1567 鬼来
<1567年 2月上旬>
須賀川城に手紙が三通届けられる。
最初の一通目は、米沢の輝宗殿よりの文だ。
正室の義姫が懐妊したとの喜びの手紙であった。
なんでも義姫殿が子宝祈願で霊峰湯殿山のお湯に浸した梵天を枕元に置いて寝ていたら、坊さんが夢に訪れて胎に宿って良いか聞いてきたという。
翌朝に義姫殿に相談された輝宗殿は、瑞夢であるとその話を快諾。
結果懐妊が発覚した。
輝宗殿はきっと万海上人の生まれ代わりが宿ったに違いないと確信しているようで、随分と筆が走ってる。
義姫殿のお腹に宿った子供は、順当に行けば後の伊達家第十七代の政宗だ。
生まれる前からもうセルフプロデュース力が半端ない。
次の二通目は、これまで行方の知れなかった二階堂宗家の晴泰殿からの手紙である。
晴泰殿は越前の一乗谷にいた。
手紙には三好三人衆に弑された先の足利将軍義輝の弟の覚慶を奈良から救い出したと書かれている。
その後に伊賀甲賀から近江若狭を経由し、今は越前の朝倉義景のもとへ身を寄せていた。
尚、覚慶はその道中の南近江の矢島で還俗して足利義秋と名乗っている。
その義秋を次期将軍の座に着ける為に、晴泰殿は日夜奮闘しているようだ。
この春に朝倉義景が上洛戦を行う約束をしており、京に戻る日も近いはずで、それまでお甄を頼むと結んである。
最後の三通目は、対白河結城の最前線にある新城館の新城備後守からの報告であった。
先年に我ら伊達二階堂連合は白河結城氏の婚姻同盟相手の蘆名を降伏させ、その蘆名家に伊達彦九郎殿を婿入りさせている。
彦九郎殿は元服して蘆名盛重を名乗り、現在は蘆名家十八代目の当主となっており、その関係で白河結城氏と我ら二階堂家の戦さも矢止め中である。
そんな中、どうやら白河結城氏の今年五十歳になる現当主の結城晴綱と正室の間に、待望の男子が産まれたそうだ。
晴綱の弟で次期当主と目されていた小峰城主の小峰義親の立場は、これにより相当に微妙なものとなる。
小峰義親が蘆名盛氏の息女の鶴姫を娶り、既に娘を一人もうけていることも大きい。
白河結城の家中は今、親蘆名路線を継続するか、それとも伊達二階堂連合に鞍替えするかで揉めている。
蘆名切り捨てを主張しているのは、結城晴綱の庶長子で国神城主の中畠晴常の一派とのことであった。
南の方を呼んで一通目と二通目の文を見せる。
一通目を読んで呆れる南の方。
「随分と浮かれているな。これで姫であったら如何にするのやら」
「それこそ仏の思し召しであろう。良いではないか。姫ならば菩薩のような徳の高い女子に育とう」
実際のところはどうなのか。
嫡男を欲しい義姫の願望が夢になって現れたと見るべきか。
「ふむ。とりあえず米沢に送る帯祝いの品を用意せねばなるまいな」
「ああ、頼む」
次いで二通目に目を通す南の方。
「まずは安堵した。お甄には父御が無事であることを伝えるとしよう」
「そうしてくれ。ただ晴泰殿が京に戻れたとしても、お甄は須賀川に留まらせた方が良いだろうな」
朝倉義景がダメなら史実通りに織田信長を頼り、足利義秋は京に戻るだろう。
しかし、三好三人衆の反撃やその後のドタバタを考えると、とてもではないがお甄を京へは戻せない。
「鶴王丸が悦ぶであろうな」
「ん?如何した?」
「いや、なんでもない」
なにか南の方がつぶやいたのだが、はぐらかされてしまった。
まあいい。
越前に支援金を送っておこう。
さて最後の一通については、須田盛秀こと源次郎を呼び出さねばなるまい。
中畠晴常の一派を密かに援助するよう、源次郎に指示を出しておくとしよう。
<1567年 5月下旬>
輝宗殿のすぐ下の弟の六郎殿が、宮城郡の岩切城主の留守顕宗の養子に入る。
留守政景を名乗り、留守氏の十八代当主を継いだ。
同時に輝宗殿の斡旋により、政景殿の正室として黒川郡の黒川晴氏の妹の竹乙が迎えられている。
これに先立ち、陸奥の足利一門の斯波氏の名族である大崎家で家督相続が発生しており、大崎義隆が新たな当主となっていた。
黒川晴氏は己の嫡男としてその大崎義隆の弟の義康を養子に迎えており、ここにも輝宗殿は自分の叔父にあたる亘理元宗の娘を娶らせた。
一連の婚姻によって黒川氏は大崎と伊達に両属する形となるが、将来的に陸前国と呼ばれる伊達家の北東方面は、ほぼほぼ伊達家に従属もしくは友好的な大小名で占められる勢力図となった。
次いで輝宗殿は、今年十六歳になる妹の彦姫と我が弟の大久保資近との縁談を進める。
この時点での伊達家の総石高は、蘆名から奪い取った領土を含めて四十五万石余。
南方に接する我が二階堂家の約十八万石との紐帯を更にキツくすることにより、伊達家の威勢を高めようとしていた。
更にそれだけではない。
両家の絆の強さを周辺諸国に見せつける為に、当主の輝宗殿自らが彦姫の輿入れ行列を須賀川まで警護すると言い出していた。
何もそこまでせずとも、と書き送ってみたが輝宗殿に押し切られてしまった。
米沢以上に活気に満ち満ちていると聞く須賀川の町並みを一度この目で見てみたいのだ!とのことである。
実のところ、姉の南の方に久方ぶりに会いたい、というのが本音であろう。
須賀川城の城門にて、輝宗殿が率いる輿入れ行列を待つ。
事前に聞いていたとおり、随分と盛大な行列になっているようで、南の方が嫁いで来たときの倍の千騎が付き従っている。
ここ数ヶ月は婚礼の準備に合わせて、それらを歓待する準備に大わらわであった。
須賀川城下の町並みを全て掃き清め、天日干しで乾燥させた桜の花びらを大量に用意して一行を待ち受けた。
身綺麗にさせた女童らを沿道に大量に配置し、彦姫の輿が通過するタイミングで幾度もフラワーシャワーを浴びせる。
須賀川を挙げて彦姫を歓待する演出をしてみた。
その甲斐あってか、城門に到着した輝宗殿はかなりの上機嫌であった。
「義兄上、なんとも風流なお出迎えじゃ。彦姫も喜んでおりますぞ。輿をこれへ!」
そのまま城中まで輿は乗り入れ、輿から降りた彦姫は輝宗殿の手を取って屋敷に入る。
彦姫は先年に常陸に嫁いだ宝姫とは双子の姫であったと聞く。
ただ宝姫同様に南の方と顔付きは似ているものの、快活であった宝姫と違って柔和な雰囲気をしている。
城内の奥の一室に二人を案内する。
その部屋には我が妻の南の方が待ち受けていた。
「久しいな、輝宗。随分立派になったものだ」
「おお、姉上!お会いしとうございましたぞ!」
輝宗殿と南の方の約十一年ぶりの再会であった。
俺と輝宗殿の二人に見守られる中、資近と彦姫の婚礼の式が挙げられる。
共に数えで十六歳となり、似合いの二人である。
資近は我が妻の南の方に対して憧れに似た思いを抱いていた節がある。
その南の方の妹が妻になるとなれば、特に大事にするだろう。
政略結婚とはいえども幸せな家庭が築けるよう、兄として精一杯サポートするつもりである。
須賀川の西方に位置する大久保郷の統治については代官を手配している。
須賀川城下に新たな屋敷を用意し、そこで弟夫婦には新婚生活を送ってもらう予定であった。
彦姫にしても実姉が側にいるのは心強いはずだ。
問題は鶴王丸である。
史実であれば現在七歳の鶴王丸が八年後に寡婦となった彦姫を娶るはずであった。
二人の間には子が一男一女と二人出来ており、それなりに仲睦まじかったようである。
つまり余りに二人の距離を縮め過ぎると、この世界線でも何かの間違いが起こらないとも限らない。
弟の嫁と息子が不倫関係になるなどゾッとする。
そっと鶴王丸の様子を観察する。
鶴王丸はお甄と並んで南の方の隣にチョコンと座り、婚礼の式に大人しく参加していた。
婚礼の儀に臨む彦姫の様子を熱心に見入っているようにも見える。
鶴王丸が元服するまでに、なんらかの手を打っておく必要がありそうだ。
少し早いが、鶴王丸の嫁を探しておいた方が良いかもしれない。
美男子に生まれるというのも親としては考えものだ。
資近と彦姫の二人の婚礼を祝うために、奥羽の諸大小名が使者が数多く須賀川城を訪れた。
南の方が嫁いできた十一年前に比べると、その数は劇的に増えている。
奥州第三位の大名であり、また陸奥守護代でもある二階堂家の影響力はとても大きいものになっていた。
伊達家に従属していたり友好的な諸侯ばかりではなく、現在矢止め中の相馬や田村からも礼儀として祝いの品々が届く。
先の当主盛興の喪が開けたばかりの蘆名家からも、会津四天の富田氏実が使者として到来。
内心はどうあれ、祝いの言葉を述べてくる。
その流れで蘆名と婚姻同盟関係にある白河結城氏からも使者はやって来た。
使者の名前は河東田清重。
二十代半ばの文武の両道に優れた青年武将である。
先年の我が二階堂家との新城表での戦いでは、小峰義親の軍師である佐藤忠秀の指揮の下、その武勇を奮っている。
河東田氏は白河結城氏の庶流であり、主君の結城晴綱の信任も厚い。
敵方ながら天晴れな武者であり、大いに歓待する。
その河東田清重が白河侵攻の大義を我が二階堂家にもたらしてくれることになろうとは、この時はまだ俺も予想だにしていなかった。
<1567年 7月下旬>
刺すような日差しの中、早馬が須賀川に到着する。
伝令は余程急いでいたようで、転げるように評定に割り込んで来た。
「新城館からの来着か。如何にした?」
「白河結城領にて変事これあり!河東田清重と名乗る者が新城館に逃げ込み、胸中の赤子を結城晴綱の嫡子と主張して、殿への目通りを願うております!」
河東田清重。
先月の婚礼にて結城白河氏の使者を務めた男である。
白河結城家中の対立では中立のポジションを取っていたと聞くが。
その彼が結城晴綱の嫡子の七若丸を連れて、この須賀川に逃げて来たと言うのか。
「すぐに新城館に参る。源次郎、其方は須賀川に残って兵を集めよ。あと二本松の左近にも文を出せ!」
矢継ぎ早に指示を出した後に馬に飛び乗り、新城館に向かって駆ける。
どうやら白河結城氏は混乱の渦中にあるらしい。
せっせと争いの種を巻いた甲斐があったようだ。
新城館に駆け込み、河東田清重との面会を果たす。
さっそく事情を聞く。
「昨夜のことです。中畠晴常殿が朋輩を引き連れて小峰義親殿の屋敷に乗り込み、妻の鶴姫殿との離縁を迫ったと聞きます」
そこで小峰義親はその要求を断固として拒絶したらしい。
結果その場で撃発した中畠晴常と斬り合いになり、その騒動は白河一円に広がる。
中畠晴常を斬った小峰義親は居城の小峰城に戻って挙兵に及び、今朝方に白川城に向けて進発を開始する。
急なことで防衛もままならず、重臣の和知美濃守が小峰義親を手引きしたこともあって、あっけなく白川城は落ちてしまったと言う。
「それがしは晴綱様より七若丸君を落とすよう命じられました。しかしながら我が河東田城を目指すも先回りされ、行く宛ても無くなって二階堂盛義様を頼った次第」
よく頼って来てくれたと言いたい。
伊達家と組んで蘆名家を屈服させた後、我が二階堂家は南方に勢力を伸ばす機会を探っていた。
中畠晴常を支援したのもその策謀の一環である。
史実と異なり結城晴綱の在命中に謀反したのならば、この河東田清重のように小峰義親に反発する者も数多く出てくるだろう。
白河郡を手中にする絶好の好機であった。
兵の集結を待って須賀川より軍勢を進発させ、一戦して小峰義親の軍勢を蹴散らす。
義親の軍師の佐藤忠秀を初めとし、白河結城家の名のある敵将を数多く討ち取る。
そのまま小峰義親を捕捉するべく白川城に入るも、逃げ遅れた和知美濃守以外に敵将の姿は無い。
幽閉されていた結城晴綱を解放した後、和知美濃守を締め上げて小峰義親の行方を吐かせようとするも、そこでもっと重要で緊急度の高い情報がその口から溢れ落ちて来る。
「何!常陸に使いを送っただと!?」
「ゼィゼィ、義親殿は赤館か寺山城に逃げ込んでおろう。南郷割譲を条件に、佐竹義重に支援を求められた故。ガハッ」
佐竹家の南郷への執着は相当なものがある。
我らと同様にこの好機を逃すはずが無い。
「くっ!この白川城の抑えと小峰城の接収は後続の左近に任せる!急ぎ南郷へ向かうぞ!」
既に日が暮れていたが、そんなことは関係無かった。
俺は先頭を切って南郷に向けて駆け出していた。
赤館城主の上遠野盛秀は、近郷の城主で付き合いも深かったという河東田清重の説得に応じ、大人しく城を開けてくれた。
次は寺山城である。
寺山城の城主は剛勇で名の知られた斑目広基と広綱の兄弟だ。
その寺山城にたどり着いた頃にはもう夜も大分深くなっていた。
夜中に突如現れた二階堂家の大兵に驚いて、しっかりと城門を閉じてしまう斑目広基。
こちらの説得にもなかなか応じてくれない。
仕方なく寺山城の麓に陣を敷く。
そこに月光の下、棚倉街道を北上してくる軍勢の影があった。
佐竹軍である。
その先頭には若き鬼が二匹いた。
一人は鬼義重。
佐竹家十八代当主。
得物は刀身1mの八文字長義。
一瞬で敵七人を斬り伏せる範囲攻撃と、敵一人を八つに斬り分ける絶技を誇る。
もう一人は鬼真壁。
常陸真壁城主の真壁久幹の嫡男氏幹。
得物は2mの金砕棒。
塚原卜伝仕込みの旋風系の棒術を馬上から繰り出し、立ち塞がる敵を全て跳ね飛ばして行く。
かつてない強敵の登場である。
兵の数は互角。
軍の配置も五分。
ならば後は率いる主将の器量で勝敗が決する。
月が霞に陰る中、馬を進めて二人と相対する。
「身共の名は二階堂盛義。既に白河の乱は鎮圧された。御足労であったな」
小梁川宗朝から引き継いだ無銘の太刀に手をかけながら、油断なく問い掛ける。
「チッ、手の早いことよ」
「むぅ、口惜しや」
間合いを測りつつ殺気を放ってくる鬼義重と、馬上のままドンッと地を突いて不満をあらわにする鬼真壁。
鬼と呼ばれるだけあって二人とも体格が良い。
共に身に纏った漆黒の鎧は内側から弾けそうなほど。
まるで妖気のように感じられるほど圧が凄い。
「小峰義親の誘いに乗ったのならばお相手仕るが。あまりオススメはせぬぞ」
負けぬように気を張って口上を続ける。
「相模の北条氏康は上総の三船山に砦を築き、里見を一飲みにしようとしていると聞く。安房上総の次は下総常陸であろう。かような折に後背に敵は作りたくあるまい」
一応のところ伊達家の女婿同士であり、現時点では味方同士であるため助言はしておく。
だが鬼真壁はそうは取らなかったようだ。
「ぬうう、ちょこざいな。自らの武威ではなく、北条の威を借りて我らを脅すか!」
霞が去った月光の下、今にも金砕棒を振り回して突撃をしかけてきそうな勢いだ。
「やめよ。暗夜軒。ここは退くぞ」
「しかしお屋形様」
「わからぬか。随分な数の火縄銃があやつの陰から我らを狙っておるわ」
鬼義重は鬼真壁よりも少しだけ夜目が効くらしい。
あえて二人の前に我が身を晒すことで、鉄砲隊の配置を悟られぬよう頑張ってみたが、なんとか成功したようだ。
鬼真壁も退かざるをえない状況にあることは理解したのだろう。
「小峰義親め。とんだ無駄足ではないか!」
吠える鬼真壁。
隣の鬼義重は悠然と馬首を返す。
「無駄足ではないわ。北に手強い相手がいると我が目で見知っただけでも有益よ。そして我が佐竹には火縄銃がまだまだ足らぬと知れたこともな」
どうやら一触即発な状況は脱したようだ。
油断せずに南に去って行く佐竹の軍勢を見送る。
史実の佐竹氏は北関東の雄として関東随一の鉄砲隊を整備し、数で勝る北条軍相手に粘り強く戦い続けた。
きっとこの世界線の佐竹義重も同じ路線を歩むだろう。
佐竹義重は自領の久慈金山と、攻め取った南郷の諸金山を鉄砲と火薬の購入資金の元手とした。
今回その南郷が我が二階堂家の占領するところとなった以上、佐竹義重はそれに比するドル箱の確保に動くはず。
霞ヶ浦周辺の水利の独占を求め、南常陸への侵攻を加速するに違いなかった。
それはつまり佐竹家の常陸の統一を早めることに繋がる。
佐竹義重が常陸全土を手中に収めたならば、再び南郷へ食指を伸ばしてくるは必定。
それまでに我が二階堂家の白河統治を万全にしておく必要があった。
<1567年 9月上旬>
南郷での佐竹軍との衝突を回避するも、結局小峰義親は取り逃してしまった。
小峰義親の妻と娘の行方も杳として知れない。
恐らく義父の蘆名止々斎を頼って会津に潜伏しているものと思われる。
輝宗殿を経由して蘆名盛重殿に探索をお願いしてはいるが、それが原因で蘆名家中がまたギクシャクし始めているらしい。
内紛の火種になりそうであった。
尚、七若丸を奉じて白河郡に乗り込んだ我が二階堂家であったが、そのまま占領を継続している。
白河結城氏九代目当主の結城晴綱が、一連の騒動のストレスが原因で持病の眼病を悪化させてしまったからである。
政務を取れない結城晴綱や僅か一歳の七若丸に代わって、この二階堂盛義が白河の采配を取らざるを得なくなる。
小峰義親が政敵の中畠晴常の一派を残らず粛清し、その小峰義親に付き従った国衆はこの俺が一掃してしまった。
白河郡約七万石の支配者階級がゴソッといなくなってしまっている。
残った主だった将は、河東田清重と上遠野盛秀に斑目広基、広綱の兄弟くらい。
白河統治の為の人材が足らず、俺自らが白河に張り付いて対処せねばならない状況であった。
山城である白川城は政務が取りづらい。
平城ながら好立地である小峰城を我が二階堂家の白河統治の拠点と定めた。
なかなか須賀川城に帰れない状況が続く中、その小峰城に須賀川から文が届く。
米沢で輝宗殿の正室の義姫殿が無事出産を終え、嫡子が産まれたとの喜びの知らせであった。
その赤子は梵天丸と名付けられたとのこと。
後の伊達政宗の誕生であった。
すぐに米沢へ祝いの品を送るように須賀川の南の方に文を書く。
大いに悩んだ後、祝いの品に乳牛を指定して申し送った。
政宗は幼少時に疱瘡を患い、一命を取り留めるも右目を失ってしまう。
この片目の喪失が、彼の人格形成に大きな影響を与えたのは想像に難くない。
史実に沿った独眼竜の登場を期待するなら、このまま手出しは不要だろう。
しかしだ。
将来確実に罹患すると判明している子供の病を、あえて防がないというのは、あまりに非道ではないだろうか。
それにもう既に奥羽の歴史自体が、この二階堂盛義という存在により大きく揺らいでいる。
梵天丸が疱瘡で生き残れるのかどうかさえも最早あやふやで、最悪は命を落としてしまうかもしれない。
このまま見過ごすのは大いに危険である。
また史実の伊達政宗は晩年片目を失った事を親不孝と嘆き、自分の木像に両眼を入れることを望んだという。
その思いを叶えてやりたい。
須賀川の南の方に向け、祝いの品と一緒に米沢に送るよう申し添えた手紙を一通用意する。
祝いの言葉と共に疫病退散の為の牛の乳搾りの重要性を滔々と書き記した、輝宗殿への手紙である。
字が少々汚いのは許してもらうこととしよう。
<1567年 11月上旬>
相変わらず実質的に新たな領土となった白河の統治に勤しむ中、遠く美濃にて稲葉山城が織田信長に攻め取られたとの噂が奥州まで到達する。
織田信長は稲葉山を岐阜と改名。
それと同時に隣国の北近江の浅井長政に妹の市姫を嫁がせ、上洛への道固めに取り掛かった。
天下布武がついに始まろうとしていた。
<年表>
1567年 二階堂盛義 23歳
01月
☆三河の松平家康(24歳)、朝廷から従五位下三河守に叙任される。近衛前久(31歳)の力を借りて源氏の徳川姓に復姓。
▷安芸の毛利元就(70歳)、月山富田城を攻め落とす。尼子義久(27歳)降伏。尼子家滅亡。
02月
■米沢の伊達輝宗(23歳)の正室義姫(19歳)懐妊。
◆白河の結城晴綱(49歳)の正室、嫡男七若丸を出産。小峰義親(26歳)、結城家次期当主の座を失う。
▽安芸の毛利元就(70歳)の支援を受け、筑前で秋月種実(19歳)挙兵。大友氏の重臣高橋鑑種(38歳)も呼応して謀叛。
▼大崎にて大崎義直(61歳)の嫡男義隆(19歳)が家督を継ぐ。
03月
◆関東出征中の上杉輝虎(37歳)、唐沢山城の佐野昌綱(38歳)を三度目の攻略。
▼檜山の安東愛季(28歳)、南部領の鹿角に再度侵攻。三戸の南部晴政(50歳)、援軍を派遣して安東軍を撃退。
◆下野で那須大崖山の戦い。那須資胤(40歳)、佐竹家が支援する大関高増(40歳)の軍勢を再び撃退。
04月
◆上州厩橋城の北条高広(50歳)、相模の北条氏康(52歳)の調略を受けて上杉輝虎(37歳)に叛く。
◆常陸の佐竹義重(20歳)、北条氏康(52歳)の手勢に攻められた多賀谷政経を救援。敵を八文字に斬り落とす。
☆越前にて堀江景忠(40歳)が加賀一向一揆と結んで謀叛。朝倉義景(34歳)、上洛戦を取り止め景忠を討伐。能登に追い払う。
05月
◆下野で霧ヶ沢の合戦。那須資胤(40歳)、佐竹家が支援する大関高増(40歳)の軍勢を三度撃退。
▽肥後の相良義頼(23歳)、叔父の上村頼孝(50歳)に軍を差し向ける。上村頼孝切腹。
■米沢の伊達輝宗(23歳)、宮城の留守家に弟の政景(18歳)を養子に入れる。
◎須賀川の二階堂盛義、伊達家との連携強化。弟の大久保資近(15歳)、伊達晴宗四女の彦姫(15歳)を娶る。
06月
☆三河の徳川家康の嫡男竹千代(8歳)、織田信長の息女徳姫(8歳)を娶り、元服して徳川信康を名乗る。
▷備前の浦上宗景(41歳)、甥の浦上誠宗(20歳)を暗殺。誠宗嫡男の久松丸(0歳)、播磨の小寺政職(38歳)預かりとなる。
07月
▼陸奥久慈の久慈為信(17歳)、大浦為則(47歳)の婿養子となり、大浦氏を継いで大浦城主になる。
▼白河で小峰義親(26歳)謀反。結城晴綱(49歳)を討つ。南郷割譲を条件に常陸の佐竹義重(20歳)と通ず。
▼白河で河東田清重(26歳)、七若丸を連れて須賀川に逃げる。
◎須賀川の二階堂盛義、七若丸を奉じて白河出兵。小峰義親(26歳)を撃ち払い、常陸の佐竹義重(20歳)と寺山城で対峙。
08月
▶︎土佐の一条兼定(24歳)、河野通直(45歳)に圧迫される伊予の宇都宮豊綱(48歳)を支援。
▷備前の宇喜多直家(38歳)、明善寺合戦で三村元親(26歳)を破る。備前から備中勢を駆逐。
09月
▽筑前の秋月種実(19歳)、休松の戦いで大友家の討伐軍を夜襲し撃退する。
■米沢で伊達輝宗の長男梵天丸(後の伊達政宗)誕生。片倉喜多(29歳)、梵天丸の保母を拝命。
◆磐城で岩城親隆の嫡男常丸(後の岩城常隆)誕生。
◆安房上総の里見義弘(37歳)、三船山合戦で北条軍に大勝。北条氏康(52歳)、上総の大半を失う。太田氏資(25歳)討死。
10月
☆尾張の織田信長(33歳)、美濃併呑。稲葉山改め岐阜に本拠を移す。天下布武開始。斎藤龍興(19歳)、越前に逃亡。
★北近江の浅井長政(22歳)、岐阜の織田信長(33歳)の妹お市の方(20歳)を娶る。織田浅井婚姻同盟成立。
11月
★大和にて三好三人衆と松永久秀(59歳)・三好義継(19歳)連合の争いにより、東大寺の大仏が焼ける。
▼檜山の安東愛季(28歳)、南部領の鹿角に再々度侵攻。長牛城攻略。
◆甲斐で幽閉中の武田義信(29歳)死去。
12月
▽薩摩の島津義久(34歳)、菱刈氏を攻めて大口城に追い込む。
▷播磨の黒田孝高(21歳)、小寺家家老職継承。姫路城代となる。
-------------
▲天変地異
◎二階堂
◇吉次
■伊達
▼奥羽
◆関東甲信越
☆北陸中部東海
★近畿
▷山陰山陽
▶︎︎四国
▽九州
<同盟情報[南奥 1567年末]>
- 伊達輝宗・二階堂盛義・石川晴光・岩城重隆・佐竹義重・大関高増
- 蘆名盛氏・山内舜通・河原田盛次・長沼実国
- 田村隆顕・相馬盛胤
須賀川二階堂家 勢力範囲 合計 24万6千石
・奥州 岩瀬郡 安達郡 12万1千石
・奥州 安積郡 3万5千石
・奥州 伊達郡 1万5千石
・奥州 白河郡 4千石 + 6万9千石 (NEW!)
・奥州 田村郡 2千石
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