第1話・左遷された先が終わっていた件
「辺境……アルテマへ異動ですか?」
ライン・フォン・シュツットガルトは、辞令から顔を上げた。
机の向こうの上官は、表情を変えない。
「君の能力と実績を鑑みた上での人事采配だ」
「かなり私情が入っているようにも見えますがね」
「実績は評価している。だが、君は問題事が多すぎる」
上官が机の上で両手を組む。
「士官学校時代から祈りの行事には欠席。聖典には不誠実な反論を繰り返し、逆らった下級生には度を超えた懲罰を与えた」
読み上げるような口調だった。以前から用意していたのだろう。
「神様が本当にいるなら、西方のフランキア共和国も、同じ宗派の我々を仲間として見てくれたのでは?」
「今は神学の議論をしているのではない」
「それから彼は、武器の安全装置を外して校内を歩いていました。許容された範囲で指導したまでです」
ラインの口調は穏やかなままだった。
上官はしばらく黙り、やがて口を開く。
「君が持つ能力や等級は……いや、今はやめておこう」
辞令をラインの方へ押した。
「とにかく、ここが赴任先だ! 中央に戻りたければ功績を上げることだな」
実績は評価する。その上で、中央からの即時異動。
辞令に思想への言及はなかったが、書いてもらう必要もないだろう。
「承知しました」
ラインは薄笑いを残したまま、辞令を折り畳んだ。
そして、形式どおりに敬礼する。
◇
8歳の頃だった。
教会で大人たちに倣い、手を組んでいた時、不意に声が聞こえた。
「お前に恩寵を与えよう」
ラインは目を開けた。
誰も顔を上げない。祈りの声は続いている。
祭壇の神像から、自分だけに別の声が届いていた。
「あなたは……神様?」
「そうだ、私がお前を選んだ」
「なぜ俺だけに神託を?」
「お前の信仰心が、大勢のそれを上回ったからだ」
神は本当にいた。
ラインは立ち上がり、像を見つめた。
「恩寵はいりません」
「なぜだ? お前は特別になれるのだぞ?」
「俺1人が救われたって意味がない。父さんや母さん……いや、全人類を救ってください」
ラインは本気だった。
神学こそが人類を救うと教えられてきた。
その神に、ようやく願いを伝えられたのだ。
なのに、眼前の神を名乗る存在は自分にだけ恩寵を与えると言った。
「できないな、なぜなら資格がない」
「資格? それは……ちがうだろ」
押し殺した声が、叫びに変わった。
「お前が神なら––––俺1人じゃなく、この世界全てを救ってみせろよ!!!」
祈りが途切れ、誰かに肩をつかまれる。
それでもラインは、像から目を離さなかった。
『この世の全員が、信仰心を持っているわけではない』
残されたのは、その言葉と胸に宿った新たな力だけだった。
身体の熱が静まっても、腹の底の怒りは消えない。
「お前は……神なんかじゃない」
幼い顔は、憎悪に満ちていた。
◇
軍用車両の振動で、28歳のラインは目を覚ました。
黒い軍服の袖口を直し、窓の外を見る。
「まぁ、この左遷も予想はできたか。なにはともあれ、新天地に期待しよう!」
巨大な城を囲み、街並みが視界いっぱいに広がっていた。
辺境都市アルテマ。かつて王国に併合された国の、元王都だ。
店先には買い物客が集まり、剣や杖を携えた者たちがギルドへ入っていく。
だが石畳は荒れ、果物の値段もくだらない程に高かった。
駐屯地で車を降りる。
––––出迎えは、たった1人だった。
銀色のショートヘアに、幼さの残る顔。
黒い軍服とプリーツスカート、軍用ブーツ姿の少女が敬礼する。
「南方方面軍へようこそ、シュツットガルト少佐。フィリア・クリスタルハート少尉です」
ラインも敬礼を返した。
––––こんな子供が最前線。こんな辺境で……しかも少尉か。
クリスタルハートという姓は王都でも有名だ。
貴族政治の成れの果てか、中央で何かやらかしたか。
まあ、詮索はしまい。
「道中お疲れでしょうが、早速駐屯地の現状を見ていただきます」
「一息つく暇もないとは……相変わらず国営ブラックだね」
フィリアは笑わなかった。
「中央の参謀将校は、補給品目の数字でしか最前線を見ません。あなたもご同類でなければいいのですが」
先ほどの挨拶とは違い、はっきりと不信感が混じっていた。
「じゃあ早速」
ラインは肩をすくめ、彼女に続いた。
補修だらけの兵舎を抜け、南側の砲台へ出る。
「うわ……」
並んだ魔導砲のほとんどに、整備中の札が掛かっていた。
駆動部を開いたもの、魔力伝導管を外されたもの。
稼働試験中の1門さえ、不規則な光が明滅している。
––––マジで終わってんな。
渡された配備表では、稼働可能な砲は全体の1割未満。
魔道具の補充率も規定の半分以下だった。
窓から見たギルドの賑わいが頭に浮かぶ。
「冒険者は随分多いようだけど」
「軍よりそちらへ行く人の方が多いです。ここでは私たちの方が穀潰し扱いですから」
防衛部隊は、わずか1個中隊。
歩兵200名から偵察や警備、整備へ人を割けば、動かせる兵はさらに減る。
あの街を守る戦力が、これだけか。
周辺地図を広げる。
西のフランキア共和国と、南の魔族領。その双方から延びる進出路が、町の周辺で合流していた。
「チョークポイントか」
山地と丘陵に挟まれたこの地を抜けば、敵は王国内へ大部隊を送り込める。
そんな拠点に、たった1個中隊。
参謀本部はこの地図を見たことがないのか。それとも、見た上でこうしているのか。
敵が正面戦線に気を取られ、小競り合いで済んでいる今が奇跡なのだろう。
なるほど、嫌がらせにはぴったりだ。
「ご感想を聞かせていただけますか?」
「終わってるね。確かに帳簿ではわからない現実だ」
「ちなみに、靴下は破れれば3週間は新品が届きません。ご注意ください」
ラインは彼女の足元へ目を落とした。
磨かれた軍用ブーツの縁は、擦り切れていた。
「そのようだね––––」
言い終える前に、警報が鳴った。
「南方より魔族、およそ150! 守備隊より迎撃要請です!」
「ヴァーニー大佐への報告は?」
「伝令を出しています! 大佐は西側防衛区画です!」
ラインは魔力探知を発動した。
敵はすでに第一防衛ラインを越え、一部は第二ライン手前の居住区画へ入り込んでいる。
人員と装備不足の弊害を、早速目の当たりにするとはな。
「僕も出ようか」
「少佐はまだ地理を把握していません。ここで待機をお願いします」
フィリアは杖を取り、歩き出した。
「……そうだ。クロエは西方の偵察に行っていて、いないんだった」
普段頼れる彼女も、今はいない。
まして、中央から来たばかりの参謀将校には任せられなかった。
自分が何とかするしかない。
フィリアは防衛線へ走り出した。
◇
「たった30人で、あの数をどうしろっていうんだ!」
土嚢の陰で兵士が叫んだ。
第一ラインから退いた兵もいたが、負傷者を下げれば、戦える者はそれだけしか残らない。
前方では、剣や槍を手にした魔族が畑を越えていた。
「やるしかないだろう! ここを抜かれたら街の中だぞ!」
支援砲撃は来ない。
住宅の間にも、すでに敵が入り込んでいる。
その直後、畑にいた敵の足元が爆ぜた。
「グギャアア!!?」
土が噴き上がり、爆風が一団を薙ぎ払う。
「クリスタルハート少尉!」
「状況は?」
「居住区域への侵入を許しました! 第二ラインも突破されかねません!」
フィリアは舌打ちした。
倒れた敵の後ろから、次の一団が住宅の陰へ走り込んでいく。
住民の避難が済んでいるかもわからない。
味方が取り残されている可能性もある。
下手に撃てば、建物ごと巻き込んでしまう……!
「近接戦闘しかありませんね……」
土嚢を越えようとした時、のんびりした声が届いた。
「いやー、抜かれる寸前じゃん。僕が来なかったらどうしたのさ」
「シュツットガルト少佐!?」
ラインが歩いてきていた。
金髪も黒い軍服も、ほとんど乱れていない。
息を切らした様子さえなかった。
戸惑う兵士たちの脇を通り、フィリアの隣に立った。
「君の得意は爆発魔法のようだけど、住宅街じゃ乱射できないし、近接戦でもするつもりだったのかな?」
返事が詰まった。
まさに、そのつもりだったからだ。
ラインは近くの兵士から、ひょいと剣を取り上げた。
「あっ……!」
外周へ真っすぐ延びる道に、剣先を向ける。
その先は平原……道を埋める敵の中に、味方の姿はなかった。
「いいかいフィリア。爆発は、ただ相手を薙ぎ払うだけが能じゃない……こういう使い方もあるんだ」
柄の後ろに、小さな炎が灯った。
––––ボンッ––––!!
剣が視界から消える。
フィリアには、刃を目で追うことさえできなかった。
「ガッ……!!?」
先頭の魔族が、背後の仲間ごと弾き飛ばされた。
さらに奥の敵まで、ほとんど同時に倒れていく。
剣は一団を貫き、家並みの途切れた先の平原へ突き刺さった。
遅れて土煙が上がる。
……規格外の威力。
大きな爆発ではなかった。
魔力も、自分が先ほど使ったものより遥かに少ない。
それなのに、家屋を壊さず、道にいた敵だけを倒している!
「……一体、何をしたんですか?」
「剣を“砲弾代わり”にしただけだよ。爆発は物体に加速度、運動エネルギーを与える」
ラインが、こちらを向いた。
「今のはやっつけ仕事だけど。フィリア……君がやればもっと強力だろうね」
自分の持つ杖へ、視線が落ちた。
「やってみな」




