EP 15
死を呼ぶ四番(DEATH4)の介入
カチッ——。
暗闇の森に響いた、真鍮製のオイルライターが弾ける微かな音。
銃声や怒号が飛び交う戦場にあって、その音は本来なら掻き消されてしまうほど小さなものだった。
だが、坂上信長とエリアス・ソーンの脳髄は、その音を『世界で最も危険な警鐘』として強烈に受信した。
「……ッ!!」
「……退け、キャプテン・サカガミ!!」
信長とエリアスは、互いに交えていた刃を弾き返し、反射的に数メートル後方へと跳躍して距離を取った。
次いで、赤城と義正も指揮官の異常な反応に気づき、銃の構えを解いて息を呑む。
森の奥から、ゆっくりと足音が近づいてくる。
ザクッ、ザクッ、と枯れ葉を踏む音。
「な、なんじゃ……このまとわりつくような重圧は……ッ!」
信長が額に冷や汗を浮かべ、夕日丸を正眼に構え直す。
「……息が、できない。酸素が奪われているのか?」
エリアスもまた、心拍数をコントロールすることすら忘れるほどの『死の気配』に戦慄していた。
木々の隙間から、月明かりに照らされて一人の男が姿を現した。
黒いレザージャケットに、ワインレッドのタートルネック。
村のBAR『鬼龍』のマスター、龍魔呂だった。
だが、昨夜カウンター越しに見た「哀愁漂うバーテンダー」の顔は、そこにはなかった。
瞳孔は虚無を見つめ、一切の感情が抜け落ちている。そして何より、彼の右手にはめられた指輪——『鬼王の指輪』から、赤黒い闘気の嵐が間欠泉のように噴き出し、周囲の空間を歪ませていた。
「マ、マスター……? なんでこんな戦場のど真ん中に……」
赤城が恐る恐る声をかけようとした、その時。
『う、うわぁぁぁぁぁぁんッ! 怖いいいいぃぃッ!!』
龍魔呂の背後、少し離れた茂みの陰から、幼い子供の泣き声が響き渡った。
犬耳族の小さな男の子だ。どうやら迷子になり、両軍の銃撃戦の音に怯えてうずくまっていたらしい。
「し、しまった! 民間人の子供が迷い込んどったんか!」
信長が顔面を蒼白にする。ポポロ村の絶対ルール『民間人に危害を加えない(恐怖を与えない)』を破ってしまったのだ。
だが、事態は「村のルール違反」などという生易しいレベルをとうに超えていた。
子供の泣き声を聞いた瞬間。
龍魔呂の顔から、完全に『人間』の理性が消失した。
顔面が蒼白になり、一度その場に崩れ落ちそうになるほどガクンと膝を折る——しかし、次に立ち上がった時、彼は冷酷無比なる処刑人『DEATH4(死を呼ぶ四番)』へと変貌を遂げていた。
「……狩る」
龍魔呂の唇から、地獄の底から響くような声が漏れた。
瞬間、赤い闘気が爆発的に膨れ上がり、森の木々が強風に煽られたように大きくしなる。
「来るぞエリアス!! 迎撃せえ!!」
「義正、カバーしろ!」
日米の最高峰の指揮官たちが、完全に『共通の規格外の脅威』を前にして共闘の陣形を組んだ。
ドォォォォォォンッ!!
龍魔呂が、地面を蹴って爆発的な速度で飛来する。
琉球古武術の『縮地』とパルクールを融合させた、変幻自在の神速の踏み込み。
「オラァァァッ!!」
信長が渾身の闘気を込め、夕日丸を袈裟懸けに振り下ろす。
しかし、龍魔呂は全く減速しない。
彼は信長の刃が触れる寸前、システマの呼吸法で体を液体の如く脱力させ、刃をミリ単位で回避。
そのまま詠春拳の『黐手』で信長の腕に絡みつき、陳式太極拳の『化勁』で信長の突進力を完全に無効化にした。
「なっ——!?」
信長の巨体が、まるで無重力空間に放り出されたように宙に浮く。
「シッ!」
すかさずエリアスが、死角からストライダーナイフを龍魔呂の頸動脈へと突き出す。
米海軍が誇る必殺のサヨック・カリ。
だが、龍魔呂は宙に浮いた信長の体を盾にするように一歩軸足をずらし、エリアスのナイフを持つ手首を『骨法』の打撃で的確に弾き落とした。
「……バカな。関節の動きが読まれている……!?」
エリアスが驚愕する暇もなく、龍魔呂の体がコマのように回転する。
ブラジリアン柔術とカポエイラを融合させた、予測不能の変則蹴り。
ガゴォォォォンッ!!!
「ぐはぁッ!?」
「ガハッ……!!」
赤黒い闘気を纏った一撃が、信長とエリアスの腹部を同時に捉えた。
20mm機関砲の直撃にも等しいその威力の前に、現代地球が誇る最高峰の軍人二人が、まるでボールのように数十メートル後方へと吹き飛ばされ、大木に激突して崩れ落ちた。
「隊長ォォッ!?」
「エリアス!!」
赤城と義正が同時にアサルトライフルを構え、龍魔呂に銃口を向ける。
だが、龍魔呂はすでに親指に小石をセットしていた。
『鬼神流 指弾』。
ピィィンッ! という甲高い音と共に、闘気を纏った石ころが対物ライフル並みの速度で射出され、赤城と義正の構えていた銃の機関部を正確に打ち砕いた。
「ひっ……!」
「化け物か……ッ! 素手で、完全武装の軍隊を制圧する気か!?」
義正が腰を抜かして後ずさる。
龍魔呂は無表情のまま、トドメを刺すべく、右拳に赤黒い闘気を極限まで圧縮し始めた。
世界を飲み込み、相手を空間ごと葬り去る絶技——『鬼神流 絶花』の構え。
(……終わった。こんな理不尽な死が、我々の結末か……)
エリアスが血を吐きながら意識を失いかけた、その時だった。
「こらーっ!! 龍魔呂さん!! ストーーーップ!!!」
夜の森に、安全靴の足音をドタバタと響かせながら、村長・キャルルが猛スピードで駆けつけてきた。
「もう、ダメですよ! 村のお客さんを殺しちゃ! ちょっと大きな音が鳴って驚いちゃっただけですから!」
キャルルは龍魔呂と信長たちの間に割って入ると、そのまま泣いている犬耳族の男の子をギュッと抱きしめた。
「よしよし、もう大丈夫だよー。お兄ちゃんたち、ちょっと花火して遊んでただけだからね。怖かったねー」
キャルルが優しく頭を撫でると、男の子は次第に落ち着きを取り戻し、泣き声を止めてスヤスヤと眠り始めた。
「……あ」
子供の泣き声が止んだ瞬間。
龍魔呂を包んでいた赤黒い闘気が、嘘のようにスゥッと霧散した。
焦点の合っていなかった瞳に光が戻り、彼はハッとして自分の拳と、ボロボロになって倒れている日米のエリートたちを見比べた。
「……すまねぇ」
龍魔呂は、深々と頭を下げた。
「……俺の、悪い癖だ。アンタらが子供を泣かせたと思って、タガが外れちまったらしい。怪我は……」
「「……全身、打撲と肋骨骨折じゃ(だ)」」
信長とエリアスが、地面に這いつくばったまま見事なユニゾンで答えた。
「そうか。……本当にすまねぇ。治療代は俺が持つ」
龍魔呂はバツが悪そうに頭を掻き、懐から真鍮製のライターを取り出してタバコに火を点けた。
そして、フゥと紫煙を吐き出してから、こう付け加えた。
「……だが、アンタらが夜中に騒いで近所迷惑をかけたのは事実だ。『鬼の龍儀(掟)』第二条。滞在する地域の平穏は守る。……次、この村の子供を泣かせたら、今度は殺す」
「「……イエス・サー(了解じゃ)」」
もはや、軍としてのプライドもクソもなかった。
この村には、絶対に逆らってはいけない『災害』が歩いている。それを身をもって知っただけでも、安い授業料だと思わなければ精神が崩壊する。
「ほらほら、二人ともしっかりしてください! 私が回復魔法かけてあげますから!」
キャルルが屈み込み、日米の指揮官に温かい光を注ぐ。
バキバキに折れていた肋骨が、一瞬で元通りに繋がっていく。
信長とエリアスは、魔法の奇跡に驚愕しつつも、深いため息をついた。
資金難、インフレ、スパイ、無敵の配達員、論破するネギ、そして——子守を間違えれば即死のバーテンダー。
「……エリアス。ワシら、本当にあの『霊水』とやらを国に持ち帰れるんじゃろうか」
「……帰国できたら、ペンタゴンに『異世界手当』の増額を要求する。絶対にだ」
星空の下。
両軍はまたしても旗に触れることすらできず、満身創痍でタバコ農園のシフトに備えるため、それぞれのテントへと重い足を引きずるのだった。




