1562-1 屍越
<1562年 3月下旬>
この俺、二階堂行盛が七代目の家督を継ぎ、代替わりを果たした須賀川二階堂家。
権力の移行に伴って領内に波風が立たぬ様、表向きは父の二階堂輝行が大殿として君臨し、これまでと変わらず二階堂家の実権を掌握している様に見せていた。
当然だが父の輝行の病についても、皆には秘せられている。
家中では、須賀川四天王と俺の腹心たちのみがその事実を知っていた。
当主の座を退いた父上は、須賀川城を俺に譲り、安達郡西部の磐梯熱海に築いた新城に移っている。
二階堂家が推進する磐梯熱海温泉の開発と新城拡充、高玉金山開発の陣頭指揮を取るという名目である。
その実、湯治による療養であった。
もちろん対外的に情報を伏せる為には、須賀川城の奥の女主人である我が妻の南姫の協力が不可欠である。
閨での逢瀬の際、実家の伊達家にも秘密にしておいて欲しい、と伝えてある。
「なぜ他家へ我が家の弱味をわざわざ伝えねばならないのか。あまり見くびらないでもらいたいものだ」
申し訳なさそうに頼んだみたら、南姫に不満顔で怒られてしまった。
ちなみに我が妻の南姫だが、一年前に嫡男をあげる大手柄を立て、また年も二十歳を越えて女盛りに入ったことで、その貫禄に益々磨きが掛かり、二階堂家中だけでなく城下の領民たちからも絶大な信望を得るところとなっていた。
今ではもうその呼び名も南の方である。
俺も18歳となって170cm台半ばまで背丈は伸び、何とか背だけは南の方と釣り合いが取れるまでにはなっていたが、ベースとなっているのは所詮奥州の片田舎のモブ武将である。
最近は南の方の輝かしい美貌とスタイルの良さ、正室としての家中への影響力の厚さに圧倒されるばかりだ。
史実で次々と当主を失いながらも二階堂家がなんとか持ち堪えていた理由を、現在進行形で垣間見ていると言えた。
新当主として政務と子作りに没頭して長い冬を過ごし、やっと奥州にも春の気配が迫って来たこの日、伊達家からの使者が須賀川を訪れる。
正確には陸奥守護代の牧野家の使者であり、使者は例の如く遠藤基信である。
遠藤基信が持って来た話は、二本松畠山氏との和睦の件であった。
広間で遠藤基信と対峙する。
「御家が二本松殿と弓矢を交えてもう三年も立ちましょう。陸奥守護代の牧野久仲様は仙道筋の戦さがなかなか治らぬ事に殊の外心を痛められておりましてな。ここらで矛を収めて頂けませぬか」
「そうか。して基信殿、和睦の条件は?戦況は当方がかなり有利にある。生半な条件では飲めぬぞ」
「杉田川以南の割譲、で如何で御座ろう」
「それはまた。大分所領が削られるが畠山義国殿は了承されるのか?」
「久仲様はそれで納得させる、と」
悪くない条件であった。
隣国の会津では昨年暮れに黒川城を失った蘆名氏方が劣勢にある。
豪雪によって戦さは止まっていたが、雪溶けと共に蘆名盛氏と盛興父子の攻勢が始まるだろう。
蘆名氏方の支援のための会津遠征を視野に入れていた折に、この和議はタイミングが良い。
「まずは家中の者どもと相談させて貰おう。我が奥が米沢の話を聞きたがっておった。しばらく相手をしてやってはくれぬか」
「ははっ。輝宗様よりお南の方様への文を預かっておりますので、丁度よう御座いますな。では一旦失礼致しまする」
一礼して下がろうとする遠藤基信。
「して基信殿。此度の和議の斡旋で、汝の御主君の中野殿は如何程の所領を得られるのだ?」
その後姿に一石を投じてみた。
するとピタリと動きを止めた遠藤基信が半身だけ振り返ってこう応えて来る。
「・・・拙者が聞いた話によりますれば、確か五箇村だとか」
「ふむ。中野殿の威勢、益々高まりそうだな」
「はっ。では失礼」
お辞儀をして遠藤基信は下がっていく。
史実での中野宗時と牧野久仲の父子は、伊達家十六代目を継いだ伊達輝宗の政策に反発し、先代の晴宗を担いでの謀反の計画に及ぶ。
その動きを遠藤基信が輝宗に注進し、結果として中野父子のクーデターは失敗。
天文の大乱の二の舞を防ぐ大功を立てた遠藤基信は輝宗の信任を得て、以降の伊達家中で活躍していく。
あの様子を見ると、現時点でもう遠藤基信にも、己の主君に対して何か思うところはあるようだ。
その後、重臣たちを集めて議論という説得を行い、二階堂家の方針として二本松畠山氏との和睦を進める事に決した。
<1562年 4月上旬>
須賀川二階堂家と二本松畠山家の和睦。
二階堂方の大内義綱の所領内の宮森城にて、牧野久仲の立ち会いの下、双方の当主が顔を合わせての和議が執り行われる段取りとなる。
宮森城に赴く準備していたら、磐梯熱海城から久しぶりに須賀川に顔を出した父上が苦言を呈してくる。
「家督を継いだとは言え、まだ青二才のお主が出向いても先方は信用すまい。それに何のためのワシの隠居ぞ?もし万が一の事があってお主の身に何かあれば須賀川はどうなる?こういう時こそワシの出番ではないか」
湯治が効いたのか父上の顔の色艶は大分良くなっていた。
長年勤め上げた須賀川二階堂家当主の重責から開放されて寛げた、というのもあるかもしれない。
ほっとしながらも反論。
「此度の和議は陸奥守護代が主催。牧野久仲殿自身が立ち会い人で御座ろう。よもや畠山義国も無茶は出来ますまい」
「甘い、甘いぞ行盛。そちは手勢を率いて本宮城に詰め、破談の折にはすぐさま二本松に攻め掛かれるぞという姿勢を畠山に見せるのだ。それでこそ和議は上手く進もう。和議が成ったら成ったで、その手勢ですぐさま割譲された村々を接収してしまえばよいのだ。よいな!?」
父上の勢いに押されて、その命令を受け入れる。
重臣一同も大殿である父上の言には逆えず、宮森城には父上が赴く事になった。
護衛役として保土原兵部が士卒を率いての同道となる。
父上は須賀川に一日滞在し、二歳となった孫の鶴王丸の成長を見て大いに悦んだ後、宮森に向けて出立していった。
手勢を率いて本宮城に入り、宮森城で行われている和議の結果を待つ。
ただ待つのも業腹なので、本隊は保土原行藤に任せて己は鷹狩りに興じる事にした。
舟で阿武隈川を渡り、本宮城の東の阿武隈高地へ鷹狩りに出る。
勿論ただの遊びでは無く、安達郡の領内の地形を把握する、かつ率いる鉄砲隊の習熟度を上げる為の一種の軍事演習であった。
ここから南に下ると三春があり、田村家と再び弓矢を構える事になったら、戦略的に重要な地になりそうだ。
そんな事をつらつら考えながら火縄銃でスナイパーモードを試していると、彼方から騎馬武者がこちらに駆けて来るのが見えた。
護衛の者たちが構えるも、宮森から駆けて来た味方のようである。
「ご注進!ご注進!!宮森城にて大殿、畠山勢に人質に取られましてござりまする!畠山義国、大殿を拉致して二本松に向かっておりまする!」
なん、だと?
これではまるで遥か未来に起こるはずの栗ノ須の変事ではないか。
義国めっ!
未来の己が息子の暴挙を、今ここでお前がしてしまうのか?
それも父上に相手に!
急ぎ鉄砲隊を含めた鷹狩りの手勢を率いて畠山勢を追う。
その道中、次々と知らせが入ってくる。
宮森城にて牧野久仲の立ち会いの下で誓紙を交わし、和睦自体は成った。
しかし、畠山義国が宮森城から出立しようとした際、牧野久仲の命令で城門まで見送りに出た父上を畠山勢が取り囲んで捕縛。
護衛役であった保土原兵部はこれを阻止しようとするも斬られて重体。
現在は大内義綱が兵を率い、二本松に向けてじりじりと退き下がっていく畠山勢を遠巻きにして追跡しているらしい。
もしかすると、その大内勢も敵に回っている可能性があった。
本宮城の保土原行藤に本隊を率いて出陣するよう命じると共に、畠山勢が阿武隈川を渡って二本松の勢力圏に逃げ込む前に一行を捕捉する為、駆けに駆ける。
我が手勢が畠山勢に追い付いたのは、阿武隈川河畔の高田原の地であった。
「撃て!ワシと共にここで畠山義国を討ち果たすのじゃ!行盛!!」
眦が裂けるかのように鋭い眼光を滾らせ、縄で縛られた父上が怒号する。
畠山義国が「黙れ、黙らぬか!」と拘束する父上を刀の柄で殴りつけるも、止まらない。
病人とは思えぬ気迫であった。
「行盛!安達半郡が容易に手に入る好機を逃すでないっ!ゲホッ」
父上、今しばらくお待ち下され!
「鉄砲を寄越せ」
「殿、しかしっ」
「いいから寄越すのじゃ!」
渋る部下を叱咤して鉄砲を手に取る。
スナイパーモードを活かす機会は今しかないではないかっ。
「鉄砲隊構えよ!俺が撃つと同時に畠山の侍どもを狙って撃て!」
畠山勢に追い付いてすぐに射撃準備を終えていた鉄砲隊は、俺の号令を受けて一斉に火蓋を切って射撃体勢に入る。
よし、後は!
「それで良い、それで良いのだ!行盛、ワシの屍を越えて先に往け!」
何!?
その父上の満足げな叫びが、畠山義国に最後の一線を超えさせてしまう。
「くっ、もはやこれまでかっ。ならば道連れよっ。死ねぇ!」
「ぐふっ」
俺が慌てて火縄銃を構えると同時に、凶相を浮かべた畠山義国の刀が父上の体を貫く。
ドサリと崩れ落ちる父上。
その様子はまるでスローモーションのようで。
「わははははっ、もはやこれまでっ、わははははっ」
一瞬何が起こったのか分からなくなる。
気がついたら、耳障りな畠山義国の狂笑だけが辺りに響いており。
倒れた父上の身体に跨り、笑いながら刃を何度も突き立てている畠山義国の姿があった。
怒りに目が眩む。
火縄銃を構え、無言で引き金を引く。
ドキューンッ
「わははは<バスッ>はははっ、ぐう」
ドサリ
俺に額を撃ち抜かれた畠山義国の体が倒れると共に、命じたとおり鉄砲隊の一斉射撃が始まる。
ズガガガガーーンッ
硝煙が風に流された後、その場に辛うじて立っていた畠山勢の数は僅かであった。
「全員斬れ」
言葉少なに命令。
大内勢が固唾を呑んで見守る中、配下の岩瀬衆が残敵の掃討を開始する。
撃ち抜かれたものの、まだ息のあった敵も例外ではない。
断末魔があちこちから聞こえてくる中、ゆっくりと父上に近づく。
邪魔な畠山義国の骸を蹴飛ばして退かし、父上の身体を抱き抱える。
「父上」
既に事切れているのは明らかであった。
そっとその目蓋を閉じる。
父上、義国を挑発してわざと刺されましたな。
いくら節穴なこの行盛の両眼でも、それくらいは分かりまする。
ならば仕方なし。
この行盛も父上に倣って二階堂家の為に鬼に成りましょう。
最期に頂戴したお言葉どおりに、貴方の屍を越えて先に進ませて頂きまする。
<1562年 4月中旬>
重体ながらも何とか命を取り留めた保土原兵部の世話を大内義綱に頼んだ後、父上の遺体と共に須賀川城に戻った俺は、動揺する家中を鎮める為に矢継ぎ早に指令を発する。
まずは家中の殉死を禁じた。
ただし、ただ禁じただけではない。
初七日法要を終えた後にすぐ二本松に攻め込むので、死にたければそこで敵と相討ちせよと御触れを出す。
続いて畠山義国らの遺体の処理である。
伊達政宗は父輝宗の仇の畠山義継の遺体を手ずからバラバラにし、藤蔓で結えて吊るしたと聞く。
そこまで悪趣味ではないので、高田原で討ち取った畠山の侍ともども磔にして、杉田川以南を占領と共に杉田川の河原に晒しておいた。
そして初七日の父上の葬儀である。
二本松への出兵準備と並行して葬儀を進める必要があった為、キリキリ舞いとなる。
付き合いのある近隣諸国からの弔問も受け入れねばならず、正室の南の方の助けがなければとてものことだが乗り切れなかっただろう。
その南の方だが、須賀川に戻った当初からひどく俺の様子を気にしていた。
大丈夫であることを伝えても、頑固に納得してくれない。
「義父殿を失った辛さばかりではあるまい。夫殿、そなた何に苦しんでいるのだ?いや、自分でも気付いておらぬのだな」
その意思の強い瞳に射抜かれると何故か心が苦しくなる。
葬儀と出兵の準備の忙しさを理由に、俺はいつの間にか南の方を避けるようになってしまっていた。
そして慌しく行われた初七日法要の葬儀には、奥州探題の伊達家とは別口で、陸奥守護代の牧野家も使者を送ってきた。
勿論のことその使者の名は遠藤基信である。
よくも弔問の使者を出せたものだ、と思いつつも引見する。
「ほう、軽挙妄動は慎め。そう守護代様は仰られたのか」
「はっ。此度の一件、陸奥守護代が改めて詮議を行い、二本松には然るべき処罰を下す故、沙汰を待てと。そう言って聞かぬのですよ」
中野父子はどうあっても五箇村を取りっぱぐれる事は避けたいようだ。
その強欲さが我が父を殺したと言っても過言では無いだろう。
「出来ぬ相談じゃ。基信殿。守護代様に伝えてくれ。引っこんでいろ、と」
「・・・当然で御座いましょうな」
誰が見ても端から無理筋な話である。
早々に説得を諦めた遠藤基信は、父上の遺骨に手を合わせた後に大人しく米沢への帰路についた。
牧野久仲は激怒するだろうが、最早知ったことではない。
せめて安達半郡は丸ごと我が二階堂家が頂く。
初七日法要を終えた直後、我が須賀川二階堂家は敵討ちを唱え、当主の俺自身が岩瀬郡と安積郡、支配下の安達郡の全軍を率い、二本松に攻め入った。
会津で蘆名氏方支援の為に暗躍していた守谷俊重を呼び戻し、稼働を開始している高玉金山の金を使って周辺諸国の浪人を募らせた為、兵の数は総計で四千を超えている。
翻って敵方の二本松畠山家では、須賀川二階堂家の襲来に備えて数え年十一歳になる畠山義国の嫡男が急遽元服。
畠山義継を名乗って二本松城主となっていた。
二本松北方の城々を空けて本城に兵力を集中させ、籠城戦に臨んでいる。
その数は千人を越える程度と目算された。
援軍無き籠城に勝ち目は無いと良く言われるが、籠城しつつ時を稼ぎ、奥州の武家たちに合力するよう密使を出して須賀川の後背を狙わせる構えなのであろう。
北方の大勢力である伊達家は、その配下の陸奥守護代牧野家の斡旋した和睦を畠山家自らが足蹴にした為、二本松側に味方する理由は無かった。
奥州第二位の勢力を誇る会津の蘆名家は、家中を二分しての絶賛内輪揉め中であり、他国に出兵する余力は無い。
須賀川の南方に位置する白河の結城家は、昨年の新城表の大敗が響き、国力の立て直しに忙しい。
唯一注意すべきは三春の田村家であった。
三年前に田村家から安積郡を奪い取ってから此の方、ずっと自領に引き篭もって大人しくしていたが、かつての同盟相手の二本松畠山家の窮地にどう動くか。
これ以上は我が二階堂家に力を付けさせたくないと考え、三年前に交わした和議を破って出兵してきてもおかしくは無かった。
いつ田村家が動いても良いように、須田秀行と須田盛秀の兄弟にそれぞれ郡山城と須賀川城の守備を任せた上での、この二本松出兵である。
本来であれば後年行われたであろう伊達政宗の二本松城攻め。
秋の終わりに始まった為、折からの豪雪によってかなり攻城戦に手古摺り、佐竹義重を中心とした南奥諸侯の侵攻を許してしまう。
史実で二本松城が落ちたのは、結局翌年の夏頃となる。
今は四月だ。
雪は勿論の事、梅雨や台風も無縁の季節であり、天候に邪魔され無いはずである。
また、佐竹家の南奥進出は防がれている為、史実よりは大分短期間で城攻めが完了するものと想像していた。
しかしそうは問屋は卸さないようで、畠山勢に予想以上に踏ん張られてしまっている。
此方にとっては仇討ちの戦さであったが、彼方にとってもそれは同じで、互いの軍の士気は同じくらいに高かった。
二本松城では幼い主君の義継に代わって家老の新城直継が防戦の指揮を取っているようだ。
その息子の新城盛継と、先年安子島城の占領時に印象に残った安子島祐高。
その両名が中々の武者振りを発揮しているとか。
しかし、此方は攻城戦の鉄則である攻撃三倍の法則を満たした布陣であった。
このまま我攻めに我攻めを続ければ、城方はいずれ内から崩れるはず。
粛々と攻城戦を進めていく。
その間、我が本陣には牧野久仲から詰問の使者が幾度も訪れていた。
無駄なだけでなく、俺の怒りを買うだけ。
きちんと理解している遠藤基信は端から役目を断っているようで、毎回違う家臣が使者を務めていた。
その都度けんもほろろに追い返していたら、なんと遂に牧野久仲本人が乗り込んで来てしまう。
牧野久仲と顔を付き合わせるのは、元服の折に挨拶して以来だ。
約七年振りとなる。
貴族然としたその怜悧な風貌は、三十路に入って更に磨きが掛かっていた。
「これは守護代殿。このような場所まで何用か」
「我が命に従わず兵を引かぬと聞いた。如何なる了見か」
怒りを抑えた口調で冷静さを装っているが詰問してくるが、大分怒り心頭なようだ。
床几に座ったまま応えてやる。
「これは我が二階堂家の仇討ちの戦さに御座る。例え守護代殿と言えど口出しは無用に存ずる」
「仇討ちじゃと?畠山義国の一行はもう其方自らが討ち取ったと言うではないか。仇討ちはもう済んでおろう。そもそも我に断りも入れず義国を勝手に討ち取った事からして不遜ぞ。詮議も未だというのに軽挙妄動しおって!汝らは私の顔に幾度泥を塗るつもりなのだ!?」
呆気なく暴発する牧野久仲。
久仲の体面などには今更興味も無いが・・・。
一点だけ気になった為に聞いてみる。
「詮議?今更詮議など何の為に?」
「チッ、何といううつけよ。和議の場で諍いが起こった経緯を詳かにし、責任の在処を明らかにして裁く為に決まっておろうが」
暴挙に走った畠山勢は残らず討ち取られ、既に全員が磔になっている。
詮議詮議と言うが、詮議すべき相手が一人ももうこの世にいないのでは詮議のしようが無いではないか。
それにだ。
「・・・責任の在処か。なら御身の責任はどう取られるおつもりか」
「私の責任だと?いったい何の話か」
「御身が陸奥守護代牧野家の名で主催した和議の場で、畠山義国の暴挙を許した。その責任を問うておる」
「なっ!?」
今の今までナチュラルに自分には一切の責任は無いと思っていた様だ。
エセ貴人の考え方にはついて行けぬ。
邪魔だな。
もういいや。
ゆらりと床几から立ち上がる。
「そもそもが。我が二階堂家と畠山家の諍いは、三年前に畠山家から戦さを仕掛けて来たことが原因。更にこの度の和議はこちらから望んだものにあらず。我が二階堂家は牧野家の顔を立てて和議に応じたのだ。その和議の場で拉致された挙句に父を殺され、詫びの言葉も一言も無く。それでもなお従えなどと!どの口が言うのか!」
扇子の先をズビシッと突き付けての俺の口説を受けて、ぐぅとよろめく牧野久仲。
「そう言えば、我が父は御身の命令で城門まで畠山義国を見送って捕縛されたとか。これ以上畠山家を庇うのであれば、我が二階堂家は御身も仇の一味と見定めましょうぞ」
我が配下たちも腰の刀に手を掛け、牧野久仲を圧迫する。
「・・・気が狂うたか?我が伊達家に逆らうと申すか!」
「やれやれ。誰も伊達家に逆らうなどと言ってはおらぬではないか。我らが逆らう相手は御身ただ一人よ」
「な、何ぃ?」
「早く米沢に戻られて、御父君の中野宗時殿に泣きついて謝られるがよろしかろう。二本松から五箇村取りっぱぐれて申し訳ないと」
「・・・お、お、おのれぇ。何と無礼な口のききよう!後悔するでないぞ!」
なまじ貴公子然としている為、怒りに歪んだその表情は落差が激しくとても醜いものであった。
目を血走らせた牧野久仲が捨て台詞を残し、バサリと天幕を潜って去っていく。
その様子を俺と同じく冷めた目で見送っていた部下たちを代表し、宮森城で療養中の父兵部の代わりに保土原の手勢を率いて参陣している保土原行藤が声を掛けてくる。
「我が君、あれで良かったのですか?」
「名ばかりの陸奥守護代の声掛けでいったい如何程の兵が集まると言うのか。放っておけば良い。それよりも二本松城攻めよ」
送り込んである間者からもたらされた二本松城内の見取り図を陣卓子に開き、軍議を再開させる。
決して牧野久仲を軽んじていたわけではないだろう。
だがしかし、その父の中野宗時の手は俺の予想以上に長かったようだ。
思いもよらぬところから、二本松家への援護射撃が入る。
奥州の海道筋に蟠踞する相馬家。
石高は七万石程度と少なかったが、自領の東が全て海な為に漁業が盛んで、海高も含めると実質その二倍以上の実高はあるであろうと噂される大名だ。
また桓武平氏の後裔を自認し、遠祖である平将門に習って領内での野生馬の放牧を盛んに行っており、強力な騎馬武者集団を擁している。
現当主の盛胤の妹の於北が田村隆顕の嫡子清顕に嫁いでおり、田村家とは長きに渡って婚姻同盟を結んでいる関係にあった。
その相馬家が田村家と語らい、二本松の救済に動き出そうとしていた。
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