24 終着
扉の先は闇だった。
一歩、二歩、と踏み込んだあたりで後ろの扉はひとりでに閉じた。
しかし、世界が闇だけに包まれることはない。
少女の目の前の道が青い炎の明かりで照らされていく。
床には真っ赤な絨毯。左右には炎の影で気味の悪さを増している巨大な像の数々。天井ははるか高く。
深い闇が、少女を誘っている。
引き返すことなど考えず、少女は前に進む。
焼けるような、痛みがある。
電撃の暴走が止まらない。
体を走る雷は少女の力となることと引き換えに、少女の体を蝕む。
きっと、戦い続けることなんて無謀。
蓄積された元の肉体への損傷はここまで一度も回復なんてできていない。
理解するまでもなく、次の戦いで最後。
その果てに、少女の体は滅びが待っている。
それでも、その足は止まらない。
青い炎に照らされた絨毯のはるかな先。
大きな二つの灯火によって最奥が照らされている。
「よく来たな。その努力だけは認め、この姿を見せてやろう」
薄暗い道の先。たった一つ置かれた玉座に男が座っていた。
目の色は血を思わせるほど紅く。
肌の色は人類には見られないほど青く。
残る髪も、服も、杖も、彼を覆う何もかもは黒く。
全てを見下すような、支配者然とした姿を見て、少女は確信する。
「オマエが、魔王でいいんだな」
少女の問いに、男は笑みを深める。
「いかにも。私がDDの総帥にして頂点。魔王と呼ばれし者だ」
魔王、と名乗った男の答えに、少女は剣を構えなおす。
「そういう貴様は三鷹月光で間違いないな?」
「ルナ・エクエスだよ。少なくとも今は」
「――それは失礼した、月の騎士。貴様の今までの戦い、すべて見せてもらった」
少女は悠々とした魔王の態度に不快そうに眉をひそめる。
「ディアルク、グァスト、フェンリル、そしてイリス。彼らを打ち破ったその手腕、その心、その勇気に敬意さえ表そう」
「自分の仲間がやられたっていうのに、ずいぶんとのんきなことじゃないか」
「呑気、というならそうかもしれないな。腹心の四人はすべて敗北した。だが、それはすべて駒にすぎぬ。わが手でもって世界を制し、また新たな幹部を集めるまでよ」
「まったくもって、堪えてないみたいだな」
少女の言葉に、魔王は笑い声のみで返答した。
「なあ、月の騎士よ。貴様に一つ問わねばならないことがある」
「何を」
「本当に我らは戦わねばならないのか。その一点をな」
少女はその提案を一笑に付した。
「まさか、ここまで来ておててつないで仲直りしようってのか」
「なに、貴様ならわかっているのではないか。ここまで来た貴様なら、私の行いの正当性を」
「どこに、そんなものが。ソレイユの故郷を焼き払って。リアの命を利用して。そして、シエルの心まで利用しつくして。その行いに何の正当性があったんだ」
少女の顔が怒りに歪むのを見て、魔王の笑みは深まった。
「貴様はそうやって怒りに任せ、感情に任せ、自らの正義に任せ、ここまで我が部下たちのことごとくをねじ伏せてきた。その力でもってな」
「何が言いたい」
「力でもって正義を主張した貴様ならわかっているはずだ。力ある者の主張こそが正義だと」
魔王の言葉は、闇の中によく響く。
「私の野望の果てに、世界の全てはこの手で救われる」
「何を言ってるんだ。暴虐の限りを尽くしたんだろう、オレだってオマエたちがしてきたことを聞いてきた」
「それは一元的な見方に過ぎない。貴様はあの太陽の王女の国以外を耳にしたことがあるまい。我らDDの支配下にあるとはいえ、他の国は豊かな生活を送っているとも」
それは、少女には初めて聞いた話だった。
「我らの庇護下にあるおかげで獣に襲われることもなく、人間同士の戦争により命を落とすこともない。戦いが起こらないのだから魔力の浪費もなく、人々の病を治すために、食事を豊かにするために、無駄もなく魔力が使える」
「…………」
「こちらの世界でも争いのために、身を守るために無駄な力が使われているだろう。それを我らが有効に使ってやるのだ。たとえ支配しようとも、争いは世界より潰える。なあ、私のこの行いは何か間違っているのだろうか、月の騎士よ」
雑念が少女の頭によぎった。
この戦いは、無意味どころか、世界にとって、未来にとって、悪だったのかもしれないと。
でも。
涙を流した少女が居た。
託してくれた、妖精が居た。
最後まで想ってくれた相棒が居た。
ならば、悪だったとしても、後悔はない。
紫電の剣の切っ先は魔王を向く。
「ここまで聞いてなお、剣を向けるか」
少女の相貌は魔王をまっすぐに見つめていた。
「オレも、聞きたいことがある」
「何かね」
「オマエは泣いてる誰かを見て、それでもその誰かを犠牲にすることにオマエはためらうことなんてないのか」
「必要な犠牲ならば、そんな些細なことに躊躇はせんよ」
魔王の言葉を聞いて、少女の決意は固まった。
「よくわかった。アンタの行いは正しいのかもしれないけど、オレとは相いれない」
「そうか、決別か」
「元より、交わってすらいなかったんだ」
紫電が戦いのときを待つように、瞬いている。
「ならば、戦いの前に名乗りの儀を上げるとしよう」
ゆらり、と魔王の体が立ち上がった。その巨躯は、少女の視点からでも容易に想像がつく。
「我が真名は朽ち果てた。現世にて名のるは魔王。四天を携え、世界を統べる。その果てに、すべてを支配する」
「オレの名は月の騎士。誰かに支配されるんじゃなく、だれもが笑うために。目の前の理不尽を制するために、オレは剣を抜く」
魔王はその口上を聞いて、にやりと笑う。
それでこそ、我に立ちふさがるにふさわしいのだ、といわんばかりに。
「――では、最後の戦いを始めるとしよう」
魔王が床に杖をつくと同時、暴風が吹き荒れた。
床の全てが凍り付く。
天には炎の塊が太陽のように輝き。
世界の全てを覆いつくすように、無数の大地の槍が地平を占めていた。
「我が四天の理、その脆弱なる身で乗り越えられるなら越えてみよ」
少女は、一度だけ息をついた。
この戦いが、本当に最後。
なら、自身の全てを賭ける必要がある。
少女の体はすでに雷と一体化することを許さないほど、崩壊しつつある。
目の前には厚い風の壁。
それを突破するためには、始まりの速度が必要だ。
「電磁回廊、起動」
紫電が円を描く。
幾重にも重なる円が少女の前に展開する。
「――――っ」
皮膚をめくり上げるような痛みが走る。
けれど、痛みは、すでに苦しみではなく戦いの前の儀式に過ぎない。
だから、この戦いの間だけは立ち止まらない。
紫電の砲台をわずかに上向きに構える。
見据えた先には魔王。
放つ弾丸は――。
「――飛べ!」
――少女自身。
瞬く紫電に後押しされて、ヒトガタのままに少女は飛んだ。
魔王は笑みを浮かべる。
目の前の少女は、文字通り捨て身での特攻だ。
全てをかけて、それでも勝利へと至ろうとする気概ゆえの選択だ。
――ならば、こちらも初手より全力を尽くすとしよう。
「大地の槍よ」
少女の前に、世界が脈動する音ともに土の槍が視界を支配する。
前方だけでなく、左右も、上方も、後方も、そのすべてが刃に覆われる。
剣で打ち払うなど不可能。避ける、などという逃亡を許しはしない。
世界の全てが、少女を殺す。
「雷よ」
ゆえに、抗うには生半可ではならない。
その手に宿すのは全身全霊。
前へ進む意思以外の全てを費やして、全身に紫電を宿す。
「破砕せよ」
「貫けぇ!」
串刺しにするべく大地から有り余るほど湧き上がる槍は、そのすべてを片端からほとばしる雷によって破壊される。
だが、それは所詮対処療法。
あふれ出す濁流を止める堰にすぎない。
次の瞬間には、崩壊しかねない均衡だ。
少女はこの均衡が保たれている間に、走り出す。
それをみて、魔王は天に手をかざす。
「よくしのぐものだ。だが、それで貴様はすべてを使いきった」
燃えるような熱波が、少女に襲い掛かる。
「――――な」
天にいたはずの太陽が、目に見えて大きくなっていた。
見るだけでも眼を焼き尽くす星なのに。
目前にあれば、触れるまでも無くその身を溶かすだろう。
「――炎天よ」
魔王の号令で、星は堕ちる。
少女はその星を、壊すすべを持たない。
雷の全ては大地の槍の封殺に。
そして、ほかの異なる魔術を持ち合わせていない。
少女は、その身一つで太陽を迎え撃たなくてはならない。
けれど。あの太陽を少女は知っている。
「――その炎」
「焦殺せよ」
身を焦がすような、その炎熱を少女は知っている。もとより、この体が利用していた炎なのだから。
「もらい受ける!」
太陽を、黒い剣が吸い込み、受け止める。
「――なに?」
魔王の困惑をよそに、剣は燃え上がり、炎を宿す。
「ぐ――――!」
だが、それは吸収ではなく強奪。ゆえに、炎は少女を主と認めず反発し、その体を焼き焦がそうとする。
「――無謀にもほどがある」
「ア、あ、ァ――!」
炎の剣はその持ち主である少女を拒絶する。
少女の体に炎の属性は残っていない。
ゆえに、少女の体が炎を許容することはない。炎は体を燃やし尽くし、その本分を果たそうとする。
「でも、このくらいじゃないと――」
戦えない。
少女の心は燃えている。
その一念のみで、少女は手のひらを焦がし、身を燃やしながら、炎の剣を再度振るう。
「そうか、無謀を通すか――」
魔王は感嘆すると同時に、最後の術式を編む。
内からは前に進むための電撃によって、外からは戦うための熱によって、その少女の体は焦げていく。
その進撃を阻むだけで、魔王の勝利は確定する。
「氷の盾よ――」
最後、踏み込む手前に少女を阻むべく氷山が立ちはだかる。
「――制限解除」
その壁を見て、少女は剣に宿る炎を柱のごとく増幅させる。
「破断せよ」
「炎天開放!」
限界を超えた炎熱と立ちはだかる氷山が衝突した。
炎は役目を終えたように消失。
氷山はその道半ばで溶け。
けれど黒く光る剣だけは残った。
少女の行く手を阻むものは消えた。
魔王のそばには、守りとなる物は何一つない。
「とどめだ――」
少女が最後に大きく振りかぶった黒い剣を見て。
「――最後の最後で、ツメが甘い」
魔王は不敵に笑っていた。
「ぐ、ぁ――」
対峙していた少女の腹に銀の大剣が突き立てられていた。
少女の目の前にはそんなものなかったのに、突如としてそれは現れた。
「風の刃が一矢報いたな」
男の背後から、さらに銀の武具の数々が現れる。その武具に、少女は見覚えがあった。
「そう、か。その、剣は」
「グァストと同じ、風に潜む剣である。それどころか、大地も、氷も、炎も、我が愛しき部下たちのものよ」
大地の槍の檻がある。
氷の弾丸の雨が見える。
そして、九枚の炎の花弁が輝いている。
「彼らの力を礎に、我が力をこの世界にも、あまねく世界の数々にも、喧伝しようではないか」
少女の腹から剣が引き抜かれる。
「――――」
立っている気力はない。
あふれ出る真紅を見ながら、膝をつく。
「だが。雷、などという元素は持ち合わせてはいなかった。どうだ、三鷹月光よ。貴様の魔力も、力も惜しい。我が力の礎となり、糧となり、世界の全てを収めてみる気はないか?」
もう、その名は違う、と否定する人間はいない。
すでに、その空間に少女はいない。
ここには、魔王を倒すに値する力を持つ人間はいない。
たった一人、命が終わりゆく少年は、その身が欠けている。
「――――」
それでも。
何もなくなっても。
従えぬ、と。
少年は首を振る。
その様子に、魔王は笑みを深める。
「その意思は、我が野望には不要なものだ。だが、その力は惜しい」
ゆっくりと、巨大な手が赤く染まった視界に広がっていく。
何も感じない。
光も、音も、熱も、臭いも。
欲も、渇きも、願いも。
何よりも、痛みを感じない。
あれだけの傷を負って痛くないわけは無い。
なら、死んだのだろう。
死後の世界は、黒だと思っていたけれど。
目の前の風景はずっと赤い。
明暗も、濃淡もないただの赤。
光を感じないはずなのに、赤い。
血の色だろうか。
それとも、地獄の色だろうか。
天国、ということもあるのかもしれない。
なんであれ。この風景を受け入れれば、終わりでいいのだろう。
ずっと痛かっただけの戦いも終わりでいい。
そっと、眼をつぶろうとしたとき。
赤に、小さな波しぶきが見えた。
『――――』
おとがきこえる。
『――――』
だれかのこえだろうか。
『――――』
何を言っているのかは分からない。
『――――』
でも、声が聞こえるなら、応えないと。
『――――!』
視界の赤が、光る。
痛みが戻る。
立ち上がることは適わない。
無様に、死ぬためだけに現世に戻ってきた。
『マスター』
でも、しっかりと声が聞こえる。
『あなたは、命を賭けると。確かにそう言いましたね』
赤い、赤い、赤い視界の中に、声が響く。
『ならば、その言葉通り、命を使いましょう』
この赤は、血ではない。
地獄でも、天国でもなく。
ただ、少なくとも燃えている。
『燃やしなさい』
なら、この赤はきっと。
『この命を、燃やしなさい』
希望へとつながる赤に違いない。
誓いの言葉をここに。
内に響くこの言葉に応えるだけで、願いは届く。
「――――変身!」
終わりの見えた少年の体は、最期に光に満ちていく。
「アルカンシエル、貴様――!」
魔王はその光から手を引こうとするが、もう遅い。
光の中からは、炎の剣を持つ少女が現れる。
「――――!」
言葉にならない叫びによって、その剣は振り下ろされた。




