第2話 石の雨
神社から、走った。走って走って、振り返らず家に着いた。
ハァハァ……。
家に帰ると、母親の秋穂が帰っていた。秋穂は会社で働いているが、いつも定時で帰ってくる。
「水筒だけ置いてどこいってたのよ」
「お母さん! 僕、へんなのに取り憑かれた!」
母親の影から《鬼の子》が出て来た。
「あ!」
「また訳わからないこと言って」
母親は天のリュックから弁当箱を出すと、キッチンで洗い始めた。
秋穂には《鬼の子》は見えていない。
『お前が受け入れてくれないと困るな』
《鬼の子》はそう言って髪をかき分けると、目玉を秋穂に向けた。
「痛い……」
秋穂は、頭を押さえ、キッチンから出て来て、食卓の椅子に座る。
「急に頭が……」
かなり痛そうにしている。顔色が悪くなった。
「ちょっと……やめて!」
天が叫ぶと、秋穂は顔を上げた。
「はぁ……。やっとおさまったわ。……天、なんか言ってた?」
天は、両手を強く握って堪えた。
「……なんでもないよ……」
『お前の部屋に行こうか。ゆっくり話そう』
二人は二階に上がっていった。
《鬼の子》は、天のベッドに座った。
天は机に向かう。
椅子の両脇の縁を両手でぎゅっと握った。
「どうやると封印が解けるの?」
天は俯きながら、聞いた。まだ、《鬼の子》を真っ直ぐ見つめることはできなかった。
『お前から《負のエネルギー》を吸って、満タンになったら封印が解けるようだ。封印されていた時に調べた』
《鬼の子》は、ベッドに横になり手を頭の下に組み、両足は膝を曲げて足をクロスさせている。
「負のエネルギー?」
『ああ、お前の嫌な感情だな。例えば、恐怖とか悲しみとかは青いエネルギー。怒りとかなら赤いエネルギー。絶望は黒かな。それぞれ味が違うんだ』
「味……」
『さっきの母親の頭痛の時もこっそりいただいた。おやつ程度だけど……』
「僕からしか吸い取れないの?」
『そうらしい』
(僕が嫌な思いしないと封印解けないのか……。きっつ……)
『あ!』
《鬼の子》は、急に上半身を起こす。
『お前の中学校行こうぜ』
「なんで? もう真っ暗だよ」
天は抵抗しようとした。
『封印解きたくないのか?』
「どうせ嫌な思いするんでしょ? 僕」
『朝倉七海ちゃんにイタズラしちゃおうかなあ?』
天は、顔が真っ青になる。その名前は、天が好きなクラスメートの女の子の名前だった。
「やめてくれ! ……絶対」
『なら、行こうか』
「……」
学校は薄暗かった。職員室と体育館と二階の端しか電気がついていなかった。
《鬼の子》がスタスタ歩いて行く。天は上靴に履き替えてから急いで後をついて行く。
廊下は真っ暗で、何も音がしない。
二階の理科準備室の明かりがついている。
近づくと何か微かに音が聞こえる。
ドアの前に来ると、《鬼の子》が目を出して音もなく鍵を解いた。
「勝手に入っちゃ……」
部屋に入った瞬間、天は息を呑んだ。
月明かりに照らされた理科準備室の床には、女子生徒の制服のリボンと、無理やり脱がされた上履きが転がっている。
その奥で、理科の先生・高橋和也が怯える女子生徒の肩を力ずくで押さえつけ、覆いかぶさっていた。
女子生徒は隣のクラスの《林愛羅》だった。
愛羅の瞳は虚空を見つめ、涙さえ枯れ果てた絶望の色に染まっている。手は弱々しく床に投げ出されている。
天は何が起こってるのか、わからなかった。
女の子が――?
天は声を出そうとしても、喉が張り付き音にならない。
「……っ! やめ……て先生」
高橋が天に気付き、体を起こして立ちあがろうとしたその瞬間、《鬼の子》が指で玉のようなものを弾いて先生に当たった。
すると、先生の足元から、鈍い音が鳴り、体が灰色の石に変わって行く。
だんだん石が這い上がるように、灰色が膝へ、腰へと広がっていく。
「な、なんだこ……!」
声は途中で途切れた。喉まで石に変わっていく。
天は目を逸らしたかったのに、逸らせなかった。
《鬼の子》がパチンと指を鳴らすと、先生だった石像は一瞬で崩れ落ち、粉々に砕けて、灰色の玉となって愛羅の顔、肩、体に降り注いだ。愛羅は腕で顔を防御している。
バババババ!
カンカンカン……。
床一面に先生の玉滴石が広がる。
カンカン。
床に跳ねた玉が天の靴に乗った。玉から湯気が出ている。玉の熱が靴に入ってきた。
なんとも嫌な匂いがした。肉が焦げたような匂いだ。
愛羅は、恐怖で固まっていた。
なんとか天は体を動かし、自分の体で愛羅を守ろうとして、ハッと気づくと、自分の上着を愛羅にかけてあげた。
愛羅は震える手で服を着た。
《鬼の子》は口を開けて、『シュー』と天の負のエネルギーを吸っている。
『まあまあ美味い……苦味が少し。後から甘みがくる』
満足そうに手の甲で口を拭いている。
天は服を着た愛羅を立ち上がるのを手伝い、一緒に校舎の昇降口を目指す。愛羅はまだ歩きづらそうにしていた。
《鬼の子》はキョロキョロあたりを見回している。
外に出ると、天は愛羅に優しく声をかけた。
「林……家まで送ろうか? 帰れる?」
愛羅は天に何か言いたげな表情をしたが、上着を天に返した。
「大丈夫」
そう言って、愛羅は走り去っていった。
疲れがどっと出てくる。帰りの足は重かった。
「高橋先生は……死んだの?」
隣を歩く《鬼の子》に聞いた。
『うん。まあ』
(先生……)
「何も殺さなくてもいいのに……。警察に通報すればじゃんか」
天は深いため息をついた。
『警察に通報したって捕まるもんか。愛羅が言わないから逃げるよ。またやる』
天は何も言えなくなった。
(僕、捕まっちゃうのかな……)
『防犯カメラは、あの先生が電源を落としてたみたいだから、あの子が言わない限り、捕まらないさ。もしそんなことになったら警察全員石に変える』
「ダメだよそんなこと……。僕が捕まると君には良くないの?」
『捕まったらエネルギー吸うネタがなくなるだろ』
「……」
「君って、事件のことわかったり、防犯カメラが動いてないとか、なんでもわかるの?」
『なんでもわかるよ。ふふっ』
そう言って《鬼の子》は含み笑いをした。
その言葉に天はもう逃げられないと改めて悟った。
◇
家に帰り、ご飯を食べた。正直食欲はなかった。その後お風呂に入った。頭を洗っていると、玉滴石になった先生の姿が脳裏に焼きついていて、色や音や匂いまで思い出す。気持ち悪くなって、吐いた。
その頃、《鬼の子》は天の部屋でテレビを見て笑っていた。
『こいつ面白え!』
天が部屋に戻ると、テレビを見ている《鬼の子》を見てふと思った。
「名前なんて言うの?」
『今は、ないよ』
「無いなら適当に……前髪が長いから……ナギって呼んどく」
『ナギか……いいな』
ナギは、気に入ったのか鼻歌を歌っている。
髪を乾かした天は寝られるかわからないが、横になることにした。
「僕はもう寝る……」
電気を消してベッドに横になった。
(もう僕、どうなってもいいや……。先生は死んでしまった……)
ナギはテレビをずっと見ている。
テレビの音と共にいつのまにか寝ていた。
朝起きたら、隣にナギが寝ていた――。




