心を折る
『――シズム。私はどうやら、君のことを勘違いしていたようだ』
「あん?」
硝子を貫いて、突き刺さる陽光――蒼、翠に揺れて粒子を放つプリズム。
吹き込む柔らかな風に、輝く栞がはためいた。
窓辺から覗く紺碧の空には雲一つ浮かんでいない。
気怠い午後――暇潰しがてら小説を読んでいると、突然ドラゴンの深い声が頭の中に響いた。
急に何だお前、今までずっと黙ってた癖に。
『いや何、大したことじゃない。……一つ、君に聴きたいことがあるのだが』
聞きたいこと?
俺は無駄にページ数だけ多いゴミを本棚へ戻し、椅子に腰掛け直す。
『気になっていたのだが――君はなぜあの時、生徒たちを助けたのだね?』
あの時……って、ああ、先週の合同演習のアレか。
結局何だったんだろうな、あの気色悪いイノシシ面のザコは。
派手に出てきた癖に一撃でやられてたし。
つーかあれ確か神獣だろ、今となっちゃ傍迷惑なモンスター扱いだけどさ。
あいつ作ったのってお前なんだっけ?
もうちょい強くしとけや、ぶっちゃけ期待外れだぞ。
『むう。一応、あの子には星を半壊させる程度の力を与えていたのだがな』
いや知らねえし。
今更そんなこと言われたってどうにもなんねえし。
どっちにしろザコはザコじゃん。
で、えーと何だっけ、どうして能無し共をわざわざ助けたのかって?
『そうだ。君は能無しのことなどゴミ同然に思っているのだろう? ならば、あのまま放っておけばより効率的にゴミ掃除ができたのではないか?』
あー違う違う。
お前全然俺のこと分かってないわ。
『ふむ――?』
それ以前にな、別に俺が何もしなくたってあいつらは死ななかったよ。
そもそも、あの事故自体茶番みたいなモンだしな。
『茶番、とは一体?』
いや、あの時は気が付かなかったんだけどさ。
冷静に考えると、どうして生徒が襲われてる真っ最中だってのに教師が一人も駆けつけなかったんだ?
あれだけ騒ぎになってたんだから、気付かないってのもありえないだろうし。
『それは……神獣に怖気づいたのではなかろうか』
あー、そういうのも確かにあったろうな。
実際教師連中の中にベヒーモスを倒せそうなのは一人もいなかったもん。
神獣が侵入してきたことに関しては本当にハプニングだったんだろう。
だけど、それが決定的な理由じゃない。
――演習中にモンスターが乱入してくるのって、多分毎年の恒例行事なんだよ。
昨日改めてグラウンドを見に行ったらさ、今回の事故で付いたものとは明らかに違う傷がぽつぽつあったんだ。
酸でグズグズに溶けた跡とか、内側から弾けたような後とか。
ベヒーモスの攻撃手段は打撃と炎がメインだから、そういう痕跡が残るのはまず考えられない。
となるとやっぱ、毎年違うモンスターが事故の体で放たれてるという結論に辿り付かざるを得ないんだよな。
んで、思ったんだ。
これが多分――真の選抜試験なんじゃないか、って。
『真の、選抜試験……』
まずクラス判定の前にやった入学試験がどう考えてもヌル過ぎるんだよ。
実技も筆記も、凡人ですら物心ついた頃から毎日寝ずに勉強し続けてりゃ合格の目がありそうなくらいに楽勝だし。
努力でどうにかなる程度の難度で世界最高峰とか、バカじゃねえのって話だ。
……ただ、あまりにも厳し過ぎると志望者が減ってしまうから、とりあえずあのクソ簡単な試験で人を釣る。
んで根っこの形状も考慮しつつ、合同演習と言う名の茶番で実力を測る、と。
『しかしだな。その真の合同演習とやらの結果が芳しくなかったとしても、表向きは事故に過ぎないのだろう? 内々で不合格扱いをされても、無理に退学させることはできんのではないか?』
いや、案外そうでもねえぞ。
実際あの演習で自分の能無しっぷりを自覚したり、もしくはトラウマになったりして自主退学するヤツが結構出てるみたいだしな。
在学生数の推移のデータから考えても間違いないだろう。
その辺りも狙ってんじゃねえの、多分。
『そんなことをしてよく潰れないな、この学院は……』
そこまでは知らねえ。
なんか校長が上手いこと立ちまわってるとかそんなんだろ、多分。
で、凡人共を救った理由だがな――これは至って単純だ。
俺はな、ここに魔法を学びに訳じゃねえ。
才能の欠片もない癖に無駄な可能性に縋って夢見てる産業廃棄物に現実を見せつけるために、わざわざこんなトコまで来たんだよ。
『では、君の目的は既にある程度達成されたのではないか? 演習での諸々で、相当な数の生徒が心折れて退学しただろう』
分かってねえな。
それじゃあ駄目だ――希望が残っちまうんだよ。
よく考えてみろよ。
人間は獣に足の速さで敵わないが、そこに敗北感を覚えるヤツが居ると思うか?
生まれつきの体力、筋力で劣っていたとして、心の底から絶望するようなのが居ると思うか?
確かにあの演習で心が折れたヤツは存在するだろう――だが、それは一時的な苦しみに過ぎない。
相手が悪過ぎた――幾ら何でも、自分のような若輩が神獣に敵う筈もない。
そうだ、諦めるにはまだ早い。
もっと時間を掛けて修練を重ねれば、いつか、きっと――
なーんて具合に、いつか元気を取り戻しちまうのさ。
いきなりブン殴られただけじゃ、そう大したトラウマにはならねえ。
頑張って頑張って頑張って死ぬほど苦労して力を付けて、自信と誇りを得て――
そこを砕かれて初めて、現実――身の程ってモンが分かるんだよ。
――よく覚えておけ、闇のドラゴン。
人間の心をへし折れるのは、同じ人間だけだ。
『……ふむ』
ああそうだ、丁度いいや。
前言っていただろ――じきに、ええと確か、一月後くらいに“面白いイベント”が始まるって。
そこでお手本を見せてやるよ。
――人の心を折るってのが、どういうことなのかをな。




