58.「遺言を、義兄の」
朝季の声が耳に届くと同時、洋は思わず目を開けてしまった。
銃声、眼前に迫る弾丸。
「……みさき」
声を漏らした時、洋の鼻に空気弾がぶつかった。
華やかなラベンダーの香り。
「……は、ははっ」
洋は椅子から転げ落ちていた。乾いた笑声を押し殺して顔を上げると、白い空気銃を掲げた朝季の冷たい目線があった。
その名の通り、空気弾が出る空気銃。
景子はそれを敵に薬種を吸わせるために使っていた、麻酔や睡眠薬の類の。朝季や景子と親しくしていた凪は当然そのことを知っていたし、弾丸の色でそれがどの性質を持つかも理解していた。
「死ぬ、かと思った。本当に」
「死んでもおかしくなかったんだよ」
朝季の後ろに立つ、凪が言った。
「殺されてもおかしくなかった。朝季がそれをしなかっただけで、本当ならお父さんはここで死んでたんだよ」
凪の言葉に洋は前髪をかきあげる。
その仕草に目を向けたまま、朝季が「ごめん」といった。
「ごめん、凪。死んでたじゃない、死んだんだ。戦場を支配する、洋さんって人を今、殺した。夕季はあなたを殺そうとしましたか?」
「しなかったな。彼は、私に手を出そうとしなかった」
「でしょうね。なぜだかわかりますか?」
「……なぜだ?」
「無駄だからです。あなたを殺したところで、問題はなにも解決しない」
「だから君も、私を殺さなかったと?」
「……一つ、お願いがあるんですが」
「なんだい?」
「夕季の、最期の言葉を教えてください」
はっと顔を上げる洋と、朝季の目線がぶっかった。
「最期の、言葉?」
「俺は知らないから。俺が聞いたのは、『体調悪いのか? 早めに寝る?』って心配する夕季の声で、頭を撫でてくれようとしたのに、子どもじゃないからやめろって……逃げるように部屋に篭って、だから俺はなにも、サヨナラの言葉一つでさえもらってなくて。夕季は俺の全てだったから、家族も優しさも強さも全部、夕季がくれたから。最期まで全部知りたい。だから教えてください。夕季は最後、どんな言葉を残して人生を終えましたか?」
力が抜けたように腕を下ろす朝季。
洋は前髪に置いた手を強くにぎった。服は酷く乱れていたが、そんなことを気にする余地はなかった。
「怖いものだな、死は。思わず、妻の名前を呟いてしまったよ……彼も私と同じで、家族の名前を呟いていた」
「家族、ですか……」
洋の言葉を聞き、朝季が項垂れる。本当の、義を付けなくてもいい本物の家族だろう。俺じゃない、夕季の本当の家族……と。
わかっていたのに、当たり前なのに、悔しくて、朝季は唇を噛んだ。
「朝季、と。義弟の名前を呟いた。それが彼の最期の言葉だ」
「…………え?」
朝季が顔を上げると、洋と目線がぶつかった。
涙が溢れる洋の瞳と、酷く動揺する朝季のそれが、互いに見つめあう。
「君の名前を呼んでいたよ……彼は確かに、『朝季』と言っていた」
「……そう、ですか」
顔を伏せ泣き崩れる洋。
朝季はガクンと、その場に膝をついた。
「嘘だろ、最期の言葉が俺の名前って……だって夕季には本物の家族も、本当の弟だって……あれ?」
ポタッとなにかが床に溢れた。それを指でなぞり、手のひらを見つめる朝季。ボタボタと大量の水がこぼれ落ち、朝季の手を濡らした。
必死に拭うがキリがなく、涙が溢れては落ちた。
「夕季……ゆうき、ゆうき……っ、うぅ」
今度は声が泣き出した。
もうダメだ、仕方ないと、身体全体で悲鳴をあげて泣いた。
「大丈夫だよ、朝季」
泣きじゃくる朝季の背中をそっと、凪が撫でる。
ゆっくりと下から上に、下から上に、朝季の悲鳴を押し出す。
「この街で、夕季さんの家族は朝季だったんだよ。唯一の家族で、弟で。朝季は本当に、大切にされて育ったんだね」
「うん……うん」
身体を預けて泣く朝季の背中にそっと、凪は手を回す。
朝季の背中越しには、両手で顔を押さえて泣く父の姿があった。背後からは背広の男の鼻をすするような音。
かつての偉人は、人間兵器を作った最初の学者は弱者である女性に力を、と開発に取り組んだらしい。
だけど今、この部屋で泣いていないのは凪だけだった。
大丈夫だよ、女性は強い。だから今度は『弱そうな人』じゃなくて『弱ってる人』を助ける、そんな力をください。
誰に訴えたかはわからないが、心の中で凪はそう呟いた。
「朝季にね、伝えなきゃいけない言葉があるの」
きゅっと背中を抱えると、朝季が顔を上げた。
目があって、互いに見つめあった。
まるであの日の、歩道橋の上のように。
「伝言をね、託されたの」
彼の義兄が、唯一の家族だった人が残した言葉を。
大切な存在だと思う、
守りたいと、そう願った彼に今、伝える。
「あのね、朝季––––」




