橘田柑子の場合(1)ー5
「男女に係わらず、中学時代のあだ名がリイベだったんだよ」
「へー、うらやま」
「じゃあ、リイベが来るから」
朝霧に対して苦手意識を抱いていた俺は、何とかリイベを口実に席を離れたかった。これ以上、彼女の話に付き合うと、色々と根掘り葉掘り聞かれそうで面倒くさいのだ。
「ああ、彼女ならしばらく戻んないよ」
「いや、流石に2分は経ってるから」
「・・・・。面倒くさいね、君。察せよ」
何なんだ、こいつは。そもそも俺は帰るつもりであるというのに、この女は無二の親友であるセリヌンティウスを勝手に人質にしながら、彼の「疑ってしまったから殴ってくれ」という言葉を大義名分に、腕に唸りをつけて殴ったメロスと同等ともいえる理不尽をしてみせてくれるじゃないか。
しかし、こんな正論を叩きつけたところで、彼女のような人間に理解を求めるというのはどだい無理な話だというのは分かっていたので、こちらも少し受動的な態度をとることにする。
「じゃあ、リイベが戻ってくるまでなら。お店は大丈夫か?」
「多分ね。注文ラッシュは去っていったようだし」
「そうか」
朝霧は木でできたカウンターのテーブルに肘を置き、両手をあごの下で握った形でキープする。
そのまま獲物を狙う雌豹のようにこちらの顔をじっと見つめ、離そうとはしない。
「ねえ、リイベは君のこと好きなの?」
「それは絶対に無い」
「絶対って。何で分かんの?」
「・・・・。奴にも色々と事情があるんだよ」
「事情、か」
彼女は捕らえて離そうとしなかった俺の顔から、急に目を逸らした。先ほどリイベと会話していた時に見せた《翳りを含んだ作り笑顔》といい、やはり彼女「にも」何か抱える事情があるのだろうか。
「橘田くん、リイベの連絡先教えてよ」
「それは彼女に聞いてからじゃないと」
「あー、そうだよね。じゃあとりあえず、橘田くんの教えといて」
「・・・・あー、そうなるのか」
「え、何?」
相変わらず朝霧に対して苦手意識があった俺は、彼女とのコミュニケーション手段をなるべく開設したくなかったのだ。本当は、彼女をリイベに直接聞くように仕向ければ済む話なのだが、この話の流れで拒否するのも、お互いに気持ちが悪いだろう。
いわんや彼女はクラスのギャルグループの筆頭なので、変に反抗して目をつけられるのも怖い。ここはイエスマンに徹するべきと判断した俺は、胸中では渋りながらスマホを手に取った。
「分かった。RINEのIDでいいか?」
「おけおけ。えーと・・・・」
俺は彼女にIDが書いてある画面を見せ、彼女に打ち込んでもらうまでスマホを持った手をキープする。彼女は、いわゆるフリック操作というものを駆使して、ぬるぬるとIDを打ち込んでいく。
「登録完了っと。送るね」
「おう」
その数秒後、俺のスマホが「ピンコーン」という黄色い声で、朝霧からのメッセージが届いたことを知らせてくれた。メッセージを開くと、そこには『やっほー』という気の抜ける言葉があった。
俺は届いたメッセージを利用して、彼女を友達として登録する。
「じゃあ、あとでリイベに聞いておくから」
「うん、よろしく」