Second Turn 呼び名
姉ちゃんと幼馴染の晴馬に連れられてやって来た、オタクの祭り。そこで出会ったコスプレ姿の、人間とは思えない綺麗な美少女に突然、普通かと訊ねられたオレ、橘慶太。あれやこれやといろんなことがあってやって来たのは、何と異世界。その上、美少女には仲間がいて、普通の人間を捜してたというそいつらの目的は世界崩壊だった。オレ、異世界で犯罪者をすっ飛ばしてテロリストデビューしたらしい。
「何か……凄いことになってる気がする……」
はあ……っと大きな溜め息が漏れた。そんなオレの気持ちなんて構わずに、他の四人は静かに食事中。
オレの右隣で紅茶を啜ってる、アルフ。アルフォンスだかアルフォンソだかって名前だったはず。苗字は……忘れた。
そんで逆隣りにいる、足を組んで背もたれに腕を乗っけて偉そうにしてる晴馬にそっくりの、クラウ……クローディ……クロード何ちゃらのクロウ。ホンット晴馬と瓜二つなんだよな。双子かってくらい。十何年も見続けてきたオレが間違えるったら相当なもんだろ。ドッペルゲンガー? みたいな。
アルフの隣に座ってる可愛い子が、ミーナローザ。ミーナ・ローザが名前だと思ってたから憶えてるけど、フルネームは長いんだよな。しかも、何かゴツくって可愛い見た目と全然違ってて、正直憶えられたとしても何となく憶えたくない。すごい人見知りなのか恥ずかしがり屋なのかほとんど喋んないし、大体はアルフの後ろに隠れてる。呼ぶんなら、ミィかなあ。子猫みたいだし。
で、真正面にいるのが、オレをこの世界に連れて来た張本人。えっと、名前が…………フィア、フィオ、フィオ……フィオで。髪も服も蒼いし、フィオの方が蒼っぽいからピッタリだろ。
こいつらがそのテロリスト集団ってわけ。いや、こっちの世界にテロリストがいるかなんて判んないけど。むしろあれだな。世界崩壊を目指すって言うと、悪の軍団ってとこかな。勇者や英雄と敵対するようなヤツ。普通、こういう時のオレの立場って勇者側じゃないの? 召喚されて悪の親玉倒しに行くぞって感じになるもんじゃない、普通。いや、勇者側だとしても倒しになんて行かないけどさ。こえーし。
何となくの説明にもなってない説明をされて、とりあえず腹ごしらえってことでこの店に入ったのはいいけど、どうにかして地球に帰んないと本気で犯罪者の仲間にされるんじゃないか? オレ。
「あ、そういえばさ、みんな能力持ってるって言ってたじゃん。アンタ達も持ってんの?」
ずっと話をせずに黙々と食事を摂っていた彼らに言葉を投げかけてみると、答えてくれたのはアルフォンソだけだった。他はちらっと慶太を見ただけで、すぐに視線を逸らしてしまう。
理由は、話す気がない、面倒くさい、恥ずかしいといったところだろう。
「この世界にいる人は絶対持ってるよ。ただ、一つとして同じ能力はないから、限定的なものが多くて、今すぐ見せられるというものではないんだよ」
「限定的?」
「そう。例えば、あの人」
そう言って示したのは、一人で食事をしている男性客。どこにでもいるサラリーマンを想像させるような風貌をしているその男は、注文した料理を今正に食べ終わったところだった。
それがどうしたのかと見ていれば、男が皿を凝視し始めたかと思うと、映像を高速で巻き戻ししたかのように料理が元の姿に戻っていった。
「あれは、《食べた物を一度だけ復元する》能力だよ」
「……は? それ、能力?」
「だから、限定的なの」
「限定すぎるだろ。それって同じ料理がってこと? 今、食べた物ってこと?」
「後者だよ。食費が浮いていいんじゃないかな」
「そういう問題?」
確かに、同じ値段で倍の量を食べられるから、食いしん坊や大食漢と呼ばれるような人達にとってはこの上なく魅力的なのかもしれない。その能力を持っている男も福与かな体系をしているので、彼にとっては素晴らしい能力だと思っておこう。
「能力にはクラスがあってね、あの人はクラスⅣ。自分にも他人にも影響を与えない能力」
確かに誰かに影響を与えているという事はないが、何だか大雑把なレベル設定だなと慶太は思った。
「Ⅳからってことは、最高はⅠ?」
「ううん。Ⅰの上には特Aがあるよ。けれどクラスの最高位は、クラウン」
「クラウンって……王冠、だよな。何か、クラスと違わない?」
率直な感想を述べれば、まあそうなんだけどねと苦笑するアルフォンソ。けれどそれ以上の事は何一つ話してはくれず、仕方がないのでこちらから話を切り出してみる。
「えっと、そのクラウンってやっぱ凄い能力なのか?」
王冠と名がつき、特Aよりも上という事はやはり勇者級の能力なのだろうか。晴馬から与えられた知識としては、王に仕える最強魔導士とか、神を倒す剣を使えるとか、世界を滅亡から救えるとか、そういうゲームの主人公が持っているような能力を想像してみる。
訊ねてみると、アルフォンソはニッコリと笑ってポンと優しく慶太の肩を叩いた。どうして肩を叩かれたのか、理解できずにキョロキョロと辺りを見回して助けを求めてみるが、他の者達は一切慶太の事を見ておらず、う~んと悩んで感じ取った事をとりあえず口にしてみた。
「……オレ?」
正解だと言うようにニコッと笑うアルフォンソに、疲れたように慶太は息をついた。能力だらけの世界でのトップ、クラウンがまさかの無能力というのだから驚きだろう。誰もが能力を持っている世界で、レアという意味では確かに希少価値はあるだろう。だが、ランクの最上位というのはどうにも納得できない。
無能力と言えば、ランクにすら入れないものではないだろうか。
だがそう考えると、普通の人間が必要とされる理由は判った。最高位の者がいれば、征服も崩壊もしやすいというものだ。
「ん? じゃあ何、オレ最強ってこと?」
「んなわけねえだろ」
声と同時に放たれた裏拳が顔面を直撃し、顔を抑えて椅子に座ったまま蹲る慶太。
「アホか、無能力なんだから最弱に決まってんだろ。クラスⅣ以下。調子乗ってんじゃねえよ」
「いったあ……ツッコミの強さじゃないよ、それ」
当たったのが額で良かったと、赤く腫れ上がっている額を摩りながら心の底から思う。あの威力で鼻に当たっていれば鼻血どころでは済まなかったかもしれない。
「でもさ、結局クラウンって何なわけ?」
肝心の、自分の事についてまだ何も教えてもらっていない慶太がそう問えば、アルフォンソとクラウディオは顔を見合わせていて、クラウディオが顎で何かを促すとアルフォンソが答えてくれた。
「この世界ではね、王になると一度だけ世界を思い通りに変えることができるんだ」
「それって世界を創りかえるってこと? え、それ、王様ってか神様じゃん。何、王族ってそんな偉いの?」
「この世界には王族なんていないよ。王になる条件は二つ。クラウンであること、もしくはクラウンと共にいる事」
「クラウンって、つまり……オレ?!」
この世界のどこかにある王座にクラウンである者がつくか、もしくは、クラウンと共にいる人間が王座につくことで王となる事ができ、王になった者は一度だけ世界を創り返る事が出来るのだと言う。
今現在、王になった者は四人いるらしい。つまり四回、世界が変わったという事だ。
話を聞いても、慶太にはその内容があまり理解できずにいる。世界を創り返る事など本当にあるのだろうか。こうして異世界へやって来た慶太には、何が起こったとしても不思議ではないのだが、それとはまた次元が違う。慶太が王座につくか、慶太と共に王座についた人間が次の王になる事ができて世界を思うままに創り返られるなど、正に神の所業ではないか。
その為に普通の人間である慶太を探していたという、自称テロリスト達について行くのが良い事だとは思えない。世界がどうなってしまうのか判ったものではないのだから。
そうして話していると、アルフォンソがカップを置き、ミーナローザがフォークを置き、四人が一斉に立ち上がった。
「え? え?」
どうしたのかと思ってキョロキョロと見回していると、クラウディオに首根っこを掴まれ無理やり引っ張られる。
「え、ちょ、何」
訳も判らず後ろ向きに引っ張られていれば、フィアレスティア達も後から歩いて来るのが見える。歩いて真っ直ぐ店を出た所で、はたっと気付く。
「あれ……お金、払ったっけ」
ピタリと止まる足。
掴まれていた首根っこを離されて自由になった慶太だったが、すぐさまフィアレスティアに手首をぎゅっと掴まれ、文句を言う暇もなく降ってきたクラウディオの言葉に目が点になってしまった。
「走れ!」
凄まじい力で引っ張られる手。
「って、食い逃げー!?」
猛スピードで街中を駆け抜けていく慶太の耳に、後方から、恐らく店主らしき男の声が届いていたが、腕を引かれている為に停まる事も、転ばないようにする為に振り返る事すらも出来なかった。
街外れの方まで来て漸く立ち止まってくれたものの、走った距離は相当あった。どうやら結構広い街だったらしい。全速力で走り続けた結果、帰宅部で体力のない慶太にはマラソンを全力で走らされたような疲労感でいっぱいで、ぜぇぜぇと呼吸音は聞き苦しいものだ。食べた直後の猛ダッシュで横っ腹はキリキリと痛む。マラソン大会でも、こんなに疲れる事はなかった。
「大丈夫?」
本通りから外れた道のど真ん中で大の字に寝転んでいる慶太に、苦笑しながら声をかけてくれたのはアルフォンソ。その後ろから、恥ずかしそうにしながらも心配そうな視線を向けてくれているミーナローザ。クラウディオはともかく、アルフォンソとミーナローザが一切息を切らしていない事が信じられない。フィアレスティアに至っては、とてつもなく涼しい顔。
不公平だと思わざるを得ない。それが世界の差でも、能力値の差だとしても。
どうやっても回復するには時間が足りない慶太が落ち着くまでの間に、慶太はアルフォンソによって道のど真ん中から端へと寄せられた。いくら脇道だと言っても、通行人はいるわけなのだから。
「ったく、めんどくせえことになってんな。こんな辺境の地にまでいやがるとは」
「こんなんじゃ、ゆっくり食事なんてできないね。みーんな地獄に堕ちればいいのに」
「同感だな」
何だか黒いものが二人から流れている気がして、走って火照った体が一気に冷えたように慶太は身震いをする。それからアルフォンソは微笑みながら、相変わらず背中に隠れるように張り付いているミーナローザを見下ろした。
「すぐ傍にもう一つ村があるんだ。ちょっと、様子を見てきてもらえるかな? ここで一夜明かすのは危険そう」
訊ねればコクコクと頷いてすぐに走って行くミーナローザを、手を振りながら見送っていると、漸く少し回復したらしい慶太が上半身を起こした。
「あれ、ミィどこ行ったんだ?」
ミィ?と聞き慣れないのか、首を傾げたアルフォンソだが、音の響きと言葉の意味でそれが何を指しているのかを知るとすぐに言葉を紡ぐ。
「ああ、彼女はちょっと偵察にね」
「偵察? 何で」
「う~ん……今日、この街に泊まれなくなっちゃったから、かな」
ニコッと笑って平然と言うアルフォンソだが、差し当たって思い当たる理由に眉を顰めざるを得ない。
つい今し方した事を忘れたのだろうか。そして、そんな爽やかに言えば許されるとでも思っているのだろうか。
「泊まれなくなった理由とか自分達のせいじゃん……食い逃げとか、こそ泥以下じゃん……食い逃げとか、どんだけ貧しいんだよ。心も財布も……はあ」
再び項垂れてしまう慶太に、アルフォンソもクラウディオもかける言葉がないといった様子でただ見下ろす事しかできていない。何だか暗くじめじめとした雰囲気を醸し出している慶太の傍にいる気にもなれないのだろうか、アルフォンソとクラウディオは顔を見合わせると、しょうがないというように息をついた。
「俺らも、ちょいと見回り行ってくるわ。お嬢、ここは頼んだ。てめえは大人しくしてろよ」
それだけ言い残すと二人とも通りへと消えて行ってしまい、後に残ったのは慶太とフィアレスティアのみだ。
こうして二人きりになるのは出逢った時以来かな……と隣のフィアレスティアを見上げて思い出す。しかし、それがほんの数時間前だという事に頬を掻いた。
この世界に来る前と先程、掴まれた手と腕に残ったひんやりとした感触。学校行事以外で異性と手を繋ぐのは初めてだ。
掴まれていた時の事を思い出したら、急激に恥ずかしさが込み上げてくる。顔が火照っているのは気温のせいではない筈だ。
膝を抱えて顔を埋める。耳まで真っ赤になっていて、涼しそうなフィアレスティアとは対照的で。彼女は何とも思っていない筈なのに、自分ばかり恥ずかしがっているのはどこか不公平な気がした。
出かけて行ったクラウディオ達を黙って待っている慶太だったが、五分、十分……と時間を重ねても聞こえてくるのは行き交う人々の声や風の音のみで、ちらっとフィアレスティアを見上げてみても、三十分前と全く同じ体制、同じ表情でそこに立っているだけだ。
気まずい。非常に気まずい。
女の子と二人きりになった時には何を話せばいいのだろうか。とりあえず、何か話題を振ってみる。話題は天気の話。これは世界共通だろう。
「あのさ……いい天気だな」
「そう」
沈黙が降りる。
そうって何だろうと首を捻る。そうねと言おうとしたのだろうか。肯定でも否定でもない答えにどう返せばいいのか判らない。特に興味もないというのが本当のところだと思われる。
他に何か話題を、と考えるが話題になるようなものが見当たらない。本当にこういう時に何を話せばいいのか全く判らず、浮かんでもこない。救いを求めようと辺りを見回しても、助け舟を出してくれそうなアルフォンソはここにはおらず、目に映るのは建物ばかり。
「フィオはさ、この街に住んでるわけじゃないのか?」
瞬間、ばっと振り向いたフィアレスティアの紅い目と、慶太の黒い目が合った。
どうしてこちらを向かれたのだろうと思い硬直してしまうものの、フィアレスティアの言葉を待っていた慶太だったが、幾ら待とうとも返ってくる様子がない。その間も、何故か視線を逸らせず、逸らすタイミングを完全に逃してしまった事で見つめ合ったままだ。
十分気まずかったのに、見つめ合った事で気まずさは増したように思う。どうにも居たたまれない。
「もしかしてオレ、まずいこと訊いた?」
人には聞かれたくない事や、触れられたくない事が少なからずある。もしそれを訊いたり触れたりしていたのだとしたら、完全に慶太に非がある事になるのだが――フィアレスティアはやはり口を開かない。
これは地雷を踏んでしまったと取るべきだろうか。苦笑いを浮かべ、覗き込むようにフィアレスティアを見る。
「あのさ、そうだったら謝るけど……」
「……もう一回」
「……え?」
呟きのように漏れた繊細な声に、瞬きをする。
「もう一回」
すると、聞こえていなかったと捉えたらしい彼女はもう一度呟き、けれども慶太は首を捻った。もう一回とは何に対してなのだろうか。「え?」と訊き返した事に対するものか。いや、と頭を振る。訊き返した単語をわざわざもう一度言ってもらおうとする者などいる筈がない。しかし、慶太の方を向いたという事は、質問が聞き取れなかったという事もなさそうだ。実際、もう一回と言ってきたのは時間が経った後だったのだから。
とするならば、何に対してなのかというのが更に判らなくなる。悶々としてきて頭を抱えるけれど、考えて結論が出ないのであれば率直に訊いてみればいい。元々、考え込むのはあまり得意ではない。テストの時だって、悩んだら後回しにして解ける問題だけを解き、時間が余って取り掛かりそれでも判らなければヤマ勘に頼るのだから。
しかし、今目の前に答えがあるというのならば訊かない手はない。だから今一度、フィアレスティアを見上げて目を合わせようとしたのだが、途端に恥ずかしくなって少し視線を外し、壁を見る。
「何が、もう一回なんだ?」
直球で訊ねる。回りくどい言い方は苦手だし、何より上手く変化球を投げられる自信がない。変化球が変化しすぎて直撃しても困るわけで、そうなれば直球しかないと投げかけてみたが、やはりそこにあるのは沈黙だけだ。
こうなってくると気まずさが一気に増して、どうにか言葉をかけないと、とあたふたとしてしまう。
「ごめん。オレ、クラスの女子とかとは普通に喋れるんだけど、こういう状況になったことないから何喋っていいか判んないし、頭良くないから、何が良いとかも判んなくて……」
頭の中が真っ白になって、完全にテンパっている状態。
一刻も早く、アルフォンソでもクラウディオでも、どちらでもいいから帰ってきてほしいと懇願しそうな勢いだ。
「……呼んで」
「……え……?」
風の音にかき消されてしまうんじゃないかというほど儚い声に、慶太は今一度、訊き返してしまった。今、彼女は何と言っただろう。それが何を指しているのか思い当たる事がない事もない。何故なら、自分が勝手に名づけて呼んでいるものだったから。それ以外に呼ぶという言葉に合う会話をしていた覚えもない。
「……フィオ?」
「そう」
再び視線がかち合った。目が合ってドキリとするのと同時に、ハッとする。
今の返事は、これで二回目だ。先程、天気の話をした時にも全く同じ言葉を返された。つまり彼女はその呼び名に興味がない、若しくは不快に感じている可能性があるかもしれない。
ニックネームを好む人もいれば、馴れ馴れしいと嫌悪する人だっている。フィアレスティアは後者だったのかもしれない。
「もしかして、嫌だった? いやでも、ちゃんとした名前で呼べって言われても全くもって自信ないからちょっと、いやかなり遠慮したいんだけど……」
「違う。いい」
「いいって……呼んでもってことか?」
「そう」
今までの流れを総括すると、呼んでもらいたかったという事だろうか。そんな呼んでもらいたいほど素晴らしい愛称を付けたつもりはこれっぽっちもないから、不思議で仕様がない。
それ以上に、天気の話を振って出身地を聞いて愛称を呼ぶという、たったそれだけの会話しかしていないというのに、やはり相当疲れている自分がいる。つい先程、全速力マラソンの疲労から回復したばかりだと言うのにまた新たな疲労を体に溜めて大丈夫なのだろうかと、少々心配になった。
こんなに運動をしたり心労が重なったりする事など、中学生で帰宅部の慶太には早々起こりえない事なのだから。
フィオという愛称のお陰で心なしか近づいたような気がして、この分だったら会話できるかもしれないと少しばかり期待した慶太だったが、そう上手くはいかなかった。何度話しかけても、返ってくる言葉は全て「そう」。何歳なのか、アルフ達とはどういう関係なのか、この街にはいつまでいるのか、能力は何なのか。
詮索されたくないという事か、それともただ単に慶太と話すのが嫌なのか。両方だとしたらどうしようもない。結局その後、彼女が他の言葉を口にする事はなかった。
静かだからか、心地よい陽気だからか。外で、しかも地べたに座っているというのにうつらうつらとしてくる。瞼が閉じては開き、閉じては開きを繰り返す。段々視界もぼやけていって、遂には完全に瞼が降りた。
「寝てんじゃねえよ、幼児か、お前は」
頭上から降ってきた不機嫌極まりない声に、途端にバチッと目を覚ます。
「ね、寝てないし」
「あっそ」
寝かかっていたものを起こされたからか、寝ていたのを目撃されたからか、むすっとしている慶太。今のタイミングは絶対に狙っていたに違いない。偶然であの絶妙さは生まれまい。
口を尖らせ不貞腐れながら見てくる慶太を、どうでもいいけどとあしらい、一緒に戻って来たらしいアルフォンソを見やる。
「どうにかなんねえのかね、あれ。どこもかしこもうぜえったらねえ」
「ホント。食べ物に群がる蝿みたいで、片っ端から潰したくなるね」
食い逃げをしたのだから自業自得じゃないかと思うけれども、眠たさと不機嫌さが相まって口にはしない。今こんな状態でクラウディオに突っかかろうものなら口喧嘩になりそうだから。お互い不機嫌な状態で言葉を交わせばそういう事態になる事など、数時間一緒にいただけだが目に見えている。そもそも、慶太が不機嫌でなくともクラウディオは喧嘩腰なのだから。
それか、若しくは先程のようにあしらわれて終わるか、だ。だったら波風立てない方がいい。眠たいし。
そこに、最初に出て行ったミーナローザが戻って来た。
「おかえり。どうだった?」
「あのね、小さな村だったの。特に変わったところもなくて、お泊りできるの」
「そっか、ありがとう」
そう言って頭を撫でてあげると、はにかんだように笑うミーナローザ。ボーっとする目で、あんな風に笑えるんだとミーナローザの初めての笑顔に少しばかりドキリとし、それから隣にいるフィアレスティアを改めて見る。そう言えば彼女の、真顔以外の表情も見ていないなと。彼女も笑ったら、ミーナローザみたいなのかなと、ちらと想像して頬が熱くなった。
眠たさで体がぽかぽかしているというのも多少なりともあるだろう。そして頭がはっきりしていないからそんな妄想のような事を考えるのだと、妄想を消し去るかのように頭を振った。
「そうとなりゃさっさと出るぞ。空気が最悪だ」
「そうだね。ケイ、歩ける?」
手を差し伸べながら訊ねてくるアルフォンソ。それは眠気に対するものなのか、体力的なものに対してなのか。ずっと、寝ぼけているかのようにボーっとしている慶太を見れば心配になるのも判るというもの。
平気だと言って、アルフォンソの手を借りて立ち上がった慶太は共に、隣の村に向かって歩き始めた。
しかし、移動中も寝ているのか起きているのか判らないような状態だった慶太は、その間にされていた会話の内容など全くもって頭に入ってなどいなかった。それどころか、自分が今歩いているという事すら判っていない。アルフォンソは苦笑しながら、クラウディオは呆れながら、ミーナローザは心配そうにオロオロしながら慶太の事を見ていて、唯一人、フィアレスティアだけは始終無関心で慶太を見る事すらしていなかった。
隣の村は、ミーナローザが言っていた通り本当に小さな村だった。民家、農家がぽつぽつとあり、商店とは思えないような小さな店と宿屋が一つずつあるだけ。村長がいて、村人がいて、たまに旅人が立ち寄るだけという名も知られていないような村。
こういう静かな場所は、今の彼らには好都合だった。太陽が照りつける中、まだまだ真っ昼間だというのにすでにダウンしそうな慶太を引き連れて宿屋へ入ると、二部屋借りた内の一つに慶太を放りこんだ。
他の者は隣にあるもう一室に入ると、各々で腰を降ろした。
「ったく。何なんだよ、あのガキ」
乱暴に引いた椅子にどかっと座るなりクラウディオの口から漏れたのは、溜め息と愚痴。
「今回はやけに不機嫌だね。何がそんなに気にくわないの。お馬鹿さんなところは僕も同意だけど」
隣の椅子を引っ張って座り、クラウディオの顔を覗き見る。
「何でよりによって男……」
「それはケイにはどうしようもないね」
頭を抱えて本気で落ち込むクラウディオに、眉根を下げて苦笑いを浮かべた。
「人違いの一件だって、本当に似てたんだから仕方ないと思うし」
「わーってるよ。けどそこじゃねえ。何かあいつ……ちげえんだよ。いるけど、いないっつーか……」
そこで言葉を区切ると、乱暴に頭を掻く。
「あー、くそっ」
「言いたいことは何となく判るよ。彼は、この世界の人とはどこか違うから」
それは異世界から来たというのとはまた違う違和感。それが普通という事なのか、それとも他に何かあるのか――。
話題の中心にいる慶太はと言うと、一人放っとかれた部屋で眠気と格闘していた。
何故こんなにも眠いのか、慶太自身も見当がつかない。確かに、今朝は早くに叩き起こされた。けれども休日にしては早いと言うだけで、普段学校に行く時間とほぼ同時刻だったのだから、起き慣れている時間ではある。それなのにもかかわらず、この眠気だ。
「何で、こんなに眠いんだよ……」
異常だとさえ思う。もうすぐ夕方になろうかという時間。昼寝をするような年齢ではなく、寝るには早すぎると言う時間でもない。何となくだが、寝てはいけないような気さえしてくる。クラウディオにガキだ何だと言われたのが癪に障ると言う事もあるのだが。
しかし、睡魔は容赦なく襲い掛かってきて、とうとう耐えられずベッドに倒れ込んだ。視界がぼやける。
途切れそうな意識の中で、慶太は店での話を思い出していた。
この世界は、生まれてくる全ての人に能力が与えられ、それは一人一人異なっている。そして無能力であるクラウンは、世界を創り返る事が出来る。クラウンは王冠の事だ。つまり、王冠を奪い合っているという事になる。それはまるでゲームのようだと慶太は思った。
何だか、誰かが作った設定の中にでもいるかのよう。
そんな事を思いながら、段々と頭もぼんやりしてくる。
(もう……ダメだ……)
瞼を閉じるとすぐに、慶太は深い眠りへと誘われていった。
室内には慶太の寝息だけが静かに聞こえているだけで、隣の部屋の音や声さえも響いてはこない。閑静な村で、外の音すら入ってこない。
その時、ガタンと窓が音を立てた。ゆっくりと外側に開いていくが、室内に吹き込む風はそよ風程度のもの。独りでに窓が開く筈もなく、外開きの窓が風で開く筈もない。すでに慶太の耳には何の音も届いてはおらず、窓が開いた事を慶太が知る由もなかった。
宿屋に来てから十数分。その間、クラウディオの愚痴が止まる事はなく、アルフォンソは相槌を打ちながらもフィアレスティアとミーナローザに支持を出し、慶太の様子を見て来てもらう事にした。彼女達まで愚痴に付き合わせる事はないから、と。
すぐに承諾してくれた彼女達は隣の部屋へと向かい、部屋の中が男二人だけになるとクラウディオは息をついた。
「ったく、あんなのを連れて歩くのかと思うと気が重い」
「早目に着ければいいけど、そうはさせてくれないだろうし……」
「そりゃそうだろ。クラウンなんざ、そうそう現れるもんじゃねえからな。バレなきゃいいだろと思ってても、そうもいかねえ」
クラウンともなればレア中のレア。誰もが求める人物。しかし、当の本人はこの世界における無能力の価値を未だ知らない。目的については何一つ伝えていないのだから。
無銭飲食をしてしまった店では、周りに大勢の人間がいた為に詳しい話を避けたという事もある。その理由すらも、当事者である慶太はまだ知らない。
その時、ガチャリと部屋のドアが開いた。どうやら様子見を終えて戻って来たらしいのだが、そこにいるのはフィアレスティアのみだった。
「あれ、一人?」
「そう」
「どうして?」
「いなかった」
目を細めるアルフォンソと、眉を顰めるクラウディオ。一言しか話さないフィアレスティアだが、付き合いの中で彼女が何を伝えたいのかという事は何となく理解してきている。
「……ケイが?」
「そう」
「じゃあ、嬢ちゃんは追ってったのか」
「そう」
フィアレスティアが、まるで何事もないかのように淡々と話すものだから状況を理解するのに時間を要したが、こうしては居られないとアルフォンソもクラウディオも慌てて立ち上がると隣の部屋へ急いだ。
「あのヤロー、逃げたとかありえねえだろ」
バンッと勢いよくドアを開け放てば中はもぬけの殻で、窓が大きく開け放たれているだけだった。
フィアレスティアやミーナローザがわざわざ窓を開けたとは考えにくい。だとするならば、彼女達が来た時にはすでに窓が開いていたという事だろう。
「これ、逃げたんじゃないよ。逃げたいんだったら、こっそりドアから出ればいいんだから。それに、あのケイの異常なまでの眠気……今考えればおかしいよ」
ただうとうととしただけであれば、歩いている最中にまで船を漕いだ状態になると事はないだろう。これが深夜か早朝ならば納得できたが、もうすぐ夕方になるとは言え、まだ昼の時間帯。つまり、何か原因がある筈だと、クラウディオは後方にいるフィアレスティアを振り返る。
「あいつと二人だった時、変わったことはなかったか」
訊ねられ、その時の事が頭に浮かぶ。
慶太と話をしていて、けれども続かなかった会話。沈黙していた時、慶太に近付く人物がいた。
道具屋はどこにあるのかと慶太に訊ねていた。しかし、この世界に来たばかりであり、初めて立ち寄った街だった為に知らないと慶太が素直に答えていたのを憶えている。
「話しかけられた」
「それだけか?」
「接触も」
つまり、触れられていた訳だ。その時に催眠効果のある術のようなものをかけられ、眠り込んで一人になるのを待っていたという事だろう。
気付かなかったとは言え、まんまと相手に乗せられてしまった事を知り、クラウディオはチッと悔しげに舌打ちをする。
「ったく、世話焼かせやがって」
「そう言わないで。ある程度の予測は出来てたでしょ」
再びイライラが募っていくクラウディオを宥めつつ、アルフォンソは窓から身を乗り出すように外を眺める。
目を眇め、じっと観察するように集中する。
「街とは逆の方に向かったみたい」
「時間がもったいねえ、行くぞ」
窓から飛び出してしまったクラウディオにやれやれと息を吐きつつ、きちんと窓を閉めるとアルフォンソはフィアレスティアと共にドアから外へと出ていった。
頭が重い。
体がだるい。
瞼も重い。
それでも目が覚めたのだから目を開けようと、一度ぎゅっと目を瞑ってから片方だけを開けてみる。木造のシンプルな部屋が目に入った。
(そっか……オレ、結局、寝ちゃったのか……)
またクラウディオにどやされるかと思うと気が重くなるが、二度寝をすればそれはそれで何を言われるか分かったものではない。そして、昼間から二度寝をする気にもなれない。
仕方がないからと体を起こそうとして、すぐにそれが叶わない事を知る。
(体が……動かない……?)
「目が覚めたか」
頭上から降ってくる声に、うつ伏せの状態で視線だけをベッド脇へずらせば誰かが座っているのが見えたが、顔を上げる事が出来ずにそれが誰なのかを確認する事は出来なかった。
判ったのは、それが男だという事。そして、クラウディオでもアルフォンソでもない別の誰かだという事だけだ。
何故、寝ていた自分の傍に知らない人間がいるのか見当もつかなかったが、自分が寝ていた部屋に入って来たという事はきっとクラウディオ達の知り合いなのだろう。
「アンタ、誰……」
寝起きだからだろうか、思ったよりも掠れた声が漏れた。
訊ねれば、ククッと喉の奥を鳴らすような笑い声が返ってきて、慶太は感じの悪い奴だと瞬間的に思った。初対面だというのに慶太に対して煩わしさを前面に押し出していたクラウディオには感じなかったというのに。
今、慶太がうつ伏せになって寝転がっているベッドに座っているこの男は、クラウディオのそれとは違う。もっと性質が悪いと言っていい。
クラウディオのは、自分よりも外見も精神も年齢が低い相手に対して「くだらない」と思うような感情だった。しかし、この男が慶太に向けているものは侮蔑。見下し、蔑み、嘲る。誰が感じても嫌悪の対象にしかならないような感情をむき出しにし、尚且つその感情を有りっ丈、慶太へ向けている。
今まで感じた事のないような感情を受け、慶太は体温が下がっていくような感覚を覚えた。
「俺が誰かって? そんなに興味があるなら当ててみな」
第一印象は嫌な奴。今思ったのは、何だこいつ。
勘違いも甚だしい。誰だか判らないから訊ねているのに当ててみろだの、単純に知らない事を訊ねただけなのに興味があるだの、思わず「アホか」と言いたくなる。
「じゃあ、いいや。興味ないし」
「おいおい、そりゃないんじゃねえの? これから一緒にやってくんだ。仲良くやろうぜ」
「……やっぱアイツらの仲間じゃん」
他にも仲間が居るのであれば先に言ってほしい。その仲間が、寝ている同性の頭に触れるような変態なら、心の準備が必要なのだから尚更だ。
しかし、溜め息混じりに漏れた慶太の言葉に、男は再びククッと笑う。慶太に嫌悪感を抱かせる要因の一つが、この笑い方だ。嘲笑しているようなその笑いにイライラする。
「何がおかしいんだよ」
「いや、何か勘違いしてると思ってな」
その言葉、そっくりそのまま返してやりたいと慶太は思った。
「お前さ、今の状況分かってる? 分かってないよな」
こういう言い回しも妙に癇に障る。そう思い、ムッと眉間に皺を寄せた時、ぐっと慶太の頭に触れている手に力が込められてベッドに頭を押し付けられた。
「いっ!」
「これから先は、俺と俺の仲間とお前の三人で旅をする事になる。お前はあいつらとはこの先二度と会えねえ。淋しいか」
この男の言っている言葉の意味が理解できない。分かったのは、アルフォンソ達の仲間ではないという事。だからと言って、何故この男と旅をしなければならないのだろうか。そもそも、旅をするという事がどういう事なのか、慶太は理解していない。旅などした事がなく、この先も生涯するつもりなどなかった。それは今とて変わっていない。
そして何より訂正したいのは、最後の言葉。他人が、見ただけで仲の善し悪しや人間関係を知る事は出来ないと重々承知している。それは当然の事だ。その為、勘違いをされても仕方がない事なのだが、それでも慶太は一言、言ってやりたくなった。出会って数時間しか経っていない間柄で、加えてまともに会話すらしていないような状態の今、突然の別れが訪れたとしても淋しいなどという感情を抱く事など微塵もないのだと。
ここまで会話をしてくれているアルフォンソはともかく、クラウディオとフィアレスティアとミーナローザに対して淋しいと思える要素があるのであれば、是非とも教えてもらいたいものだ。それ以前に、世界を壊そうとしているテロリスト集団にいいように使われる気はなく、このまま別れたとてどうと言う事もない。
「お別れの挨拶くらいしたかったってか?」
「誰もそんなこと言ってないじゃん。何でそう決めつけるわけ? 大体、アイツらとはそんな仲じゃないし」
早く家に帰れるのであれば、それが慶太にとっては一番で、とても喜ばしい事だ。その為ならば、一緒にいるのが誰だろうと関係ない。必要とされているのは慶太ではなく、普通の人間なのだから慶太が居なくなったところでフィアレスティア達は困らないだろう。また普通の人間を捜し当てればいいだけの事なのだ。そして一度地球に行けたのであれば、もう一度行く事も可能な筈だ。地球には普通の人間など、そこら中にゴロゴロいるのだから、もっと協力的な人間も見つかる事だろう。
その為、共にいるのがこの男だとしても慶太にとっては良かったのだ。本来ならば。
ダンッ――!
突如、壁の向こうから何かが打ち付けられたような音が響いたと思った次の瞬間、その衝撃で壊れたらしい入口のドアと共に人が吹き飛び、ベッドの横を通過すると奥の壁にドアごとぶつかったのが双眸にしっかりと映り込んだ。
「なっ……!」
突然の事に加え、中々お目にかかる事のない出来事だからなのか、男の口から驚愕とも困惑ともとれるような声が漏れた。目にかかれないどころか、人とドアが吹き飛んでいくという、とんでもない出来事を目の当たりにした慶太はただ目を見開いて口をぽかんと開けている事しか出来ない。声を出す事すら出来なかった。
何事かと思う余裕すらも慶太の頭にはなく、軽くパニック状態になった脳が落ち着きを見せたのは、声が聞こえてからだった。
「ケイ、大丈夫!?」
それは恐らく、数時間前まで一緒だったアルフォンソのもの。視線を、戸のなくなったドアへと向ければ、そこにはクラウディオとフィアレスティアの姿もある。
彼らの登場に驚いたのは、慶太だけではなかった。
「げ、何でここが判って……!」
「んなこたどうでもいいんだよ。そんなことより、そこのくそガキ! よりにもよってそんな野郎に捕まりやがって、アホか!」
「いや、それオレのせいじゃないって……えっ、知り合い? アンタ、さっき違うみたいなこと言ってたじゃん」
「それは、知り合いだが仲間じゃないと言う意味だ」
小馬鹿にしたように笑いながら「勘違いしている」と言ったその言葉から、それを悟れというのはいくら何でも無理がある。そう反論しようとして、けれども声を発したのは慶太ではなくクラウディオだった。
「は? 知り合いじゃねえよ」
「へ? でも今、知り合いみたいなこと言ったのクロウ……」
「何言ってるんだ! 知り合いだろう! 深い仲だろう!?」
「違えよ、気色悪ぃ。てめえなんかただのストーカーだろ」
いつまでも慶太の頭を触っているから変態だとずっと思っていたが、まさかストーカーだったとはドン引きである。慶太は、今も尚、頭に触れているこのストーカー男の手をどうにかしたい衝動にかられるが、身体はピクリとも動かない。
唯一動かせる目で助けを求めようとアルフォンソを見つめてみたけれど、ニコッと微笑まれただけだった。この状況で笑いかけられてもどう返していいか判らず、第一それが何を意味しているのかすら全くもって理解できない。何がしたいのか、どうしたら良いのか、せめて口パクでも伝えてもらいたいと心から思う。
その隣にいるクラウディオは、どこのヤクザだと思えるほど人相の悪い顔のまま言葉を続けた。
「てめえと同じ空気吸ってるだけで胸糞悪いんだよ。とっととそこの馬鹿、放しやがれ」
「はっ、素手でやろうっての? 怪我するぜ」
どうやらその一言が、丸腰のクラウディオの逆鱗に触れたらしい。ブチッと血管が切れるような音と共に額に青筋が浮かび上がる。
「んなわけ、あるか!」
一区切りしたところで拳に有りっ丈の力を込めて地面を強く蹴り、飛び出していたクラウディオ。続く言葉が聞こえた時には、男はすでに左頬にめり込むかというほどの強烈な一撃をもろに受けていて、そのまま木造の壁にぶつかりヒビを入れたかと思うと壁を突き破って外へと飛んでいった。漫画かアニメかと思うほど、それはもう綺麗に吹き飛んだ。
山小屋のような木造の小屋には、ドアだった所と、反対側の隅に巨大な穴がぽっかりと開いている。つい先程までと同じ場所だとは到底思えないような小屋は、正に一瞬にして崩壊したと表現するにふさわしい惨状だ。
木の破片がパラパラとクラウディオの拳から零れ落ち、拳を収めると壁の向こうの地面に倒れている男を見下ろした。
「てめえなんかに能力なんざ使うかよ。二度と顔見せんじゃねえ」
最早、聞こえている筈のない男に吐き捨てるとイライラの治まらない殺気だった目で、驚いたまま固まっている慶太を見てくる。しかし声をかける事はせずにクラウディオはドアがあった穴を潜って外に出て行き、入れ替わるようにアルフォンソが慶太へ近付くと、呆けている慶太の肩に触れた。
「ケイ、起きれる?」
「……ん? あ、平気」
腕に力を込めてみると簡単に上半身を起こす事が出来、そのままベッドから降りるとアルフォンソとフィアレスティアと共に小屋を後にした。
結局、フィアレスティアは小屋に来た時から一切言葉を発してはいない。心配するような素振りもなく、ただほんの少し慶太を見ただけだった。やはり興味を持たれていないのだろうか、けれどもこうして助けに来てくれたという事は少なからず心配してくれていたのだろうか、ただ単にクラウディオ達の後を追って来ただけなのだろうか。理由を知っているのはフィアレスティアのみだが、ストレートに訊ねる気には到底なれなかった。
外に出れば、未だ不機嫌全開のクラウディオが背伸びをしたミーナローザに宥められるように頭を撫でられていて、何だかシュールな画だと思った。どう見てもクラウディオの方が年上でしっかりしていそうなのに、と。
全員が外に出て来たのを確認するなりクラウディオはミーナローザから離れ、真っ直ぐ慶太へ近付いた。見下ろされ、何となく身構える慶太。振り上げられた拳に思わず目を瞑ったが、やってきたのはバシンという鈍く重い衝撃。
「いった!」
殴られたのではなく叩かれて痛む頭をさする。
「ったく、いきなり拉致られてんじゃねえよ、このドアホ」
「え、何、それオレのせいなわけ?」
「ったりめーだろうが。返り討ちにぐらいしろ」
「できないよ、普通」
一介の中学生に特殊な能力を持った人間と殴り合いの喧嘩をしろなどと、無謀もいいところだ。そもそも殴り合いの喧嘩だってした事はない。姉とは口喧嘩でさえする事はなく、慶太は殴り合いになるまでヒートアップする前に早々に折れてしまう。貫き通したい意見がなく、歳の離れた姉達に勝てるとも思っていない事が理由だった。
「しっかし、クロウかなり強かったな。あれがクロウの能力?」
「雑魚に使ってやる能力はねえ。っつか、変な名前で呼ぶんじゃねえ! そもそも名前で呼ぶな」
「何で?」
「一緒にいるだけで仲間でも何でもねえから」
「でも一緒にはいるわけだし、不便じゃん。アルフもそう思うしょ?」
一番同意してくれそうで、この中で言えば唯一慶太の味方になってくれそうなアルフォンソに振れば、彼は微笑みを浮かべたまま頷いた。
「そうだね。それに僕、ケイの呼び方好きだな。ね、クロウ」
ニッコリと屈託のない笑顔で微笑むアルフォンソに、クラウディオは盛大に溜め息をついた。この笑顔のアルフォンソには敵わないのか、将又、この笑顔のアルフォンソには何を言っても無駄なのか。
やってられないとクラウディオは顔を背ける。
「勝手にしろ」
素直にとはいかないが折れてくれた事に、慶太とアルフォンソはハイタッチをする。クラウディオに押し勝ったのが嬉しいのだろうか。元々、アルフォンソは名前で呼びたかったのかもしれない。
慶太は今一度、皆を見回した。
「アルフ、クロウ、ミィ、フィオ。この呼び方、決定な」
ニカッと爽やかに笑う慶太。
「でもいいの? 帰りたかったんじゃないの?」
呼び方を決めるなんて、一緒に行く気満々だねとアルフォンソに言われて、慶太は何となく頬をかいた。
「まあ、帰りたくないわけじゃないけど、姉ちゃん達は判ってくれてるし、別に帰る必要もないかなって……それにさ、アンタらが必要だって言うなら、一緒に行ってもいいかなって」
テロリストだと言っている割には明るくて、一緒に居ると何だか楽しくて、何だかホッとして、心地良いと思える空間が出来上がっている。
もし本当にこの世界を壊す事が彼らの目的だったとすれば、それはそれで問題なのだが、それでも慶太は彼らから離れようとは思わなかった。元々、ここは異世界であり慶太の住む地球とは全く別の世界だ。その世界がどうなろうと慶太の知った事ではない。
普通の人間には、世界をどうこうする事など出来やしないのだから。
例えその為の何かを持っていたとしても、慶太自身が何かをする気は毛頭なかった。




