第14話 遭逢
ザイルは、目の前に並んだ“お偉いさん”二人との会談に、ひどく緊張していた。
高級そうなソファに深く座らされ、手にはこれまた高級そうな紅茶のカップ。
けれど、口に運んでも紅茶の味はまるで感じられなかった。胸の奥のざわめきが、味覚すら奪っていた。
そんなザイルを横目に見ながら、グラーデンが穏やかに声をかける。
「ザイル君、そんなに緊張しなくていいよ。私たちは君の友達を捕まえようとしてるわけじゃない。ただ――我々人類の味方になってくれるなら、こんなにありがたいことはない。だから、頼む。一から、教えてほしいんだ」
その声は優しかったが、どこか責任の重さを滲ませていた。
傭兵ギルドマスターへの報告のときでさえ、ザイルは十分に緊張していた。
あのときはパーティメンバーが一緒にいてくれたから、どうにか話せた。
とはいえ、ギルドマスターに直接話すなど初めての経験で、言葉は何度も噛んでしまったのだ。
――自分は今、あのとき以上の“とんでもない場”にいる。
ザイルは無意識にカップを強く握り、小さく肩を震わせた。
目の前にいるのは、傭兵ギルドマスターのアレンと、商業ギルドマスターのグラーデン。
今、この部屋で――ギルドの頂点に立つ二人と、ザイルの三人だけで“お茶会”が開かれている。
ほんの少し前、アレンに「お茶でもどうかね」と気軽に誘われ、ついていっただけだった。
気づけば、ギルドマスターの執務室に案内され、上質なソファに座らされていたのだ。
本来であれば、今ごろは仲間たちとともに地上探索に出ている時間帯だった。
しかし、最近森で暴れ回る魔獣の群れのせいで、探索班は全隊員出動禁止となっていた。
――この足止めがなければ、きっと自分はここに座ってなどいなかったのに。
そんな悔しさが胸をかすめる。
アレンは、そんなザイルの様子に気づいたのか、柔らかい声を向けた。
「ザイル君、勘違いしないでくれ」
その声は、重みと優しさが混じり合っていた。
「ギルドの中には、お前の証言を信じていない者も確かにいる。だが、私たちはお前に疑いを向けるために、こうして話の場を設けたわけじゃない。……同じカルネアの仲間として、力を貸してほしいんだ」
その言葉を聞いたザイルは、少しだけ顔を赤く染めた。
――自分が無意識に防御の姿勢を取っていたことが、恥ずかしかったのかもしれない。
そして、静かに息を整えると、これまで何度も繰り返し語ってきた“あの出来事”を、今度はグラーデンに向けて、少しずつ言葉にし始めた。
話し終えると、グラーデンからいくつかの質問が飛んだ。
「その……ヒナタという者は、完全に記憶を失っていたのか?」
「……はい。本人は、そう言ってました」
ザイルが答えると、グラーデンは腕を組み、うーんと唸りながら思案に沈む。
――この国にも、転移してきた者は何人もいる。だが、“記憶を失った転移者”という話は、今まで一度も聞いたことがなかった。
グラーデンが口を開く。
その横顔には、どこか引っかかるものを抱えたような色が滲んでいた。
「……頭を打てば、記憶を失うことはあるだろう。だが――」
グラーデンは重く言葉を紡いだ。
「記憶を失った者が、果たして“魔物になる”ことを自ら望むだろうか。
さらに、地上探索を目的に動くなど……自分自身が困っているはずの人間が、他者のために、そんなふうに最初から動けるものなのか……」
その疑問は、アレンもグラーデンも、ずっと心に引っかかっていた。
ザイルも、改めて考える。
――ヒナタのあの行動。あの言葉。
第一層に閉じ込められた人たちのことを、妙に気にかけていた様子を、ふと思い出す。
「あいつ……この国の貧しい人たちのことも、助けたいって……そんなふうに話してました」
ザイルがぽつりと告げると、グラーデンは再び腕を組み、眉間に皺を寄せた。
アレンも黙して深い思索に沈む。
――ただのお人好しなのか。
――それとも、ただの“愚か者”なのか。
いずれにせよ。
記憶もなく、何も知らない状態の者が取るには、あまりに“自己犠牲”の色が濃い。
その不自然さに、ギルドマスターたちは小さく結論を出す。
「……おかしい奴だな」
アレンが、静かに呟いた。
グラーデンの質問は、さらに続いた。
「それと――そのヒナタという者だが。実体のない魔物と言っていたな。……透明になることもできるのか?」
その問いに、ザイルは少し考え込み、首を傾げる。
「……いえ、それは分かりません。ですが、あいつの体は真っ黒でした。
だから……月明かりだけの夜道では、見つけるのは難しいかもしれません」
グラーデンはふむ、と小さく唸る。
もし“透明”になれるのであれば――
既にこの国の中に、気づかれぬまま入り込んでいる可能性もある。
だが、ヒナタが地上を発ってからこの数日、ザイルへ一度も接触してきていないことを考えると……
少なくとも、完全な透明化能力は持っていないのではないか――そんな推測に落ち着いた。
そして、グラーデンは最後の質問を投げかけた。
「ザイル君、最後に一つ。……君の目から見て、その友達は――信用できる奴だったか?」
ザイルは両手をぎゅっと握りしめ、力強く答えた。
「……あいつは、ちょっと変わった奴でしたけど――信じられます!
短い時間しか一緒にいられなかったけど、悪いことをするような人には、どうしても見えませんでした!」
その言葉を聞いたグラーデンは、ゆっくりと表情をほころばせた。
「……うむ。いい答えだな」
穏やかな笑みを浮かべるグラーデン。
そのとき、室内の扉をノックする音が響いた。
「アレン様、少々お時間よろしいでしょうか」
声が扉越しに届く。
アレンは二人に目配せし、小さく頷くと、扉の向こうに声をかけた。
「ああ。入れ」
「失礼いたします」
扉を開けて現れたのは、傭兵ギルドの受付嬢だった。
彼女はグラーデンとザイルに軽く一礼し、それからアレンへと向き直ると、落ち着いた声で報告を始めた。
「先ほど、ユニオンの者から報告が入りました」
受付嬢は緊張を帯びた声で告げた。
「このカルネアの真上、地上にて――怪しげな人間の少女と、魔獣一体を捕獲したとのことです。
そして……その魔獣は、最近話題に上がっている“フェングレイ”だそうです!」
「「――なに!?」」
アレンとグラーデンの声が、驚きと警戒を含んで同時に響いた。
人間の確保。それだけでも重大な報せだ。
だが、魔獣を引き連れていたとなれば話は別だ。
転移者だとしてもここまで頻発はしないであろう。そして“ゴースト”――
その影に繋がる何かが、ここにあるのかもしれない。
二人の脳裏に、不穏な予感が走る。
「場所はどこだ! すぐに向かう!」
アレンが即座に問いただす。
「……ユニオン本部でございます!」
アレンは力強く頷き、グラーデンに目を配せると、迷わず立ち上がった。
その気迫に押されるように、ザイルも椅子から立ち上がり、声を上げた。
「あの! おれも――おれも連れていってください!」
目を真っ直ぐに見開き、必死に訴える。
アレンは、その瞳を一瞬見つめると、短く頷いた。
「……うむ」
こうして三人は、足早にユニオン本部へと向かっていった。
—————————————————————
ヒナタは、リーネに憑依したままの状態で、転移魔法陣の光の中へと飛び込んだ。
辿り着いた先は――カルネア王国内の、とある建物の一室だった。そこから部屋を出て廊下を進む。
憑依状態は、ヒナタのMPを持続的に消費する。
そのためヒナタは、常に自分のステータス画面を開き、残量を確認していた。
だが幸いなことに、レガルディアの街での探索中、リーネやクロノと共に集めた膨大な経験値によって何度もレベルアップを重ねたヒナタは、今や最大MPが大きく底上げされていた。
――これなら、数時間程度の憑依であれば問題ない。
それどころか、リーネの止まった心臓を動かし、血色を帯びた人間らしい肌を保つ“生者のような状態”を維持するにも、十分すぎる余力があった。
ところで――ここは一体、どこなのだろう。
身体の自由は奪われていない。
だが、今この状況で自由に口を開ける雰囲気ではなかった。
そんな中、大隊長と呼ばれていた男が、ある部屋の前でヒナタたちに声をかけてきた。
「……そなたたちを牢に入れるつもりはない。だが――その連れの魔獣についてだ。そちらは、近頃この地を騒がせている“フェングレイ”と見受けられる。
心苦しいが、フェングレイだけは別の場所で預からせてもらえないだろうか」
大隊長は、年齢は三十前後。
歴戦の傷を刻んだ面差しと、全身を覆うフルプレートアーマーが威厳を漂わせていた。
けれどその語り口は、驚くほど丁寧で柔らかかった。
――怪しまれて当然のはずだ。
ぼろぼろのワンピースを纏い、魔獣を連れて現れた者に対して。
それでもなお、この大隊長は礼儀を崩さず、敬意を忘れない。
その姿勢に、ヒナタはどこか好感を抱いた。
「クロノ、お前は……別の場所で待機しててもらえるか? 絶対に、人に迷惑をかけたり、襲いかかったりしちゃだめだぞ」
リーネ(ヒナタ)の言葉に、クロノは「ワンッ!」と短く吠え、きちんとその場に座り込んだ。
その様子を見た隊員たちは、またしても驚きの表情を見せた。
だがすぐに気を取り直し、フェングレイ――クロノの首輪につけられたリードを引き、別の場所へと誘導していった。
「……ありがとうございます。それでは、あなたはこちらのお部屋へどうぞ」
大隊長の声に促され、リーネ(ヒナタ)は扉の中へと案内される。
中は質素ながらも整った空間だった。
中央には大きな長方形のテーブルが据えられ、その両側に一人掛けの椅子が六脚ずつ、均等に並んでいる。
「そちらのお席にお掛けください」
大隊長に示された椅子へとリーネが腰を下ろす。
その動きを見届けてから、大隊長もゆっくりとテーブルの向かい側に腰を下ろした。
ヒナタは周囲をそっと見渡した。
大隊長の背後には、屈強な隊員たちが数人控えている。
部屋には窓がなく、出入口は先ほど通された扉ひとつきり。
その扉の脇にも、厳重に警戒するように隊員が立っていた。
(……尋問室、って感じだな)
ヒナタは無意識に脱出経路を探しかけて――すぐに諦めた。
もともと、地上で見つかった時点で“リーネを連れて逃げ切る”のは無理だと判断していた。
ならば、この状況で無理に動けば逆効果。
今はただ、言動に細心の注意を払って切り抜けるしかない。
大隊長が静かに口を開く。
「まず……そなたの名前を教えていただけますか」
――いきなり、迷う質問だった。
“ヒナタ”と名乗るべきか。
それとも“リーネ”と答えるべきか。
心の中で短く逡巡し、ヒナタは決断する。
――ここでは、“身体の持ち主”の名を答えた方がいい。
「……リーネ、といいます」
大隊長は軽く頷き、次の問いを重ねる。
「リーネさん。……そなたは、転移者なのですか?」
――また、迷う質問だ。
転移してきたのは自分だ。
だが、リーネ自身はこの世界の人間であり、転移者ではない。
(……憑依を解いて、“中身は人間です”って白状するか?
いや、それはさすがに混乱を招くだけだよな……)
ヒナタは一瞬だけ思考を巡らせ、静かに答えた。
「……いいえ。転移はしていません。
森を抜けた先の街から来ました」
自分ではなく、“リーネ自身”として答える道を選んだ。
嘘を積み重ねて、後で辻褄が合わなくなるのが怖かった。
……もっとも、“応えているのはヒナタ本人”なのだから、結局“嘘”には違いないのだが。
「……街、ですか? その街には、そなたのような人々が暮らしているのですか?」
大隊長の問いに、ヒナタは一呼吸置き、静かに答えた。
「いえ……私は、百年以上前に一度“人”として死にました。
その後、魔物として蘇ったんです。……でも、中身はずっと人間のままで。
それ以来、その街で、ひとりで暮らしていました」
――ここも、リーネ自身の“正直”を選んだ。
自分が魔物であることを明かしつつも、“中身は人間”だと伝えれば、討伐対象にはされないだろう。
――ヒナタなりの打算だった。
「……魔物、だと? そんなことが……」
周囲の隊員たちがざわめく。
それは恐れか、困惑か――あるいは、純粋な驚きか。
「……ゴホン」
大隊長の咳払い一つで、部屋は再び静けさを取り戻した。
「では、なぜ。
なぜ今になって、その街を出たのですか?」
問いかけに、ヒナタはほんの少しだけ、目を伏せた。
「……ある人が、私を連れ出してくれたんです。
それまで私は、家の外に出ることすら……叶わなかった」
新たな登場人物の話に、大隊長は「うーん」と小さく唸り、思案するような素振りを見せた。
しかし次の問いは、クロノについてだった。
「クロノ、と呼ばれた魔獣……あれは、そなたに懐いているのか?」
ヒナタは即座に答えた。
「はい。……彼は私の言うことは必ず聞きます。人に危害を加えることもありません」
これは心からの本音だった。
ヒナタとしても、リーネとしても、偽りではない。
その一点だけは――迷わず言える“真実”だった。
だが。続いて大隊長が語り始めた内容に、ヒナタは思わず耳を疑った。
――森で、フェングレイの群れが人々を襲い始めた。
――王国の生活基盤が、いままさに脅かされている、と。
(……フェングレイ……)
心臓がひどく強く脈打つ。
ヒナタには、すぐに思い当たるものがあった。
――あの時。
自分が経験値を分け与えた、あの獣たち。
自分を“主”と崇め、従うようになった、あの群れ。
……種族名こそ知らなかった。
だが、“フェングレイ”というのは、あのクロノの仲間たち――間違いなく、あの群れのことだ。
冷たい汗が、背筋を伝う。
(……俺のせい、なのか)
もしここで正直に「それは自分のせいです」と告げたなら――
クロノも、リーネも、間違いなく“消される”だろう。
自分ひとりなら逃げられる。
実体のない幽霊である自分なら、きっと逃げおおせる。
――でも。リーネ達を見捨てる事などできない。
だが、大隊長たちに嘘をつき通すことも……ヒナタにはできなかった。
彼らは自分たちの“生活”を守るために、必死なのだ。
その切実さを、ヒナタは痛いほど理解していた。
(……隠しちゃいけない。
たとえ、この場で討たれることになっても……俺は……正直に話すべきだ)
心の奥に、固い決意が芽生える。
もちろん、正直に話す以上――全力で謝ろう。
そして、せめてリーネとクロノの命だけは助けてほしいと、必死に頼もう。
どれだけ惨めでもいい。頭を下げ、土下座でもなんでもする。
――いや。
むしろ、いっそ今すぐ憑依を解いて、“ヒナタ”として姿を現し――
「リーネの中に潜んでいたこと」そのものも、正直に謝るべきかもしれない。
そんな覚悟が、ヒナタの中に静かに満ちていった。
――その瞬間だった。
ヒナタが憑依を解除しようと、意識を集中させた刹那。
「バンッ!」
鋭い音とともに、部屋の扉が乱暴に開かれた。
目を向けると、そこには――
壮年の男が二人。そして、その後ろに、見慣れた少年の姿があった。
驚きが声になりかける。
だが、口を開くことはできなかった。
ヒナタは、憑依を解除するのを忘れたまま――ただ、リーネの体を通して、その光景を見つめていた。
ザイルの瞳が、まっすぐこちらを捉える。
そして――わずかに目を見開いたあと、ふっと笑みをこぼす。
まるで――ヒナタだと気づいたかのように。
心から安堵したような、あたたかな笑顔だった。
【ヒナタ・ステータス画面】
――――――――――――――――――――
名前:ヒナタ
種族:幽霊
レベル:385
HP(霊圧):105
MP(霊力):1,325
STR(霊的影響力):33
VIT(存在安定性):33
INT(知識・魔力制御):33
WIS(霊的直感):33
CHA(霊的親和):33
COR(瘴気適応力):33
EXP(経験値):221,450
スキル:異形の血統(Lv.3)/ステータス可視化(Lv.10)《エクスペリエンス・リンク/インサイト/エイド》/絆ノ共鳴(Lv.3)/双魂共鳴(Lv.3)
振分可能ポイント:0
獲得可能スキル:なし
――――――――――――――――――――




