1562-2 人取
<1562年 4月下旬>
騎馬武者の戦闘スタイルは時代と共に変遷する。
現実世界の戦国時代の後期には、武者が騎馬に乗ったまま戦う機会は大きく減っていた。
勢力の収斂が進んで各陣営の足軽の数が多くなり、戦場は長槍での叩き合いの場と化していたからである。
また足軽たちの槍衾は対騎馬武者戦でも有効であった為、戦場では下馬して敵に臨まざるを得ないのが実情であった。
この傾向は鉄砲の普及と共に益々進み、やがて騎馬はあくまで移動手段として用いられるようになる。
しかし、この世界は違って、戦馬に跨って槍を振り回して敵を討つ騎馬武者は未だに戦場の華である。
幼い頃に山中で出会ったツキノワグマと同様に、ウォーホースもある種のモンスターであった。
位階が上がればそれだけ強力になり、果てには足軽なぞ簡単に蹴散らす巨馬となる。
重い馬鎧を身に纏ってもスピードやスタミナも衰えず、生半な槍衾なぞ文字通り蹂躙してしまうのだ。
戦場に臨むにあたり、如何に勇猛な騎馬武者の数を揃えるかが勝敗の別れ目と言っても過言ではないだろう。
南奥州の海道筋に蟠踞する相馬氏は、その出自もあって騎馬武者の数も多く練度も高い。
この精強な騎馬武者軍団の存在こそ、石高的には小勢力であった相馬氏が大勢力の伊達家に長年対抗できた理由でもあった。
二本松城攻防戦。
牧野久仲を追い返してから一週間。
二本松城下に敷いた本陣より城攻めの戦況を見つめる。
二本松城の三ノ丸から煙が棚引き、鬨の声が聞こえて来る。
「我が君、畠山勢が二ノ丸に退きました」
保土原行藤こと左近が報告に現れた。
本陣に詰めている二階堂家の重臣や一門衆達が喜びの声を上げる。
「うむ、重畳重畳」
「随分梃摺らせてくれたものよ」
「城の兵も大分削れておろう。あと少しじゃな」
敵方の新城盛継と安子島祐高の勇戦はあったが、我攻めに次ぐ我攻めで二本松城は風前の灯火となっている。
「城から逃げ出そうとしている者も多く出てきましょう。殿、ここは降伏を促す矢文を打ち込んでみては如何か?」
二階堂四天王の一人、木船城主の矢部義政が進言して来た。
父輝行の代の重臣たちの感性はやはり時代に遅れている。
父上が殺された衝撃を受けて尚、未だに古き奥州の慣習に囚われたままだ。
彼らに対しては冷たい諦観だけが有り、苛立ちさえも起きない。
「無用。左近、続いて二ノ丸の攻略に取り掛かれ。二本松兵だけでない。城に篭った領民も一人残さず逃すな」
困惑している左近以外の部下たちは放っておき、城の図面を眺めて指示を出す。
そこに守谷俊重が息せき切って飛び込んで来た。
「殿〜、マズいです〜!かなりマズいですよ〜!」
「これ俊重!突然なんぞ?それに相変わらず何という口の利き方か!」
重臣たちの中にいた俊重の父の守谷秀重が息子を叱る。
「ち、父上、それどころじゃないんですよー!殿!これ、先ほど須賀川から参った書状ですー!」
守谷俊重が携えてきた書状を受け取る。
バサリと開いて中の文面に目を走らせる。
それは須賀川城の留守を任せている須田盛秀こと腹心の源次郎からの文であった。
一読してフゥーと息を吐いて心を落ち着ける。
固唾を呑んで見守っている重臣たちに対して命令を発する。
「二本松城から一旦退くぞ。田村が相馬と共に攻め来るようじゃ」
「「「な、なんですと!?」」」
ざわめく本陣。
源次郎には妻女の冴の伝手を通じ、海道筋へ細作を入れさせていた。
文によるとその細作が二本松救援の為の相馬盛胤出陣を須田盛秀に伝えて来たとのこと。
相馬盛胤は相馬中村城を出陣拠点として兵を動員し、田村家と合流すべく軍を動かしたようだ。
これが真実であれば、騎馬隊が主力の相馬軍は時間的にもう三春に到達している頃。
いつ安積郡に乱入してきてもおかしくない。
相馬軍の騎馬武者の精強さは奥州中に鳴り響いている。
二十年前に始まった天文の大乱では伊達稙宗方の主力として南奥を駆け巡り、数多の敵を屠ってきた。
それ故に古株の者たちほど緊張が走っている。
田村家が和約を破棄して牙を剥いて来る事を想定し、阿武隈川西岸の重要拠点には防衛の為の兵力を残してある。
しかし、そこに相馬軍が加わるとなると話はまた別だ。
相馬の騎馬武者軍団の機動力と突破力の前に、こちらの防衛線は容易に破られてしまうだろう。
急ぎ安積郡まで戻る必要があった。
「左近、二本松城の三ノ丸を焼き払え。畠山勢の追撃の足を封じる。他の者たちは撤収の準備にかかれ」
あと一歩のところまで二本松城を追い詰めての撤退。
先代の主君の仇討ちを名目とした戦さな為に、無念と歯噛みする者たちも多い。
自分も父上の安達郡全域奪取の遺言をスムーズに果たせなかった点には悔いが残る。
だが、二本松城は田村相馬勢を追い払った後に再び攻めるだけの話。
それよりも、田村相馬勢の動きの他に気掛かりな詫びの文言が源次郎の文に書かれており、そちらへの思案に心は移っていた。
それは源次郎の父であり、我が烏帽子親でもある二階堂家の長老、須田永秀の勝手を謝すものであった。
二本松攻めに先立ち、父輝行の仇討ちの名分に家中は大いに奮い、既に隠居している者達も参陣しようと躍起になっていた。
俺は唯の足手まといな彼らの参陣を禁じていたわけだが、永秀爺は田村相馬勢の襲来の恐れを知るとその隠居侍達を集って出陣。
その隠居侍達を慕う領内の年老いた農民たちも武器を手に取ってそこに合流し、結構な数となって松峯城に向かったようなのだ。
松峯城は安積郡北部に位置し、奥州街道を西に、阿武隈川を東に見下ろす要害である。
ここを攻め落とされると、我が二階堂勢は須賀川への帰路を失う形となる。
我ら二本松攻めの軍が無事に引き返してこれるよう、永秀爺は主命を無視してでも松峯城に援兵に入っていた。
永秀爺は既にもう七十八歳である。
その忠義の心には感謝するが、シチュエーションが後年この地で行われるはずだった人取橋合戦にあまりにも類似していた。
松峯城のすぐ西には、伊達政宗が七千の兵を率いて佐竹義重を盟主とする常陸と南奥の連合軍三万余の軍勢と激突した、阿武隈川支流の瀬戸川に掛かる人取橋がある。
父上の死から続く一連の流れは、まるで未来の歴史をなぞるかのようであった。
本来の人取橋合戦では松峯城は落城し、共に七十歳を越えた伊達方の老将の鬼庭左月が人取橋で、伊庭野遠江が瀬戸川館で討死している。
今回そこまでの兵力差は無いので確たる事は何も言えないが、我が二階堂家も同じ惨状に陥る恐れは多分にある。
窮地に陥りながらも黒脛巾組を用いて暗殺や虚報を駆使して連合軍を追い払った未来の伊達政宗に倣い、自分も打てるだけの手を打っておいた方が良いかもしれない。
「俊重、大内義綱をここに呼んできてはくれぬか。それから馬防柵を作る為の丸太を用意せよ」
あと相馬中村と黒木の城主たちが伊達家と繋がっている旨を相馬領にばら撒くよう、急ぎ文で源次郎に指示を出しておく。
今更ながら小細工に走ってしまうのは小物な俺のサガか。
それでも俺は爺にまだ死んで欲しくはなかった。
大内義綱が本陣を訪れて来る。
主君の石橋尚義を追放し、同僚の大河内備中を斬って塩松地方を手中に収めたやり手の豪族である。
今は俺を主君と仰いでくれているが、風向きによってはいつ裏切るかわからない曲者と言える。
さて、果たして俺の願いを素直に聞いてくれるかどうか。
「お召しと聞き参上しました。ここに控えるのは我が息子、定綱に御座います」
「お初に御意を得まする」
ギョロリとした目付きの若武者が大内義綱に付き従っていた。
年の頃は俺とそんなに変わらないだろう。
上背はそれほどないが、細身ながらも筋肉質で引き締まっていて俊敏そうなシルエットだ。
神妙にしているがその眼光は鋭く、こちらの器量を伺っているのを隠せていない。
史実では後年家督を継いだ伊達政宗に従うと見せかけ、結局は二本松ひいては蘆名方に付いて政宗を挑発。
伊達政宗の器量を見誤り、小手森の撫で斬りを招いて一族郎党を失う。
その後に紆余曲折を経て、情勢を見極め有利な条件で伊達政宗と交渉し、見事その傘下に収まった難物である。
似た者親子と言えた。
「初では無かろう。先日の高田原にて畠山義国を囲んだ大内勢の中にその方の顔があったな。あの折は挨拶も出来ずにすまなんだ」
「・・・はっ。恐れ入りまする」
あの時の大内勢は、父輝行を拉致した憎き畠山義国へのこちらの出方を見定めるような動きを見せていた。
定めし軍中にいたこの大内定綱の差配によるものだろう。
若い頃からその性格は変わらずか。
君、君たらざれば、臣、臣たらず。
どうやらそれを地で行くのが大内家の家風のようだ。
君臣の間に絶えず緊張感の漂う世の中を日々生きるのは疲れるもの。
天下を取った徳川家が儒教を必死に広めたがったのもわからなくはない。
しかし行き過ぎた儒は国を腐らす。
今の俺にはこれくらいのヒリついた関係の方が心地よい。
「義綱よ。我らはこれから軍を翻して田村相馬勢を討つ。その方らには一旦塩松まで兵を退き、宮森から南進して鬼生田を突いてもらいたい。褒美は弾むぞ」
「なんと。我々単独ででございますか。それは・・・」
「我ら本隊が田村相馬勢と一戦交えた後でよい。大方の兵は出払っていよう。それに何も本格的に攻めよとは言うてはおらん。鬼生田の城に火を放つ程度で構わない」
それであれば、と約束した褒美の額も含めて納得する大内義綱。
だが息子の大内定綱はもう少し大胆であった。
「火を放つだけでは物足りのうございますな。鬼生田城、別に攻め落としてしまっても構いませぬか」
ふっ、面白い。
「良かろう。その方は槍の名手と聞いた。如何程の槍働きが出来るか、しかと見させてもらおう」
何も臣ばかりが君の器量を見定めているわけではない。
臣の器量もまた然りである。
臣が臣足らざれば、切り捨てるか使い潰すのみよ。
夕闇に紛れて二本松城を離脱した我ら二階堂軍。
本宮城に退いて一旦休憩した後、僅かな守備兵を残して三千五百の兵で松峯城を目指す。
その間、俺が十年以上の月日を掛けて苦労して整備した領内外の諜報網から、様々な情報が上がって来ていた。
三春城から鬼生田城を経由して阿武隈川を渡った田村相馬軍は、総計五千の兵で松峯城を攻撃中であること。
松峯城には七百の兵が籠り、援軍の須田永秀が城方の采配を取って必死に防戦中であること。
田村勢は田村月斎が出兵に異を唱えて謹慎させられており、当主の弟の田村梅雪斎こと田村顕盛が主将であること。
相馬勢は当主の相馬盛胤が兵を率いており、主力の騎馬武者九百騎が参陣していること。
人取橋の北にある観音堂山に着陣した時点でどうやら松峯城はギリギリ落城していないらしく、ほっと胸を撫で下ろす。
また相馬の騎馬武者九百騎は驚異であったが、田村月斎失脚に伴って田村家中の精兵部隊の月一統が解体されているのは朗報であった。
観音堂山での夜半の軍議。
「こんなにも早く我らが二本松から引き返して来るとは、よもや敵方も思いもよりますまい!」
「このまま人取橋を渡り、松峯城を包囲する田村相馬勢の後背を一気加勢に襲うべし!」
重臣や一門衆達は総じて拙速論を張ってくる。
反対に慎重な意見を述べるのは、俺の腹心の保土原行藤や守谷俊重くらい。
ここ数年戦場で負け知らずで来たことが家中の油断を招いているように見えた。
いや、これは相馬の騎馬武者を無意識に恐れるが故の楽観バイアスか?
敵方にだって細作はおり、こちらの動きは伝わっているだろう。
それに今回の相馬勢の動き、どうやら俺が陸奥守護代の牧野久仲を激怒させた事と関係が有りそうだ。
後年中野宗時と牧野久仲が伊達輝宗に謀反を起こそうとして失敗した時、彼らは相馬領に逃げ込もうとした。
或いは今の時点で既に両者は繋がっている恐れもある。
だとするとこちらの動きは伊達を経由して筒抜けになっている可能性が高い。
人取橋を渡ると広大でなだらかな丘陵地帯が広がる。
兵の数はこちらが少なく、騎兵の数も敵方が圧倒的に多い。
騎兵に有利な戦場で正面からぶつかったら必敗は目に見えていた。
家臣達の反論を許さぬ勢いで各々の布陣と役割を申し付ける。
「人取橋を渡ったらすぐに目の前に敵方が現れると思うて兵を進めよ。敵に攻め掛かられたら暫く抗戦の後に人取橋に引き返せ」
「守谷俊重、他の部隊が橋を渡る間、人取橋の此方側に強固な馬防柵を用意せよ。敵に気取られるな」
「左近、鉄砲隊三百を預ける。百挺ごとに班列を分けて馬防柵に籠もり、敵の騎馬武者が攻め寄せて来たら間断無く撃ちまくれ」
「本陣はこのまま観音堂山に待機。吶喊の下知を待て」
鉄砲の三段撃ちなど物語の中の話で、実際の効果なんて怪しいものだ。
それも三百挺程度では焼石に水で苦戦は必死だろう。
そんな事は言われなくても分かっている。
だがこれこそがフィールドタイプの乱戦仕様の格闘ゲームの醍醐味ではないのか。
やっと無心で戦える刻が来る。
煩わしい仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八徳など全て忘れ、ただ敵陣を穿つのみ!
朝霧の中、先陣を務める二階堂四天王の矢部義政と遠藤勝高の部隊が静々と人取橋を渡って行く。
本陣を敷いた観音堂山から人取橋までは約十町(1km)。
ギリギリで戦闘モードでの軍勢の動きが視認出来る範囲であった。
戦場に参加している敵方の兵力は総計四千五百人。
内訳としては田村勢が千八百人で相馬勢二千七百人。
その内の騎馬武者の数は田村勢が四百騎で相馬勢が九百騎となる。
残りの田村勢五百人は松峯城への抑えに回っている。
翻って味方の二階堂勢の兵力は総計三千五百人。
先陣には矢部義政と遠藤勝高がそれぞれ四百人。
中陣には諸将が率いる千人が布陣。
人取橋の北岸には保土原行藤が鉄砲隊三百人を含む七百人を配置。
本陣の観音堂山に千人で控える体制となっている。
想定通り、朝霧の向こうで待ち構えていた田村相馬勢に突き崩されていく先陣たち。
振りではなく本当に敵方の勢いに圧され、ズルズルと人取橋方面に退き下がってくる。
相馬勢は主力の騎馬武者の持つポテンシャルを最大限に発揮し、田村勢は三年前の渋川合戦と郡山合戦の恨みをパワーに換えて、我が二階堂勢を圧しに圧しまくっているようだ。
次々と先陣の不利と救援を要請する伝令が本陣に飛び込んでくる。
「と、殿〜、流石にマズいんじゃないですかね!こ、このままだと先陣が本当に壊滅しちゃいますよ〜」
守谷俊重があわあわと慌ててふためいているので叱り付ける。
「落ち着け。あの潰走っぷりでは敵方も騙されよう。このまま敵を人取橋に引き摺む!偽りの退き鐘を鳴らせぃ!」
俺の一喝で守谷俊重以外の本陣詰めの武者たちも落ち着きを取り戻したようだ。
ジャーン、ジャーン、ジャーン
指示通りに退き鐘が鳴らされ、中陣が人取橋での渡橋を中止して本陣まで引き返し始める。
退き鐘によって本当に救援が来ない事を悟った先陣の矢部義政と遠藤勝高は、抵抗を諦めて敗走を開始。
特に先陣は部隊の士気が一気に下がり、我先にと人取橋に殺到する。
逃さじと追撃を開始する相馬勢の騎馬武者軍団。
人と馬では速さが異なり、次々と二階堂勢が討たれていく。
あまりに人取橋に兵が殺到した為に川を渡る前に敵に追いつかれてしまい、瀬戸川に飛び込む者も多数現れた。
多くの味方の命が失われていく光景が、戦闘モードのゲージの減りという視覚データで突き付けられる。
命のゲージ、煌めきがどんどん無くなっていく。
普段の俺ならばとてもの事ではなく、耐えられずに彼らを救う為に前に出ていただろう。
不思議だ。
これは戦さであり、そういうものだと受け入れている自分がいる。
唐突に妻の南の方の言葉が脳裏に甦る。
『夫殿、そなた何に苦しんでいるのだ?いや、自分でも気付いておらぬのだな』
苦しい?
いや、父上の死様を見て、当主としての覚悟が定まっただけなのかもしれない。
お家の繁栄の為には己の命の捨て刻さえも冷徹に見切らなければいけない。
言わんや配下の兵たちの命でさえも。
だからこれは必要な事なのだ。
それは勿論のこと敵兵や敵将の命だってそうだ。
バババババババババババーーーンッ!
バババババババババババーーーンッ!
バババババババババババーーーンッ!
始まったな。
例え南奥最強の騎馬武者軍団とは言え、三百挺もの鉄砲の一斉射撃は浴びた事はあるまい。
「本陣を馬防柵の右側に出す。残った兵は左側じゃ。後続の敵の騎馬武者軍団を馬防柵の前面に誘導せよ!」
俺の号令と共に二階堂勢の本陣が動き出す。
反撃の時間の開始である。
我が従兄の相馬盛胤殿は、どうやら長篠で大敗をかました武田勝頼よりは数段上等な武将だったようだ。
実際の武田勝頼の器量がどれ程のものかは知らないが、少なくとも絵巻物の中に描かれているそれよりは確実に上であった。
数度の突撃のまさかの惨憺たる結果を受け、正面の馬防柵に突っ込んでも被害が増すだけと悟った相馬盛胤は、死地である人取橋対岸の放棄を決断。
こんなはずではと遮二無二突撃を繰り返そうとする前線の将兵を叱り付け、突出していた相馬勢の騎馬武者軍団を退かせようとしていた。
しかしそのタイミングが少しだけ遅かった。
時間差で人取橋に殺到してきた味方の田村勢がその逃げ場を塞いでしまう。
退くに退けずに立ち往生してしまう相馬騎馬軍団。
騎馬の誇る速度と突破力は完全に封じられた形となる。
「この機を逃すな!我に続け!」
未だ奥州では他では見ないほどの大量の火縄銃による三段撃ちで、敵方の主力の騎馬武者軍団に多大な損害を与えたとは言え、初戦で味方の先陣が崩れていた事もあり、兵の数では未だに田村相馬勢の方が多い。
だから勝機は今しかない。
二階堂家の当主であるこの俺自らが槍を手に取って戦馬に跨って吶喊。
主君である俺が最前線に踊り出るのだ。
本陣の親衛隊たちも死に物狂いで付いて来るしかない。
しがらみを全て忘れ、純粋な戦士となり、無我夢中で槍を振るう。
守谷俊重が何か忠言めいた事を喚いているが聞こえない。
敵の雑兵を文字通り馬蹄で蹴散らしながら、戦闘モードの視界で名のある敵将を探しては打ちかかり、赤く煌く敵の弱点に槍を何度も突き入れて討ち取る。
それの繰り返しである。
単純な作業なだけに没頭できた。
何も考えずに命を掛け、敵と斬り合って互いのHPゲージを削り合い、蹂躙していく。
食習慣の改善と日頃の鍛錬で培った体力と武技を、思う存分に爆発させる。
おお快なり!
いつの間にか俺は笑いながら戦場を駆けていた。
思えば今泉城で田村月斎に斬り掛かった時以来の開放感であった。
気が付けば周囲から敵兵を一掃していた。
勿論敵にも手強い相手は幾人もおり、敵の太刀を受ける事もある。
また混沌とした戦場の中では思わぬ方向から矢が飛んで来るものだ。
幾度か手傷も負っている。
だがアドレナリン全開の為に痛みは感じてはいなかった。
己の体力ゲージも見えている為に言うほど無茶はしていない。
状態異常にもなっておらず、毒の心配も無い。
なのでこのまま大物を狙う事にする。
味方の撤退を援護する為か、敵方の一方の大将の相馬盛胤が人取橋に強引に乗り込んで来ていた。
相馬勢の騎馬武者たちは主君の相馬盛胤自らが作った退路を通って戦場を離脱していく。
相馬盛胤を討ち取ろうと我が二階堂方の武者が何人も打ちかかっていたが、全て盛胤の近侍の騎馬武者たちに阻まれて骸を晒していた。
ドガガッと蹄の音を立てて、その相馬盛胤に推参。
「従兄殿とお見受けした!お初にお目にかかる。二階堂行盛で御座る」
ここで相馬盛胤を討てば後々非常に楽になる。
この好機を逃すわけにはいかないだろう。
相馬盛胤はこの年三十四歳でまさに働き盛り。
体格も大きく黒々とした口髭を蓄えており、大らかな威厳も感じさせる武将であった。
その母は我が母方の祖父の伊達稙宗の長女であり、俺にとっては従兄にあたる。
見事な巨馬に跨っている。
「そなたが行盛か。ようも暴れたものよ。餓狼の如き有様じゃの」
「これはしたり。我が領土に攻め入ったのは従兄殿の方では有りませぬか。わざわざ三春を越えてまで仙道筋に何用でございましょうや」
ジリジリと間合いを詰める。
まだもう少し。
「お主が理不尽な物言いで二本松の領土を狙っていると聞いた。口で言うても聞かぬ獣を躾けるには、打擲するしかあるまい」
「はははっ。大方、中野宗時に誑かされたのではありませぬか。丸森を譲るとでも囁かれましたかな?」
「・・・何の話ぞ?」
相馬盛胤の気が僅かに揺らぐ。
今っ!
タイミングを見計らって相馬盛胤に打ち掛かろうとしたその瞬間であった。
「二階堂行盛!ここで会ったが百年目よ!我こそは田村家家臣、郡司敏良なりーぃ!」
唐突に邪魔が入る。
「今ぞっ。討ち取れ!」
相馬盛胤が近侍の武者たちに命を発する。
「チィ、邪魔だ!」
空気を読まずに横合いから切り掛かってきた田村家の武者の刀を回避しつつ、槍を旋回させて柄の部分でその武者の乗る馬の尻を叩く。
「「うおぉ!?」」
ヒヒーンと嘶いて竿立ちになったその馬が、こちらに迫る相馬武者の一方の馬とぶつかり、両者とも馬上から転げ落ちた。
「シッ!」
「ぐふっ」
その間にもう一方の相馬武者の喉に槍を突き入れ、相馬盛胤との距離を詰める。
「イヤアッ」
「「がはぁ」」
続けて迫って来た三人目四人目の近侍もすれ違い様に急所を抉って電光石火で屠っていく。
しかしその時点で相馬盛胤は馬首を返していた。
「化け物めがっ」
捨て台詞を吐いて人取橋を駆けていく相馬盛胤。
速い。
初速が違う。
この馬ではダメか!
俺の馬は須賀川で一番とは言え普通の軍馬だ。
それにもう半刻以上も戦場を走り回り、疲れ切っている。
とてもではないが追い足は残っていなかった。
くそっ。
まさに千載一遇のチャンスを逸したか!
口の中に苦さが広がる。
三年前の郡山の夜戦において、討てる機会があったのに畠山義国を見逃した。
あそこで畠山義国を討っていれば、父上があの様な無惨な最期を迎えることは無かったであろう。
もしかしてまた、ここで相馬盛胤は討てなかったことが誰かの不幸に繋がるかもしれない。
先程まで感じていた万能感は何処かへ消え去り、焦燥と暗澹たる思いが心を満たしていった。
俺の心の動きとは裏腹に、朝日が昇って人取橋の戦場を覆っていた朝霧が晴れていく。
「あれを見ろよ!南の空に煙が上がってるぞ」
「あれは高倉の方角じゃないか?松峯城が落ちたのか!?」
「・・・いや違うぞ。もっと東だ。それに松峯よりももっと遠い」
「もしかして鬼生田じゃないか。鬼生田城が燃えてる?鬼生田城が燃えているぞーーーっ!」
どちらの陣営の雑兵たちの会話かは分からない。
だがこの叫びが二階堂家に傾いていた軍配を確定させる。
三春への退路を絶たれるのを恐れた田村相馬勢は雪崩れをうって退却。
二階堂勢はこれを奮って追撃し、一門衆の浜尾行泰が田村方の大将である田村梅雪斎を討ち取る手柄を挙げていた。
鬼生田城は大内定綱が十文字槍を振るって首尾良く攻略し、我が二階堂方の手に落ちている。
大内定綱はその戦上手振りを大いに俺へアピールする事に成功していた。
今後は二階堂家中で重く用いられていくであろう。
松峯城は人取橋の敗戦を知って包囲側の田村勢五百が動揺。
城方が城門を開けて攻勢に転じた為、田村勢は這々の体での退散となる。
こうして史実の人取橋合戦と異なり、全ての戦線で二階堂方が勝利を収める結果となったのだが、良い事も有れば悪い事も起こる。
何かを得るには何らかの代償が必要となるのがこの乱世である。
トボトボと一人本陣に戻った俺を待っていたのは、松峯城の防衛戦で陣頭指揮を取っていた須田永秀重傷の悲しき知らせであった。
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