との対立だけでなく北条も謙信・鬼義重・反抗的な里見に次いで仙道から二階堂かと警戒してくること間違いないですね。 ところで対佐竹に対しての駒ともなる小田氏治とは接触しないので…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。