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二階堂合戦記  作者: 犬河兼任
第十四章 踊る関ヶ原の戦い(上)
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1600-10 評定

 <1600年 9月2日>


 慶長五年七月二十五日、下野小山宿、徳川本陣の大幕舎。


 初秋の風が天幕を揺らす。

 その風すら凍てついてると錯覚するほど、異様な沈黙が場を支配していた。


 正面の上座には、天下の大老・徳川家康。

 その左右には、徳川秀忠をはじめ、結城秀康、松平忠吉といった徳川一門が居並ぶ。

 側面を固めるのは、本多忠勝、榊原康政、井伊直政、大久保忠隣、本多正信、本多正純といった歴戦の徳川譜代の重臣たちだ。


 そして幕舎にずらりと居並ぶのは、豊臣恩顧の錚々たる諸将であった。

 福島正則、浅野幸長、織田秀信、黒田長政、池田輝政、細川忠興、中村一忠、田中吉政、堀尾忠氏、京極高知、加藤嘉明、藤堂高虎、寺沢広高、蜂須賀至鎮、山内一豊、金森長近、古田重然、有馬豊氏、竹中重門、織田有楽、小出秀家。さらに水谷勝俊ら結城家の寄騎衆に至るまで――。


 座並びを見れば一目瞭然。

 率いてきた兵数の多寡がそのまま席次の高低となる。

 厳然たる序列が発言力の重みの差を示していた。


 普段の軍議であれば、先陣の手柄を巡って上位の者たちが大声を張り上げ、それに負けじと諸将が気勢を上げているはずの場であった。

 だが、いま幕舎に満ちているのは、張り詰めた殺気と、喉元を締め上げられるかのような息苦しい焦燥だけだ。

 上位に座す大身の将から末席の者たちに至るまで、誰一人として軽々しく口を開こうとせず、通夜のように押し黙っている。


 その重苦しい沈黙のただ中にあって、奥羽方の正使として床几の前に進み出た我が孫・二階堂盛宗の立ち姿は、いささかも揺らいでいなかった。


 一方で、盛宗の斜め後ろに控える伊達家の目付・遠藤宗信は、平静を装おうと必死に背筋を伸ばしてはいるものの、全身から痛いほどの緊張が滲み出ている。

 かつて伊達を支えた名臣・遠藤基信の嫡男とはいえ、宗信はまだ二十八歳と若い。

 東軍十四万の首脳部が放つ無言の威圧感と、一歩間違えれば即座に斬り捨てられかねない極限の空気。

 この異様な場に呑まれぬはずがない。

 膝の上で固く握りしめた拳が、微かに小刻みに震えているのが傍らからも見て取れた。


 だが――その遠藤宗信の隣に控える我が股肱の老将、須田盛秀の佇まいはまるで違っている。

 忠義一徹の古武士たる盛秀の眼光は、ただひたすらに、二階堂家の御曹司たる盛宗の身の安全だけに鋭く注がれていた。

 もし徳川方の誰かがわずかでも不穏な動きを見せれば、その瞬間に斬り伏せて若き次期当主を守り抜く――その研ぎ澄まされた気迫は、抜身の刃そのものであった。


 齢すでに七十。

 供回りもなく、この敵陣の大幕舎に立った一人で控えているというのに、居並ぶ綺羅星のごとき天下の将星たちを前にして、その存在感はいささかも引けを取っていない。

 かつて我が二階堂家を支え抜き、史実においても「天下三美濃」の一人と讃えられた名将の器量は、この期に及んでもいささかも錆びついてなどいなかった。


 盛宗は居並ぶ大名たちを泰然と見据えると、上座の徳川家康、そして背後に控える俺にも聞こえるよう、よく通る声で朗々と口を開いた。


「内府様。――すでにお伝えしております通り、重ねて言上仕る」


 一切の澱みもない声音が、大幕舎の天幕を微かに震わせる。


「第一に、鎮守府将軍(伊達政宗)率いる本隊五万が宇都宮に入城いたしました。これにより、我が父・盛隆の率いる二階堂勢と合せて宇都宮城内は八万。小山城に籠もる奥村永福殿の一万と合わせ、貴殿らの前方には今、合して九万の奥羽勢が立ちはだかっておりまする」


 居並ぶ豊臣恩顧の諸将の間から、押し殺したような呻きが漏れた。

 遠藤宗信がごくりと喉を鳴らし、固唾を呑んで徳川家康の顔色を窺う。

 だが、盛宗の堂々たる口上は止まらない。


「第二に、海道筋の進軍を目論んでおられた佐竹義宣殿の兵二万は、陣を払い、水戸城へと退去いたしました。ここに居られるお歴々は、そのことを知らされていなかったご様子」


 その言葉が落ちた瞬間、幕舎内の空気がさらに一段、目に見えて凍りついた。

 福島正則が拳を握り締め、浅野幸長が青ざめた顔で床を睨みつける。


(……なるほどな)


 俺は腕を組み、内心で深く合点がいっていた。

 だからこそ、この幕舎内はこれほどまでに重苦しく静まり返っていたのだ。


 数の上だけで見れば、家康三万、秀忠三万、結城秀康二万、そして豊臣恩顧の六万を合わせ、東軍十四万。

 対する奥羽勢は宇都宮の八万と小山の一万で、合わせて九万。

 一見すれば十四万対九万で徳川方が優位に見える。


 だが、それは単なる机上の計算に過ぎない。

 海道筋を抑えるはずであった佐竹義宣の二万が、勝手に水戸城へと引き返したのだ。


 佐竹義宣の去就は定かではない。

 大坂方に呼応して背後から斬りかかってくるのか、あるいは静観を決め込むのか。

 徳川方からすれば、いつ退路を突かれるか分からない圧力を、横腹に抱え込んだ格好であった。


 正面には、堅固な小山城に宇都宮城の総構えと、伊達・二階堂の精鋭九万。

 側背面には、不気味に沈黙する佐竹二万。


 小山評定で諸将の結束を固め、奥羽勢を一戦のもとに電撃的に叩き潰し、その勢いのまま全軍を反転させて西へ駆け上がる――。

 徳川家康が胸中に描いていたであろう短期決戦の戦略は、盛宗の突きつけた現実を前に、完全に粉砕されていたのであった。


 それにしても――と、俺は心中で舌を巻かずにはいられなかった。


(……伊達政宗、恐るべし、だな)


 あの男の勘働きと果断さには、もはや感服するほかない。

 出羽では最上義光らが蜂起し、領内が不穏に揺れ動いている真っ最中だというのに、政宗はその騒乱を完全に捨て置き、全軍を率いて南下することを選んだのだ。

 出羽の争乱など所詮は枝葉に過ぎない。

 徳川家康という「幹」を叩き、その動きを根元から封じることこそが天下の大局を制する――そう見切りをつけた戦略眼は見事というほかない。


 何より凄まじいのは、その決断の果断さだ。

 信夫郡の杉目城からここ宇都宮城までの道程を考えれば、上方の動乱(三成の決起や大坂の変事)など、この時点の政宗が知る由もない。

 予見などできるはずがないのだ。


 つまり政宗は、上方で何が起きるかなど露ほども知らぬまま、ただ「徳川十四万が下野へ押し寄せてくる」という目の前の脅威に対し、背後の出羽の火種を完全に無視して全軍を南へ走らせたということだ。


 そして逆に言えば――背後の出羽の争乱の鎮圧に動いてる留守政景、戸沢盛安、後藤信康、原田宗時らを、心の底から信頼している証左でもあった。

 あの連中なら、自分が留守にしていようと最上や安東の小細工など容易く叩き潰してくれると信じ切っているからこそ、後ろ髪を引かれることなく全軍を南下させられたのだ。

 普段は口が悪く、部下への当たりばかりが苛烈極まるくせに、天下を分かつ命懸けの大勝負に臨んでは、全幅の信頼を預けて背中を任せてみせる。


(……まったく、ツンデレにも程があるわ)


 後から振り返れば、上方の動乱と重なって神がかり的な一手に見えるかもしれない。

 だが、本来であれば背後を突かれて領国を失いかねない狂気の沙汰である。


 未来の追い風など何一つ見えていない闇夜の中で、己の配下を信じ、徳川の出鼻を挫くためだけに全軍を投げ出す大決断を迷いなく下してみせた。

 簡単そうに見えて、常人には逆立ちしても真似のできない芸当だ。

 理屈を超えたあの甥っ子の底知れぬ胆力と勝負勘を思い知らされ、俺は背筋に心地よい戦慄を覚えながら、密かに口元を緩めていた。






 重苦しい沈黙が淀む中、先陣を任されている徳川秀忠が膝を進め出た。


「父上……! 信濃の蒲生より、ただならぬ急報が届いておりまする。……信濃国境において、真田昌幸、関一政、田丸直昌らが勝手に戦線を離脱して各々所領に引き上げたとのこと。由々しき事態にございます!」


 普段は温厚で家康の意向に従順な後継者だが、今ばかりはその額にじっとりと脂汗を浮かべ、焦燥を隠しきれずにいるのが見て取れる。

 妹婿である蒲生秀行から届いた報せが、それほどまでに若き総大将の胸中を激しく揺さぶっているのだろう。


 その言葉で、幕舎内の空気がにわかにざわめく。


(……ほう。真田昌幸め、やはり徳川と敵対する道を選んだか)


 思わず苦笑いが漏れる。

 かの希代の食えない二股膏薬殿のことだ。

 自分を高く売り込み、見返りの褒賞として、信濃甲斐の二ヶ国くらいは石田三成に約束させていよう。


 かつて上野沼田領を巡り、徳川家康と揉めに揉めた遺恨も勿論あろう。

 だがそれ以上に、上田の真田家を西軍へと引き寄せる血の絆は、あまりに強固であった。


 何より、真田昌幸の正室(山手殿)と石田三成の正室は、共に宇田頼忠の娘――すなわち昌幸と三成は義兄弟の間柄である。

 さらに、上田に所領を持つ次男の真田信繁の正室・小屋は、西軍の首脳として大坂で挙兵を差配する大谷吉継の愛娘(養女)だ。

 大谷吉継から見れば真田信繁は義理の息子であり、確固たる親子関係で結ばれている。


 豊臣政権下で培われた西軍中枢との分かち難い家族関係を考えれば、石田三成や大谷吉継が徳川打倒に立ち上がったこの局面において、昌幸と信繁が徳川に弓を引いて西軍へ味方するのは、むしろ必然というほかあるまい。


 ふと幕舎を見渡せば、本多忠勝の娘婿である嫡男・真田信幸の姿もここにはなかった。

 真田信幸は徳川方として沼田にあって、伊達成実の動きを牽制する重責を担っているため、この小山の陣には出張ってきていない。

 越後口の要衝・荒戸城を守る伊達方の藤田信吉と、三国峠を挟んで鋭く睨み合っている。


 父と次男が西軍につき、徳川の重臣の娘を娶る長男が東軍に残る。

 一族の血脈を両陣営に残しつつ、徳川の痛いところを突いてみせる手腕は、いかにも真田昌幸らしい老獪さであった。


 徳川秀忠は身を乗り出し、父である家康の固い表情へすがるように、だが切迫した声色で訴えかける。


「秋雨や野分が重なるこの季節、東海道はひとたび大井川や天竜川が荒れ狂えば何日足止めを食らうか分かりませぬ! 山道なれど川留めがなく、最も計算の立つ生命線こそが東山道(中山道)! そこを真田らに塞がれては、我らは美濃や尾張への進路を完全に失ってしまいまする! このようなところで奥羽勢と無用の対陣を続けている猶予など、我が徳川にはありませぬぞ!」


 東山道が遮断されれば、大軍を迅速に西へ送る道が断たれる。

 気が気でない徳川秀忠の必死の訴えに対し、上座の家康は微動だにせず、ただ重い沈黙を守るばかりであった。


 その緊迫した空気に耐えかねたように、恩顧の将の中でも上位に座す浅野幸長が、膝を乗り出して割って入った。

 その顔は土気色に青ざめ、膝の上で握りしめた拳が震えている。


「内府様! それがしのもとにも昨晩、義兄の前田利長殿より密使が届きましてござる!」


 浅野幸長の声は、恐怖を押し殺そうとして上擦っていた。


「上方で不穏な異変が起きたとの風聞を受け、利長殿は越後への侵攻を断念。親不知に布陣していた前田の全軍を、金沢へ引き揚げさせると知らせてまいりました!」


 その報告に、諸将の間に走った動揺は徳川秀忠の言葉以上のものであった。

 前田利長が親不知から手を引いた――それが意味する軍事的な危局を、居並ぶ武将たちが察せぬはずもない。

 越後春日山城に籠もる伊達成実の手勢一万七千が、何の後顧の憂いもなく完全に自由の身になったのだ。

 上野や下野の背後へ、いつその鋭鋒が雪崩れ込んできてもおかしくない。


「前田が兵を引けば、越後の伊達勢の動きを止める手立てはありませぬ! ……それだけではない、大坂で何が起きているかも定かでない今、義兄の前田までもが大坂方に加担してしまうのではないかと……それがしは気が気でござらんのだ!」


 身内の去就に疑心暗鬼となった浅野幸長が悲痛な声を絞り出すと、続いてその下座から、血走った目で床を激しく叩きつける音が響いた。


「おのれ……! おのれぇッ!」


 細川忠興であった。

 気性の激しいこの男の顔は怒りと恐怖、そして底知れぬ絶望によって歪み、全身をわなわなと震わせている。


「昨晩のうちに、小早川秀秋らの軍兵が我が丹後田辺城に向かっておるとの知らせが届いた! ……此度の出陣にあたり、我が細川の手勢はほとんどすべてこの小山へと引き連れてきておる! 城には老父・幽斎しか居らん!丹後に残した守備兵など、城下の者らをかき集めたとて僅か五百にも満たぬのだぞッ! 五百の寡兵で、一万五千の大軍を相手に保つはずがなかろうがッ!」


 狂乱寸前となった細川忠興の絶叫が天幕をビリビリと揺るがす。


「父の命が風前の灯火であるばかりではない、大坂屋敷に残してきた我が妻(ガラシャ)の安否すら分からぬのだ! このようなところで悠長に構えている間に、我が細川家は根絶やしにされてしまう! 城も、父も、妻も、すべて灰燼に帰してしまうわッ!」


 東山道の遮断、越後の脅威、そして上方での肉親の絶望的な危急。

 次々と白日の下に晒された前線の崩壊に、もはや諸将の焦慮は頂点に達していた。


 そして――豊臣恩顧の筆頭として最も上位に座す男、福島正則が床几を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がった。


「内府様ッ!!」


 怒号が幕舎の空気を圧する。


「もはや宇都宮や二階堂などに構っている場合ではござらぬ! 一刻も早く奥羽勢と手打ちし、急ぎ全軍を西へ反転させねば、我らの国元も妻子も皆殺しにされますぞ! 今すぐに手打ちを! 手打ちを結んで、西へ駆け上がるべし!!」


 福島正則の咆哮に呼応するように、池田輝政ら大身の将たちが口々に「左様!」「西へ戻るべし!」と同調の声を上げる。


 だが、その騒然たる渦中にあって、黒田長政だけは一切口を開かず、腕を組んだまま微動だにしなかった。

 その双眸は冷徹そのものだ。

 徳川を勝たせ、天下を取らせる好機と見定めているこの男は、騒ぎ立てる諸将には加わらず、ただ上座の家康がこの混乱をどう切り抜けるのかをじっと値踏みするように見据えている。


 本多忠勝や榊原康政といった徳川譜代の重臣たちもまた、苦渋の色を隠せぬまま、諸将の突きつける現実の前に主君の横顔を見つめるばかりであった。


(……ふっ。読み通り、これで徳川家康を完全に追い込めたな)


 俺は腕を組んだまま、内心でほくそ笑んでいた。

 徳川秀忠が進軍路の危機を訴え、浅野幸長が背後の破綻と身内の離反を恐れ、細川忠興が絶望の悲鳴を上げ、福島正則が怒号を浴びせる。

 大幕舎を埋め尽くす男たちの切羽詰まった焦燥は、「即座に奥羽と手打ちを結び、西へ反転せよ」という一本の激流となり、徳川家康という男ただ一人を標的として、凄まじい圧力で押し寄せていた。






 諸将の口から相次ぐ危急の報せにより、大幕舎の空気が「一刻も早い手打ちと反転西上」へと傾いた。

 その絶妙極まりない機を、我が孫・二階堂盛宗が見逃すはずもなかった。


 盛宗は衣擦れの音を静かに響かせ、実に優雅で落ち着いた所作で上座の徳川家康の前へと進み出た。

 荒々しく声を荒らげるような真似は一切しない。

 育ちの良さと怜悧さを漂わせる涼やかな面持ちのまま、居住まいを正して端然と頭を垂れる。


 その両脇には、歴戦の重鎮たる須田盛秀と、伊達の次世代官僚の遠藤宗信が控え、静かな威圧感を放っていた。

 盛宗は懐から一巻の書状を取り出すと、穏やかだがよく通る澄んだ声で、朗々と読み上げ始めた。


「――此度の手打ちの儀につきまして、奥羽鎮守府将軍・伊達政宗公より託されし約条、全七箇条にございます。内府様には、何卒ご受納いただきたく存じます」


 ついに本題が切り出された。

 俺が腕を組み、口元に微かな笑みを浮かべて見守る中、盛宗は少しの澱みもなく、極めて理路整然と七箇条を提示していく。


「一、徳川内府様の六男・辰千代君と五郎八姫様の御婚約。

 二、朝廷への奥羽鎮守府解体申請の取り下げ。

 三、奥羽諸金山、銀山の公儀への引き渡しの無期延期。

 四、南蛮貿易における朱印状の有効の再確認。

 ……なお、これにつきましては申し添える儀がございます。此度の奥羽征伐の口実とされました『イスパニア等との密かな軍事同盟の嫌疑』に関し、政宗将軍の弁明を公儀が全面的に受け入れ、完全に無実であったと天下に公言していただく条項を含みます。

 五、豊臣秀次公の遺児、菊姫様の仙台輿入れの約定の遵守。

 六、関八州のうち、常陸、下総、上総、安房の四カ国の割譲。

 七、出羽争乱の鎮圧に関する公儀の非干渉。

 ――以上、七箇条にございます」


 盛宗が静かに書状を収めた瞬間――大幕舎を支配したのは、爆発的な騒乱ではなく、息の根を止められたかのような絶対の静寂であった。


 さきほどまで血相を変えて手打ちを叫んでいた福島正則も、怒号を上げようと開いた口をそのまま凍りつかせ、浅野幸長も細川忠興も、ただ呆然と目を見張ったまま固まっている。

 あまりに強烈、あまりに途方もない要求であった。


 関八州の半分を切り取り、奥羽の富と海外貿易を完全に公認させ、あまつさえ徳川家康の今回の軍事行動自体が誤りであったと天下に認めさせようというのだ。

 豊臣公儀の枠組みそのものを根底から揺るがすその毒の凄まじさに、一刻も早く西へ反転したい恩顧の諸将ですら、誰一人として軽々しく口を挟むことなどできず、ただ圧倒されて押し黙るしかなかった。


 その凍てついた沈黙を破ったのは、徳川の血統と重臣たちの激情であった。


「な……何を血迷うたことをッ!」


 松平忠吉が激昂して膝を乗り出し、父を侮辱された怒りに顔を真っ赤にして叫ぶ。


 さらに、激情家の「赤鬼」として知られる井伊直政が、床几を軋ませて身を乗り出し、鋭利な刃のような声を叩きつける。


「嫌疑が晴れたと公言しろだと!? それでは我が徳川が言いがかりをつけて軍を動かしたと、天下に頭を下げるようなものではないか!」


 徳川家康の掲げた大義名分を真っ向から否定され、徳川の威信を足蹴にされた屈辱に、井伊直政の双眸が怒りの炎を噴き上げる。


「関八州の半分の割譲など、正気かッ!」


 続いて大久保忠隣が額に青筋を立てて、怒鳴り散らした。

 徳川二百五十五万石の支配体制を真っ二つに叩き折る過酷な条件に、領国の実利を担う譜代の将として逆上せずにはいられないのだ。


 対照的に、老獪な本多正信は腕を組んだまま深く目を伏せ、奥歯をギリリと噛み締めて微動だにしない。


 そして――騒ぎ立てる徳川家中を前に、当の徳川家康本人は一言も発しなかった。


 目を細め、分厚い唇をへの字に結んだまま、沈思黙考。

 その視線は床の一点を見つめているが、額にじっとりと滲む脂汗が、この老獪な狸にかかる尋常ならざる重圧を雄弁に物語っていた。

 完全に逃げ場のない窮地に追い詰められたことを、徳川家康は痛いほど理解しているのだ。

 ここで跳ね除ければ西へ向かうどころか小山と宇都宮に挟撃され、ジリ貧の立場に追い込まれる。

 だが呑めば、徳川の覇権構想は根本から挫かれる。

 軽々しく口を開くことなど、到底できようはずもない。


 その息の詰まる沈黙に耐えかねたのが、側近の本多正純であった。


 本多正純は青ざめた顔で身を乗り出すと、焦りを隠せぬ上擦った声で言い放った。


「あ、あまりに過大な要求ばかり……! 天下の大老たる我が殿とて、この場で即断できる筋合いのものではござらん! 此度の評定は一旦中断といたす! まずは徳川家中にて七箇条を熟議・吟味の上で、追って返答いたそう!」


 豊臣恩顧の諸将が息を呑んで沈黙しているこの隙に、ひとまず評定を打ち切り、徳川の首脳部だけで落としどころを探る――苦し紛れの時間稼ぎであった。


 だが、盛宗は声を荒らげることもなく、ただフッと穏やかに微笑んでみせた。

 そのたたずまいはどこまでも温厚で物柔らかでありながら、放たれる言葉は恐ろしいほどに冷徹で、寸分の隙もない。


「……評定を中断し、持ち帰って家中にて検討する時間など、徳川様にあるとお思いですかな?」


 本多正純が息を呑み、言葉を詰まらせる。

 盛宗は静かに視線を上座の家康へと戻し、理路整然と、淡々とした口調で軍事の冷酷な道理を説き始めた。


「東海一の弓取りと謳われ、数多の死線をくぐり抜けてこられた内府様の手腕、我が奥羽とてゆめゆめ疑ってはおりませぬ。兵の数で劣る我が方が、そう易々と徳川勢を討ち滅ぼせると慢心しているわけでもございませぬ。……されど、地の利は完全に我が方にございます。宇都宮の堅陣を拠点とし、手慣れた奥羽の山河を背にして迎え撃てば、いかに歴戦の徳川様の軍勢といえども、そう容易く決着がつくはずもございませぬ。一進一退のまま、時ばかりが空しく過ぎ去ることは必定」


 徳川家康の眉がピクリと跳ねる。

 百戦錬磨の徳川家康だからこそ、盛宗の説く持久戦の泥沼がどれほど致命的か、誰よりも理解できるのだ。

 盛宗はさらに静かに畳みかける。


「そうして小山や宇都宮で足止めを食ろうている間に、上方の大坂方がいかなる手を打つか……。毛利や宇喜多らの大軍が怒涛の勢いで東進し、此処に出張ってきておられる諸大名方の国元をことごとく占領いたしましょう。さらには東海道を破竹の勢いで進軍し、無防備となった内府様のお膝元・江戸城へと肉薄するはず。前方を我が奥羽勢に阻まれ、背後を大坂勢に塞がれ、挟み撃ちの形で追い詰められるのは……他ならぬ徳川様でございましょう」


 どこまでもスマートに、しかし完璧な論理で時間稼ぎの無意味さを説き明かす盛宗の物言いに、幕舎内は再び凍りついた。

 感情的な脅しではなく、名将・徳川家康の眼力と軍事的常識に直接訴えかける若武者の怜悧さに、正純をはじめとする徳川の諸将は完全に言葉を失う。


 和睦して西へ急ぐか、泥沼の持久戦の果てに東西から挟撃されるか。

 七箇条の凄まじさに息を呑んで固まる豊臣恩顧の諸将と、屈辱に震える徳川譜代。

 その双方の視線が集中する中、徳川家康はただ一人、重く苦しい沈黙の檻の中に囚われていた。






 大幕舎を埋め尽くす大勢の諸将が息を呑み、衣擦れや具足の擦れ合うかすかな擦過音と、低く押し殺した唸りばかりが蠢いていた。


 正面の上座で微動だにせぬ徳川家康の苦渋に満ちた表情を、俺は静かに見守っていた。

 この歴戦の英傑が、いま頭の中で冷徹に損得と勝算を秤に掛けている気配が、痛いほど伝わってくる。

 思案に沈むあまり、無意識のうちに右手の親指の爪を口元に運び、ギリと噛み締める癖が出ている。

 この真の天下人の徳川家康が追いつめられている証左であった。


 七箇条のうち、鎮守府の存続、金山銀山や南蛮貿易、菊姫の件などは、所詮「紙の上の約定」に過ぎぬ。

 西へ駆け上がって毛利や三奉行を叩き潰し、天下の公儀を己の掌中に収めてしまえば、後からいくらでも覆せる。

 大局を見据える徳川家康のこと、そこは先刻承知のはずだ。


 だが――どうしてもこの場で即断できずに苦悶しているのが、二つの条項。

 すなわち、徳川二百五十五万石の屋台骨を大きく削ぐ第六項「関八州のうち四カ国の割譲」と、これまで裏で手を回して連携してきた出羽の諸将を公然と切り捨てる第七項「出羽争乱への非干渉」であった。

 これらばかりは、今この場で手放せば取り返しがつかぬ実損となり、武家の棟梁としての面目にも関わる。

 だからこそ、家康は親指の爪を噛み、沈思黙考に続けているのだ。


 盛宗の隙のない論理によって退路を塞がれ、評定の中断すら封じられた徳川首脳部。

 このまま膠着してただ時を浪費するだけならば、固唾を飲んで見守っている豊臣恩顧の武将たちが、家康を見限り雪崩をうって大坂方に走るであろう。

 潮時だな。


「――徳川内府殿」


 張り詰めた大幕舎の空気を切り裂き、俺は穏やかに声を掛けた。

 居並ぶ豊臣恩顧の諸将、そして徳川の面々が一斉にこちらへ視線を向ける。

 俺は居住まいを正して一歩前へ進み出ると、徳川家康に向かって助け舟を出すように手を挙げた。


「四カ国を丸ごと我らに割譲するとなれば、徳川家中として承服しかねるのも道理。なれば……こういたすのはいかがかな?」


 徳川の知恵袋たる本多正信の深い眼光がすっとこちらを捉え、息子の正純が息を呑む。

 俺は落ち着いた面持ちで、指を一本ずつ折りながら状況の解を提示した。


「まず、常陸一国。かの地は水戸城へ勝手に退いた佐竹殿の領分でござろう? 徳川内府殿への断りもなく陣を払った不届き者ゆえ、我らの切り取り勝手といたせばよい。徳川の所領が損なわれるわけではござらぬ」


 本多忠勝が身動ぎする。

 佐竹への仕置きを奥羽鎮守府に委ねる形を取るならば、徳川の実利は何一つ削られない。


「そして上総と安房の二カ国じゃが――これもそのまま引き渡すのではなく、第一項にある『辰千代君と五郎八姫様の御化粧料・御領地』という体裁にいたすがよろしかろう」


「辰千代君の、御化粧料……」


 榊原康政が呟き、家康の噛んでいた親指が口元から離れ、眉間がわずかに緩んだ。

 他家に領土を奪われたとなれば公儀の恥辱だが、我が子である辰千代が娶る嫁の化粧料、若夫婦の領地という名目であれば、形式上は「徳川の血を引く男子の領土」として体裁が立つ。

 両家の面目は保たれ、徳川が実質的に身を削るのは下野との境目たる下総一国のみとなる。


 十四万の大軍を無傷で保ち、西上への道を切り拓く代価と思えば、十分に受け入れられる落としどころであった。


 老練な本多正信も事態を収拾しうる策と見て取ったか、静かに頷きかけ、家康も重々しく受け入れの姿勢を見せた。

 そのタイミングで差し込む。


「――ただし」


 俺は声音を改め、家康を真っ直ぐに見据えた。

 ここからが、この二階堂盛義の望みを通す本題である。


「その代わり、儂からも一つだけ条件がある。……辰千代君の傅役を務めておる皆川広照殿を、直ちに解任していただきたい」


「……何?」


 家康が不審げな顔となる。

 大幕舎の諸将も、突如として飛び出した小大名の名に虚を突かれている。


「そして辰千代君が成人するまでの間、あの若君の身柄を須賀川城でお預かりし、この盛義自らが手ずから養育いたす」


「何を仰せられるか、左京亮殿!」


 結城秀康が思わず声を荒らげる。

 だが俺は、江戸の青松寺で向かい合った、あの鋭い眼光を秘めた少年の面魂を思い出しながら、堂々と持論を述べた。


「皆川殿のような事なかれ主義の者では、辰千代君の性格の撓みを矯正できませぬぞ。周囲が腫れ物に触るように扱うからこそ、若君の気性は余計に荒れ、頑なになるのじゃ。……内府殿、あの若武者の器量を十全に引き出せる者が、今の徳川家中においでか? 儂の手元に預けてくだされ。須賀川の地で儂が責任を持って鍛え上げ、徳川と伊達の懸け橋たる立派な武将に育て上げて進ぜよう」


 言い放った瞬間――。

 大幕舎を満たしたのは、怒号ではなく、底知れぬ沈黙であった。


 徳川家康は言葉を失い、油断なく目を細めながら、射るような眼差しでじっと俺の顔を凝視していた。

 その眉間の険しさを見れば、心中でどれほど激しい疑念と困惑が渦巻いているかは容易に見て取れる。


 なぜ此奴は、この天下分け目の大評定の場で、よりによって辰千代という冷遇された男子にここまで執着するのか。

 領地や金銀の駆け引きであれば政略として理解できるが、家中でも扱いを持て余す若君をわざわざ奥州へ連れ帰り、手ずから育てるなどと言い出す真意はいったい何なのか。

 深謀遠慮の布石なのか、それとも人質として徳川を縛る新たな罠なのか――百戦錬磨の古狸をして、俺の腹の内がまるで読めずに呑み込まれているのは明らかであった。


 それは福島正則や黒田長政ら豊臣恩顧の諸将、そして本多正信ら徳川の重臣たちも同様であった。

 天下の命運を左右する極限の軍議の場にあって、一人の少年の教育を熱弁する老将の姿。

 長年、乱世の海千山千を相手にしてきた歴戦の武将たちですら、俺という男の思考の深淵を読み切れず、底知れぬ不気味さを覚えて押し黙るしかなかった。


 その重苦しい静寂の中にあって――。

 ふと視線を横に向けると、二階堂家中の面々だけが、まったく別の空気を漂わせていた。


「……やれやれ。また大殿の悪い癖が顔を出したようでござるな」


 前田利益が口元に微かな笑みを浮かべ、手元に返された朱槍に手を添えたまま低く呟く。

 その隣で控えていた古参の須田盛秀もまた、白眉を寄せて渋い顔をしていた。


「昔から、誰も思いもよらぬ突拍子もない手を打たれるお方ではござったが……まさかこの大舞台で、人様の子の躾を引き受けると言い出されるとは」


 長年、俺の傍らでその突拍子のなさに付き合わされてきた二人は、呆れつつも事態の真相を察していたのだ。

 天下への奇怪な陰謀などではない。

 俺が単に、青松寺で見初めた手強い悪童を、隠居の道楽として手元で鍛え直してみたいという、唐突なわがままを言い出しただけなのだということを。


 だが、幼少の頃から宇都宮や須賀川で育ち、祖父である俺とほとんど時を過ごしたことのない盛宗だけは、一人だけ事情がまるで呑み込めていなかった。

 怜悧な頭脳で完璧な交渉を進めていた盛宗は、大幕舎を包む恐怖の静寂と、祖父の突拍子もない要求の落差に、目を白黒させて完全にキョトンと立ち尽くしていた。


 身内からの視線を受け流し、俺は居住まいを正して最後の仕上げへと話を戻した。


「――さて、徳川内府殿。残る第七項、出羽の件についてじゃ」


 徳川家康の視線が再び鋭さを帯びる。

 俺は声音を落ち着かせ、冷ややかに、しかし全員に聞こえるよう言葉を紡いだ。


「斯波一族の命までは取らん。斯波義光殿、ならびに嫡男の義康殿、次男の義親殿の身柄は共に出羽から退去とし、其処におられる岐阜中納言(織田秀信)殿預かりとさせよう。……岐阜中納言殿の御正室は、義光殿の娘にして義康殿らの妹にあたる駒姫様であらせられるゆえな」


 大幕舎の空気が、ふっと別の意味で張り詰めた。

 織田秀信は目を見張り、家康の眉間がわずかに引きつる。


 出羽の斯波義光を焚きつけ、奥羽鎮守府の背後を脅かす叛乱を起こさせたのは、他ならぬこの徳川家康だ。

 そしてその調略の糸口として利用されたのが、東軍の先陣に加わっている織田秀信と、その正室である駒姫の縁であった。


 徳川がその秀信―駒姫―義光の縁を使って奥羽を引っ掻き回したのだから、企てが破綻した以上、その同じ縁を使って徳川が責任を持って始末をつけろ。

 表向きは舅と義兄弟の命を助ける温情の体を装いながら、その実、徳川が水面下で弄した陰謀の手口を公然と白日の下に晒し、後始末まで押し付ける――この俺の底意地の悪い皮肉を、徳川家康も本多正信も瞬時に悟っていた。


 織田秀信は一瞬息を呑んだが、舅と義兄弟の命が助かる唯一の道である以上、深く肯いて引き受けるしかなかった。


「ただし――安東実季と大宝寺義興の二名は、あきらめていただきたい。争乱の火種となった者たちまで見逃すわけにはいかぬ」


 第七項にある『徳川の非干渉』の通り、煽動に乗って蜂起した安東や大宝寺は、徳川自らの手で見捨てさせる。

 手打ちが成立すれば、背後の憂いが消えた奥羽鎮守府の大軍が出羽へ雪崩れ込み、安東らを徹底的に叩き潰すであろう。

 一方で、一番の火元であった斯波親子だけは、工作ルートであった織田秀信の手元へ引き取らせ、徳川自身にその厄介な身柄の後始末を背負わせる。

 出羽の攪乱工作を完璧に無力化し、自陣営の安全を確保した上で、徳川にそのツケを丸ごと払わせる老練な一手であった。


 関八州の領地分配、そして出羽の後始末。

 徳川が受容できる極限を見極め、反論の余地をことごとく塞いだこの差配を前に、もはや家康にこれを拒む術は残されていなかった。


 西上への刻限が刻一刻と迫る中、背後に控える諸将の無言の圧力も頂点に達している。

 自ら仕掛けた奥羽征伐を取り下げ、出羽の味方を切り捨てる苦杯を喫してでも、今は全軍を率いて西へ向かわねばならない。


「…………」


 徳川家康は静かに瞼を閉じ、しばしの沈思ののち、目を開いた。

 威厳をたたえた重々しい声音で、首肯する。


「……承知いたした。七箇条、すべて受諾いたそう」






 徳川家康が受諾した瞬間、幕舎内に張り詰めていた重圧が、諸将の安堵の吐息となって一気にほどける。


 七箇条を丸呑みさせ、徳川の野望を完璧に挫いた。

 乾坤一擲の談判を制した安堵と、胸のすくような達成感が、俺の胸中にじんわりと広がっていく。


 だが。

 床几から立ち上がりかけた徳川家康が、ふと足を止め、俺へと視線を戻した。


 屈辱に濁る憎悪でも、負け惜しみの刺すような敵意でもない。

 乱世を生き抜いてきた者特有の、どこまでも澄んだ静かな眼差しであった。


「……伊達の先代、輝宗公がもし今も生きておれば、今頃そちと共にやすやすと天下を取っておったであろうな」


「…………っ」


 思わぬ名を、思わぬ形で投げかけられ、息が止まる。


 伊達輝宗公。

 彼の人を「二十年早く産まれた政宗」に仕立て上げるため、持てる能力も未来の知識も、すべて注ぎ込んで駆け抜けた日々。

 だが十年前、小田原への道中で輝宗殿が凶刃に斃れた瞬間に、俺のこの世界での真剣勝負はとっくに終わっていたのだ。

 それからの十年は、ただ生き残るために惰性で帳尻を合わせてきただけの余生に過ぎない。


 心の奥底に封じ込めていた「バッドエンド」を、目の前の真の天下人はあまりにも的確に射抜いていた。


 恨み言でも、嫌味でもない。

 徳川家康が真情から口にした「あり得たはずの可能性」への惜別。


 自らの思考の完全な死角を突かれた衝撃に、胸を満たしていた談判の手応えも、勝者の高揚感も、潮が引くように一瞬で冷え切っていく。


 徳川家康は俺の硬直した様子を静かに見つめ、ふっと深く息を吐くと、独り言のようにポツリと呟いた。


「……そうか。それゆえ、辰千代か」


 その呟きが耳朶を鋭く打った瞬間――。

 俺の全身を雷光のような衝撃が貫いた。


 (……そうだったのか)


 青松寺で出会った、あの少年の姿が鮮烈に蘇る。

 周囲のすべてを撥ね付けるような、ギラギラとした眼光の凄まじさ。

 まだ十歳の小柄な体に、これでもかとばかりに漲っていた、強烈で太陽のような覇気。

 荒削りで、どこまでも眩しく、誰にも飼い慣らせぬ炎のような熱量。


 なぜ自分があれほどまでに、あの悪童に執着したのか。

 単なる隠居の道楽などではなかった。

 俺は――辰千代の中に、かつて失った輝宗公の面影を、その魂の熱さを、無意識のうちに重ね見ていたのだ。

 もう二度と出会うはずのなかった光を、あの少年に求めていたという事実に、俺自身が初めて気づかされていた。


 勝者の高揚感など、跡形もなく消え去っていた。

 胸を吹き抜ける冷たい風に、俺は二の句も継げず、ただ立ち竦む。


 すべてを悟った徳川家康は、それ以上何も言わず、西上反転の号令を下すべく大幕舎の中央へと歩みを進めていった。






〜 第十四章完 〜


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