35.「凪に、出会えてよかった」
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どちらからともなく並んで歩き、奥の部屋に入ると以前と変わらないテーブルとソファが四脚あった。
凪と三次が東京に来た日、出迎えた朝季。その時と同じ部屋、同じインテリア。
朝季が窓際に座ると、凪はその向かい側に腰を下ろした。
「返事、遅くなってごめん……久しぶり」
凪の言葉に、朝季は首を傾げる。
「あぁ、さっきの……いや、別に……うん、久しぶり」
「助けてくれたお礼もまだ、言ってなくて……朝季が内域軍の人を倒してくれたおかげで、私も助かったって聞いた」
「あぁ……うん」
「みんな全然敵わなくて、朝季がいなかったらやばかったって言ってて……人が、たくさん、死んだって……三次くんもね、その中の一人なの」
「……うん」
「びっくりした、人って簡単にいなくなるんだね。私、なにしてるんだろうって思った。傍観者をやめたいからここに来たのになにも知ろうとしなくて、口を閉ざして……楽しいとまで、思ってしまった」
「……そういう街だから、ここは。そう思えないやつは、正義感の強いまともな人間は、この街では生きていけない」
俯いたまま、朝季は組んだ掌を強く握った。
目を閉じてゆっくりと言葉を続ける。
「傍観者は凪だけじゃない。むしろ俺のほうが、目の前で何人も死んでるのに自分は大丈夫だからって……傍観者を続けてきた」
「……朝季が?」
「俺、凪に出会えてよかった」
自分の言葉に、朝季は目を見開いた。
なに言ってるんだ、こんな時に……そうは思うが、言葉が止まらない。
声が、喉をついて勝手に出てきた。
「最近よく、夕季と過ごした日のこと思い出してて……今の俺はもう目を閉じて、見ないふりして。耳を塞いで聞こえないふりして、声を殺して喋ることを、誰かの死に対して泣くことを、やめてたから」
やめろ、なに言ってるんだ。そう思うのに、言葉が勝手に溢れてきて。
血の味がする唇を軽く舐めて、朝季は息を飲み込んだ。
『泣いてもいいよ』
以前、凪に言われたこと。
それを今、彼女の目の前で……思い出してもいいか。
少しだけ、泣いてもいいかな?
そう思って気を緩めた途端、朝季の目に涙が溜まった。
「びっくりしたって気持ち、俺もわかるよ。夕季が死んだ時、そうだったから……目が覚めるといなくなってて、みんなが騒いで景子は全部知ってて……世界は俺の知らないところで、俺がいくら傍観者決め込んでも、考えるのをやめてもちゃんと回ってたみたいで……」
「泣いてもいいんだよ、朝季」
握った拳に、凪の掌が重なっていた。
顔を上げた朝季の瞳に、凪の姿が映る。
「大丈夫だよ、私がここにいるから泣いてもいい……もう我慢しないで、泣いていいんだよ」
滲む朝季の視界。
その瞳からポタッと、一滴の涙が溢れ落ちた。
「大切な人はもう誰も、死んで欲しくない……見殺しにしたくない」
ポタポタと、朝季の目から涙が落ちる。
凪の指が朝季の指に絡み、互いの体温が感じられた。凪と繋いでいるのと反対の手で、朝季は目元を押さえる。
「夕季が死んだ時に、もう嫌だって思った。だけどこの街では、誰かを救うことなんて出来ないから……それなら感情を捨てようって。人を好きになる気持ちをやめよう、人間として生きるのをやめようって、そう思って来たのに……」
どうして今になって、死んで欲しくないなどの感情を思い出したのだろうと、朝季は声に出さず心の中で続けた。
考えることをやめたら、傍観者のままでいられたのならとても、楽しく生きれたのに。
「凪、俺……どうしたらいいかな?」
俯くと涙が零れ落ちて、指の隙間からポタポタと滴った。
久しぶりだった、人前で涙を流すなんて。思い返せば、誰かの前で大泣きしたのは一度きり。
家族が、義兄が生きていた頃、飼っていた猫が突然姿を消して、それが死を意味すると理解した日。
夕季の前で顔を伏せながら、蹲って泣き崩れた。
それが最初で最後だったのに。
「朝季はね、すごい人なんだよ」
朝季の最後の記憶を塗り替えた、凪が顔を覗き込みながら語りかける。
「東京に来てからね、朝季がどれだけ頭いいかわかったし、みんなに慕われてて、すごい人だってわかった」
「いや、俺は……」
「誰かとすれ違うたびに声かけられてて、みんな朝季のこと大好きで、いろんや場所でたくさんの人からありがとうの言葉をもらって、三次くんも朝季には敵わないって言ってて。みんなの憧れで、すごくかっこいいんだよ、朝季は」
「そんなことない。俺は誰のことも助けない、守ろうとしないから。今日だって……」
言い淀んで下を向く朝季を、凪が覗き込んだ。目をそらそうとした朝季だが、凪が微笑んだのでそれは叶わなかった。
見つめあったあと、絡む指に力が入る。
「朝季はね、大事にされて……お兄さんに、守られて育ってきたんでしょ?」
「……わからない。夕季は俺に、なにも残してくれなかったから」
「そうかな? たくさんもらってると思うよ。優しさとか強さとか、今の朝季は全部、お兄さんが作ってくれたんじゃないかな?」
「似てるって、よく言われる。夕季を知ってる人から、昔の夕季にそっくりだって……でも俺は、夕季になにも出来なくて」
「そんなことない、返せてるよ。お兄さんにもらった大切を、この街で暮らす人に、優しくして頼られて相談に乗ってあげて、違う人にだけど、朝季はちゃんと返せてる。だからね、えっと……朝季は自分を信じたらいいよ?」
「自分を信じる?」
「朝季が自分で考えて選んだ道なら、どんな結末になってもそれは間違いじゃないと思う。だって朝季はこの街で、誰よりも優しく賢くて有能な人間兵器だから。悩んで考えて決めればいいと思う。だって考えることをやめたらもう、それは人間じゃない……朝季は人間でしょ? だからちゃんと考えて」
田舎で出会った日、朝季が凪に伝えた言葉。
それをそのまま凪から返されて、朝季はふっと小さく笑みを浮かべた。
「それ、俺が言った言葉だよな? 南に移籍する前、北基地の廊下で」
「良い言葉だと思ったので、参考にさせてもらいました」
「参考どころか、丸々パクってる……ふっ、くくっ」
失笑を堪えた朝季が、顔をあげる。
涙は消えていた、互いの目を見つめ合う。
「凪に、出会えてよかった」
朝季の言葉に、凪が頷く。
しかし返事をする間も無く、朝季が言葉を続けた。
「景子がさ、俺のところに来たんだ」
「景子ちゃん?」
「ネームプレート拾ってくれって、伝言頼まれたけどやっぱり自分で言わせるから。後で聞いてやって」
「うん……うん?」
意味がよくわからないが頷く凪を見て、朝季は笑った。
僅かに視線を上げ、凪の胸元にあるネームプレートを見つめた。
「凪、俺の命も、一緒に預かっておいてくれないか?」
朝季は自身の首からネックレスを一つ外して凪に差し出す。
凪がそれを受け取ると、ネームプレートには[YUUKI.S]と刻まれていた。
「これって……」
「白河夕季。俺の義兄、夕季の形見だ。田舎にいた時の白河は夕季の本名からもらったんだ。俺、苗字がないから」
「苗字がない?」
「俺さ、夕季に出会う前、十歳までの記憶がないんだ。最初の記憶は戦場の民家で、闇が抜けたと思った目の前に夕季がいて……家族も名前も年齢も、なにも覚えてなくてなにもなかったから。朝季って名前も家族も、全ては夕季がくれた……今ではもう、プレート一枚しか残ってないけど」
無理に笑おうとする朝季の顔が寂しそうで、凪は握りしめたプレートを首から下げた。
三枚になった銀のネックレス、白河夕季のものが増えたことで、少しだけ重みが増した。
「私も、朝季に会えてよかった」
凪の言葉に、朝季が微笑む。
「頑張ろうって思えたの、頑張って強くなりたいって」
「凪は強いよ、充分頑張ってる」
「ううん、全然、私は朝季に敵わない。だけど頑張るから。朝季の背中を追い続けて、いつか同じ戦場に立つことが出来たら、今度は私が、朝季を守る」
「うん……」
「ありがとう、朝季」
「ありがとう、凪」
交わした言葉はシンプルで、だけどそれだけで十分で。重なる掌、指先から熱が伝わった。
涙はもう止まっていた。




