第26話 幻襲(後編)
ヒナタはまず、リーネに憑依した状態でスキル《霊装解析》を起動した。
その効果は、対象の装備やステータス構造を解析し、隠されたバフやデバフ、潜在的な弱点を暴き出すというものだ。
リーネの視界を借りて黒い球体を見据えると、ヒナタの目には一枚のステータス画面が浮かび上がった。
【黒い球体・ステータス画面】
――――――――――――――――――――
名前:――
種族:魔物
レベル:――
HP(体力):――
MP(精神力):――
STR(筋力):――
VIT(耐久力):――
INT(知性):――
WIS(判断力):――
CHA(魅力):――
COR(環境耐性):――
スキル:――
獲得可能スキル:――
――――――――――――――――――――
「……空白、だと?」
思わず漏れたヒナタの声に、すぐさまエイドが補足を入れてくる。
『ヒナタ様。現在ご覧になっている画面には、項目の構造こそ表示されておりますが、数値や具体情報は出力されません。
これは、スキル使用時に起こる制限であり、憑依対象者――つまり黒い球体に憑依しなければ表示させる事はできません』
「なるほど……でも、ならバフとか弱点くらいは見えてもいいはずだろ?」
数値が見えないのは仕方ない。だが、肝心の特性――バフや弱点すら視認できないのは、解析スキルとして機能していないのではないか。
そう思いながら、ヒナタがさらに問いを投げると、エイドの声音は変わらぬ冷静さで応じた。
『スキルの仕様上、視界に出力する情報には限界があります。
ですが、ヒナタ様――私の内部処理では、敵の状態は把握済みです』
「……見えてないだけ、ってことか?」
『はい。敵に発動中のバフ・デバフ効果は確認されません。そして、検出された唯一の“弱点”は――絆の力です』
「絆……?」
聞き返すヒナタの思考が、静かに止まる。
“絆”が、敵の弱点――それは一見抽象的で、しかしヒナタにとって決して他人事ではない言葉だった。
エイドの説明はさらに続く。
『なお、《霊装解析》はリーネ様の視界を通じた起動でしたが、解析結果の出力には私自身も介入しております。
これは、ヒナタ様・リーネ様・私――三者の精神リンクによって成立した複合解析でした』
まさか、エイドすらスキルの一端として機能していたとは。
そして――エイドが示した“打開策”は、さらに予想を超えていた。
『この敵には、物理的な攻撃も、通常の精神攻撃も効果がありません。
ゆえに……《絆ノ共鳴》を用いて、この場の全員と精神を繋げ、敵が仕掛けてくる精神干渉そのものを逆流させる必要があります』
「精神干渉を……押し返す、だって?」
突拍子もない策に思えたが、ヒナタの中に、ほんのわずかに光が差す。
「そんなこと、本当に可能なのか?」
『可能です。ただし、精神力の総量と結束が鍵となります。
こちらが押し負けた場合……精神の中枢を侵食され、全員が意識を失う可能性がございます』
つまり――失敗すれば、全滅だ。
その静かな宣告とともに、エイドは一枚のステータス説明画面をヒナタの前に浮かび上がらせた。
以前にも見た、あのスキルの詳細である。
⸻
《絆ノ共鳴》
・対象との絆を基点とし、離れていても意識を共有できる状態を構築します。
・呼びかけにより、一定距離内の対象を召喚/感覚共有が可能。
・発動には、対象との精神的な信頼と同意が必要です。
⸻
「よし――やるしかない! みんな、意識を俺に集中してくれ!」
ヒナタの声がリーネの口を通して発せられると、クロノたちは真剣な眼差しでその姿を見つめた。
だがその瞬間、ふと疑念が頭をよぎる。
「……ん? 待てよ。今の俺って、リーネに憑依してる状態だよな。これって、自分のスキル……使えるのか?」
そう。《絆ノ共鳴》はヒナタ固有のスキル。通常であれば、憑依中は宿主側のスキルしか発動できないのが基本だった。
その疑問に、エイドが即座に答える。
『ご心配には及びません。たしかに、通常の個人スキルは憑依中には発動できませんが――
《絆ノ共鳴》は特殊です。これは対象との“精神的リンク”を基盤としたスキルであり、リーネ様との深い精神融合により、むしろ今の状態こそが最適です』
「……つまり、使えるってことか?」
『はい。しかも、混合発動となる今なら、より広く、より強固に意識を繋ぐことが可能となります』
「……なんか難しい理屈はともかく――やれるなら問題ないな」
深く息を吸い、ヒナタはその名を呼ぶ。
「《絆ノ共鳴》!」
次の瞬間、空気が震えた。
まるで透明な水面に石を落としたように、意識の奥へ波紋が広がっていく――
思念と記憶、体温の記憶、鼓動のリズムが一つの環に収束していく。
(すごい……これが、みんなの気配……)
リーネの内なる声が、驚きと感動に満ちた響きで鳴った。
(なんだっち!? へ、変な感覚っち!)
(僕もこんなの初めてだけど……これ、いける気がする!)
(…………)
ガルドは、相変わらず無言だった。だがその無言の思念すら、今は確かに輪の中に感じ取れる。
静かで、揺るがず、だが優しく灯る存在。
意識が、ひとつになった。
それはヒナタが今まで感じたどんなスキル発動よりも、心強く、温かかった。
ヒナタは黒い球体に目線を向ける。
「さあ、掛かってこい」
その言葉を発するのと同時に、精神攻撃が開始された。
黒い球体から溢れ出す“声なき囁き”は、まるで大気そのものが歪むような感覚をもたらす。
だが、ヒナタの心は揺れなかった。
(……繋がってる)
意識が、確かに交差している。
自分ひとりで受け止めていた“侵食”が、今は等しく分散され、そして押し返す“意志”に変わっている。
(みんな……ありがとう)
精神の深奥で、クロノの猛々しい怒りが燃えているのを感じた。
(ヒナタをいじめるな……ヒナタは、僕らの仲間なんだ!)
キュルッチの陽気な想念が、ぐるぐると周囲を駆けまわっている。
(おらっち、よくわかんないけど、負けたくないっち!負ける気がしないっち!)
リーネの心は、温かく、そして凛としていた。
(あなたの心が、こんなにも優しいってこと……今、みんなに伝わってるよ)
ガルドからの言葉はない。
けれど、岩のようにどっしりとした“沈黙の意志”が、ヒナタの中心に支柱のように突き立っていた。
(……これが、絆の力……)
黒い球体が、わずかに脈動した。
精神攻撃の“圧”が増す。まるで、逆流する力を必死に押し戻そうとするように。
だが、もう遅い。
このスキルは、単なる共有ではない。
想念が混ざり合い、精神の“柱”を形作る。
一人では倒れそうな心が、五つの支えによって立ち上がるのだ。
「……今度は、こっちの番だ」
ヒナタがリーネの口を通して告げたその瞬間――
黒い球体の外周に、微細な“ひび”が走った。
まるで、“内側”から崩壊を始めたかのように。
精神干渉を主とする魔物が、逆に精神の結束によって破壊され始めたのだ。
『精神構造の破綻を確認。あと数十秒……その力を維持し続けてください』
エイドの声が冷静に響く。
「よし、もう少しだ!」
全員の心が、今、一つになっていた。
そして黒い球体は、静かに、だが確かに砕け散った。
ひびが走ったかと思うと、次の瞬間には無数の断片となって空中に舞い――やがて、音もなく砂浜へと消え落ちた。
残されたのは、波の音だけ。
潮騒が静かに寄せては返し、ようやく訪れた静寂が一行を包み込んだ。
ヒナタたちは、その場にゆっくりと腰を下ろした。
戦いが終わった。勝ったのだ。
リーネから憑依を解いたヒナタも、霊体のまま地面にごろんと転がる。
砂を抱くように大の字になった彼の姿に、リーネが息を切らしながらも苦笑を漏らす。
「……はぁ、はぁ……ヒナタ……また力抜いて、そのまま地中に落ちたりしないでね……」
冗談まじりの言葉だったが、その声にも疲労の色が滲んでいた。
精神的な戦いであったにも関わらず、皆の体はまるで全力疾走を終えた後のようにぐったりとしていた。
それだけ、意識と感情をぶつけ合う戦いは消耗が激しかったのだ。
「大丈夫。ちゃんと地上にとどまってるよ……」
ヒナタは幽霊の姿のまま、砂に頬を当てながらつぶやいた。
「……でも、まさかあんな魔物が出てくるとはな。海って、怖い場所なんだな……」
その声には、疲労と共に、少しの驚きと警戒が込められていた。
かくして、海辺での戦闘は幕を閉じた。
日はまだ高く、空は澄んでいたが、誰もが心身ともに限界を迎えていた。
この日は港町へ向かうのをやめ、砂浜近くで静かに体を休めることに決めた。
――場所は変わり、ひとつの静かな室内。
薄暗く、人工灯だけがぼんやりと天井を照らすその部屋には、たったひとりの人物がいた。
「まさか……ネフロトスが敗れるなんてね」
柔らかな声が空気を震わせる。
発したのは、精緻な顔立ちを持つ銀髪の女性――彼女の名は《ユン・ティアレル》。
精霊の血統を宿す者である。
どこか愉しげに、ユンは目を細めた。
「まあ、私は直接戦えないし……また次の“精霊”をつくるしかないわね」
その言葉に、応じるように――室内に不意に声が響いた。
「ねえユン、次はどんなのにするの?」
誰の声だろうか。
辺りを見回しても、そこにはユン以外の人影はない。
「ふふ……精神攻撃は通じないし、正面からぶつかっても勝ち目はない」
ユンはまるで独りごとのように言葉を紡ぐ。だがその口調は、明確に“誰か”へと向けられていた。
「となれば――そうね。瘴気を変質させて、毒のように染み込ませていくのはどうかしら。静かに、じわじわと……ね」
その提案に、複数の“声”がわっと反応した。
「キャー、こわーい!」
「やりすぎたら、また叱られちゃうかもよー?」
「でも、面白そ~!」
少女のような、老人のような、重ねられた何人もの声が、室内を反響する。
だが――目に映る限り、そこにいるのはユンひとり。
それでも、確かに“何か”がこの空間に集っていた。
ユンは口元に微笑を浮かべたまま、ふわりと指を上げた。
「いい子にしていてね。次は、ちょっと手の込んだ子を贈るから」
淡々としたその声に、不可視の“存在”たちが、再びざわりと笑いを漏らす。
次なる脅威は、まだ誰にも知られぬ場所で――
静かに、だが確実に、その輪郭を形作り始めていた。
一方その頃。海辺の一行は、ようやく落ち着きを取り戻し、円を描くように車座になっていた。
焚き火の代わりに、海からの微風が涼やかに吹き抜ける。波音が静かに寄せては返すなか、ヒナタは皆に向き直り、ふわりと浮かぶ幽体をぺこりと下げた。
「みんな、本当にお疲れ様。そして……ありがとう」
幽霊の身である彼が、戦いの後に礼を言うのはこれまでも度々あった。
だが、こうして“頭を下げる”という行動は、初めてだった。
その姿に、リーネが目を伏せる。
「でも……今回は、ヒナタのおかげで勝てたんだから」
そう言いたげに唇を噛むリーネ。
まるで、“頭を下げてほしくない”とでも言うように。
ヒナタは、静かに首を振った。
「いや……改めて痛感したんだ。この世界には、俺の想像を遥かに超える強敵が、まだまだ潜んでるって」
彼の脳裏には、以前対面した“魔王”――ファル・ネヴァロアの姿が浮かんでいた。
彼女の持つスキルは、桁違いだった。
「それに、いずれ出会うことになるであろう他の“血統スキル”持ち……。戦うことにはならないって信じてるけど、もしそうなったら、きっと……あの魔王以上に、厄介な相手もいるはずだ」
皆の視線が、自然とヒナタへと集まる。
彼らの中心にいて、なお戦うことができない存在。だが、彼こそが彼らを繋いでいる。
「だからこそ……これからもっと、みんなに経験値を分けようと思う」
その言葉に、キュルッチの触角がぴくりと動き、クロノが静かに頷いた。
ガルドの表情は読み取れなかったが、ほんの少し肩の動きが和らいだ気がした。
ヒナタは小さく息を吐き、意識を集中させる。
「エイド。ステータス画面を、開いて」
その声に応じて、空中に淡く光るウィンドウが展開される。
【ヒナタ・ステータス画面】
――――――――――――――――――――
名前:ヒナタ
種族:幽霊
レベル:385
HP(霊圧):105
MP(霊力):1,325
STR(霊的影響力):33
VIT(存在安定性):33
INT(知識・魔力制御):33
WIS(霊的直感):33
CHA(霊的親和):33
COR(瘴気適応力):33
EXP(経験値):5,814,172
スキル:異形の血統(Lv.3)/ステータス可視化(Lv.10)《エクスペリエンス・リンク/インサイト/エイド》/絆ノ共鳴(Lv.3)/双魂共鳴(Lv.3)
振分可能ポイント:0
獲得可能スキル:なし
――――――――――――――――――――
経験値が、驚くほど貯まっていた。
「エイド。今ある経験値って、みんなに割り振ったらどのくらいレベル上がる?」
ヒナタの問いに、エイドが即座に応じる。
『はい。現時点での割り振りプランを試算いたします』
淡い光と共に、簡潔な数値が画面に映し出される。
『まず、クロノ様とキュルッチ様は、それぞれ約100万の経験値でレベル1,000に到達可能です。
次にガルド様は約200万で同じくレベル1,000へ。
そして残りの280万をリーネ様に割り振ると、レベル500まで上昇いたします』
仲間たちの現在のレベルは、いずれも100。
そこから一気に桁違いの成長が可能だというのだ。
「レベル1,000って……何か特別な区切りだったりするのか? もしかして、上限とか?」
ヒナタの疑問に、エイドは落ち着いた声で答える。
『いいえ、レベルに上限は存在しません。ただし、1,000を超えますと、以後のレベルアップには飛躍的に多くの経験値が必要となります。成長効率の一段階目安とお考えください』
「なるほど……分かった。じゃあ、頼む」
ヒナタはエイドの提案通りに《経験値付与》を実行した。
するとレベル1,000へと達したクロノ、キュルッチ、そしてガルド。
それぞれの身体が、淡く発光し始める。
「なんだっち!? 体の中が、ぽかぽかするっち!」
キュルッチが羽をばたつかせながら騒ぐ。
レベルアップ後に身体を包んだ光。それが意味するのは一つ――進化。
そう確信したヒナタは胸を高鳴らせながら、三体の仲間たちをじっと見つめていた。
しかし――
光は静かに収まり、彼らに目立った変化は現れなかった。
「……あれ? なんか……僕の体、大きくなってない?」
クロノが首をかしげながら、自分の足元を見下ろす。
その言葉にヒナタも目を凝らすと、たしかに以前より一回り体格が増しているように感じた。
「ほんとだっち! おらっちのツノも、ちょっと大きくなってるっち!」
キュルッチも興奮した様子で自身の角を振り回してみせる。角の根元から先端まで、確かに一段と長く、太くなっていた。
無口なガルドはというと、黙ったままだったが――その巨体は、すでに目測では測りかねるほどだったため、成長の有無は判然としなかった。
そこへ、エイドがいつもの冷静な声で補足を加える。
『皆様の体格変化は、レベルアップに伴う能力値上昇によるものです。とくに、レベル1,000に到達した影響が顕著に現れていると推測されます』
三体は嬉しそうに身体を伸ばし、感触を確かめるように動いていた。
しかしその横で、ひとりだけ複雑な表情を浮かべていたのがリーネだった。
「……え、私もいずれ、こんなふうに大きくなっちゃうの……? うーん……私は999で止めておこうかな……」
渋い顔で呟くその言葉に、ヒナタは思わず笑みをこぼす。
強くなった仲間たち。頼れる存在が、また一歩前に進んでくれたこと。
――それが、何よりの安心だった。
こうして、一行は海辺の夕暮れを見届ける。
ふたつの太陽が水平線の彼方へと沈み、穏やかな夜が、彼らを包んでいった。
あまりステータス画面を多用したく無いので、あえてクロノ達のものを表示しておりません。
ですがもし、希望の声がございましたら別枠で表示させていただきます。




