33.「雨が上がった日」
*
雨が止まない。
あの日からずっと。
「食欲は?」
ノックもなしに部屋に入ったたすくが尋ねると、ベッドに座っていた凪は首を横に振った。
「さっき冬那が来て、今回のこと説明された。聞くか?」
凪が小さく頷く。
「南を襲った黒兵二人……いや、二体って言ってたな。あいつらは内域軍が開発してた人造人間兵器らしい。死んだ細胞を使って人造人間を作り、無制限の人間兵器を作り出す実験をしてたって」
「無制限……適正制限のない、無限にどの性質の武器も作り出せる最強の人間兵器。それを作り出そうとしてた、人工的に」
「貴重だからな、無制限は。失敗作を廃棄場に輸送中、二体が脱走して南に侵入したって」
「……失敗作」
「失敗でも無制限だからな、武器の種類半端ねーし動きは速いし、俺や他のやつらじゃ敵わなかった……朝季に礼言っとけよ」
同じタイミングで目を伏せる二人だが、思い浮かべる景色は違う。
たすくが回想したのは、早朝「様子がおかしい」と騒ぎ出した宿舎の兵士たち。ふと異変を感じて空に飛んだたすくの足元に湧き上がる爆炎。瞬く間に焼けくずれ落ちる勘の悪い白兵たち。目を凝らすと遠くのビルに黒服を着た内域軍の兵が見えた。
目の色が全て黒の男が二人。
一人の姿が消えると同時、空撃のようにたすくの周りの兵達の身体が瞬時に弾けた。
横目でそれを認めたたすくはすぐに踵を翻した。
凪が考えたのは、三次の肩越しに見た黒兵の顔、崩れゆく建物の音。気を失って、目を覚ました時の絶望感、冷たくなって動かない三次の綺麗な顔。
凪の瞳に溢れた涙が、頬を伝ってシーツを濡らした。
涙の止め方がわからず泣き続ける凪を見て、たすくがぽつりと呟く。
「お前、すげー泣くんだな」
「え? あ、ごめ」
「んな泣いてるとこ、初めて見た」
「だって……あ、ちが……今までは実感なかったっていうか、後方待機で重症の人もいなくて、死……だ人、目の前で見たことなくて」
「それが普通だ……普通と思ってた。そっか、泣けばいいんだったな、こういう時は。目の前で仲間の身体がぶっ切れても、爆風で弾け飛んでも、それを横目に自分が死なない手段を考えてる。戦闘終わったら遺体漁ってプレート片手に基地に戻って飯食って寝て……朝起きたら、そいつらもういないのに。泣けばよかったんだな、忘れてた」
たすくは両手で瞼を押さえ、大きく息を吐いた。
片手で頭を押さえるようにして、扉から背を離す。
「行くか、三次のとこ」
無言で頷いた凪が、たすくの後を追って部屋を出る。
案内された部屋に入ると、仰向けに寝ている三次がいた。額に触れようとして途中で手を止め、ベッドに腰掛けた。
コンクリートがむき出しの天井、無機質な壁、冷たくて寒い場所。
「傘ね、ちょっと待ってもらっていいかな?」
返事はなかった、沈黙の時間。
「作り方がわからないの。能力使わずに自分の手で一から作りたいから。傘は武器じゃないもんね、だから、生成はしない」
布団からはみ出ている三次の右手の指にそっと、凪が指を絡ませる。
「寒いね、三次くん……東京の冬は、寒くて手が冷えるね」
いつの間にか涙が溢れていた。三次の顔を汚しちゃいけないと拭うけど、キリがなかった。
しとしと、しとしと、雨が続く。
「三次くんとはいつもこうだよね。無言ばかりで……その沈黙の時間が心地よくて、私は本当に、救われてた」
ぎゅっと握りしめた指を離し、凪は立ち上がる。
「ありがとう、三次くん」
背中越しに告げた言葉が彼に届いたかわからなくて。
頭が痛くて熱くて、ちゃんと届いたかわからないから、同じ言葉を三回繰り返した。
ありがとう、と。
そしてサヨナラを一回言った。
*
部屋を出ると、出口からすぐの廊下にたすくがいた。
たすくは凪の胸元を見つめ、首を傾げる。
「お前、それ」
たすくの視線の先、凪の胸元で光る銀色のネームプレート。二枚重なった銀の板、[NAGI.S]と[MITSUGI.U]
「肩身として二つ持ってる人もいるって、前に誰かが言ってた気がして。朝季も二つ持ってるから、もしかしたら二つ目のネームプレートには、個人情報入ってないのかなと思って」
「……死んだやつの情報は消されるらしいから。たぶん、それもただの飾り物になる」
「うん、じゃあ問題ないね……問題ない」
少し俯いて歩く凪の背中が小さくて、たすくはチラッと凪の胸元を見つめた。
二枚重なったネームプレート、大切だった人がこの街で生きていたという証。
「その話、俺がしたからな」
「……え?」
「肩身として二つ持ってるやつもいるって話、俺がしたから。お前が東京来た次の日くらいに」
「……え、あれ? そうだっけ? 違うくない? たすく君だっけ?」
「お前マジで、変なところで頭悪いよな。頭いいけど……だからそれ、ちゃんと引き継げよ」
「うん」
「ちゃんと引き継いで頭すげー使って強くなって、生き残れ」
「……うん」
目を閉じて一呼吸した凪は、たすくの後を追って一歩踏み出した。
東京に来た日から十センチ近く伸びた、長い髪がふわりと揺れた。
雨が上がったのは、涙が出なくなったのはその数時間後だった。
もう、泣かないよな?
そう言われている気がした。
『凪の生きる未来が、幸せなものでありますように』と。




