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蝉神様

作者: 江藤ぴりか
掲載日:2026/08/12

 それは突然のことだった。

 毎年、朝の五時からクマゼミの大合唱で起こされる夏の朝。

 私は寝ぼけ眼で窓を開けた。


 シャン、シャンシャン。シャン、シャンシャン――。


 蝉の鳴き方が明らかに違っていた。

 変なリズムで、音を聴いていると不思議と寝汗が引いたのだ。


「クマゼミ? にしては変な……なんか新種の蝉なのかな」


 私は軽い羽織りをまとって、向かいの神社に向かった。


 シャン、シャンシャン。シャン、シャンシャン――。


 家の中で聞くより大きな声で鳴く蝉を見つけると、やはりクマゼミだ。黒く大きな体躯。腹を震わせ、懸命に鳴いている。隣のアブラゼミは可哀想なくらい縮こまって見えた。

 しまったな。スマホを家に忘れている。


 私は重い体を引きずり、家に戻る。

 道すがら私と同じように部屋着で外に出ていた人を見かけた。彼はスマホ片手に、棒立ちしていた。


 私も神社の中でスマホ片手に棒立ちする。

 SNSにあげたらバズっちゃうだろうな……。私の中のチヤホヤされたい病がムズムズして、口元が緩む。

 朝日と石の鳥居。右に動かし、桜の木にズームして、クマゼミを映す。いいぞ、鳴いている。

 そしてSNSに「変なクマゼミが鳴き出した」と投稿し、私は二度寝する。



 朝、起きた時にはもうクマゼミは鳴いていなかった。

 午前九時、気温は三十二度。

 朝からこんなに暑いんじゃ、蝉も閉口するのはわかる。私も夏休みの宿題をとっくに終わらせて、暇ではあるんだけど。暑さで外に出られない。

 スマホでも見るかと充電ケーブルから抜いて、画面をオンにする。


「――通知、多っ」


 上にスワイプすると、ずらっとSNSからの通知が並んでいた。

 慌ててSNSを開くと、通知欄がパンクしていた。

 どうしよう、と思いながら食卓に向かう。


「こんなに反応もらえるのは、はじめてかも」

「いい加減にパン食べな!」


 お母さんの声で慌てて席につき、トーストを口に放り込む。

 机の上で通知欄を確認していると、また怒られてしまった。


「ごちそーさまでした」

「食事の時はスマホさわるなって何度も――」

「ごめんって」


 お母さんをかわしながら、私は自分の部屋に戻った。返信を確認すると、マスコミや博物館の人、虫好きな人が反応してくれている。


「マスコミは無視するとして、博物館の人には返信しとこうかな?」


『市立博物館の風見かざみと申します。この投稿について詳しく聞きたいのでDM差し上げてもいいでしょうか』


 私は風見さんをフォローして、DM画面を開いた。


『はじめまして。変な蝉についての件ですよね。なんでも聞いてください』

『フォローとDM、ありがとうございます。あの蝉はクマゼミと見られますが、どこで発見されたのでしょうか』

『家の近くの神社です。宇城神宮うきじんぐうという神社で、大阪にあります』

『わかりました。丁寧な回答、ありがとうございます。全国的にも稀な例なので調査に向かいます』

『いえ、お役に立てるなら光栄です』


 私のフォロワーが一気に増えて、ベッドの上で小躍りした。




   ◆◆◆


 大阪の宇城神宮うきじんぐう。とあるSNSの投稿者から、場所を教えてもらった。

 俺は全身に汗を流しながら、ここに調査に向かった。


「……と言っても、夕方でも鳴かないよなあ」


 神社の公園のベンチでうなだれていると、あの投稿から特定した人たちがウロウロしている。


「やっぱ、鳴かないやん」

「AI生成なんかなあ」


 俺はあの動画が生成動画ではないとは言い切れないが、調査に行くよう命じられたら行かなければならない。館長の風見かざみさんも人使いが荒い。

 クマゼミは三十五度以上では鳴きが弱くなる。今の気温は三十四度。活動が弱っているのだろう。


 クマゼミを捕獲しようとする人を見ていたが、捕まえた瞬間はジジッと鳴き、ジーッジーッと激しく警戒音を鳴らしていた。


「ガセなんちゃうの?」

「せやろうなあ……」


 彼らは諦めて帰ってしまった。

 俺も動画に収めるまでは帰ってくるなと言われている。額から流れる汗が目に入り、染みる。明朝、改めてここに来よう。


 神社の近くのホテルに泊まり、俺は館長に報告した。


風見かざみ館長。夕方四時に行ったところ、鳴いていませんでした。明日の明朝にもう一度、調査に向かいます。鳥井とりい研究員』

『鳥井研究員。お疲れ様。明日の報告、期待している。風見』


「ホントは館長自ら行きたかったろうにな」


 ヘルニアが酷くなければ、本当に飛び出していただろう。

 俺は缶ビールとコンビニ弁当を食べて、アラームをセットするのだった。



 午前四時。アラームを止めてムクリと起き上がる。

 昨晩、充電しておいたカメラのテスト撮影をして、服に着替える。近くにホテルがあってよかった。すぐに神社に向かえる。


 夜明け前でも生ぬるい風が吹いて、頬を撫でる。

 腕時計を確認すると四時五十五分。日の出もまだで、蝉も鳴いてはいない。

 空がだんだん明るくなって、風が青々とした空気をつれてきた。

 すると、蝉も起き出したのか、聞いたことない節で鳴き出した。


 シャン、シャンシャン。シャン、シャンシャン――。


 やがて日が出てくると蝉は大合唱になっていく。俺はカメラを取り出し、動画を回す。館長は――起きているだろう。カメラを一旦ベンチに置いて、スマホを取り出した。


 三コール後、館長が電話に出る。


「おはようございます。……壮観でしょう?」

『おはよう。本当だったんだな』


 お互い無言になり、蝉時雨に聴き入る。


『……まるで、神楽鈴だ』

「俺もそう思います」


 これで十分、報告にはなっただろう。帰ってからは報告書にあげないとならないが。まずは風見かざみさんに聴かせたかった、それだけだ。




   ◆◆◆


 うちの神社に報道陣が押し寄せてきた。


「ああ、宮司さんですか? わたくし、TTVの五味ごみと申します。宇城神宮うきじんぐうのみで聞かれる通称『神楽蝉かぐらぜみ』の取材に来ました」


 最近、うちの神社で変な蝉がいるのだ。

 それはまるで神楽鈴のような鳴き方から『神楽蝉』と呼ばれるようになった。


「取材と言われましても……お構いできませんが」

「しばらく神社の近くで取材をしたいので、ご迷惑はかけません!」


 まあ、こちらとしては良い宣伝になればと承諾した。


「あと、当時の状況などを撮影させてもらえればと思いまして」


 よくあるやつか。わたしも有名になってしまうのかなとむずむずしていると、五味ごみと名乗った男が耳打ちする。


「神楽蝉をうまく利用すれば神社の宣伝にもなりますし、これを機にお守りなどを作ってみてはいかがですか」


 おお、いいことを教えてくれるじゃないか。神社はいつも経営難なのだ。客は五円だか十円だかでご利益をあやかろうとする奴らばかりだからな。

 ゆくゆくは暑気払いで一儲け、果ては地域の祭りにでもなれば……。蝉には色々悩ませているからな。


「蝉の形をしたお守りを五百ほど発注したいのですが。ええ、今後も毎年使うつもりです」


 業者への電話を切って、わたしはほくそ笑むのだった。



「こちらの宇城神宮うきじんぐうでは一週間前から不思議な蝉が鳴いているといいます」

「ええ、ただのよくいるクマゼミですね」

「博物館の館長も――」

「全国的にみても稀なケースです。追って調査をしますが、蝉の鳴き方が変わること自体は、それほど珍しいことではありません」

「TTVの独自の調査でわかったのは、朝の五時から神楽蝉が鳴き出し、それ以外の時間帯では鳴かないということです」



 テレビの取材から一日、地主の協力も得て、蝉をモチーフとしたお守りの作成を業者に依頼した。今なら神社に参拝する客も多くいるし、商売を始めるなら早い内がいいだろう。

 あとは、暑気払いと称してお盆期間に合わせて舞を披露する。巫女はダルそうに「ええー? やめといたほうがいいんじゃないっすかぁ」と言っていたが、知らん。

 何事も早いに越したことはない。これを機に大阪でも有名な神社にでもなれれば、経営も落ち着くだろう。



 急遽、行われたにも関わらず、大勢の参拝客に見守られて暑気払いは成功を収めた。ひとつ誤算だったのが、翌日から暑さが落ち着き、ご利益が結ばれたことだ。


「……もしかして、わたしにも超常的な力が目覚めて――」

「んなわけ無いでしょ。偶然っすよ、父上殿」


 巫女、もとい我が娘がせんべいを齧りながらツッコむ。……いつからそんなに父に手厳しくなってしまったんだ。


「中二病みたいなこと言ってないで、ふたりとも神楽蝉守りの作業に集中してくんない?」


 手厳しさは妻からの遺伝だな。昔はかわいらしかった妻も今ではこのとおり。

 現人神あらひとがみとか言われちゃったらどうしようなんて夢は、ふたりの女傑に釘を刺されてしまった。




   ◆◆◆


 あれから四年が経った。

 今年も神楽蝉かぐらぜみの季節がやってきたのだ。

 神楽蝉は毎年、同じ時期に鳴いた。いつしか宇城神宮うきじんぐうの夏の風物詩となり、神楽蝉守りを求めて、全国から人が訪れるようになった。


 地元もそのおかげで盛況しているのだが……。


「ははー! 神楽蝉様、蝉神様。今年は鳴いてはくれないのですか」


 シャンシャンシャンと鳴く普通のクマゼミに向かって、じいさんが拝んでいる。

 ここ、宇城神宮うきじんぐうではクマゼミが信仰の対象になってしまっていた。


「鳥井研究員、これは……」

「館長、俺にもわからないです」


 この神社はうちの博物館の研究対象でもあったが、こんなことははじめてだ。


「あの、館長さん。神楽蝉は見放されてしまったのでしょうか」

「宮司さん、こればかりは蝉の気分としか言えませんね」


 みるみる青ざめる宮司。


「お守りの在庫だってめちゃくちゃあるんですよ! どうしてくれるんですか!」

「そう言われましてもね……」


 僕に問い詰められても、どうしようもない。

 すると、他の研究員から電話がかかる。


「どうした?」

『館長! 田井速比売たいはやひめ神社で神楽蝉の報告が――』

「わかった、すぐに向かう」


 宮司に向き直り、他の神社での報告があったと言うと、彼は膝から崩れ落ちてしまった。


「……神罰、なのですかね」

「なんとも言えません」


 僕は館長として、神楽蝉の研究をするのみ。

 宇城神宮うきじんぐうの神楽蝉守りが、リュックで揺れている。


 鳥井研究員と共に僕は田井速比売たいはやひめ神社に急行するのだった。


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