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二階堂合戦記  作者: 犬河兼任
第四章 白河の女
23/83

1565-1 受天

<1565年 3月上旬>


 昨年暮れに伊具郡の丸森訪問を企画し、隠居中の祖父・伊達稙宗を見舞おうと考えていたのだが見事に予定が狂っていた。

 田村家との停戦交渉が長引いてしまい、結局年を越してしまっている。

 俺にとっては叔母にあたる田村隆顕正室を頼ってなんとか話をまとめ、さてようやく向かおうとしたところで米沢より驚きの知らせが入ってくる。

 なんと義父の伊達晴宗が輝宗殿に家督を譲るというのだ。


 正月の年賀の挨拶の時は、そんな気配は微塵も無かったのだが・・・。

 どういうことだろう?と妻に相談したら、苦笑されて一枚の手紙を見せられた。


 これは手紙と呼べるのだろうか?

 デカデカと『諾』の一文字だけ大書されていて、それ以外には何も記載がない。

 この諾の字がまたなんと言うか、非常に情念が籠っている。

 憤懣やるかたない思いを何とかねじ伏せて書いたのが丸わかりな書体だった。


「ふふふ。これは父上からの文よ。米沢に届けてもらった年賀の送別品の中に、いろいろ積年の思いを書き殴った文を忍ばせていたのだが。その返答であろう」


 以前に宝姫を見送った時にチラリと語った不安や、外から伊達家が今どう見えるか。

 忌憚のない意見を書き綴ったそうな。


「昨今の三好家のようになる前に、さっさと家督を譲るべきだと書き送ったのだがな。思いきられたようで何よりだ」


 昨年の夏、一時は日本の副王とまで呼ばれた三好長慶が四十三歳の若さで亡くなっている。

 三好家の家督は一昨年のうちに十河一存の忘形見である三好重存が継いでいたが、まだ十七歳と若年であった。

 一族の長老連中や松永久秀らのアクの強い家臣団を統制出来るはずもない。

 そうでなくとも生前に三好長慶が三好重存の家督継承に不満を抱いていた実弟の安宅冬康を処断していた為、家中は大きく揺らいでいた。

 三好家中に牛耳られていた畿内は権力闘争の真っ只中となっており、非常に不穏な情勢のようだ。


 その様を遠くこの奥州まで伝え聞き、晴宗パパも不安になったのだろう。

 晴宗も今年で四十七歳になる。

 先々何があるかわからない。

 自分がサポートできる間に後継の輝宗殿の家中の統帥力を万全にしておきたい。

 その為の隠居!という結論に晴宗はたどり着いたようだ。


 諾の文字の筆使いどおり、第一線から退くのは忸怩たる想いがあるだろう。

 だが、それでも天文の大乱の再来を防ぐために、自ら杉目城(福島城)に移る決断をした晴宗は偉い。


「急ぎ米沢に参る。輝宗殿と今後の事を話し合わねば」


「うむ。弟の力になってやってくれ」


 妻の南の方に見送られて須賀川を出立する。


 まずは伊達家の新たなる門出を言祝ぐとしよう。





<1565年 4月上旬>


 伊達家の代替わりのお披露目という重要なイベントであっても、丸森からは例の如く祝いの使者が来着しただけであった。

 祖父の伊達稙宗の体調は相変わらず優れないようだ。

 輝宗殿からの返礼の手紙を預かり、伊達家の新当主からの使者の形式を取って丸森に向けて出立する。


 今回の丸森行きの供の者は、相手を警戒させないように十六名と数を絞っていた。

 その代わりに皆が命知らずの腕っこきである。

 阿武隈高地の地形を熟知している者として、塩松の大内家からの人数もその中に含まれている。

 なんと嫡子の大内定綱自らが志願して同道しており、相変わらず人を食った態度で周りの岩瀬衆を面食らわせていた。


 丸森まで至る道は、一旦白石まで出てそこから角田を経由して南下するルートと、梁川から阿武隈高地を越えて直接丸森に至るルートがある。

 前者は平坦な道だがかなりの遠回りになり、後者は距離は短いが当然ながら山を一つ越えないといけない。

 今回は刻が勿体無く、また荷物も多い為にどちらも選ばず、陸路ではなく阿武隈川を舟で下る。


「こう何度も舟から降りて歩かねばならないのは、なんとも不便なものですな」


 槍を肩に担いでブラブラさせながら定綱がぼやいている。

 伊達郡と伊具郡の境界を越えると、阿武隈高地の深い渓谷に入る。

 この時代の阿武隈川は拡幅工事が行われておらず、岐阜の長良川からの小鵜飼船の導入もまだだ。

 急流や難所は舟を降りての歩行となり、丸森まで数回に分けて舟を乗り継いでいく必要がある。


「伊達家次第ではあるが、いずれは人足を大いに雇って浅瀬を削って川幅を広げねばなるまい。阿武隈川を荷の輸送に使えるようになれば、仙道七郡の物産が伊具や亘理、名取、宮城の方にまで届くようになる。其方の塩松も大いに潤うであろうよ」


「それは面白ろうございますな。伊達の新しき棟梁に是非提案して頂けませぬか」


 にこやかに話に乗って来る定綱。

 機を見るに敏な男だけあって、槍術だけでなく商売にも興味があるらしい。

 今度この男に算盤でも仕込んでみようか。

 意外と前田利家のように化けるかもしれない。


 阿武隈川の拡幅だけでなく、物流を増やすには大量の舟が必要になる。

 舟の数を増やすには、当然ながら舟を上流に戻す為の舟曳きを大量に雇わなければならない。

 阿武隈川側の両岸の経済は大きく発展することだろう。

 亘理や名取の更に先にある海運まで見据えると、十分に商機のある投資であった。


 良い機会なので拡幅工事が必要そうな箇所はしっかりと確認しておく。


 実のところ“俺”が阿武隈川を下るのはこれで二度目になる。

 と言っても一度目は現代での話だ。

 須賀川を訪れる前に丸森町に立ち寄っており、阿武隈川ライン舟下りで川の流れを楽しみながら弁当を頂いた記憶がある。

 体感的には十七年前の出来事で、気を抜けばノスタルジーに浸ってしまいそうで注意が必要であった。






 丸森に抜けるまでの間、いくつかの要所に館が築かれており、不審な者たちが川を下ってこないかを監視している。

 当然我らの一行も丸森方に知られるところとなり、誰何の声を掛けられる。

 米沢城からの使者を名乗って堂々と丸森に向かう。

 丸森城から程近い船着場に着く頃には、丸森方の侍衆が数を集めて待ち受けており、辺りはピリピリした空気に覆われていた。


 その丸森方の侍衆の視線を浴びながら、米沢から運んできた長持を舟から次々に下ろしていく。

 侍大将らしき男が近づいて声を掛けてくる。


「この長持には何が入っているのか」


「米沢の殿よりの受天様への見舞いの品々になります。酒や味噌に貴重な薬草、草餅や干物など。お世話の女御たちへ贈る反物などもあります故に数が多うござる」


 “受天”は稙宗の号である。

 孫の二階堂盛義としてではなく、輝宗殿の側近を装って対処する。


 丸森の侍衆を率いる少壮の武将は、自らを小梁川宗重と名乗ってきた。

 確認してみたら、彼の祖父は伊達稙宗の最側近である小梁川宗朝のようだ。


 小梁川家は五代前の伊達持宗の三男から派生した伊達家の庶流である。

 天文の大乱時には家を割って稙宗と晴宗の双方に味方し、乱後も伊達家中での影響力を維持している。

 稙宗方の小梁川宗朝は息子の宗秀に丸森城代、孫の宗重に侍大将を任せており、高齢にも関わらず実質的に丸森方の総司令的な立場にある。

 晴宗方の小梁川盛宗は守護不入権を獲得しており、今は中野宗時の盟友的な立ち位置だ。


 小梁川宗重に先導されながら丸森城に向かう。

 僅か1kmにも満たない行程であったが、戦闘モードで気になるものが見えた。

 目の前に迫る丸森城の左手。

 遠く3〜4km先に見える山の上にゲージが出ている?


「お使者殿、如何なされた?何か見えましたかな」


 四分の一くらいまで進んでいるそのゲージを少し気にし過ぎたようだ。

 不審に思ったのか、小梁川宗重がさっと視界に割って入り、探りを入れて来る。


「いや、今日は汗ばむくらいの日和ゆえ、早く風が吹かぬかと気にしていただけですよ」


「確かに今日は暑うござるな。おっ、良い風が吹いて参りましたぞ!」


 とっさに言い訳すると、隣に並んだ定綱が調子を合わせてきた。

 定綱の機転でなんとか誤魔化せたようだ。

 やはり使える男である。

 さっさと進まれよ、と小梁川宗重に促されて丸森城の城門に進む。


 色は違うがあのゲージと同じものを我が領内でも見たことがある。

 築城中の磐梯熱海城の上に表示されていた、城の完成までの進捗率を示すゲージだ。

 磐梯熱海城のそれは青色であったが、今回見えたのは赤。

 恐らく敵方の城という意味であろう。


 丸森城から見てあの方角に位置するのは、確か金山城であったか。

 永禄年間に築かれた相馬方の城で、後年の伊具郡を巡る相馬家との戦いにて、かの伊達政宗が初陣を果たした場所でもある。

 どうやら既にかなりの数の相馬家の手の者が、この丸森に入り込んでいるらしい。


「気を付けよ定綱。ここから先は正しく敵陣ぞ」


 得物を預けて城門をくぐる際、隣を進む定綱に対して囁く。

 ギョロリと目だけで了解を示す定綱。


 米沢から持ってきた長持は計四竿。

 それらの長持を担いで運ぶ為に、連れてきた十六名の供と一緒に丸森城内に入る。


 結局長持の中を確認されることは一度もなかった。






 二ノ丸内の館の一室で待機させられる。


「暫し待たれよ。今は相馬の御嫡子殿が見舞っておられる。受天様への目通りはその後ぞ」


「分かりました。では先に米沢から持ってきた見舞いの品々を出しておきましょう。舟旅だった故、中に入っている諸々の器が割れてないか心配でしてな」


 うむ、と肯いて見張りの兵たちを残し、小梁川宗重が立ち去っていく。


 そうか。

 妻の越河御前が看護の為にずっとこの丸森に詰めていると聞く。

 相馬義胤はそれを理由に足繁くこの丸森に通い、都度金山城の築城を監督しているのだろう。


「これは好機やもしれませぬな」


 定綱がボソリと呟く。

 その通りだ。

 重要な親族である相馬家の嫡男が訪れている今ならば、本丸の門扉が緩んでいる可能性が高い。


 幸いな事にこの丸森城もまた実際に自分の足で歩き回った未来の記憶があった。

 現代の丸森城(丸山城)は緑で覆われていたが、曲輪や虎口、堀切や土橋の位置は覚えていた通りだ。

 小高い山の形状を上手く利用して高い切岸で各曲輪を守っており、コンパクトながらも堅固な城という印象が残っている。

 逆に言うと中に上手く潜り込んだら容易に乗っ取れそうな城とも言える。


 破損した贈り物を見られると米沢の沽券に関わる、と適当に理由を付けて襖を閉め切り、急ぎ供の者たちに準備させる。

 二重底になっている長持の奥から刀や弓、火縄銃を取り出して武装する。

 定綱の得物は反物の軸に仕込んでいた組み立て式のショートスピアであった。

 武具だけでなく非常食となる草餅や干物、狼煙用の煙草などの装備も忘れない。


「さて、行くか」


「「「ははっ」」」


 一気に襖を開けて外に飛び出す。

 呆気に取られている見張り兵たちを蹴倒し、本丸に向けて走る。


 天文の大乱が終わってより十七年もの間、丸森の兵たちは本格的な戦闘を一切経験していない。

 その結果、長持が総スルーだったように場内の警備に緩みが生じていた。

 更に戦さ慣れしていない兵は変時にどうしても初動が遅れる。

 本丸の虎口に到達した頃にようやく騒ぎが大きくなるも、未だ本丸の大扉は開いたままだった。


「な、何が起こっている!?ぐぉ!」


 扉の前でと呆然としている小梁川宗重の姿があったので、有無を言わさず殴り倒して本丸に侵入。

 仲間たちを呼び込み、門扉を急いで閉じる。


 ここまで僅か数分。

 脱落者も無し。

 特に武勇に秀でた者たちを集め、事前に模型を使って城内での動きを徹底的にシミュレートさせた成果である。


 櫓を占拠して鉄砲を配置し、一手を門の守備に残して先に進む。

 次は本丸の館内の衛兵と相馬の護衛たちの掃討フェイズであった。






「シャアーー!」


「ぐふぅ」「無念・・・」「若君、お逃げ下され、ガクリ」


 定綱の繰り出す変幻自在の槍捌きが、一番手強かった相馬義胤の護衛らしき者たちを無力化する。

 残るはこの奥の区画のみ。


 奥の襖を開けた瞬間に振り下ろされた刃を受け止め、その腹に蹴りを入れて跳ね飛ばす。


「ぐはぁ」


「きゃあっ、殿!」


 ズザザと部屋の半ばまで蹴り飛ばされた若武者に、屏風の陰から飛び出してきた妙齢の姫が縋りつく。


「っぐ、下がっておれ。俺は負けぬ!お主には決して手は出させぬ!」


 力を振り絞って立ち上がり、その姫を守る為に刀を構え直す。

 この二人が相馬義胤と越河御前の夫婦であろう。


 そして部屋の奥に病臥したまま、こちらを睨み付けている老いた偉丈夫が“受天”こと祖父の伊達稙宗。

 それを支えている老紳士が鞍馬の天狗、小梁川宗朝だな。


「定綱、四人の身柄を確保した事を触れて参れ。攻撃が止まったら本丸から余計な者どもは全員叩き出せ。それと合図を忘れるな」


「承知仕った」


 一人残って四人と相対する。


「その方、げほっ、何者じゃ」


 稙宗が苦しそうに咳き込みながら問うてくる。

 斬りかかる隙を伺っている相馬義胤の動きを目で殺しつつ、刃を隠して自己紹介だ。


「立ったまま失礼いたします。お祖父様、お初にお目にかかりまする。孫の二階堂盛義にございます」


 こちらの名乗りに顕著に反応したのは稙宗ではなく、若い相馬義胤の方であった。


「二階堂だと!!」


 怒りを新たにして睨め付けてくる。

 我が二階堂家は三年前の人取り橋合戦で相馬家の騎馬武者を数多く屠っていた。

 相馬の将来ある若者たちが沢山亡くなっており、その恨みが骨髄に徹しているようだ。


 翻って稙宗の方は動じた様子は見えない。

 己の残り僅かな命数に気付いており、達観の域に至っているのかもしれない。


「そうか。行秀と薫の息子か。米沢から使者が来ていると聞いたが、げほっ、上手く潜り込んだものよ」


「はい。伊達家十六代輝宗殿の文を届けに参りました。お受け取り頂きたい」


 懐から預かった手紙を取り出す。


「日雙。取って参れ」


「ははっ」


 稙宗の指図でその側を離れ、手紙を受け取る為にユラリと近付いてくる日雙こと小梁川宗朝。

 百歳に届きそうな年齢と聞くが、若き頃に京の鞍馬で刀術を修めていたという剣豪だ。

 将軍足利義稙に請われてその近侍となったり、かつて西山城に幽閉された稙宗を阿武隈川を一人渡って助け出したりと、その隔絶とした技量に関する逸話には事欠かない。


 まだ十八歳と若くて心技体の練れてない義胤よりも、こちらの方が余程怖いものがある。

 平然とした顔で通すも、この丸森城に潜入して一番緊張した一瞬であった。






 小梁川宗朝から受け取った手紙をゼーゼーと荒い息を吐きながらも一読する稙宗。


「ふんっ。何という傲岸不遜な書きようじゃ。ゴホゴホッ。儂と丸森の今後の面倒は輝宗が見ると言うてきておる」


 その稙宗の言葉を聞いて、刀を依然こちらに向けたままの義胤が激昂する。


「今更になって何を!それにこのような卑怯な振る舞いをしておいて、どの口が言うのか!」


 一応は反論をしておく。

 文字通りに取って付けた理由を添えてそれっぽく。


「天文の大乱は今は昔。伊達家の家督は既に次代の輝宗殿に移っておる。これを機に歪な家中の分断を解消したい。父である晴宗様が出来なかった親孝行を己が代わりに為したいという輝宗殿の菩薩心をわからぬか。そして強引な手を使わざるを得なかったのは、一重に相馬方が先に丸森に手を伸ばしてきたからよ。それを証拠に相馬家は金山の四十九院を調略し、かの地に城を築こうとしているではないか」


「・・・丸森は曽祖父様の領地ぞ!その曽祖父様の了解は得ておる。米沢に口を出される謂れは無かろう!」


 金山城の件がバレていることに動揺したのか、一瞬口籠るも結局は開き直る義胤。

 確かに相馬方から見たらそれはその通りなんだけどね。

 ただ大枠では伊達家の土地であり、その惣領となった輝宗殿としては祖父であろうと勝手に切り売りされたら困るのも当然の事。


 正論同士をぶつけ合っても意味は無い。

 正論故に互いに退けなくなり、それこそ二十年は無駄にしてしまうだろう。


「それ故にお祖父様自身に考えを改めて頂く為に、このような仕儀に相成りました。ここまでせねば話を聞いて頂けないでしょうから」


 稙宗に向き直って説得フェイズへ移行する。


「もし御身亡き後に御遺領を相馬に渡すなどという遺言を既に残しておいでなら、即刻お取り消し下され」


「ふざけるな!曽祖父様、このような無礼な物言いを聞く必要ありませぬ!」


 俺の言上を遮ろうと義胤が吠えるが、こちらも負けじと語気を強めてその怒声を跳ね除ける。


「そのような遺言は伊達と相馬の両家を縛りつけて戦さに向かわせまする!相馬盛胤殿は亘理元宗殿を抱き込み、角田の田手宗光を寝返らせて輝宗殿に対抗するでしょう!」


「なっ!?」


 田手宗光への調略の手までこちらに読まれていると知って押し黙る義胤。


「そうなれば両家の争いは十年では収まらなくなります。これは双方にとってとても不幸な事。要らぬ争いの種を撒いて晩節をお汚しなさいますな」


 そして一旦言葉を切り、義胤の庇われている青ざめた顔の越河御前を一瞥してから話を続ける。


「ここまでは何処にでもあるつまらぬ天下国家の話。ここからは血を分けた家族としての話になります。もし伊達と相馬が伊具と宇多の地を巡って争う事態となれば、そこにいる越河御前が相馬家から離縁されるは必定。心優しき越河御前にはその仕打ちは耐えきれますまい。きっと心身を損なってしまうはず。あえて伊達の為とも相馬の為とも言いませぬ。これまで献身的な介護で御身を支えてきた越河御前の幸せを守る為に、この話を是非にもお受けいただきたい」


 越河御前は俺にとって五歳年下の叔母にあたる女性だ。

 見たところ夫婦の仲は良さそうだし、義胤も彼女とは離別したくはなかろう。

 初見であったが、幼いながらもその優しげな容貌は、どことなく亡くなった我が母の薫の前を彷彿とさせた。

 儚くなっては欲しくない。


 何を馬鹿な、離縁などあり得ぬ!と義胤が反駁しようとするも、既に稙宗の瞳には理解の色が浮かんでいる。

 相馬盛胤がそこまで対伊達戦の準備を綿密に進めているのであれば、息子である義胤の心情など斟酌せず、冷徹に家の為に動くだろう。

 同じ結論に至ってくれたようで安堵する。


「わかった。仮に儂がその遺言とやらをここで翻したとしよう。ゲホッゲホッ」


 稙宗の咳が酷くなり、お父様!と越河御前が慌てて近寄ってその背中を撫で摩る。

 その越河御前を制して稙宗は問うて来た。


「それでどうするのだ。外は丸森の城兵で埋まっておる。近隣の相馬方の援兵もすぐに駆けつけよう。動けぬ儂では人質にすることも出来まい。ここにいる義胤らを盾にして外に出れたとしても、残った儂が前言を翻せばそれまでではないか」


 言下に『其方に儂を斬る覚悟はあるのか』と稙宗は問うていた。

 それに合わせて稙宗を支えている小梁川宗朝の雰囲気も明らかに変わる。

 その透明な殺意を埒もない話で受け流す。


「この丸森にはまだ届いていない噂話やも知れませぬが、美濃に竹中半兵衛という身共と同い年ながら相当な知恵者がおりましてな。昨年の話になりますが、その半兵衛は幼く愚かな主君斎藤義興を懲らしめる為、長持に武具を隠して弟の見舞いと称して登城し、堅城と知られる稲葉山城を僅かな手勢で見事乗っ取ったそうな。今回はその手管を倣わせて頂きました」


「ほう。興味深き話よ」


「稲葉山城から追い出した主君龍興が心を改めるまで、その半兵衛は約半年にも渡って籠城を続けたと聞きます。今回はそれも倣うつもりなのです。ただ半兵衛ほどの労苦は不要でしょうな。此度はたった一夜の辛抱で決着しましょう」


「一夜じゃと?」


「はい。今頃輝宗殿は既に福島表に着陣しておられるはず。そして残念ながら相馬盛胤殿は富岡で磐城勢と対陣中になります。相馬勢の馬足の速さを持ってしても最早間に合いますまい」


 全ては輝宗殿と事前に示し合わせた計画どおりに動いていた。



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