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生ける屍



 薄く紅の差した満月がぷかりと浮かぶ。

 静謐な気配を纏った夜はどこまでも昏いまま天に留まっていた。


 ――その真下を俺たちはのたのたと歩んでいた。

 枯葉と木クズと苔の混じった泥を踏みしめ、額に浮いた汗を拭う。

 汗で濡れたシャツに冷えた風が吹き付けるものだから、寒くて仕方がない。

 苛立ちの中、鬱蒼とした木々の合間を縫うように辺りを見回した。


「おい、まだ着かねえのかよ。もう二時間近く歩いてんだぞ」

「待って……地図によると、すぐそこの筈」


 アクアマリオンが返答した。

 声の調子からして、彼女も相当うんざりしているようだ。

 俺は小さく舌打ちをする。


「すぐそこったって、お前なあ。それ何度目だと――ん?」


 ぽかりと口を開く。

 それからすぐさま俺たちは駆け出した。

 邪魔な枝や背の高い植物を手早く払う――やがて、開けた草原に出た。

 湿った空気がどんよりと乗っかっているせいで、何か陰鬱な感じがある。

 だが、それよりも――身体中に付いた葉やら小虫やらを除けながら、正面を見据える。


「ふう……やっとかよ。ここが例の“研究所”って訳か」

「ええ、恐らくは」


 短いアクアマリオンの肯定。

 ふむ。


 俺たちの目の前に立ち塞がっていたのは――いわゆる、廃洋館風の建物だった。

 ちょっとあまりにもあまりな例えかもしれないが、その、あれだ。

 前世の某サバイバルホラーゲームの舞台になりそうな風情のヤツだ。

 装飾の趣味のよさから鑑みるに、昔はきっと人で賑わっていたんだろうけど、今となっちゃただのお化け屋敷だな。


「こんなトコに“子供攫い”の連中が住んでるってのか。何だか惨めだな」

「だけど相手はプロの犯罪集団。油断は禁物……でもないか、あなたならば」

「おう、やっとお前も俺のことが分かってきたな」


 などと軽口を飛ばし合いながら――つい数日前の出来事に思いを巡らせる。


 心底ビビって半泣きになった校長。

 彼女が語った言葉は、俺の興味をそれなりに煽るものであった。


 何でも――かつてギルドの諸々で関わることとなった“子供攫い”。

 その一部が何やら怪しげな動きをしているらしいのだ。

 具体的には、詳細不明のエネルギー体――恐らくは、あの異形の赤子を作り出したロクでもない代物であろう――を一か所に集め出したり。

 攫った子供を集結させ始めたり。


 よく分からないが、とんでもないことをやらかそうとしているのは確かで。

 んで、その不穏な活動の中心となっているのが、あの洋館という訳だ。


 結局、依頼の中では完全に蹴りの付かなかった事件だし――

 俺自身、内心引っ掛かる部分はそれなりにあった。

 てな訳で校長のお願いを引き受けてやったのである。


 にしても、OKを出した時のヤツの顔は当分忘れられねえだろうな。

 惨めでみっともない、思い切り媚びた弱者の、無様な笑顔――



 ずきんっ。


 

 ……ああ、クソ。

 まただ。

 何なんだ、この胸の痛みは?

 畜生、不愉快だ、本当に不愉快だ。


「……どっちにしろ、とっとと片づけてえな。――今日は少し、気分が悪いし」

「え?」


 無意識のうちに言葉が零れる。

 ……しまった、余計なことを。

 訝しげな目をアクアマリオンが向けてきて――


「――おっ、来た来た。よーっす、シルファちゃん、こんばんにゃっ!」

「ん、スズネ。今日は――あ、ちょ、もうっ」


 丁度そこへ小柄な影が突っ込んできた。

 そのまま、勢いよくアクアマリオンに抱き着く。


 快活な声にぴょこんと飛び出た猫耳、特徴的な語尾。

 ……ええと、こいつは確か、スズネ=キャットウォークだっけか。

 アクアマリオンの薄い胸に顔を擦りつけながら、彼女は甘えるような声を出す。


「んにゃあ、相変わらずペッタンコだにゃあ、シルファちゃんのおっぱいは! 全く、つまんな――に゛ゃんっ!?」

「私の胸はあなたを楽しませるためにあるのではない。あと、今は任務中」

「にゃうー……つれない子だにゃあ。ていうか、最近何だか妙にあしらい方が上手くなったような……」


 真顔でスズネをしばくアクアマリオン。

 ほぼ毎日似たようなことやられてっからな、あの脳味噌の代わりにコーンフレークが詰まってる金髪のクソ女に。

 そりゃ慣れもするわ。

 

「あ、あとドラゴリュートくんもお久しぶりにゃ。元気してた?」

「お前のゴミみたいなキャラ作りを拝むことがなけりゃもっと元気一杯だったろうよ」

「……えーと、シルファちゃんからこないだ聴いたんだけど。君、ほんとに校長に会ったのかにゃ?」

「おう」

「そ、それでもなおそのテンション保てるんだにゃあ。……もしかして、力の差を見せつけられ過ぎて色々駄目になっちゃったのかにゃ?」


 スズネがふんわりと嘲笑を滲ませる。

 あん?

 こいつ、もしかして俺が校長に心へし折られたとでも思ってんのか?

 何やら勘違いを――


「……待たせたな。アクアマリオン、キャットウォーク」


 そこへ、聞き覚えのある深い声が届いた。

 どくんと心臓が跳ねる。


「あ、ガンドウ。調子はどう、にゃ……」


 スズネの声は急速に尻すぼみになっていった。

 無理もないだろう。


 ――久しぶりに見たガンドウの姿は、異様の一言であった。


 頬は痩せこけ、さながら幽霊のよう。

 身体もすっかり細くなり、エネルギーのみなぎっていた、かつての強靭な筋肉は見る影もない。

 声はまるでラジオのノイズみたいにガラガラであった。

 でも、本当に病人そのものの姿をしている癖に目だけは気味が悪いくらいにギラギラと輝いていて。


 生ける屍――

 そんな言葉が、ぽつりと脳裏に浮かんだ。


「ガン、ドウ? あなた、一体――」

「任務中だ。無駄口は慎め」


 掠れた、聞き取りづらい声で会話を拒むガンドウ。

 酷く頼りなげな足取りで、彼は独り、洋館へと歩いていった。


「ど、どうしちゃったんだにゃ、ガンドウ……もしかして、病気かなんかにゃ?」

「…………」


 戸惑うスズネ。

 押し黙るアクアマリオン。


 一度も俺の方を見ようとしなかったガンドウ。


 胸の奥がモヤモヤする。

 ズキズキ痛む。

 ……最悪の気分だよ、本当に。



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