133 冬空の下で集う
「この臭いは慣れんなぁ。魚が生で泳いでるんだろう? 」
「まぁ、確かに生魚が泳いでますね」
バル殿の愚痴に吹き出してしまう。初めての海の感想に、旧クマリ側は笑ってしまう。憮然としてるのは旧船団側だ。産まれた時から潮の匂いと揺れに包まれて育ったのだから無理はない。ムッとしたミンツゥに軽く肘を当てて注意する。気持ちは解るけどね、侮辱じゃないよ。
冬至祭の翌日。冬特有の澄み切った空の下、浜辺の防風林へと歩いていく。細かな砂の感触と、鳴り続ける波の音、潮風に感想と愚痴を遠慮なく言ってくるバル殿の陽気さ。反面、黙っているのはフフタルの隠し刀だ。
「バータル殿は、船はどうでしたか」
「まだ揺られてるような錯覚で……慣れませんね、これは。我々フフタルの民は、馬上では敵なしですが、ウッ……失礼……」
完全に船酔いだな、こりゃ。
秀麗な眉を顰め、青ざめた顔で口元に手を当てて黙ってしまう。その重症具合に、ハンナが素早く侍女と下人に指示を出した。見る間に砂浜に張られた天幕内に敷物が広げられて「こちらでお休みください」と誘われていく。ヨロヨロと歩く後ろ姿は、昨日の宴で酒豪っぷりを披露していた同一人物とは思えない。鋭い視線すら失い、しどけなくクッションに身を沈めてしまう。それも絵になるのだから色男だな、おい。
「いや全く申し訳ない。ウチの右腕を休ませてやって下され」
「こちらこそ。慣れぬ船に誘ったばかりに申し訳ない。バル殿は船酔いは大丈夫ですか? 」
「ワシは平気だな。まぁ、長と呑んだ後の二日酔いよりはマシだ」
「恐れ入ります。まぁ、我々も少し休みましょうか」
砂に足を取られながら歩き、用意された天幕の中へ入る。潮風を受けて膨らむ天幕が音を立て、波の音と重なる。後方で準備されていた温かな汁物が運ばれてくる。フフタルで常食となっている牛で出汁をとったスープだ。匂いで判ったのだろう。バル殿が今日一番の笑顔をヴィグに向けて軽く頭を下げた。
「配慮、痛み入る。このスープこそ、我らフフタルの心よ。いや、これで腹に力が入り申す」
「それは良かったです。あぁ、いい香りだ」
「フフタルで過ごした時間を思い出すわ。うん? 何か、これ、本当にあっちで食べたのに似てる」
「おぅ、これは若奥様の味に似とる……成る程、やはりお主か、ヴィグ」
「船に乗るなら、これは用意せねばと思いまして。姉直伝の生姜入りです。さぁ、呂様も。温まりますよ」
「や、某は」
「ほれほれ。近うよらねば話ができん」
何時までも後方の侍従の中から出てこない呂を引っ張り、会食の輪の中に入れてしまう。クマリ側も控えの立ち位置から出てこないルドラをツワン自ら引っ張り込む。こちらも「畏れ多いので後ろで控えさせて下さいっ」と懇願するのを、テンジンが「お前らがいないと話が進まんだろ」と隊長命令と共に背中を押し輪にねじ込んだ。仕上げにヴィグが二人に断る間も持たせずにスープを手渡し、完全に座らせる。
はぁ、ここまで長かった。
昨夜の宴で、ようやくルドラを助け倶利伽羅と繋がる林 亞夢こと呂 泰然を確定したが、二人を交えて話をする場が作れなかった。不自然ではなく、且つ冬至祭で集まった人目から避けて話せる場は、『マリからの船団を見学する為』『馴染みのない海を探索してもらう』と偽りフフタル側を雲上殿から出すしかなかった。
誘ったついでに乗せた船にバータルが酔うとは計算外だったけど。
「まずは、礼をさせてほしい。俺達の大事な仲間を救ってくれた事、本当にありがとう。ルドラを失っては、彼の家族や仲間に面目立たなかった」
「そんな、オレは、ただ」
「下心があっても、なくても、ルドラを助けてくれた事実は事実。その礼を。本当にありがとう」
「いや、その……勿体ない御言葉です。聖下自らの礼を戴けるとは、呂家と倶利伽羅の名誉です。ありがたく戴きます」
俺とミンツゥを始めとしてクマリ側が頭を垂れて礼をする。それを丁寧な仕草で受け取る様子に、ふと思う。彼は、それなりの家柄の出身ではないかな。ミンツゥが、チラリと俺を見てくる。どうやら同じことを感じているようだ。
「ところで、質問をよろしいでしょうか」
「おぅ、どうせ倶利伽羅の事だろう。おーい、バータル殿ぉ、ワシが話しとくぞぉ」
ダワからの言葉を遮り、伏せたままのバータル殿に声を掛ける。天幕の隅で弱々しく腕が上がった。何やら指を動かして左右に揺れる仕草をする。
「……腕言葉です。『私に言わせろ』と言ってます」
その仕草はフフタル独自の暗号らしい。ヴィグの通訳にバル殿は鼻で笑った。
「言いたかったら此方に来い。全くだらしない。質問の前にな、聞きたいことがある。後李帝国の奴等は冬至祭前に何用で来てたのか、教えて頂きたい。クマリがフフタルと軍事面でも手を組むというのなら良いだろう? 」
「いや、なんで後李がクマリに来てたのを知ってるんですか? 」
「そこはソレ、商人の情報網よ」
そうきたか。
フフタルは、クマリに対して倶利伽羅というカードを持っている。一気に軍事面で優位にしたいんだろうな。一瞬の迷いがクマリ側に流れる。
しょうがない。
「いいよ。言っちゃおう」
「ちょっとハルキ、それは」
「だって、俺達は倶利伽羅の正体も知らないし。後李帝国と向き合うのには、フフタルの協力は不可欠だし。お互い隠し事は良くないよ。あちち……」
湯気を立たせる丼を傾け、スープを飲む影でサンギとダワを見ながら小さく口をうごかす。
『虹珠は言うな』
隠し事は良くない、と言いつつも。秘密は必要悪。虹珠の保有数は、ホントに軍事秘密だ。大凡の予想すら秘密にしときたいし、会話があった事すら伏せておかねば、クマリと後李帝国で戦準備が始まったと勘ぐられるのも面倒な事態になりかねかない。通じたかな。
ダワが俺と目を合わせて小さく肯き、バル殿に向かい合う。
「……先の戦以前に行っていたという朝貢と皇帝への拝謁をせよと、聖下に要求してきたのです」
「はぁあ?! この状況で朝貢とは、まぁ、後李も呑気なもんだな。しかも拝謁に来いとは大胆というか、怖いもの知らずというか……」
ペロンと額から薄い頭頂部を撫でて溜息で締める。そのバル殿の様子にサンギが小さく頷いた。
そう思うのが、まともな感覚だろう。どうにも自信に満ち溢れた後李帝国と話してると、感覚がずれてしまう。
「で、聖下は後李帝国へ行くと返事をなさいまして」
「行く?! それはまた……物好きな」
最高の返答に、俺を除くクマリ側全員が肩を震わせている。その様子に、フフタル側のバル殿以外は慌てふためく。主の不謹慎な発言に対する反応が想定外なんだろう。呂も固まってしまった。
その様子がおかしくて、小さく笑い湯気を吹く。
「だってさ、実際に会わないと後李帝国の舵取りしてる皇帝陛下の人柄が解らないし。何考えてるか、顔合わせた空気で判断したいし。会ったほうが話が早いだろ? フフタルとの会談も、結局そうだったし」
「フフタル行ったのは私よ」
「うん。けど、後李は俺が行くよ。危ないといけないからね」
「聖下は後李を危険と考えてらっしゃるのか」
「バル殿なら知ってるでしょう。その辺りの事情を探る為に、直属の部隊を後李に潜入させているんです」
そこまで話し、バル殿をじっと見つめる。目の前の中年男性は、俺の視線を真正面から受け止めてから、ふいと俯いた。
小さな溜息をつき、頭頂部をペロンと撫でる。
「既に後李に内偵を出しているとは……呂殿が助けたという彼は、内偵だったのですな」
静かにルドラが頭を垂れた。
「近衛第三小隊に所属しております、ルドラと申します。劉大夫の動向を探る為、下人として潜入していました。呂殿に助けて頂き、何とか事を報告が出来たのですが……残念です」
「劉大夫は玄武家の玄恒様に繋がる可能性があったから、私も潜入していたのですが……」
「まぁ、起きてしまった事は致し方なし。それよりも、クマリも玄武の玄恒殿に注目していたとは」
バル殿の察しの良さ。曖昧に笑ってダワに目で次を促す。
話に気をつけないと、余計なことまで知らせてしまいそうだ。
「豊北道だけではなく、既に要所には潜入させております」
「民らの様子、春陽の様子、市場の様子。様々な情報を集めていますが、その辺りはバル殿が詳しいのではないですか? 是非に教えて頂きたい」
ダワの言葉に、バル殿は頷く。
再びペロンと頭を撫でて、深く長く息を吐き出した。
「そこまで感づいてらっしゃるなら、氷狐の長としては隠すことは無いなぁ。こちらが揺さぶるつもりが、ここまで言うとは参った。バータル殿、こっちで進めるぞ」
「えっと、その『私の番を取るな』と言ってますが」
「無視だ無視。軟弱者め」
ヴィグが訳したバータル殿の言葉を鼻息で飛ばして、断言した。
「氷狐の長として言うがな……後李と行っていた交易はクマリに全部移行する考えだ。後李へ続く街道は、雪解けしても閉鎖したままにする。先の会談でも言ったが、妖獣が発生しだしてる。恐らくな……後李帝国は、近いうちに滅ぶやもしれん」
次回、4月26日 水曜日 更新予定ではありますが、毎年この時期は忙しいので……ひょっとしたら更新出来ないかもしれません。うーん、出来るようにしますが、リアル優先になるのをご理解頂けると嬉しいです。
追記
すみません。次回更新を5月3日に延期します。
ここ数日の温度差にヤラれてしまいました……間に合わなかった…。残されたHPポイントはリアルの仕事に回したいので、更新延期させてもらいます。
皆様もお体気をつけて。 4,25