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第24話 「帰還」

 通話ボタンを、押した。


 耳に、当てた。


 雪の音は、しない。


 静かな夜だった。


「……もしもし」


 僕の声が、震えた。


 返事は、すぐには、来なかった。


 電話の向こうで、誰かが、息を吸う音がした。


「……鈴木、ハルトくん、ですか」


 女の人の声だった。


 シルフィでは、なかった。


 大人の、落ち着いた、でも、どこか、張り詰めた声。


「……はい」


「夜分に、すみません」


 心臓が、嫌な打ち方を、した。


「私、白森シルフィの、後見人です」


 白森。


 シルフィの、苗字だった。


 隣で、玲奈が、息を呑むのが、分かった。


 僕は、スピーカーに、切り替えた。


「シルフィは、無事です。ただ……しばらく、こちらには、戻れません」


「……こちら、とは」


「あの子の、故郷です」


 故郷。


 その言葉の重さが、僕には、すぐには、分からなかった。


 でも、玲奈の顔が、こわばった。


 玲奈は、知っていたのかもしれない。


 シルフィの、本当の、生まれを。


「あの子は、エルフです」


 電話の向こうの声が、静かに、言った。


「人間の国で、暮らすために、力を、抑えて、いました。けれど、その抑えが、限界を、迎えた」


「……抑え」


「エルフは、故郷の森を、長く離れると、身体が、保たなくなる。あの子は、それを、誰にも、言わなかった」


 言わなかった。


 いつも通り。


 シルフィは、肝心なことを、言わない。


「だから、急に、帰った。誰にも、言わずに」


「……戻って、くるんですか」


「分かりません」


 後見人の声は、嘘を、つかなかった。


「森が、あの子を、手放すか。それは、森が、決めることです」


 通話は、それきり、切れた。


 雪が、また、降り始めた。


 二日目の雪だった。


 隣で、玲奈が、ぽつりと、言った。


「……知ってた。白森さんが、エルフなこと」


「……」


「でも、いつか帰るかもしれない、なんて。考えたく、なかった」


 雪が、玲奈の髪に、落ちて、溶けた。


「鈴木くん」


「……はい」


「私たち、待つしか、ないのかな」


 僕は、答えられなかった。


 森が手放すかどうかなんて、僕には、どうにも、できない。


 追いかける場所すら、分からない。


 既読のつかないメッセージだけが、画面に、積もっていた。


 雪と、同じくらい、静かに。


 ──それから、二週間が、過ぎた。


 シルフィの席は、空いたままだった。


 担任は、もう、出席を取るとき、名前を、呼ばなくなった。


 僕は、毎朝、空席を、見た。


 見るたびに、少しずつ、慣れていく自分が、嫌だった。


 玲奈とは、前より、よく話すようになった。


 シルフィの話は、しなかった。


 しないことが、二人の、約束みたいに、なっていた。


 その朝も、いつも通りだった。


 教室の、ドアを、開けた。


「おはよう、ハルト」


 心臓が、止まった。


 声の方を、見た。


 シルフィが、いた。


 自分の席に。


 いつも通りに。


 頬杖を、ついて。


 いつも通りの、退屈そうな顔で。


 窓の外を、見ていた。


「……シルフィ」


「ん?」


 シルフィは、首を、傾げた。


 何の、ことだ、という顔で。


「どうした。鳩が豆鉄砲、みたいな顔して」


「……お前」


「貴様、だろ。学校では」


 笑った。


 いつも通り、意地悪く、笑った。


 二週間前と、何も、変わっていなかった。


 帰った、はずだった。


 森が、手放すか、分からない、はずだった。


 なのに、シルフィは、そこに、いた。


 まるで、昨日も、一昨日も、ずっと、そこに、いたみたいに。


「シルフィ……」


「しつこいぞ。何度、名前を呼ぶ」


「……どうやって、帰ってきた」


「帰る?」


 シルフィの、まばたきが、一つ。


「どこから」


 その聞き返しが、あまりに、自然で。


 僕は、言葉を、失った。


 その日、玲奈も、教室で、シルフィを見て、固まった。


 でも、シルフィは、玲奈にも、いつも通り、接した。


「玲奈、おはよう」


「……おはよう、白森さん」


「なんだ、二人して。変な顔して」


 昼休み、シルフィは、いつも通り、僕より先に、自分の席で、昼食を食べていた。


 窓際の席で。


 いつもの、場所で。


 二週間の空白が、なかったみたいに。


 僕は、聞きたいことが、山ほど、あった。


 でも、聞けなかった。


 聞いたら、また、いなくなる気が、した。


 その夜。


 久しぶりに、シルフィに、既読がついた。


『おかえり』


 僕の、一言に。


 既読が、ついて。


 返信が、来た。


『ただいま』


 それだけだった。


 でも、それだけで、僕は、また、目が、熱くなった。


 ただ──。


 次の日の、朝。


 僕は、気づいてしまった。


 窓際の、シルフィの席。


 朝の光が、差し込む、その場所。


 シルフィの座る椅子の、足元に。


 影が、なかった。


 ほんの一瞬。


 目を、こすった。


 もう一度、見た。


 影は、あった。


 いつも通り、椅子の足元に、伸びていた。


 ……見間違い、だ。


 そう、思おうとした。


 思おうとして、もう一度、シルフィを、見た。


 シルフィは、窓の外を、見ていた。


 雪の、溶け残った、校庭を。


 その、横顔が。


 ほんの少しだけ。


 ここではない、どこかを、見ている目だった。


 二週間前と、同じ、目だった。

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